今回のMOTOGPアッセンで、ホンダの
GP参戦60周年記念イベントがあったようです。
MOTO3のホンダ・チーム・アジアの鳥羽選手と小椋選手の2台は、参戦当時の塗装をイメージした
スペシャルカラーで参戦します。
派手なカラーリングの多い今のバイクと比較して、抑えた色調が渋く良い印象です。
イベントのゲストは、現役王者のマルケスと、高橋国光さん、F・スペンサー、M・ドゥーハンが招かれました。
スペンサーは、ホンダではなくマルボロヤマハYZRで走った1989年日本GP鈴鹿を見たことがあります。最盛期の状態ではなく、決勝レースでコースアウトするなど、いまひとつの走りでした。
ドゥーハンは、1989年と1990年の日本GP鈴鹿でロスマンズ・ホンダNSRでの走りを観ましたが、あまり印象に残っていません。
89年はロスマンズ入りして1年目で経験不足。90年は130Rで私の好きなE・ローソンに追突してリタイヤ。トラブルでブレーキが甘くなっていたということで、ローソンの親分ケニー・ロバーツ(父)「自分ならブレーキが甘くなったマシンで他のマシンのスリップにはつかない!!」とカンカン!
さて高橋国光さん。
私の年代からすると、国さん(くにさん)と呼ぶのがシックリきます。
私が国さんの走りを初めて見たのは、1985年鈴鹿BIG2&4レースです。
全日本F2にエントリーしていた、当時45歳の国さんが操るADVANマーチ85JBMWが、予選が始まりピットロードに出てきたのを見た時は、体が震え本気で感動しました。
次は、86年鈴鹿BIG2&4レース。
JPSマーチ86Jホンダに乗る国さん。ホンダパワーで走る国さんを応援。
88年雨天の鈴鹿でのテスト走行。F3000マシンのADVANローラT88無限で走る国さんを目撃。
89年の鈴鹿F3000レース。(初夏のように思えます)
エンジントラブルで、ローラT89のマフラーから白煙を吐きながら走り続ける国さんを、ハラハラしながら観戦。
92年は2回。鈴鹿2&4レース(2輪のTT-F1では武石選手がRVFで優勝)と、鈴鹿のF3000最終戦。最終戦は、服部尚貴選手のF3000初優勝となる記念すべきレースでした。
52歳になっていた国さんは、ローラT92を駆って若いドライバー(誰?)と激しいバトルを展開。シケインで誰か(誰??)がインを差してきて2台は接触、国さんはリヤを流しながらもポジションは守っていました。いや、とにかく激しかったです。
1985年頃に4輪レーサーのG・リース選手が、インタビューで「僕はクニミツのように、いつまでもレースをしていたいんだ」と語っていた記憶があります。
国さんは、昔も今も我々レースファンのスターですね。
しかし、国さんの2輪レース時代が観たかったですね~。
タイムボカンがあれば良いのですが。
Posted at 2019/06/29 13:24:00 | |
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