何はともあれ。
とりあえず。
ほっとしました~ *:・。,☆゚’・:*:・。,(´ェ`*) ,。・:*:・゚’☆,。・:*:
日本中の同じ感覚を持つ人々の気持ちが一つとなり、
八百万の神様のご加護をいただいたおかげで、2020東京五輪のエンブレムがめでたく、白紙撤回されました。
「あの」イケてない辛気臭いデザインが2020年まで付いて廻ることがなくなったことを、ただ喜びたいと思います。
とにかく、それだけで嬉しいのです。
日本の風土や歴史、文化に対する愛情が全く見えてこない、日本を愛する日本人に全く愛されないデザインを、国を挙げての祭典のシンボルマークとして採用させるわけにはいかないのです。
「これでよし♪」、と言いたいところですが、残念ながら府に落ちないことが、やっぱりたくさんありますよね。
・・・たとえば、佐野氏の作品が日本的な情緒に溢れていて、日本に対する愛情を感じ取れるものであったならば。
模倣やサンプリング、トレースの痕跡が見られても、それについてどこまでも追及するネット民は、こんなに多くいなかったのではないでしょうか。
むしろ、著作権などという野暮なことは存在しない、奥が深く歴史のある「日本の伝統的な意匠」を用いていれば、全く問題にならなかったでしょう。
日本のことを理解し、好んでくれている外国人も多いこの時代に、なぜあえて、アルファベッドにこだわったのか。
「展開する」ことで、更なる使用料が発生し、もっとお金儲けをしたい「フィクサー」がいる様な気がしてなりません。
どうしてこんなことになってしまったのか分析もせず、反省もせず、誰も責任を取らないようでは、私たち国民の不信感は拭えません。
これからも一部の人が私腹を肥やすようなことが平然と永遠に行われてしまうのなら、この機会に是正しなくてはいけません。
組織委員会の事務総長が、「
一般国民が理解できなかったため」、「作品は模倣ではないので全く責任のない、
デザイナーとその家族への誹謗中傷のせい」で白紙撤回したと発表。
へぇ~。
ほぉ~。
そうですか~。
デザインのなんたるかを分かっていない一般国民が、ただダサくてイケてないデザインをしたというだけの罪もないデザイナーを寄ってたかっていじめたから、やむを得ず、白紙にしなくてはいけなかったのですね~。
ふ~ん。
私は、この「佐野氏」というデザイナーのセンスも身の処し方も嫌いだから、(なるほど、本気でそう考えているんだ)、と思うだけです。
ネットをしている人の中には意地悪だったり、調子に乗っていじめている人もいるかもしれません。
でも、大半の人は、このデザイン自体の余りの魅力のなさを嘆き、そんなデザインを選考した審査委員などの「裏舞台」と「裏の事情」に、不信感や嫌悪感を抱いているのではないのでしょうか。
自分達がやったことは棚に上げて、被害者意識ばかり募らせ、己の行いを省みることができないなんて・・・。
「潔い」とか「弁えて」という『日本男児の心意気』など、佐野氏含め関係者にあるはずがありません。
五年後の2020東京五輪のコンセプトを構築し直し、一般国民みんなに分かりやすく説明し、それを基にしたデザインを広く、透明性のある募集と審査で決定し直すことでしか、一般国民は納得しないのではないでしょうか。
って、
「一般国民」て、なんだ?
誰のこと? 私たち? 一般と何に分かれているの?
選民意識、バリバリなんですねえ。
利権の甘い汁を吸える、組織委員会や広告代理店や大企業の「特権階級」の皆さま。
その体質を、なんとか代えられないものでしょうか。
せめて、今回の責任の所在をはっきりさせていただきたい。
どうして審査委員会が、「佐野氏」のデザインありきで、問題あるダサいデザインを強引に押していったのか。
・・・久しぶりに、「ダサい」を連発してしまいました…orz
ニュースサイトやブログの記事をいくつか読ませていただき、専門家の方のご意見やご指摘なども、興味深く拝見しました。
いくつか、ピックアップさせていただきます。
最後に、東京五輪開会式のオープニングセレモニーの脚本を書いていただきたいと、ひそかに願っている
脚本家の「井沢満さん」のブログを読み、溜飲を下げていただければ、今夜はすっきりと眠ることができそうです♪
組織委が怯えていた国民って誰?
