2022年5月7日土曜日、岐阜県飛騨市神岡町吉ヶ原にある国道41号「吉ヶ原橋」の廃道区間を歩いてきました。3月26日にこの辺りの国道41号をドライブした際にこの廃道を少し歩きましたが、もう一度進める所まで行って様子を確認してみたいと思い再訪問しました。
当日のメインは「吉ヶ原橋」の廃道区間でしたが、橋のたもとの駐車帯に車が何台か駐車していたため、ここは一旦スルー。国道41号をしばらく北上し、3月26日に寄り道した新猪谷ダムへとやって来ました。
場所はこちら。
※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
結局、国道41号をさらに北上して、富山県のJR猪谷駅前でUターン。飛騨市神岡方面へと引き返してきて、今度は国道41号「中之谷橋」のたもとに駐車します。
場所はこちら。
停まった理由は、「神岡軌道」の廃線跡をちょっと見てみたかったため。国道41号をJR猪谷駅から戻ってくる途中に何か所か廃線跡が目に入ってきたので、ふと停まっただけです。中之谷橋周辺に廃線跡があるのを確認したわけではありません。
中之谷橋のたもとにある「ずいたん地蔵堂」。
中之谷橋の旧橋台が残っているようなので確認してみます。
次に地蔵堂の境内にあった古そうな標石を確認。「逓信省」とあります。旧逓信省の標石は初めて見ます。
側面には「地下線」と彫られています。付近に電話線の地中ケーブルでもあるのでしょうか?
この後、中之谷橋の脇から沢沿いに上流へと登っていく道を歩き、周囲を探してみましたが廃線跡は見当たりません。
仕方なく国道まで戻り、何気に中之谷橋から下流側を覗いてみたら、「神岡軌道」の橋桁がありました。う~ん、無駄に体力と時間を使ってしまいました…。
気を取り直して、本来の目的地である国道41号「吉ヶ原橋」へと移動。駐車していた車もいなくなり、これで人目を気にする必要もありません。
さて、現在の国道41号は、この場所から「吉ヶ原橋」で高原川を渡り、左岸側へと移動します。しかし、かつての国道41号はこの地点では高原川を渡らず、そのまま右岸側を通過していました。
※5万分の1地形図「東茂住」:大正元年(1912年)測図・昭和5年(1930年)要部修正測図。
※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
吉ヶ原橋の竣工年月を記した銘板です。昭和42年(1967年)12月とあるので、この頃までは旧道が国道41号として供用されていたと考えられます。
それでは、現在は廃道と化した旧国道を進んでいくことにします。
歩き始めてすぐに橋が現れます。
橋の名称は「岩之谷橋」。
旧地形図に記載されているこの橋マークが「岩之谷橋」です(先に言ってしまうと、この先の道中には橋が存在しないため間違いなし。)。
銘板によると、橋の竣工は昭和28年(1953年)10月。増大し始めた自動車通行に対応するためにコンクリート橋梁へ架け替えられたのでしょう。
橋の高欄。長方形のシンプルなデザインです。
吉ヶ原橋方向を振り返っての眺め。
岩之谷橋をくぐる枯れ沢。雑草でわかりにくいですが、全面に石が貼られています。
ちなみに、3月26日に訪れた時はこんな様子でした。
その時は岩之谷橋の上もほとんど雑草は生えていなかったのに、1か月ちょっとで一気に木々の葉っぱや雑草が繁茂。この先の状況が思いやられます…。
それでは、岩之谷橋の先へと進んでいきます。倒木があったりしますが、道跡ははっきりしていて雑草も想像したよりは少なく、今のところは大丈夫そうです。
土砂で道跡が完全に埋まっています…。「いきなりかよ…。」という感じです。
土砂の上に登ってみました。瓦礫がゴロゴロしていますが靴で足場は作れるので、一歩一歩慎重に横断していきます。
崩落斜面から高原川を見下ろします。路肩まで土砂に埋まっているので、もし滑ったら直接高原川の河原まで落ちてしまいますね。
無事に崩落斜面を横断しました。安全のため、実際の路面の高さよりも高い場所まで迂回しています。
いよいよ薮が深くなってまいりました。
雑草の少ない山側の擁壁に沿って進んでいきます。
背の低い灌木帯。こういう場所は体で押し切って進みます。
山側の石積み擁壁、石の大きさがバラバラ。巨石まで混じっています。時代が新しくなると、ある程度大きさを整えた石を使っていますから、これは古い時代に造られた擁壁かもしれません。
