「お金を貰えるスポンサーのために」
「便宜を図ってくれる営利団体のために」
「自分の出世や天下り、ハニトラ他おいしい思いをするために」
いつのまにか、日本の政治家、官僚、経済界、マスコミなどの「上級国民」は、
『公のため』にではなく
『私のため』の利己的、自己中心的な言動、生き方をするようになってしまいました。
もともとの日本にそのような人はいたとしても、大多数だったとは思えません。
むしろ、国、藩、町、村、集落を治め指導する権力者や役人、武士たちは、主君を護り共同体を支える民の暮らしを豊かすることが己の務めとし、『公の精神』をもち、次の世代に引き継いできました。
大東亜戦争での敗戦、GHQの日本弱体化政策により、「上級国民」の多くが腐敗し、自らの欲望を満たす利己的な生き方をするようになってしまいましたが、かつての日本、先人から学ぶ人も増え、再び少しずつ、自己に厳しく、『公のため』に利他的な生き方が見直されてきたように思います。
その範を示してくれている安倍総理大臣をはじめ大臣、官邸のスタッフ、言論活動をする祖国を愛する人々、名もなき多くの日本人・・・。
その「活動」や「事実」を国民が知るために、メディアは欠かせない媒体です。
反日左翼マスコミの「偏向報道」「捏造」「報道しない自由」については何度も書いてきましたが、フィルターをかけずに「事実」を報道しているマスメディアも、少なからず存在しています。
たとえば、近頃の
「マスコミ、GJ!」 は・・・。
『眞子さん結婚延期』につながる週刊誌の記事。
大雪災害で活躍する自衛隊の除雪作業の紹介。
道路で動かなくなった運転手にパンや食べ物を差し入れする人々の善意。
悪環境の五輪に前向きに臨む選手たちへの取材と報道。
そうだよ!
マスコミは、国民が知り得ない自らが収集した情報、人知れず頑張っている人やよい行いを「事実」として伝えればいいんだよ。
虚構 歪曲 加工 脚色 誇張 矮小 希望的観測 幻想 のない、「事実」だけを。
自社や自己のイデオロギーに沿った判断ではなく、一人の人間として公平・公正な目で判断した
「これでいいのか?」 「これでいいのだ!」
と強く思う、多くの人に伝える価値がある「事実」を。
マスコミだって、やればできる子はたくさんいる!
さて。
昨日から、平昌五輪が始まりました。
途中から見たのですが、個人的な感想を・・・。
入場行進する選手の少なさ、どこかで観たことがあるような演出(ライオンキングのパクリ?)、
妄想の中の色鮮やかな宮廷衣装?はて、史実にあったのかな?
染色や織物の技術がなくて『きなり」(無染色無漂白の布地)しか存在しなかったのでは?
統一旗での入場行進でのブーイング? わたしの空耳?
花火は地味だな、CGみたい。
ドローンはすごかった。CGかと思った、あんなことできるんだね、すごいね!
キムヨナのふてぶてしい態度、聖火台点火の仕方はダサいコイルwねじねじw
ハトがとまってなくてなくてホッとしたよ。
エグザイル、ZOOみたいなダンサーにキレがあった。
いちばん上手なフロントマンは、整形してない韓国顔だったね。
放送終了間際。もう閉会式なの?(笑) 訂正する時間もあったのにね、桑子アナ。
では、前ブログに続いてもう一度、動画をご紹介します。
五輪に参加しているすべての選手、スタッフ、選ばれなかった選手へのエールとして。
日本選手の持てる力をのびのびと発揮できることを願いつつ・・・。
◆23:38~ 25分ほどの映像です。ぜひ、ご覧ください!
そして、爽やかで人格者すぎる
「レジェンド」と呼ばれるにふさわしいベテラン選手、
葛西紀明さんの記事もご紹介します。
■長野スキージャンプ金メダル感動秘話!