2015年09月02日 14:54
新井克弥
http://blogos.com/article/131611/
>事務総長の武藤敏郎氏曰く「デザイン界の理解としてはオリジナル」つまり盗用ではない、しかし「国民の理解が得られない」がゆえに中止するというのだ。
>わかりやすく言い換えると
「自分たちは悪くないけど、周りが気になるみたいだから、やめとく」。つまり、結論として誤りを認めていない。いや、
そもそも誤りはないとしている。これについては佐野氏も同様であるとし、
先ず、自分たち(佐野氏も含めて)の立場を守ることを優先させた。
>しかし、こうやって国民を敵に回してしまうことの副作用を組織委はわかっていない。なんのことはない。そのことは、
何のためにオリンピックを開催するのかと考えればすぐにわかる。これって
国民のためでしょ。ところが「オリンピックにケチがつくのはあんたたち国民のせい」と組織委がやってしまえば、国民の方も「あ、そう」っということになり、五輪への関心が遠のいていく。あたりまえだ。
2020東京オリンピックと「日本デザイン界の大きな時代遅れ」
2015 / 9 / 1
中西元男公式ブログ実験人生 |
中西元男
http://designist.net/blog/
>要は、この世紀のイベント東京オリンピックで、デザインが一体どのような役割を果たすべきかという、
戦略や目標のデザイン自体が策定されていないことが驚きです。言い換えれば、
アイデンティティ・デザインが全く成されていなかったことが顕在化してしまったのだと思えます。
>これでは、デザインコンペに参加するデザイナーも、またそれを審査する側も、作品主義的な制作や印象審査を行う以外になく、その意味では、今回の諸騒動は事前に十分想定できたにもかかわらず、好ましくない結果が到来してしまった、としか言いようがありません。
>今般のオリンピックとデザインの関わりにおける根源的な問題は、
最も重要な「デザインのトータルパワー」というポイントを理解している人物が、デザインに関わる内外関係者に存在しなかった、ということに尽きるでしょう。
まさに「今しか考えない日本人」「見事な部分職人としての日本人」の露呈としか思えません。
2020年東京オリンピックは、デザイン思考やシステム思考においては、50年前の東京オリンピックよりむしろ遅れているのではないでしょうか?
>この際いっそのこと、1964年東京オリンピックの亀倉デザインの年号だけ変えて、再活用してみては?とも考えています。
佐野氏を信じれば、五輪エンブレム問題の真相はこうなる!
2015年09月02日 13:52
小笠原誠治
http://blogos.com/article/131605/
> つまり、佐野氏は今の人間として耐えられない状況から抜け出したいがために組織委員会に対して、辞退を申し出た可能性があるのです。しかし、組織委員会としては、そうして追い詰められた佐野氏が何でも喋ってしまうと不都合な真実が明らかになってしまい、事態が泥沼に嵌ってしまう恐れがあるので、
佐野氏をクロにしないで彼の口を封じる方法を考えたということではないのでしょうか。
> 不都合な事実とは、例えばもう誰もが想像するように、
最初から佐野氏の作品を採用することが決まっていたというようなことです。
> 公共工事の入札においても、最初から落札業者が決まっていたというのはよくある話ではありませんか。そして、それに政治家も一枚噛んでいる、と。
しくじり佐野研二郎氏に足りない「リスペクト」と「許される力」
ダイヤモンド・オンライン 2015年8月25日
竹井善昭
http://diamond.jp/articles/-/77265/
> 結論を先に述べると、いまだに騒ぎが収まりそうにない
今回の騒動の本質は、パクリではなく、佐野研二郎というクリエイターの本質と、日本社会の伝統的な美意識の「対立」なのではないかということである。つまり、多くの人が考える「日本人のクリエイティビティに対する感覚」というものに対して、「佐野氏のクリエイターとしての感覚」が真っ向対立しているところに、今回の騒動の根本的原因があると思われるのだ。
