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2026年06月19日 イイね!

前面貫通形・非貫通型の「はつかり」

前面貫通形・非貫通型の「はつかり」485系、全国を駆けた「国鉄特急電車の代表格」往時の記憶
「エル特急」網を支えた立役者、JR化後も長年活躍
東洋経済オンライン
公開日時:2026/05/02 04:30
(上左)特急「はつかり」で活躍する485系。200番台以降の先頭車両はボンネット型から箱型のスタイルに変わった
(上右)北海道初の電車特急も485系だった。耐寒耐雪装備を強化した485系1500番台による特急「いしかり」
(下左)東北本線の金谷川付近ですれ違う485系の特急「やまびこ」と「はつかり」
(下右)運転席付近の外観が大きく変わったJR東日本のリニューアル車485系3000番台「はつかり」
(撮影:南正時)南 正時:鉄道写真家
 クリーム色と赤の塗り分けで親しまれた国鉄の特急電車。その中でも、運用の範囲がほぼ日本全国に及んだのが485系電車だ。直流・交流のどちらの電化区間も走れる交直両用電車の利点を生かし、北海道から九州まで、国鉄特急型電車の代表格として幅広く活躍した。特急の大衆化に貢献した「エル特急」の主力を担ったのも485系だった。
 一口に485系といっても、全国で多数が活躍しただけにその種類は多い。今回は、国鉄時代からJRにかけての日本の長距離旅客輸送に大いに貢献した485系の生い立ちから終焉までを辿ってみたい。
■全国を走れる「交直両用」特急電車
 戦後、国鉄は全国の主要路線の電化を進めた。その中で広がったのが、地上設備のコストを抑えられる「交流電化」だ。
 交流電化は1955年に仙山線で試験が行われ、57年には北陸本線の敦賀―田村間で幹線として初めて実用化、その後北陸や東北、九州の各線に広がっていった。同時期は、全国に特急列車の運転が拡大した時期でもあり、そこで登場したのが直流電化区間と交流電化区間を直通できる「交直両用」の特急電車だ。
 64年、関西と北陸方面を結ぶ特急用としてまず481系がデビュー。大阪―富山間の「雷鳥」、名古屋―富山間の「しらさぎ」などに投入された。
 481系は、64年8月の北陸本線金沢―富山間の交流電化完成時に大阪―富山間で特急「雷鳥」として運転を開始する予定だったが、完成が遅れたため同年12月からの運転開始となった。「しらさぎ」も同年の12月に運転開始した。
 ボンネット型先頭車のクハ481形は前面下部のスカート部分を赤く塗装した、いわゆる「赤スカート」だった。交流電源は一般家庭と同様、西日本は60Hz、東日本は50Hzと周波数が異なり、この赤スカートの481系は60Hzの西日本用であった。翌65年には首都圏と東北方面を結ぶ特急用として483系が登場。こちらは50Hz用の東日本用で、スカートはクリーム色の塗装だった。
 その後、68年以降の製造は50Hz・60Hzの両方に対応した485系に切り替わり、以後、481・483系を含めたこのシリーズがまとめて「485系」と呼ばれるようになった。
■1000km以上を走破した「白鳥」
 全国の電化区間を走ることのできる485系の登場は、特急列車網の拡大やスピードアップに大きく貢献した。
 代表格は、72年8月の日本海縦貫線の全線電化に伴い、それまでのキハ82系気動車から485系に置き換えられた特急「白鳥」であろう。直流電化区間と交流60Hz・50Hz区間を直通して大阪―青森間1052.9km(当時)を走破する、昼行特急列車としては日本一の走行距離を誇る列車で、電車としては世界最長距離を走る列車ともいわれた。
 485系はその後、国鉄で最も急な勾配区間であった信越本線・横川―軽井沢間の碓氷峠で、補助機関車のEF63形との協調運転に対応した派生系列の489系も登場。上野と金沢を信越線経由で結ぶ「白山」などに使用された。
先頭車は当初ボンネット型だったが、72年に登場した200番台以降はボンネット型から脱却し、分割・併合運転を考慮した前面貫通形となった。しかし、実際に貫通扉が使われた例はわずかである。その後の300番台は同スタイルで非貫通型となった。この「顔」と、クリーム色に赤帯の塗り分けは「国鉄特急」の象徴であった。
