
組立工さんのブログ記事『心に響かない・・・』に触発され、いくつかのことを考えてみました。
その一つ目が、旧車好きとクルマ離れとは裏表の関係にあり、実際、その心理的構造はかなり似ているということです。
二つ目が、エコ換えは日本の『自動車文化』に大きな変化を与えたということです。
三つ目が、若き日の感動的な記憶を形作ってくれた媒体として思い起こされるようなクルマを今、作ろうとしているかということです。
おそらくバブル以前のクルマに興味を持っている方なら、これらのポイントを列挙しただけで私がこの議論で何を言わんとしているか、もうおわかりになるかと思います。ただ、近年のクルマ離れを起こしている若者との間に、実はかなり共通した心理作用があるという点についてだけでも、少しお付き合いいただければ…と思います。
(なお、ブログ記事としては長い部類に属すかもしれません。あらかじめご了承ください。)
なぜ、心に響かないクルマが増えているのか・・・。
まず、掲載の図をご覧ください。
(これは、Frieveという、思考過程等を図式化し問題の所在や全体の構造を明確に把握するためのフリーソフトを用いて、旧車好きになる過程を示したものです。
ただ、この図はアンケート調査を行ったりした結果ではなく、一般的にSNS等で語られるものを集約し構造分析したものに過ぎませんので、あくまでも概念図であるということをご了承ください。)
1:旧車好きとクルマ離れは、双子の兄弟である
画面中央と画面左側にそれぞれ『旧車好き』と『クルマ離れ』というカードが見えると思います。実はこの二枚、きわめて似たような配置をしています。いずれのカードも、『新車が得た付加価値』というグループの『付加価値として、希薄』カードと、また、『旧車から失った価値』というグループの『失った付加価値』カードにリンクしています。
これは意図して配置したものではなく、条件整理してゆく過程で自ずと収まった位置なのです。
つまり、旧車好きの人にしても、クルマ離れしてしまった人にしても、実は新車でよく宣伝されているような『便利』『安心』『経済性』『エコロジー』にそこまで価値を見出していないという点が挙げられます。
かつて日本車はそれらの新しい付加価値を海外マーケットにおいて売りにしてきたわけですが、時代が違うんですよね。『便利』『安心』『経済性』『エコロジー』を売りにする製品は日常領域に溢れていますし、都市近郊に暮らしている限りクルマは必需品でもなければ、ステータスでもなくなりつつあるわけです。
では、何が旧車好きとクルマ離れを分けているかといいますと、図では便宜上『ノスタルジー』と書きましたが、要は『深い実体験や感動』なんです。これをもっている人と、そうでない人とでは、クルマへの処し方が180度変わってしまうんです。
と言いますのも、他製品から差別化する意味での『クルマならではの付加価値』とは、『ストイックでアグレッシブな楽しみ』だったり『いじる楽しみ』といった、きわめて感覚的・体験的な世界であったり、敷居の高い(少なくともそう見える)世界であったりするからです。
また、純粋に『ゲーム的要素』という点については、きわめて携帯性・安全性に優れたゲーム機器が市場には横溢していますから、クルマの相対的価値としては低減せざるを得ません。やはりクルマに残された最後の砦…付加価値は、移動の実用性と体験的な面白さにあるように思います。
旧車を好む人が新車に失望するというのは、青春時代の回顧という側面と共に、『クルマならではの付加価値』が失われつつあるという点にあるのではないでしょうか。また、それが同時にクルマ離れを起こす若者にも共通した心理状態であると言えそうです。
2:エコ換えが日本の『自動車文化』に与えた影響
補助金支給や課税軽減などにより、まだまだ現役でがんばれるクルマが多数廃車され、新しいクルマに取って代わられたわけですが、確か経済効果や安全性という面では向上したのだと思います。環境負荷の低減については議論が分かれており、ここでは立ち入りません。
ただ、エコ換えが日本の自動車文化に与えた影響について考えるには、少々長いスパンで見なければならないでしょう。日本では一般的傾向として総走行距離10万キロに到達する以前に乗り換えられるケースが少なくありません。そのため、クルマが代々家に受け継がれるケースは案外少ないようです。
エコ換えはこの傾向に拍車をかけたのですが、つぎの世代の子供たちは『クルマならではの付加価値』というものより『便利』『安心』『経済性』『エコロジー』をより重視したクルマに最初から接するようになるか、もしくはクルマのまったく介在しない生活を当然のものとして受け止めてゆくことになります。文化の再生産が停止します。これによりジェネレーション・ギャップは必然的なものとなり、業界・消費者のいずれもから、旧車にあった魅力の復権は求められなくなってゆきます。
このため、生活領域におけるクルマの相対的価値はどんどん小さくなりますし、『クルマならではの付加価値』についての実体験もどんどん薄まってゆきます。これに伴い、自動車文化も『便利』『安心』『経済性』『エコロジー』の尺度で語られる機会が増え、また、矮小化してゆくのは避けられないでしょう。
3:ノスタルジーを越えた先にあるもの
ちょっと題名を変えてしまいました。というのも、実は、(抽象的なきらいがあるものの)これが一番の主題になるのではないかと思ったからです。
今日、クルマを維持するには、いくつものハードルを乗り越えなければなりません。過剰とも思える2年に一度の車検と多重に課せられた税金、都市化の進行により発生する駐車場問題と相隣問題、盗難対策、他消費財との競合、慢性的な渋滞、ガソリン価格の高騰、若者の雇用問題…数え上げればきりがありません。これに加えて日本における自動車文化の特異性もあり、よほど情熱や生活上の要請が無ければ、クルマ離れの進行は止めがたいものとなります。また、生活上の要請がありつつも、都市部との経済格差に悩む郊外在住者にとっては、クルマ特有の付加価値はあくまで二次的なものとなりがちです。
以上のことから、実際には、これらの様々なハードルを越えさせるに足る魅力あるクルマ作りが求められているわけで、今後の社会状況から『便利』『安心』『経済性』『エコロジー』という尺度をある程度満たすということは必須条件となりますが、同時にメーカーさんは『クルマならではの付加価値』においても人々に訴求力のある商品開発をしてゆかなければなりませんし、また、今よりもクルマの取得・維持が容易となるような行政政策を模索する必要があります。
その一方で、私たちユーザー自身もクルマとの付き合い方を考えなければなりません。デザインが古くなった、ちょっと故障が出たといってすぐ廃車するのではなく、せめて中古用の下取りとして出すなどの配慮が求められるでしょう。故障の修理品が求められるようになるということは、裾野の広い自動車産業を潤すことにもなります。若者に雇用が生まれれば、新車の購入機会も増えるでしょう。そう、お楽しみのクルマとして。
少々簡略的で乱暴に過ぎる議論となってしまったのですが、こうしてみてきますと、まだまだ今以上に多元的な付加価値を持つクルマを生み出す潜在的能力を日本の自動車産業と自動車文化は持っているということがわかります。
しかし、業界も一般ユーザーも『便利』『安心』『経済性』『エコロジー』といった間口の広いニーズばかりに傾倒したため、『クルマならではの付加価値』が相対的に低減し、クルマ文化も失速していったという経緯が見られるかと思います。
ただ幸いなことに、『クルマならではの付加価値』を良かれ悪しかれ目いっぱい味わってきた(笑)世代が社会に対しまだまだ影響力を保持していますので、舵を修正することもできるかと期待しています。
駄文を最後までお読みくださり、ありがとうございました。m(_ _)m
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Posted at
2011/11/08 18:39:20