こんな人間が日本を代表するクリエイターだと評価させていいのか――。執拗に佐野作品の疑惑を追及する人たちの本当に怒りはそこにあると思う。
>ちなみに、多くの人が考える「日本人のクリエイティビティに対する感覚」とは、“オリジナリティ”と“リスペクト”だと思うのだが、残念ながら佐野氏の作品からはそれが感じられない。身内の業界人以外からは佐野氏擁護の声がほとんど聞こえてこないのも(ただしその擁護者の多くも、例のサントリーのトートバック事件以降、逃げてしまったようだが)、この二大要素が決定的に欠けているからだと思う。
> しかし誤解を恐れずに言えば、たとえ誰かの作品をパクったとしても、そこにオリジナリティがあれば、それは作品としてOKだと思う。代表的な例が、音楽の世界における「サンプリング」だ。
> サンプリングというのは、過去の名曲や偉大なミュージシャンのフレーズなどをそのままコピペして使用しながらも、原曲を超える、あるいはまったく別の世界観を持つオリジナル曲を作る手法のこと。これが音楽の世界でちゃんと市民権を得ているのは、著作権処理をちゃんとしているとかそういう業界ルールや手続きとかではなくて、そこにオリジナリティがあると多くの音楽ファンが認めているからだ。
> だから今回のサントリーのトートバックの件でも、(権利処理の問題は別問題として)たとえ他者作品からモチーフをトレースしたり素材をコピペしたりしていても、「佐野研二郎オリジナル」というものが何かしらあれば、ここまでの騒動にはならなかったかもしれないし、お仲間の同業者たちももう少しは擁護できたかもしれない。しかしそれがなかったから、単なる盗作としてネットを中心に糾弾されているのである。
> もしかしたら佐野氏は、事ここに至っても自分がなぜここまで批判されているのか理解できていないのかもしれない。
> それよりも、
クリエイターとして一番大事な「まず自分がどのような思いでこの作品を作ったのか」、そこがまったく伝わってこないのだ。だからこそ、騒動の発端となった五輪エンブレムについても、
日本の歴史や文化に対するリスペクトが感じられない。
このような国家的、歴史的イベントの象徴となるものには、その国の過去、現在、未来という時間軸的なフレームのなかでデザインすべきだと思うが、あのデザインにはそれがない。前回の東京五輪のときの、亀倉雄策氏デザインと比べてみれば一目瞭然である。それはやはり、自分の作品に対してさえリスペクトがないからではないのか――。
日本の恥さらし大会か、東京五輪
2015-09-02
井沢満ブログ
http://blog.goo.ne.jp/mannizawa/e/f5a0f57ceb4782e566d285872eb14ce8
…………転載、はじめ……………………………
もともと、私が五輪開催にはある理由で疑問符を持っていたことは、理由の一端とともに過去、述べたことがあります。
このところの不祥事続きに、いよいよ返上して欲しいような気にさえなっているというのは、
競技場、エンブレム、と考えられない初歩的不祥事が続き、しかも主催者側の対応がぬるく、責任の所在が皆無、醜い姿をさらしてくれるからで、いつから日本、こんな潔くない国になったのか・・・・と。あるいは私が日本という国に対して幻想を抱きすぎているのか。
舛添都知事は、エンブレムは「残念」という感想で佐野氏の説明責任に言及。
李氏朝鮮の王宮守衛の衣装にたとえられる、ボランティア案内人制服のダサさは他人事にけろっと言い放つし。この方も相当批判され、
あの制服の選考方法に疑惑が出されているというのに。当初はエンブレムも「問題ない」と言い放っていたのに?
なかんずく致委員会が作成した立候補ファイルの文言。7月24日~8月9日の大会期間について
「この時期の天候は晴れる日が多く、且つ温暖であるため、アスリートが最高の状態でパフォーマンスを発揮できる理想的な気候である」
こんなもの、詐欺ではないですか。競技場、エンブレムと続いて海外では「日本らしからぬ杜撰さ」「恥ずべき事態」と言われているところへ、この大嘘もいずれ俎上に上がるかもしれません。
招致したい一心で、呼んだら後は適当にヘラヘラごまかそう、と嘘をつく。最も恥ずべきことではないのですか?
いつから、自らの権益のために、こんな小汚い嘘をつく国に成り下がりました?
