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2016年03月17日

スポーツcolumn 【F1】星野一義 日本で最もF1に近かった男 《2》

スポーツcolumn 【F1】星野一義 日本で最もF1に近かった男 《2》 こうした闘いをつづけていた1980年代の星野一義に、二つの強敵が出現した。ひとつは、欧州でのレースを続ける上での資金難だった。日本でのレースがある以上、ヨーロッパF2にはスポット的な参戦にならざるを得ない。しかし、スポットで好成績を残せるほどに、欧州のレースは甘くはない。そのため、ヨーロッパ参戦は出費に見合うだけの成果がついて来なかった。しかし、フル参戦ということでヨーロッパに拠点を構えるまでの態勢を作ることは、日本で仕事と家庭を持っていた30代の星野には、やはりむずかしいことだった。

もうひとつの敵は、国内F2シーンに出現した新エンジンである。9000回転以上も吹けるというそのV型6気筒ユニットは、当時のすべてのレーシング4気筒エンジンを過去のものとした。世界のF2レースを制することになる「ホンダV6」が登場したのだ。

星野が、各コーナーで懸命に車間を詰める。しかし、そんな星野のハードジョブをあざ笑うかのように、鈴鹿で、そして富士のストレートで、ホンダV6を搭載したマシンは、かん高いエキゾーストノートとともに星野の視界から遠ざかって行った。

あのエンジンには、どんなことをしても勝てない……。このことを知った星野は、生涯で初めての「交渉ごと」を決意する。言い訳を嫌い、そして“政治的活動”が苦手な星野が、この時だけは違っていた。いや、星野にそれをさせるまでに、この時のホンダ・エンジンと他のエンジンとのハード差は大きかったのだろう。

「でも、よく乗れたよね、あの時に……(笑)」。いまにして星野はこう語るが、その通りで、星野一義はニッサンで育ち、ニッサンのスポーツ活動を支えてきたワークス・ドライバーである。その立場の男が、ニッサンのF2用エンジンは存在しなかったから直接のライバル関係にないとはいえ、国内他社製であるホンダ・エンジンを欲しがる。これは当時の常識を超えるものだった。

だが、同じ条件で闘いたいという星野の熱意は、多くの人を動かす。そして、ハードさえ同じなら他のドライバーには決して負けないという星野は、「ホンダV6」を得ると、その宣言通りに圧勝して見せた。「日本一速い男」は、やっぱり星野だったのだ。

“ニッサンの星野”がその節を曲げてまで、この「日本最速」の座にこだわったのは、「F1」という展望があったからである。F2を制したホンダは、1983年、ついにスピリット・ホンダとして、F1へのエンジン供給を開始していた。このホンダのF1参戦が本格化した時、同社は必ずや、日本人のドライバーを求めるであろう。そしてその時に選ばれるのは、日本最速のドライバーのはずだ。

個人でF1というフィールドへ駆け昇るのが困難であったことを知っていたからこそ、星野は、ホンダとともにF1へ参戦し、そこで日本を代表するドライバーとしてグリッドにつきたいと願った。明らかに日本で最速であった星野一義は、このとき同時に、ホンダF1に最も近い日本人ドライバーであったはずだ。星野とF1の、二回目の“接近遭遇”である。

果たして星野の読み通りに、ホンダはウィリアムズとロータスという2チームへのエンジン供給を開始した。また1987年からは、F1グランプリが日本の鈴鹿サーキットで開催されることも決まった。F1が、日本人に急に身近になった。ついに、星野が待っていた時が来たのだ。

しかし、1987年からのロータス・ホンダ、そのセカンド・ドライバーとして選ばれた日本人は、1947年生まれの星野一義ではなかった。こうして、星野の手のひらからF1は逃げた。これ以後5年以上もの間、星野は、ブームに沸くF1のTV中継を一度も見なかった。

         *

星野一義とF1の三度目の“接近遭遇”は、意外なかたちでやってきた。いや、F1の世界では、意外でも何でもないのかもしれないが、星野にとっては、そうとしか思えなかった。それは、日本でのF1開催がはじまってから数年後のことである。

トップチームのひとつであるベネトンが、しかるべき金額さえ払うなら、鈴鹿で、日本人ドライバーにそのセカンド・シートを提供するというのだ。ベネトンとしても、日本での自社ブランドPRという目的があり、これはベネトンと日本人ドライバーの双方にとって、けっこうおいしい話のようにも見えた。そして、その日本人がF1ベネトンに乗るためのしかるべき金額とは2000万円だった。

ドライバー星野一義が、F1をどれほど渇望してきたかを知っている、レースとビジネス双方でのパートナーで義弟でもあるインパルの金子豊は言った。「ウチはいま、そのくらいのカネなら出せる。星野、走れ! 走って、《星野》を世界に見せてやれ!」

しかし星野は、この友情溢れる金子の申し出を断固として断わるのである。星野は言った。「5000円でもいい。ギャランティがない限り、たとえF1であっても、俺は走らない」──。星野は、奇妙なかたちで訪れたF1参戦へのおそらく最後の機会を、こうして自らの手で閉じた。

(つづく)

(「F1 Quality 」誌 1999年 Thanks to Mr. Masami Yamaguchi 文中敬称略 )

○タイトルフォトは1976年、雨の「日本F1」。この最終コーナーで、ジョディ・シェクターの「6輪ティレル」を捉えた星野一義/カーナンバー〈52〉は、次周のヘアピンでシェクターをパスする。 photo by [STINGER]Yamaguchi
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Posted at 2016/03/17 14:53:46

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