2024年3月2日土曜日、北設楽郡豊根村富山漆島から始まる霧石峠の峠道を探索してきました。前回2月18日に峠道の下見をして、今回は霧石峠までの峠道を探索する予定で現地にやって来ました。
場所はこちら。
※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
前回下見した成果を踏まえて、引き返し地点まではサクサクと進むつもりでしたが、落石と丸太と枝葉に覆われた斜面に残る不鮮明な道筋を辿るのは容易ではありませんでした。
前回の引き返し地点である小崩落地に到着。1時間ほど掛かってしまいました。
まずは道筋から下側へと急斜面を下り、崩落地を迂回できるルートを探してみましたが、斜面が崩落した凹地の筋が相当下まで続いていて、容易に横断できそうな場所が見当たりません…(安全に下ることに必死になって写真無し。)。
50分ほど様子を窺いつつ模索してみましたが、下巻きして迂回する案は断念…。別の場所から急斜面をよじ登り、峠道へと何とか復帰しました。
下側がダメなら次は上側です。峠道の山側の斜面へと登り、崩落地を見下ろしています。
黄線が峠道。赤線が崩落地の先端です。行ける人は赤線のさらに左側の急斜面に足を突っ込んで、さっさと横断してしまうのでしょうけど、高い場所が嫌いな私は、一気に下まで崩落している急斜面にどうしても目が行ってしまい、萎縮してしまうのです…。
斜面に足場を作りながら、少しづつ前進していきます。
斜面の土が柔らかいので、足場が崩れないよう、一つ作っては足踏みして地固めするという行為を何度も繰り返していきます。
足場を作りながら進めなくなり、さらに上へと迂回できないか斜面を見上げますがこの傾斜…。もう少し密に木々が生えていたら手掛かり・足掛かりにして進めましたが、植林地の木々は間隔が開いているのでそれも無理。結局、下見時から全然進めないまま撤退することに決めました…。
峠道を下って、車へと戻ってきました。
今回は全然進めないまま撤退しますが、当然このまま終わりという訳にはいかないので、日を改めて「武器」持参で再訪するつもりです。
※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
さて、このまま家路につくのもつまらなかったので、同じ豊根村内にある愛知県道426号の峠、宝地峠へとやって来ました。
場所はこちら。
※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
この峠を通る道は、豊根村誌によると「津具・粟世・河合道」と呼ばれる道で、この地域では重要な道の一つだったそうです。坂宇場~粟世にあるここ宝地峠は、霧石峠と並び、昔から厳しい峠として知られていたそうです。
※ひなたGISより引用。
というわけで、少しは昔の峠道が残っていないかと寄り道してみましたが、峠付近にヘアピンカーブ一つ分だけ道筋が残っていました。
もう少し県道を下ってみると、さらに道らしきものがあるのを発見。
すぐに沢頭の平坦地へと出て、道筋はうやむやになってしまいましたが、このまま沢に沿って歩いてみることにします。
3月入ったとはいえ、まだまだ冷え込む季節。砂防ダムの水溜りが凍り付いています。
砂防ダムを通過すると道が現れましたが、これはおそらく砂防ダムの工事用道路か林業用の作業道の跡でしょう。
路面が水流に破壊されて、まるで沢のようになっています。
家屋がある所まで下りてきたので、ここで引き返すことにしました。戦前の地形図でもこの沢筋を峠道が通っていたこと自体は間違いないので、昔はこの家の前か後ろを通過していた道を、峠を往来する人々が通行していたのでしょう。
宝地峠では、峠のヘアピンカーブ区間以外にこれといった遺構は見つけられませんでしたが、追加で山の中を歩いて多少は気分が晴れました。
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ドライブ・道路・廃道 | 日記
Posted at
2024/05/05 15:47:24