ビート礼賛記事、その6です。巨匠、徳大寺氏の記事が続きます。やはり氏の論評は歴史を踏まえた上で語られるので含蓄がありますなあ。今回は1991年9月5日、ホンダ本社にて行われた、「本田宗一郎の逝去に伴うお礼の会」の写真の数々と共に納められた、Navi 1991年11月号の「本田宗一郎さんのこと」という寄稿文より。「あのSシリーズ最後のS800のラジエター・グリルはフォード・マスタングにそっくりだが、そのへんのやり方はいかにも本田さんらしい。笑ってしまうのである。そしていつもこう思っている。本田さんは、世界中の人が素晴らしいと認めるオリジナルを、自分の手で、ホンダがつくれたらどんなに素晴らしいだろう、と思っていたに違いないのである。~中略~過日、私は偶然、本田さんの乗用車に短時間ながら乗った。それは旧レジェンドのストレッチト・リムジンである。イギリスのコーチワークによるこのストレッチト・レジェンドは、素晴らしいコノリー・ハイドのインテリアを持っていた。が、本田さんはさほど気に入っている様子もなかったという。きっと本田さんはストレッチト・レジェンドのリア・シートにおさまる自分より、ビートに乗って飛び回る自分の方がお好みだろうと信じたい。そう、本田さん、貴方の理想とした真のオリジナルにして素晴らしいクルマができましたよ。それがビートです。」本文は、1991年8月5日に亡くなられた本田宗一郎氏を回顧した文章ですが、文脈が非常に素晴らしいです。最後の「結」に向けてちりばめられたエピソードが、最後に集約されて、とても気持ちいいとともに、胸を打たれます。ましてや、本田宗一郎氏が最後に見届けたビートに対して、「世界中の人が素晴らしいと認めるオリジナル」をついに作り上げた、と語り掛けるところは、ビートユーザーなら感涙ものです。この、Navi 1991年11月号の記事(徳大寺氏の単行本「ああ、人生グランドツーリング」にも収録)は、国会図書館でコピーして保存しましょう(笑)