また深い薮です。直線路なのに少しでも薮の薄い場所を探して、ジグザグに進むこともよくあります。
対岸を通る国道41号。
また崩落地です。先ほどのものよりも規模は小さいですが、倒木が絡んでいるので、通過に少々手こずりました。
擁壁の上に設置されていた落石防護ネットを支える鉄柱。ネットは無くなり、鉄柱だけが落石を受け止めています。
ここまで緑が濃くなっているとは本当に誤算でした。進めないことはないので、どんどん奥へと歩いていってしまうわけですが。
谷積みで積まれた石積み擁壁。廃道で見かける遺構としては、コンクリート製のものよりも石積み・石垣の方が私は好みですね。
こちらはコンクリート造りの擁壁。
この場所は枯れ草がペシャンコにつぶれているので、遅くまで積雪が残っていたようです。
またまた深い薮…。
薮を抜けると、草刈りがされたような状態になりました。反対側からこの辺りまで人が入ってくるのでしょうか。
落石などで路面は荒れていますが、道跡を塞ぐほどの薮や雑草は無くなり、気楽に進んでいきます。
玉石積みの擁壁。
ここまで歩いてきて、川側の路肩に駒止めやガードレールの痕跡が全く見当たりません。高原川から高い場所を通っているので、せめて駒止めくらいはあっても良さそうなものですが。
対岸を通る国道41号のロックシェッド。
道跡を塞ぐようにビニールひもが一本張られています。地形図を見ると、この廃道は最終的には「神岡鉱業」の敷地内へ入っていくことになります。「立入禁止」の印と受け取って、ここで引き返すことにしました。
それでは廃道を吉ヶ原橋まで戻っていきます。
吉ヶ原橋のたもとにある駐車帯まで戻ってきました。
おまけで、吉ヶ原橋付近に残る「神岡軌道」のトンネル跡2か所をチェック。
今回は片道約800mと短い距離の廃道でした。往復時間は1時間20分ほど。実際に歩いてみて一番の遺構は廃道の入口付近にあった「岩之谷橋」。あとはひたすら道跡を辿るだけの探索となりました。
廃道に駒止めやガードレールが現れなかったことから、現国道に付け替えられるまで未舗装路のままだったかもしれません。昭和40年代以前の国道41号は、こんな貧弱な道路だったと確認できたのが成果と言えますかね。
最後に帰宅途中、高山市清見町上小鳥に残る旧国道158号の廃橋、「上小鳥橋」に立ち寄りました。現国道の「新上小鳥橋」の真横にある小さな橋です。
場所はこちら。
※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
橋の上には害獣捕獲用の檻が置かれています。
橋の先にはかつての国道の跡が残っています。
橋の全景と親柱。竣工年月は、昭和31年(1956年)11月とあります。
ここからはオマケの話。
帰宅してから着替えようと上着を脱いだところ、右腕の上腕部に何かくっついているのを発見。よく見てみると「マダニ」が皮膚に頭を突っ込んでいました。痛みは全然無くて、気が付きませんでした。
「ついにマダニに喰い付かれてしまったか…。」とちょっとショック。マダニと言えば、ひと頃騒がれた「重症熱性血小板減少症候群(SFTS)」を筆頭に、死に至るケースもある各種感染症の原因です。
体は膨らんでいなかったので、「そんなに血を吸われていないのかな?」と思いつつ、熱さに驚いて離れてくれればと、小さな金属棒をコンロで熱してマダニに当てます。金属棒が触れた瞬間に少し動きましたが、何度も当てているうちにまったく動かなくなりました。どうやら死んでしまったようです。
マダニを軽くつまんで動かしてみても皮膚が引っ張られて外れる様子はなし。完全にくい込んでいます。無理に取るのは良くないと知ってはいたので、その日は取るのを諦めました。
結局取り除けたのは月曜日になってから。近所の総合病院の皮膚科で診察してもらい、「本当にマダニだね。」という感じ。処置としては、マダニを周囲の皮膚ごと抉り取りました。局所麻酔をしたので痛みはありませんでした。
各種感染症の最長の潜伏期間が14日間だったので、5月21日が過ぎるまで様子見。無事、何も発症せずにすみました。腕に開けられた穴もちゃんと塞がりました。
今回は探索中、思ったより暑くなって腕まくりをして薮を歩いたのが仇となったようです。夏ならばメッシュの長袖を着て歩くのですが、油断が招いた事故でした。また喰い付かれた時に次も無事でいられる保証はないので、注意しないといけませんね。