■北陸本線特急の思い出
 福井県武生出身の筆者は18歳のとき、北陸本線の電化と電車特急の登場を実際に見ている。「雷鳥」「しらさぎ」が赤スカートのボンネット型481系で颯爽と走った記憶は鮮烈だ。まだ当時は福井機関区にD51形や8620形蒸気機関車が在籍していたから、入換用のD51形の横をボンネットの「雷鳥」が通り過ぎるショットも残っている。
 しかし当時の北陸本線ではまだ特急を利用する人は限られており、急行を使う人が多かった。筆者自身も、上京してから武生に帰省するときは急行列車に乗れる「北陸均一周遊券」を利用していたので、追加料金が必要となる特急に乗ることはまずなかった。
 実は「しらさぎ」「雷鳥」を最初に利用した記憶もおぼろげで、「しらさぎ」に乗ったのは昭和50年代初頭の頃だったと思う。当時も赤スカートの481系が活躍していた。乗ってまず食堂車に行ったことは、写真にも残っている。筆者にとって北陸路の485系は、どちらかといえば乗るよりも見る・撮る列車だったのだ。
 むしろ485系によく乗るようになった最初の機会は、73~74年に何度も訪れた九州の蒸気機関車撮影取材のときだ。この時は行き帰りに飛行機を使うことも多く、九州内の移動は特急「有明」や「にちりん」を多く使った。この頃以降、全国の特急列車を全て撮影する取材などで筆者は各地の485系を追い、乗車する機会も増えていった。
■全国を駆けた485系の思い出
 各地で活躍した、印象に残る特徴的な485系を見ていこう。
 東北方面への電車特急は485系の独壇場であり、「ひばり」「やまびこ」「はつかり」「つばさ」などさまざまな列車で活躍したが、東北の特急には独特の車両があった。それがクロ481形で、簡単にいえばグリーン車の先頭車両である。68年に特急「あいづ」「やまばと」の電車化時に登場した車両で、上野方の先頭に連結されていた。
 クロ481形を組み込んだ列車では、上野―仙台間を結んだ特急「ひばり」の13両編成が知られている。485系の編成は最大12両編成が多かったが、13両編成の「ひばり」はクロ481形とともに2両目もグリーン車のサロ481形を連結していた。13両編成の「ひばり」は73年1月に運転を開始し、食堂車を組み込んだ黄金期の編成として記憶に残っている。
 485系ボンネット型先頭車の特徴の1つは、赤い「ヒゲ」だった。これは481系登場時、ボンネット型の元祖である直流特急電車の181系との区別のためにつけられたとされる塗装デザインだったが、九州地区のボンネット型先頭車はヒゲがなかった。
 その「ヒゲなしボンネット」が、常磐線の特急「ひたち」で一時期運転されていたことがあった。
 これは国鉄末期、85年3月のダイヤ改正で九州の特急を増発・短編成化する際、定員の多い箱型の先頭車を仙台・盛岡から九州に転属させ、逆に九州のボンネット型先頭車を勝田電車区に持ってきたためだった。
ヒゲなし・60Hz地域用の赤いスカートのボンネット型先頭車は異彩を放っていたが、86年3月まで全車がクリーム色のスカートに塗り替えられてヒゲも入り、異色の先頭車は短期間で終わった。
■北海道にも進出した485系
 北海道初の電車特急も485系だった。75年、札幌―旭川間に特急「いしかり」が誕生し、耐寒・耐雪装備を強化した485系1500番台が走り始めた。外観上の特徴は運転席上の2灯ヘッドライトだった。ただ、やはり北海道の冬は本州とは違い、「いしかり」の485系はトラブルが続発、80年には北海道専用の交流特急電車781系にバトンタッチしている。
 国鉄特急電車の代表格として活躍した485系に大きな変化をもたらしたのは、82年の東北新幹線盛岡開業だった。在来線特急として運転本数の多さを誇っていた、上野と東北方面を結ぶ「ひばり」「やまびこ」「やまばと」が廃止され、「はつかり」は青森―盛岡間の運転に短縮された。
 だが、485系の活躍はその後も長く続いた。87年に国鉄が分割民営化しJRが発足すると、JR各社は国鉄色を払拭した独自の塗装を施すようになった。
