この記事は、
旧甲州街道2について書いています。
←甲州街道第11宿「吉野」の模型。河岸段丘上の平地に宿場が設けられている。宿場より一段下につづら折れ形状になって降り、手前の小さな橋を渡って左方向に行くと諏訪方面。
本来は「甲州街道四十四次」のカテゴリーに書くべきかもしれませんが、今日のブログの場所も神奈川県相模原市なので、「相模」のカテゴリーに入れておきます。
ココは、神奈川県相模原市緑区吉野214の、
郷土資料館「吉野宿ふじや」。
入るとガラスケースの中に、江戸期の「吉野宿」を再現した模型があります。
ココの「ポイント」は、
街道の「構え」が江戸期と「変わっていない!」ということ。
吉野宿ふじやの目の前を国道20号が走っており、トラックが通るたびに木造の建物がガタガタ揺れます。
何よりココで書いておきたいことは、
「町並みの本質が、変わっていない」ということです。
コレが良いことなのか、悪いことなのかはさておき、この場所は江戸時代の甲州街道と同じなのです。
(変わっている本質といえば、ココが「道の駅」ではなく、「単なる街道沿線&郷土資料館」ということです)
郷土資料館「吉野宿ふじや」の情報は、また次回のこのカテゴリーに書こうと思います。
ゴールデンウィーク期間なので、行きたい方は、行ってみてはいかがでしょうか。
残念ながら、「再現されたもの」で、当時の旅籠や本陣ではないのですが、
館内の縁側から見える相模湖の景色は趣があります。
郷土資料館「吉野宿ふじや」
神奈川県相模原市緑区吉野214
042-687-5022
10:00~16:00
年末年始と月曜日休館(月曜日が祝日の場合は開館し、翌日が振替休館)
さて、
郷土資料館「吉野宿ふじや」前の道が、江戸時代の甲州街道と変わりないことと、
クルマでの「走り」について。
この画像の模型に、「甲州街道四十四次」で言いたい「走り」のコト、
「甲州街道の原型はつづら曲がり」
「上野原近辺は国道20号に高さを合わせるために、つづら折れ形状」
「線形改良」
「街道の進化≒直線にブチ通してゆく」
などなど、
言いたいコトが、
この場所と、
この模型ひとつに、
ほとんどが凝縮されている。
甲州街道第11宿「吉野」の模型。河岸段丘上の平地に宿場が設けられている。宿場より一段下につづら折れ形状になって降り、手前の小さな橋を渡って左方向に行くと諏訪方面。
近世・江戸時代までの街道は、そういう動線(つづら曲がりも、それ)。
近代・明治以降は専ら鉄道と道路ですが、これらは鉄橋を架け、「あちら側」へ真っ直ぐにブチ通す。
で、
この「吉野宿」の特徴は、宿場の前の「メインストリート」は、そのままの形。
国道20号現道は、この「吉野宿メインストリート」を「延長する形状」で、橋を架け、諏訪方面へとブチ通してある。
この画像だと、
宿場の道は行き止まりとなって、
つづら曲がりの小道で下に降りる、
下の小さな橋を渡って、
諏訪方面(左手)へ、
と、なるが、
現道は、
行き止まりとなっている「吉野宿メインストリート」を、
左手方向にそのまま延長する形となっている。
また、
ここら辺(最寄の駅は藤野。最寄インターは相模湖)にせよ、
上野原近辺にせよ、
河岸段丘となっており、
急激に高さが変化している(小規模なグランドキャニオン???)ため、
「国道20号に高さを合わせるための、つづら曲がりの場所」
が今もよく見られる。
そういう「本質」は「変わっていない」
「(ワゴンRによる)現存する、超絶!つづら折れ突破術」
とかいう話は、
そのコト。
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相模 | 日記
Posted at
2010/05/02 04:01:32