ニコニコ大百科 より
葛西紀明(45歳) とは、
日本のスキージャンプ選手、
チーム監督である。
■ 概要
FISスキージャンプ
ワールドカップには16歳で初出場、44歳でも出場しトップクラスを維持するなど、スキージャンパーとしては異例の寿命の長さを誇る。
しかも、スキー板をまっすぐにそろえた
クラシカルスタイルから
V字スタイル、さらには幾度と行われた
レギュレーション変更を経ながらも、40代でのワールドカップ優勝、オリンピックでのメダル獲得という驚異的な記録を打ち立てた。
日本以上にスキージャンプの盛んな
ヨーロッパでは神のような存在、レジェンドとしてたたえられ、高い人気を得ている。
日本においても、幾度も大ジャンプを記録し、日本を代表するラージヒルである大倉山シャンツェでは、何度もバッケンレコード(最長不倒距離)を更新している。
特に1994年には、今の基準でいうヒルサイズ(当時はK点≒現在のヒルサイズだった)が120mだった当時の大倉山で、強烈な向かい風を得たことで極めて高いジャンプを披露し、途中で危険を感じて緊急着地しながらも、135mという最長不倒を記録した。
これがきっかけになったのか、1996年に大倉山が改修されている。
また、2009年に、すでに所属していた土屋ホームのチーム監督兼任となってからは、
伊藤有希といった有力選手の指導にも携わっている。伊藤は土屋ホームに所属してからは彼のジャンプ技術を取り入れ、W杯でもトップクラスのジャンパーとして名を連ねるようになった。
■開花、そして屈辱
1972年。北海道上川郡下川町出身。10歳の時にスキージャンプを始める。
すぐに才能が開花し、ジュニアジャンパーとして注目されていった。
1988年11月、わずか16歳、高校1年生の時にFISワールドカップに参戦。1989年には世界選手権の代表に選ばれた。
1991年に高校を卒業後、地崎工業(現:岩田地崎建設)に入社、当時のトップジャンパーだった
秋元正博とともに社会人として本格的にスキージャンプに取り組んでいった。
その過程で、当時新しいトレンドとなっていたV字ジャンプに転向するも、中々成績が伸びなかった。
1992年には、
アルベールビルオリンピックでスキージャンプの代表として選ばれたが、
入賞にはほど遠かった。
しかしその後ワールドカップではV字ジャンプを物にし、
ラハティでは初の表彰台、そして
世界フライング選手権で初勝利を手にした。
翌年には
ワールドカップで3勝を挙げた。当時はスキー板よりも前に体を持ち出すほどの前傾姿勢で飛んでおり、まるで無謀に飛び込むような様から
「カミカゼ」のニックネームをもらった。
1994年の
リレハンメルオリンピックで引き続き代表に選ばれ、ラージヒル団体にも参戦した。
葛西は2回のジャンプを成功させて日本はトップに立っていたが、最後のジャンパーだった原田雅彦がまさかの失速、
銀メダルに終わってしまった。
しかしその後4年間は転倒による故障に泣き、さらには
母の火事による死亡、
妹の難病などで精神的なプレッシャーがのしかかるようになり、
長野オリンピックの代表に選ばれるも
ノーマルヒルで7位を獲得するのがせいぜいで、
団体の代表に選ばれなかった。
■ 日本ジャンプ陣 冬の時代
翌年には悔しさをバネに勝ち星を挙げ続けるものの、
ルールが改正されて身長に対するスキー板の長さが制限され、
葛西を含めた日本人ジャンパーは低迷し始めることとなった。
葛西自身も2004年を最後にしばらくワールドカップの勝利から見放されることとなった。
現在でも企業の実業団から脱していないスキージャンプ選手であるが、葛西も地崎工業(現:岩田地崎建設)→マイカル(現:イオン)→土屋ホームと転々とした。
しかし、日本の低迷は葛西のそれ以上のものがあり、葛西に続く若手がなかなか育たない冬の時代が続くこととなった。その中で葛西は、同郷の先輩である岡部孝信とともに、一般では選手生命としては限界に当たる30代半ばを超え、長らくスキージャンプの第一線で活動することとなった。
2009年には、所属していた
土屋ホームスキー部の監督を兼任することとなった。日本での兼任は珍しい。
しかし、
これが葛西の精神面を大きく変えることとなった。
■ 復活のきっかけ
