- 車・自動車SNSみんカラ
- グループ
- 日本古代史のミステリー 通説を覆せ!! (kodaishi)
- トーク
- 追いかけよう(*^^)v 邪馬台国
グループ
日本古代史のミステリー 通説を覆せ!!
-
追いかけよう(*^^)v 邪馬台国
-
地元なので宇佐説を書きます。(笑
「女王国の東、海を渡ること千余里、復、国あり、皆、倭人なり。」
大分県東岸(宇佐市)から見た四国です。ズバリそのままです。
大分県は「豊の国」と呼ばれ昔は豊後、豊前に別れていました。
トヨは卑弥呼の後を継いだ「台与」。トヨと読み、この地域はトヨが支配していたのでこの地名がついた。
国東半島というのがあります。宇佐市の東側にあり「クニの東」がそのまま地名となった。
邪馬台国の南に狗奴国、これは宮崎県の西都原でしょう。
宇佐市の隣に耶馬溪という所があります。「耶馬」は邪馬台国のヤマでしょう。ここには「ヤマクニ川」と言う川もあります。
宇佐八幡の祭神はよく卑弥呼ではないかと言われる神攻皇后。
八幡神社は鍛冶の技術を持った部族との説は有力で、この青銅器こそがヤマト国統一の原動力になったことは間違いないと思われます。奈良の大仏は宇佐神宮の一族が昔からの鋳造技術で作り上げたのではなかろうか?
日本書紀にあるように神武天皇は日向を出発し最初に宇佐に到達しました。ここで宇佐の勢力を滅ぼしたのではなく融合したのではと考えます。
突っ込みどころ満載ですが(笑
-
宇佐・・・
宇佐の地名は古いらしいです。
因みに比売大神が天降った宇佐島(日本書紀)はこの宇佐だと言われていますね
実は自分も邪馬台国は宇佐説派だったのです・・・
さて。。。宇佐を邪馬台国に持って行くには・・・
例えば・・・高木説のマツラ国は宗像の神湊に持って行く・・・
これか・・・
通説・・・奴国が今の福岡周辺ならば・・・東に行き不弥国は?投馬国は?細かい事は置いといて、多少無理がやはりありそうで
いつも思うのですが、投馬国は邪馬台国よりは南にある???・・・・
また道程・過程は、いつか大いに皆さんで語り合いましょう・・
宇佐神宮・・・
まず亀山は古墳で・・卑弥呼の墓
宇佐八幡は八幡宮の総本宮ですけど…応神・比売神・神功と
怪しい(謎な・・・)神・・・だから奥が深い。
更に宇佐神宮のそばには百体社と言う史跡もあり・・・
また、宇佐風土記の丘の赤塚古墳(九州最大とも言われた)は卑弥呼の墓とも言われてます・・ね
面白いのは・・・
国東半島は・・・天台密教が集中してるらしいですね・・・
数年前に・・・この高木説のマツラ国は宗像の神湊・・・に賛同して
神湊から大島までフェリーに乗りました・・・(車ともに)
勿論、夢の小夜島も沖津宮遥拝所も訪れました
響灘と玄界灘の流れは速い・・・
それは実感しました。
魏志が船を漕ぐには・・・大変そう
宇佐神宮は2年前に行き・・・感激でしたね。
その時はこの下に卑弥呼が眠ってる・・・と思って興奮しました。
・・・・・それから呼子に行ったのですが、
静かな海で・・・・ここに魏志が来たのは間違いないと・・・
思いましたね・・・
今日は私感的・感覚が多くて、すません(*^_^*)
文書バラバラですね・・・
もっと勉強します\(◎o◎)/!
-
-
-
-
-
宇佐説は希望なのですが、自分なりに纏めてみました。
まず畿内ではないと思うのは、伊都国を中心に「女王国以北、一大率を置き、諸国を検察せしむ」
これは方向も距離的にも畿内はありえないと思います。
倭国大乱の反省から卑弥呼を共立したのに、その卑弥呼が関西にいるなんて・・・
今みたいに携帯や飛行機があれば別ですが(笑
また剣や槍ではなく「兵には矛」と具体的に書いてますし、銅矛文化圏である北部九州が邪馬台国連合はと考えるべきと思います。
この銅矛文化圏から外れていた南部九州の昔から仲の悪かった狗奴国(青銅器文化のない部族)に銅鐸文化圏の勢力(後の大和朝廷)が同盟を結び、宇佐付近まで勢力を伸ばして邪馬台国連合を包囲した。
この証拠が、九州最古級の西都原81号、宇佐の赤塚古墳、行橋の石塚山古墳が九州東岸にあり「神武東夷」の形に見えます。
ただあくまでも大和朝廷の本家は銅鐸文化圏→纒向→箸墓→仁徳天皇陵で九州は分家か同盟国が東夷したのではないか?