誰が、この詐欺的文言を作成したのでしょうか。ぜひ、この文章の作成者の姓名と所属を知りたいと思います。そして最終責任の所在は、誰にあるのでしょうか。これも、追求されたらのらりくらり、逃げるのでしょうか。
いったい、いつからここまで無責任に卑しく成り下がったのか、こういう薄汚さを見せ続けられるのなら、五輪なんぞ、よそにやっちまえ、とこれは感情論なのですが。もともと、ふさわしいバルセロナが外され東京に決まった時から胡乱な印象で、あれこれ探った結果、あまり美しくない構図を想像してしまった私としては、東京開催のメリットよりデメリットが上回ります。
エンブレムに対しては、私は専門外だし確信を持ってものが言える立場でもないので、遠慮しいしいわずかに声を発しただけですが、その節度の糸がプチリと切れたのは、武藤敏郎事務総長の対応ぶりです。
「国民の理解が得られない」と、
あたかも内部には何の問題もなく、外部の国民が、と言わんばかりの横柄な口ぶり。
責任の所在は明らかにせず従って謝りもせず、白紙撤回だから問題ないと、と言わんばかりのあの傲岸さ。日本という国を汚し、国民に恥をかかせたこともご自覚ではない。カエルのツラに何とかで、その表情の醜さ、語り口の卑しさ。
あまつさえ2位、3位は言わぬと開き直られる。
税金を使ってのイベントなので、公表は義務でしょうに。
いえそれ以上に、
疑われている選考過程の不透明さ、はっきり言えば談合疑惑について、きちんとなさるべきでしょう。
まず、応募資格が異常なのです。
【東京ADC賞やTDC賞、ONE SHOW DESIGNなど組織委員会が指定した国内外の7つのデザインコンペのうち、2つ以上を受賞しているデザイナー】
こんな限定条件、出来レースの下地作りではないのですか。
何を基準にこれらの賞の受賞者限定なのか? たとえば、海外の大変権威のある賞を得たデザイナーがいたとして、彼がこの条件をクリアしてなければ、応募は出来ないのです。才能があっても、受賞歴のない若者は最初から外されています。五輪の精神とは逆行。
賞に関連した主催者側の、手のうちにある
人選ありきではないのですか。
人脈を見れば、身内間でのたらい回し。一方で審査員になって、受賞させ、次は立場を逆転させて、身内で賞の与えっこ。
業界内では
「広告代理店を軸に内輪で商標の著作権ビジネス展開」が狙いだと、指摘されています。昔、コミックの原作でいささか売れた経験があるので、著作権ビジネスの濡れ手に粟は、実感で知っています。そして、その利権をめぐって、わらわらと妙な人物が寄って来ることも。
私のヒットは個人的僥倖だったのですが、エンブレムに関しては人工的に著作権利権がうごめき仕掛けられてはいないでしょうか。
競技場も怪しかったと私は思っています。当初のあのあり得ない、法外な建設費。国民が黙っていたら、そのまま誰かが、どこかが巨額を手にするところでした。バレても誰も傷つかず、責任の所在なく、皆平然、何事もなかったように。
東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長に至ってはあのありえない巨額に「たった」発言。
国民を愚弄しなさんな、と申し上げたいのです。国家的イベントに使われるエンブレムなら、大勢が納得できるものでありたいのは、当然でしょう。
むろん、好みが分かれる分野ではありますが、
あの黒を用いた陰気なエンブレムは最初から不評さくさくで、あれがなぜ選ばれたのか、という根強い不信感も、ネットでの根気のいい追求になったのでしょう。
何かが、変だぞと。1つのいい加減さを許すと、今後も続きます。その思いもあったのかもしれません。
入選時点で、他に似たデザインがあるという時点で、ぺけなのではないですか?「他に似たデザイン」とは、盗用疑惑の別の言い方ではないのですか。
修正させ、そしてまた修正要求。
2ヶ月間もかけて、あの葬式エンブレム。
あくまでも当初の該当者にこだわる不自然さ。
最初から入選者ありきの出来レースではないですか、こんなもの。
森喜朗会長は、報道陣が「残念な結果になってしまいましたが」と問いかけると、
「何が残念なんだ」
・・・・・・鈍感力の大変強い、政治家にはピッタリのおじさんではありましたが、ここまで酷いと、SEALDsの語彙乏しい若者たちのように、下品に幼稚に罵声を浴びせたくなります。
新国立競技場問題と重ねて「五輪開催に対する疑念を、エンブレムの発表でそらしたいと期待している」と報道したのは、五輪を開くブラジル・リオデジャネイロが拠点のテレビ局グロボです。