それまでは孤独のままトレーニングを行い、ライバルを倒すべき敵だと認識して、オリンピックでメダルを獲れる状況でも他の日本人選手に対しても嫉妬をするほどであった。
チーム監督を兼務するようになって選手たちの指導に携わるようになって、
相対的に自分自身を客観的に見つめる視点ができあがり、それとともに
チーム所属選手、あるいは日本代表のチームメイトを応援する心へと変わっていったのである。
また、自らの体力の衰えを感じてからは、とことん練習を繰り返すだけのトレーニングをやめ、
バランス感覚の向上や技術面での進歩をメインとしたトレーニングに変えた。さらには
風洞施設を借りて空力面での最適なフォームを追求するほどにまでなった。
そこで生まれたのが、両腕を斜めに広げつつも、手のひらを開いて下に向ける、現在見られる
エゾモモンガフォームである。
■ 復活、そして栄冠
2013/2014年シーズンになると、開幕戦を除くすべてのワールドカップのラウンドでトップ10に入るほどの好調をとりもどしていた。そして2014年1月11日のバートミッテルンドルフでのフライングヒルで、41歳7ヶ月での史上最年長記録を更新しての優勝を飾った。
彼自身の優勝も10年ぶりであった。
翌日に行われたラウンドでも唯一200mを超えるジャンプを見せて3位表彰台、さらに1月25日に地元日本、札幌大倉山で行われたラウンドでも3位表彰台を手にした。
同年、
ソチオリンピックの代表に選ばれ、
連続して7度目の代表となった。冬季オリンピックにおいては最多出場回数となり、日本人選手としては冬と夏両方に出場した橋本聖子に並ぶ。また、
冬季オリンピックでの7大会連続出場は世界最多となる。
そして男子ラージヒルでは、個人競技として初、団体を含めると20年ぶりとなる
銀メダルを獲得。
日本人選手としては長野オリンピックでの船木和喜(男子ノーマルヒル)、団体以来となる16年ぶりのメダルとなった。
そしてオリンピックでのスキージャンプにおけるメダリストとしてはぶっちぎりの最年長記録を達成した。
オリンピックなどの大舞台においては亡き母の写真を手にしているほど家族のために戦うことを決めていたが、それが大きな重圧となって結果につながらなかった。しかしソチでは母の写真を持たずに到着し、
自分のため、若きチームメイトのために戦うことへと切り替えたことが快挙へとつながったのかもしれない。
■ 前人未踏の領域へ
2014/2015年シーズンに入っても衰えはなく、第2戦ルカ(フィンランド)で3位表彰台に立ち、さらに同じ場所で行われた第3戦ではシモン・アマンと同点優勝、自らの最年長優勝記録を42歳5か月に伸ばした。また、同シーズンで、6度の表彰台を手にしている。
そして2月に行われた、フライングヒルのひとつ、ビケルスン(ノルウェー)で、14日のラウンドで最年長表彰台記録を更新、さらに翌日には240.5mを跳び、最長距離の日本新記録(当時)を達成した。
2016年には
ワールドカップ参戦500戦を達成、翌年にはジャンプ週間とも言われる
フォー・ヒルズ・トーナメント参戦100戦を達成した。15歳からの参戦で達成した記録であるため、これを破るのは極めて困難と思われる。
2016/2017年シーズンでは数年来の絶不調に陥り、トップ10どころか予選落ちも珍しくなかったが、2017年3月19日のビケルスンでは241.5mの自己最長距離記録を更新した。
さらに翌週、3月26日のプラニツァでは最年長表彰台記録(44歳9ヶ月)を更新した。
■スキージャンプにおける伝説の存在
上記の通り、最年長優勝記録を大幅に更新した41歳7ヶ月の優勝は異例であるものの、2位に入ったペテル・プレヴツ(22歳)、3位に入ったグレゴア・シュリーレンツァウアー(24歳)ともに、葛西がワールドカップに参戦したときにはまだ生まれていなかった。
また、他のワールドカップに参戦するジャンパーの大半が、生まれたときにはすでに葛西が世界で戦っていたのである。
むしろ同世代、あるいはそれよりも下の世代のライバルが、他の国のコーチをしているなど珍しくもないのである。
一般的にスキージャンパーの限界は30代前半と言われ、
35歳までにはほとんどの選手が引退をしている。この年代でもベテランと言われ、2017年現在でも30歳を超えて世界で活躍しているのはシモン・アマン、伊東大貴などほんのわずかである。
