去る10月25日に海上自衛隊観艦式が行われました。
その見学(航海での参加はできませんが)のため、24日、25日と横浜を訪れました。
横浜港の艦船の模様です。

一見警備艇か海上保安庁の巡視艇かな?に見えますが、実は水先人の乗る船です。
こちらは”第11按針丸”です。
水先人は入出港する艦船を安全に導くために艦船に乗り込んで船長を補助(アドヴァイス)する人のことです。

水上警察署の近くの桟橋に戻ってきた”第15按針丸”。
船体に大きく「PILOT」と書かれていますが、PILOTとは水先人を意味しています。

桟橋に並ぶ”第7按針丸”、”第30按針丸”、”第10按針丸”です。
導く船への行き帰りの移動のために使われるのがこれらの船舶で、「パイロットボート」や「水先艇」と呼ばれます。

こちらは大桟橋の近くを航行していたウィングマリタイムサービス社のタグボート”港南丸”(182トン)です。
観艦式の関係で護衛艦”ひゅうが”と”こんごう”の支援でしょうか?

こちらは東京汽船のタグボート”能代丸”です。
港湾には様々な支援船舶がいて面白いですね。

新港地区に停泊していた横浜税関の監視艇”みょうこう”
横浜税関は南東北地方から関東を管轄としていますが、このような監視艇も保有して密輸などの監視活動も行っています。

こちらは遊覧クルーズ船”マリーンシャトル”(764総トン)です。
山下公園からクルージングを行っています。
私もこれに乗船して横浜港をクルージングしてきました(^^)
一番上の甲板の後部デッキがオススメです。
でもカモメには気をつけてくださいw

こちらも山下公園から運行されている遊覧クルージング船”マリーンルージュ”(683総トン)です。

こちらは山下公園のシンボルですね。
貨客船”氷川丸”(総トン数11622トン/当時)です。
1930年にシアトル航路用に建造された日本郵船の貨客船で、日本を代表する客船でした。
現在は山下公園に係留され、一般公開されています。

もう1枚”氷川丸”を。
”氷川丸”は日米の戦争前のシアトル路線に就役、昭和12年には秩父宮さま夫妻が乗船されるなど、まさに華々しく活躍しました。
昭和16年に日米対立が激しくなると路線は中止され、太平洋戦争が勃発すると海軍に徴用され、病院船として活躍しています。
戦後は復員船となり、その後貨客船として再び定期航路に就いています。
昭和35年に退役し、山下公園前に係留され、ユースホテルを経て平成20年より日本郵船のもとで一般公開が行われています。

遊覧船から大桟橋周辺を望むとレストラン船”ロイヤルウイング”(2876総トン)がいました。
港内のクルージングをしながら船内で食事が出来るようですね。

横浜港大桟橋国際客船ターミナルを後ろから。
あまりこの角度から見る機会はないので、遊覧船クルージングをした人だけの特権ですね。
大桟橋は明治27年に457メートル、幅19メートルの鉄桟橋として建設されました。
その後横浜港に来航する艦船の大型化に伴って幅42メートルに拡充されるなど発展していきましたが、大正12年の関東大震災では折れ曲がって崩壊してしまいました。
(ちなみに山下公園はその関東大震災の瓦礫を埋め立てて作った公園です)
震災復興後は客船ターミナルとなりましたが、太平洋戦争後に連合軍に接収されています。
昭和27年に返還され、平成14年には現在の「くじらのせなか」とよばれる現在の客船ターミナルとなりました。

こちらは横浜港ではないですが、みなとみらいのランドマークタワー横の日本丸メモリアルパークに展示されている航海練習船”日本丸”(2278総トン/当時)です。
昭和5年に竣工され、戦時中・戦後直後の輸送船・復員船を経て昭和59年まで練習船として活躍しています。
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2009/12/20 02:47:31