 例えば北陸本線ではパノラマグリーン車を連結した「雷鳥」が塗装も新たに登場、新幹線接続の速達列車として上越新幹線と長岡で接続する「かがやき」、東海道新幹線と米原で接続する「きらめき」が独自塗装の485系で運転された。九州の485系は編成の短縮で3両編成も登場し、さらにインパクトがあったのは真っ赤な装いになった「かもめ」などのリニューアル車両であろう。
■485系が残した功績
 このほか、新型特急車両の登場により余剰となった485系は「ジョイフルトレイン」にも改造された。JR化後も各地を走り続けた485系だったが、新型特急車の登場により次第に活躍の場は減っていった。
 特急としての最後の定期運用だったのは青森―函館間の「白鳥」で、2016年3月の北海道新幹線開業に伴う同列車の廃止とともに終焉を迎えた。485系の定期運用自体も、翌17年3月に新潟―糸魚川間で運行されていた快速列車の廃止によって消滅した。そして22年、ジョイフルトレインに改造された「リゾートやまどり」の引退により、485系は姿を消した。
 四国を除く全国で運行され、戦後の日本の鉄道史とともに歩んできたともいえる485系。JR化後に登場した各社の特急電車も何らかの形でその要素を踏襲しているといっていいだろう。すでに全車両が引退したが、ほぼ全国の電化区間で特急列車網を支えた485系の功績は大きい。
東洋経済「鉄道最前線」

≪くだめぎ?≫
 「ヨサントウ」より『はつかり』号は、
常磐線経由の"ボンネット型"キハ81形から、
宇都宮・福島経由の583系青い「はつかり」に切り替わった。
この583系「はつかり」(1M・2M)が在来線ナンバーワンの俊足ランナーだった。
583系から「盛アオ」青森運転所の所属になる。
 1973(昭和48)年3月の増発から"赤い"485系が初めて投入される。「はつかり」号には"ボンネット型"先頭車は無い。
「盛アオ」485系は、1972(昭和47)年10月盛岡「やまびこ」号から投入・貫通型(200番台)そして非貫通型(300番台)となる。
"ボンネット型"先頭車は「盛アオ」には配置されていない。
クハ481形"ボンネット型"先頭車「はつかり」号は"まぼろし"である、はずだ。
Posted at 2026/06/19 17:28:56 | コメント(0) | トラックバック(0) | 交流電化 | 旅行/地域
2026年06月19日 イイね!

被災したら・・は国の方針か?

被災したら・・は国の方針か?JBpress 2026.6.13(土)
赤字鉄道が廃線危機にさらされるそもそもの理由 道路は「公共」で鉄道は「ビジネス」、住民の望みでは覆せぬ法制度
名鉄広見線やいすみ鉄道、JR大糸線…道路に比べて乏しい存立根拠
柴山 多佳児 ウィーン工科大学交通研究所上席研究員
一部廃止方針が決まった名鉄広見線(写真:KUZUHA/イメージマート)
■名鉄広見線は一部廃止方針を決定
 名鉄広見線の新可児~御嵩間(岐阜県)の廃止方針が事実上決まったというニュースが流れてきた。「みなし上下分離方式による鉄道存続協議を終了する」というのがその内容で、事業者である名鉄と、沿線自治体である可児市や御嵩町が協議を続けてきたが、合意に至る道筋が見いだせなかった、というのがその経緯である。
 昨年には富山地方鉄道が、本線の滑川~新魚津間や立山線の岩峅寺~立山間を、沿線自治体からの支援がなければ廃止すると表明したことも話題になった。
 埼玉県の秩父鉄道の影森~三峰口間や千葉県のいすみ鉄道も、さらには長野県と新潟県にまたがる南小谷~糸魚川間のJR西日本の大糸線でも、事業者と沿線の自治体が鉄道や地域公共交通のあり方を検討する会議を開いていると報じられている。
 名鉄広見線の場合は、住民アンケートで過半数は公的支援をしてでも鉄道を残すことに賛成していたそうだ。だが、それでも事業者と自治体が諦めてしまえば、廃止にいたってしまう。
 しかし、そもそも論に立ち返ってみれば、公共交通である鉄道において、その存廃をめぐって「協議」や「議論」をしなければならないのはなぜだろうか。
 国の法律や制度で、どこそこに鉄道が走るべし、といった決まりはないのだろうか。道路や空港や港は公共の社会基盤(インフラ)として当たり前のように存在しているが、なぜだろうか。
