素晴らしいと思いました。
青木拓磨がバイクで鈴鹿サーキットを走った!
TAKUMA AOKI 2019 SUZUKA CBR1000RR WITH HAND GEAR CHANGE SYSTEM
青木拓磨選手は、90年代初めのロードレース界で、かなり話題になった青木三兄弟の次男坊です。
ミニバイクレースを経てロードレースにデビューし、NBGP250・GP125などで、素晴らしい速さと強さを見せて、大物ルーキー登場と騒がれました。
90年の鈴鹿4耐は2位。優勝はテクニカルスポーツ九州の宇川・柳川組。
91年に国際A級に昇格し、IAGP250にカップヌードルホンダRS250で参戦。
初戦の雨の筑波では上位を走り、最後は惜しくも転倒リタイヤ。強い存在感を示しました。
さて、青木拓磨選手の2輪レーサー現役時代の観戦の思い出です。
89年の鈴鹿全日本(GP500でYZRのコシンスキー独走優勝)は、まだ拓磨選手はデビュー前ですね。
90年は鈴鹿全日本は1回観戦。
岩橋健一郎選手RVFのごぼう抜きレースを観ました。NBのレースは記憶が曖昧。
91年は記憶が曖昧。何をしていたのか。
92年は全日本鈴鹿を2回観戦。
GP250での伝説的なレース、原田哲也選手・岡田忠之選手の同着優勝レースを観戦。青木宣篤選手は1コーナーで転倒。風に煽られてオーバーランしたように見えました。拓磨選手は?記憶が怪しいです。
あとは雨の鈴鹿200㎞を観戦。TT-F1のヨシムラ青木正直選手のヘアピン立ち上がり、水飛沫中でのウイリー加速に感動。GP250は?記憶が…。
93年は雨の全日本鈴鹿を1回観戦。GP500はブルーフォックスのNSR500に乗るノリックが勝ちました。
(GP250の拓磨選手は??)
94年は、今は無き美祢サーキットで全日本観戦。
スーパーバイクは、市販キットマシンのRVF750に乗るノリックばかりを見ていたような気がします。IAGP250での宇川VS大治郎のマッチレースも見事でした。
(スーパーバイクの拓磨選手は???)
そして96年の全日本美祢。
スーパーバイクレースでHRCのRVFを駆る青木拓磨選手が、見事優勝!
スタンドの歓声に応えた、ウイニングランでの拳を突き上げたガッツポーズが格好良く、強く記憶に残っています。
その後、拓磨選手のレースを直接観戦することはありませんでした。
テレビ中継の世界グランプリGP500レース、宣篤選手と拓磨選手が抜きつ抜かれつの激しいドッグファイトを演じるのを見て、青木兄弟の親御さんはどんな気持ちだろうと思った記憶があります。(誇らしい?それとも、ハラハラ?)
じかに観戦したレースで拓磨選手の思い出が少なく感じてしまったのは、当時の拓磨選手はワークスマシンに乗る前で、総合優勝は厳しい体制だったことが一番でしょう。やはりウイナーが記憶に残ります。
ただし、当時のIAGP250は豪華メンバーが揃っており、例えば10位争いでもワークスマシン以外の市販バイク最速のような感じのハイレベルなレースが繰り広げられていました。その中で、拓磨選手は常に市販マシン勢の上位におり、ワークスマシンを喰う勢いがあったのです。走りを注目して観ていたのは間違いありません。
怪しい記憶をあさってみましたが、拓磨選手の美祢でのガッツポーズはカッコ良く、気持ちの良い思い出です。こういうのがあるからレース観戦はやめられません。
G+MOTOGPでの語るうちに熱くなってくる解説、4輪ルマン参戦など、拓磨選手のこれからの活躍を楽しみにしています。
Posted at 2019/07/13 09:28:17 | |
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