な~んて考えてます。
応神天皇は邪馬台国を制覇した武神として宇佐に祀られてると考えても不思議ではない気がします。
で邪馬台国はどこかと思うと7万戸・一夫多妻制を考えると35万人は居たかな?となると筑紫平野しかないような気がします。
しかし、これだと投馬国から水行30日、陸行1月は余りにも近すぎ
やっぱり悩みます。 -
宇佐を考える時・・・
やはり住吉大社と宗像神社は必要ですね・・・
海の神である住吉三神(底筒男命、中筒男命、表筒男命)と息長足姫命(神功皇后)を祀り、「住吉大神」
宗像三女神(田心姫神・ 湍津姫神・市杵島姫神)を祭神としており、全国各地に同名の神社が存在している。総本社は福岡県宗像市にある宗像大社
共に男女の違いはありますが・・・三神。
宇佐神宮は主祭神は八幡三神と呼ばれ、祭られている神殿の順に応神天皇(一の御殿)、比売大神(ひめのおおかみ/二の御殿)、神功皇后(三の御殿)の三柱の神が上宮・下宮に祭られていますね・・・・
やはり・・・三神。
三神なんです!!
写真は2年前に行った宗像大社です。 -
-
次です・・・。
筑後山門説です。
筑後国山門郡の名は、古く日本書記の神功皇后に見る事が出来ます・・。
『山門県に至りて、則ち土蜘蛛田油津媛をつみなふ』とあり、
神功皇后がこの地で地元の豪族土蜘蛛の女王を討ったことが書かれています。
邪馬台国=筑後山門説は歴史が古い。。。
最初に提唱したのはあの新井白石。
卑弥呼は田油津媛だともいわれて、あの関裕二氏も
卑弥呼は田油津媛で神功がトヨだと推測している。
研究者の間でも邪馬台国関連遺跡だと言われる、
瀬高町の女山にある女山神籠石。2・9㌔に及ぶ列石は、いつ何のために造られたかわかっていない・・・。
しかし、石の間からまさに邪馬台国の時代と同じ2~3世紀頃の銅矛が出土しています。
同じく瀬高町に権現塚と言う古墳あり、コレが卑弥呼の墓と見る研究者もいます・・・。
他にも色々ありますが・・・
実は来年、2010年の夏はこの辺りに古代史の旅に行こうと思っています・・・報告出来る日が来る事を今から楽しみにしています・・。
-
-
-
次です・・・。
佐嘉郡山田説です。
佐嘉郡の名は大和タケルがこの地のクスノキが茂るのを見て
栄の国と名付けたことに由来する。
地名研究家の楠原佑介氏が書いた
地名学が解いた邪馬台国で、佐嘉郡山田・・現在の佐賀市大和町の東山田を邪馬台国に比定しました(^.^)
楠原氏が最も重視してるのは邪馬台国のタイの読み方・・・。
台の読み方をダまたはダン・・・。
そこで山田=ヤマダと言う地名と地形を検証した。
日本人は昔から山を神聖視してきた・・。
その名残が全国に見られる神奈備信仰である。
佐賀市大和町に地元の人が神奈備と言う山があり、その山付近を邪馬台国に比定した・・。
久保泉丸山遺跡は、縄文時代晩期~弥生時代前期の支石墓(ドルメン)、甕棺墓、石棺墓および5~6世紀の古墳群で構成された複合遺跡です。
遺跡には多種多様の古墳が存在し、古墳時代の墓の変遷と地域的分布を解明する上で重要なものとされています。
大和町には惣座遺跡もあります。
更にあの徐福の伝説の地でもあります。
マイページでカーライフを便利に楽しく!!
今日のイイね!
-
421
-
371
-
318
注目タグ
最近見た車
あなたにオススメの中古車
-
ダイハツ ムーヴキャンバス 届出済未使用車 衝突軽減B 両側自動ドア(愛媛県)
159.9万円(税込)
-
BMW 1シリーズ ワンオーナーカーブドDテクノロジーP18AW(兵庫県)
464.8万円(税込)
-
日産 ノート アラウンドビューモニター 登録済未使用車(岐阜県)
219.9万円(税込)
-
スズキ ハスラー 届出済未使用車 衝突軽減B スマートキー(三重県)
143.9万円(税込)
イベント・キャンペーン
-
2025/05/24
-
2025/05/24
-
2025/05/24
-
2025/05/24
-
2025/05/24
そして、
筑後御井説・・・
榎一雄氏の放射説の舞台です。
御井とは久留米一帯の古い呼び名ですね
高良山も謎の多い山です。
高良山神籠石・・・・
多くの研究者が本命に推すのが久留米市御井から南約30キロにある。山門郡・・・
もし七万戸の大人口が本当なら・・・筑後平野一帯が邪馬台国であっただろうと言われてる・・・
語ればこの地には色々あるので・・・アレですが、
高良大社や祇園山古墳・・・
浦山古墳・・・御塚古墳・・・権現塚古墳
観たい所、いっぱいですね。
水行十日陸行一月の意味は・・・
榎氏の説は、船だと10日・・・陸を歩くと1カ月かかる・・・という意味????これはどうでしょう???
自説は・・・
やはり、帯方郡から、船で10日来て陸を1カ月歩いたのだと私は思うのですが・・・・
0人