その中で40歳を超えても世界で十分戦える結果を残し、なおかつ優勝をしてしまったのだから、伝説の存在であることは過言ではなく、優勝の際には海外のコーチ陣が歓喜し、多くのトップジャンパーが迎え、握手をして称えたのである。
オリンピックのメダルを獲得して以降は、30代のベテランになってもあきらめずにチャレンジするスキージャンプ選手が増え、さらには彼独自のエゾモモンガフォームを模倣する選手も現れている。
そして、
冬季五輪史上最多の8度目の出場の平昌五輪で、新たなる伝説へ。
葛西 紀明選手。45歳。
葛西、食事には満足も「暖房が壊れていた」 平昌選手村を公開
sanspo
2018.2.6
平昌冬季五輪でスキーの選手らが滞在する山間部の選手村が6日、報道陣に公開された。食堂は1999年冬季アジア大会で開会式などが行われたドーム形施設を活用しており、韓国料理の他に日本食や洋食がずらりと並ぶ。8度目の五輪となるジャンプ男子の葛西紀明(土屋ホーム)は「韓国料理は好きなので合っている。味もおいしい」と満足そうに話した。
五輪に向けて建設された選手村は15階建てのビル8棟が並ぶ。全部屋に韓国では一般的な床暖房を備えるが、5日に到着した葛西は「
部屋に入ったら暖房が壊れていた。ちょっときつかった」と苦笑いした。
寒さが厳しいだけにシャワーではなく湯船につかりたい日本選手が多いようだが、公開された
6人部屋に浴槽は一つ。「順番を待たなければいけない」などと不満の声も聞こえた。(共同)
葛西、全身カイロ防寒!極寒開会式しのぐ「一番ヤバい」/ジャンプ
sanspo2018.2.6
(略)
葛西は8日にノーマルヒルの予選に出場する。9日は主将を務めたソチ五輪に続き、開会式に登場し、旗手の大役を務める。翌10日はノーマルヒルの本戦が待つ。日本選手団を引っ張る立場だけに、開会式を休むことはできない。厳しい寒さで、開会式では気温が氷点下15度以下になることも予想されているが、世界中を転戦している45歳は「
一番ヤバいのは開会式。ホッカイロをたくさん持ってきたので、体中に貼って出たい。風邪をひかないように」と対策は万全だ。
今季のW杯個人戦では3週間前の個人第12戦(オーストリア)で5位に入ったのが自己最高。助走姿勢で試行錯誤し、予選を通過できない試合もあるなど苦戦してきた。それでも調整法を熟知している大ベテランは「体調は万全です」と頼もしい。事実上の大会初日となる8日に、いきなり男子ノーマルヒル予選が行われる。“切り込み隊長”として、平昌の夜空を大飛躍する。
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葛西、7日公式練習後に悲劇…バス待ちぼうけで「なまら寒かった」/ジャンプ
sanspo
2018.2.9
平昌五輪は8日、開会式に先立ち、競技がスタート。ノルディックスキー・ジャンプ男子ノーマルヒル予選(ヒルサイズ=HS109メートル)で冬季五輪史上最多の8度目の出場となる葛西紀明(45)=土屋ホーム=が、98メートルの117・7点で20位となるなど、4人全員が10日の本戦へ進んだ。
葛西が悲劇に見舞われていた。8日未明に自身のブログを更新し、7日の公式練習後のアクシデントを明かした。「
22時丁度のバスが待てど暮らせど来ない! しかも40分も!! 開会式の練習だと言い聞かせながら耐え忍んでましたが、マジでなまら寒かった」。氷点下14度の寒空の下、耐え抜いた体験を北海道の方言を交えてつづった。9日は旗手として開会式に参加する。「いろいろな選手に会って、パワーを分かち合いたい」と待ち望んだ。
葛西「張本さんから『喝』いや『大喝』もらわないと」 チャック全開フライトに苦笑/ジャンプ
sanspo
2018.2.9
平昌五輪ノルディックスキー・ジャンプ男子代表の葛西紀明(45)=土屋ホーム=が9日、ブログを更新。8日に行われたノーマルヒル予選(ヒルサイズ=HS109メートル)を振り返った。
冬季五輪史上最多の8度目の出場となる葛西は98メートルの117・7点で20位となり、10日の本戦へ進んだが飛躍時、
スーツのチャックがほぼ全開になっていた衝撃の事実を告白した。
葛西は一夜明けたブログで「自分的に几帳面な性格だと思うのでキッチリしてないと嫌なのに何で閉め忘れたかな」と振り返り、「これは完全にあれだな!
