泉頭城(清水町)
徳川家康が隠居城に考えていた泉頭城
2022年02月06日
泉頭城は柿田川の水源地泉頭に築かれた戦国時代(15~16世紀)の城郭です。
城域は東西400m、南北500mあり、二ノ洞と三ノ洞に区切られた中央の本曲輪を中心に、これを取り囲んで北ノ曲輪、東ノ曲輪、西ノ曲輪、舟付曲輪、小郭、第六天曲輪、南ノ曲輪があり、水源地の西側に堂ノ口出丸が築かれています。それぞれの曲輪は泉ノ川と自然の深い洞、人口の空堀で防禦されており、土橋と木橋で結ばれていました。
この城は戦国時代の終わり頃には小田原後北条氏の持城で伊豆を守る国境の城としての役目を果たしていました。永禄12(1569)年後北条氏は家臣多目周防守と荒川清兵衛を城将とし、沼津三枚橋城や清水町の戸倉城、三島の伊豆徳倉城と連絡して、甲斐武田信玄の侵攻に備えました。
天正8(1580)年武田勝頼の攻撃には、荒川豊前守、大藤長門守、多目権兵衛を城将とし、それに高橋、市南の足軽大将が各々百騎づつ従えて城を守り、戸倉城とは舟で連絡していました。天正9(1581)年戸倉城が武田軍に降参すると泉頭城のまわりの村々は武田軍の安井治大夫らの手によって焼き払われてしまいました。天正18(1590)年豊臣秀吉の小田原征伐が始まると、後北条氏は泉頭城を破壊し、城兵は韮山城と山中城へ引上げました。
元和元(1615)年徳川家康は泉頭の城跡が大変気に入り、自ら老後の憩いの場所と定め家臣土井利勝、本多正純に、隠居御殿の城を造営することを命じましたが元和2(1616)年家康が没したので取り止めにしました。その後城域はまわり村人によって開墾され、田や畑になりましたが、大正の頃まで城跡はよく残っていたということです。現在は柿田川公園となっています。
(説明板より)
Photo Canon EOS 5D MarkⅣ
R3.12.31
住所: 静岡県駿東郡清水町伏見
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