海外も注意深く見守っています。どうぞ、先人がせっかく積み上げてきた日本人の信用を五輪で突き崩すことのないように、と願っています。これではむざむざと日本の評判を落とすための五輪になってしまいます。
エンブレムだけの問題ではありません。巨額が動くところ必ず湧く利権ボウフラがこれ以上湧かぬよう、国民はしっかりと見張っているでしょう。ネットの功罪のうち多大なる功のほうです。
・・・・今ふと気づいたのですが、私が五輪で浮かぬ顔をしているのは、招致そのものへの疑念に加え、
森喜朗氏と舛添要一氏をそもそも心が人として容認しかねているのでした。つまり信用ならない。
舛添氏に関しては朴槿恵大統領と対面した時の、あの上目遣いの卑屈で忠実な犬のような目つき。チャールズ皇太子をお迎えした時、チャールズ皇太子に手を振る沿道の人達に向けて満面の笑顔で、自分が手を振り返していた勘違い。
業界内部でつながっている人脈図で、分かりやすい画像があったので、こちらから拝借しました。http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/
ある程度情報を得て、この表を見ていると気持ちが悪くなります。
この画像を拝借したサイト主さんの記述によると、
>最近は、良く「五輪エンブレムの審査委員長の永井一正の息子の永井一史が「おもてなし制服」の責任者だという書き込みを見かける。
(参考)
78 :名無しさん@1周年:2015/09/01(火) 17:20:15.13 ID:gkQOqFGC0
一番最悪なのがこの親子だから
永井一正(親)
エンブレムの審査委員長
永井一史(子)
東京都 東京ブランドクリエイティブディレクター
おもてなし服の責任者
http://i.imgur.com/JPq0JgC.png
ーーーーここまで転載ーーーーー
こちらもいずれ、もし事実なら明らかになるのではないでしょうか。
次のエンブレムは妙な縛りなしに、作品主体で選ばれますように。
私は先の東京五輪は、わりに至近に接した人間で、ドラマ「わが家」の人物に託してその時の思い出を語りましたが、あの五輪の時にこんないやらしい話はありませんでした。終戦間もなく、日本人皆が前を向いて生真面目に頑張っていた頃です。あるいは、世間知にまだ疎かった私が気づかなかっただけなのでしょうか。
日本人が日本人らしい晴朗な特質を失って、利権優先に走り始めたらそれはもう日本とは違う、別の国です。しかし「お天道さまに顔向け出来ない」という感性の国民はまだまだいると、信じています。だからこそ、エンブレム問題も陰から日なたのほうに引きずり出され、尻尾を現したのだと。
それと、
与党の中から森喜朗会長、武藤事務総長に対して責任を取って辞任せよとの声が出ていることも、まだまだ捨てたものではない、と思っています。
http://news.yahoo.co.jp/pickup/6172902
武藤事務総長は元財務事務次官だそうで、と聞けば会見時のあの不遜な喋り方、恥の知らなさかげんも納得が行きます。
仕事上、お偉いお役人さんにもお会いしたことはあり、全部が全部頭の悪い人格低劣者ではないということはよく承知していますが。人格高く、頭脳が本来の意味でいい人も存じ上げています。
しかしながら、いったいに高級官僚と言われる人々の受験脳の秀逸さに比して、地頭の悪さについては過去に書いたので省きます。
品性の低さは頭の悪さです。顔と態度がでかいが、脳みそ小さいどなたかへ。
ーーーーーーーーーー
備考
(私の推理もさして的はずれではなかったようで・・・・)
◆コンペ応募者に不信感「佐野氏ありきの選考だった」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150902-00000043-nksports-soci
日刊スポーツ 9月2日(水)10時13分配信
◆競技場に続いて無駄に捨てられた税金。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150902-00000021-mai-soci
7月24日のエンブレム発表以降、都はエンブレムを印刷した物品の発注を進め、1日現在の契約額は約4652万円。うち知事の記者会見で使われるバックパネル(4万2012円)とポスター100枚分(29万7000円)は支払い済みだ。
このほか、既に納品されているポスター2万枚▽のぼり旗540枚▽紙袋4000枚▽空港に設置した掲示物16枚--の計約277万円分も支払いは避けられそうにない。
…………以上、 転載 終わり……………………………………