サンデーモーニングの張本さんから『喝』いや『大喝』もらわないと」と苦笑。TBS系「サンデーモーニング」(日曜前8・0)の名物コーナー「週刊・御意見番」に出演する野球評論家の張本勲氏(77)から喝を入れられることを熱望していた。
張本氏、レジェンド葛西は「長くやっているだけ」
sanspo
2018.1.14
野球評論家の張本勲氏(77)が14日、TBS系「サンデーモーニング」(日曜前8・0)の名物コーナー「週刊・御意見番」に出演。ノルディックスキー・ジャンプで、冬季五輪史上単独最多8度目の出場となる葛西紀明(45)=土屋ホーム=について、「
長くやっているだけですからね。優勝したらあっぱれをあげますよ」と話した。
葛西は夏冬合わせた五輪出場回数でも、スピードスケートで冬に4度、自転車で夏に3度五輪に出た橋本聖子(現日本スケート連盟会長)を上回って日本で単独最多記録となる。19歳で初出場した1992年アルベールビル大会から8大会連続のひのき舞台。94年リレハンメル大会団体で銀メダル。98年長野大会はけがもあり、優勝した団体メンバーから外れた。悔しさを糧に、競技を続けた。
2014年ソチ大会で、ラージヒルで銀メダル、団体では銅メダルを獲得。五輪で3度、世界選手権で7度の表彰台を経験し、W杯では通算535試合に出場し、17勝を誇る。葛西に足りないのは、五輪と世界選手権での金メダル。45歳は、平昌大会後の現役続行も視野に入れながら頂点を目指す。
日本の「ロックスター」 米国選手が感銘を受けた葛西紀明の競技前の行動
葛西紀明は「憧れの大物」 海外選手が感銘を受けた競技前の“ある姿”とは
THE ANSWER
2018年2月9日
史上最多8度目の出場、米メディアも称賛
「楽しむ姿勢こそ日本のスターの原動力」
平昌五輪のスキージャンプ男子ノーマルヒル予選で冬季五輪史上単独最多となる8度目の出場を果たした葛西紀明(土屋ホーム)。
92年のアルベールビル大会から8大会連続で出場を続ける45歳について、米メディアは
「ロックスター」と称し、米国選手が競技前の“ある姿”に感銘を受けたことを紹介している。
米紙「USAトゥデー」は「冬季五輪において、男子ノーマルヒルほど不適切につけられた名前はない。なぜなら、それが全くもって
“ノーマル”ではないからだ」と記し、葛西の五輪史上最多となる8度目の五輪出場という偉業を特集している。
「照らし出すライトのもと、急激な坂から時速60キロで体を飛ばし、その距離はサッカーグラウンドをも超える長さだ。そんな難関を、
スキー板よりも少し背丈が大きい程度のロックスターな45歳はやってのけている」
日本のレジェンドについて「ロックスター」と評し、45歳でもスキージャンプという競技と向き合い、空を飛び続ける姿勢に賛辞を送っている。尊敬の眼差しはスキー界のライバルからも送られているという。
米国選手がかつて感銘を受けた競技前の姿
「常に屈託のない明るさだ」
ケイシー・ラーソン(米国)は葛西について「彼は僕のような若いアスリートにとって、憧れの大物だよ。また、ベテランの選手からも、忍耐とハードワークの象徴的存在として尊敬されている」とコメントしたことを紹介している。
さらに、ラーソンが感銘を受けたのは、かつて見た競技前の“ある姿”だという。記事によると、葛西が日本人選手とサッカーボールを蹴り合っている姿を見て、
「常に屈託のない明るさだ。常に楽しく過ごすことを目指している」と話したと伝えている。
記事では
「その楽しむ姿勢こそ、日本のスターにとって原動力だ」と分析。92年のアルベールビル大会以来、実に26年間にわたって日本の第一線を走り続けたポジティブな精神は、特筆すべきものと映っているようだ。
初陣となったノーマルヒル予選は20位でパス。10日に行われる決勝に駒を進めた。現役ながら伝説となりつつある45歳の勇姿は、日本のみならず、海外の熱視線も集めている。(THE ANSWER編集部)