 学校なら、憲法に教育に関わる義務と権利が定められていて、学校教育法があって、小中学校を設置するのは市町村で…と、なんとなくでも想像がつく。日本全国がどこかの小中学校の学区に属していることも納得ができる。
 では交通インフラはどうなのか。道路や新幹線、そして鉄道の枠組みの違いについて整理していきたい。
■道路は法的に守られている
 道路から考えてみよう。たとえば、東名高速道路が東京から名古屋までの高速道路として存在できる法的根拠は何だろうか。
 あるいは、国道8号は新潟から北陸地方、そして琵琶湖の東岸を抜けて京都まで続く道路で、しかも8番目という重要そうな数字がついている。そもそもこのルートの道路が国道で、しかも8号である、その法的根拠はどこにあるのだろうか。
 実は国道に関しては、「道路法」の規定に基づいて「一般国道の路線を指定する政令」というものが制定されており、その「別表」に、国道8号をはじめ、すべての国道の起点、終点と主な経由地がリストされている。
 道路法という、議論を経て国会で可決された法律があり、それを実施するために内閣が閣議決定した政令がある。法的根拠や枠組みがすっきりしている。
 高速道路の場合は一見すると制度が国道よりややこしく、「高速自動車国道法」と「国土開発幹線自動車道建設法」という二つの異なる法律がある。
 前者は道路法を高速道路に拡張するような形になっている。国道の場合と同じく、この法律に基づいて「高速自動車国道の路線を指定する政令」というものがあり、国道と同様に起点と終点が列挙されている。例えば、ここで「第一東海自動車道」として指定されているものが、いわゆる東名高速道路だ。
 ただし、国道の場合と違って枝分かれする例があり、例えば一般に「東北自動車道」と呼ばれるのは正式には「東北縦貫自動車道」、その下に「弘前線」と「八戸線」があり、前者は一般に「東北自動車道」と呼ばれ、後者は一般に「八戸自動車道」と通称される。この高速自動車国道法に基づく路線は業界用語で「A路線」と呼ばれることがある。
「国土開発幹線自動車道建設法」はこれとは異なり、高速道路の建設を主な目的とする法律である。第一条では目的を「この法律は…全国的な高速自動車交通網を新たに形成させるため、国土を縦貫し、又は横断する高速幹線自動車道を開設…することを目的とする」と明記している。
 ここにもやはり別表があり、「第一東海自動車道」が東名高速道路に、「東北縦貫自動車道」の弘前線が東北自動車道に、分岐する八戸線が八戸自動車道に対応する。
 ただしこれはあくまで建設予定の路線を別表としたもので、未開通のものも含まれている。例えば「北海道縦貫自動車道」は函館から室蘭、札幌、旭川を通り稚内までの道路と別表にあるが、本稿執筆時点では全区間が開通しているわけではない。制定当初の1966年には7600kmの予定路線が記載され、1987年には1万1520kmに拡張している。
 このほかにも、一般の利用者から差はわかりにくいが、高速道路に準じる一般国道がいくつかある。
 一つは「高速自動車国道に並行する一般国道自動車専用道路」あるいは「A’路線」と呼ばれるもので、「隠れ高速」などと呼ばれたりもする。秋田自動車道(秋田から北)や山陰道(米子道路など)、伊勢湾岸道路などが該当する。
 さらには「B路線」と通称される「国土交通大臣指定に基づく高規格幹線道路」がある。幹線からやや外れたところが多く、東日本大震災の復興として整備が進んだ三陸縦貫自動車道や、能登半島を縦断する能越自動車道といったものが該当し、法的にはこれらはあくまで一般国道の扱いである。
 これに「本州四国連絡道路」と正式に呼ばれる、淡路島経由、瀬戸大橋、そしてしまなみ海道で、本州と四国を結ぶ3つの道路が加わる。
 これらを総称して「高規格幹線道路」というのだが、1987年に2480kmが追加されて、A路線と併せて約1万4000kmの高規格幹線道路網が計画されている。このあたりは、国土交通省の資料に詳しいので、興味のある方はそちらを参照されたい。
 このように、国道や高速道路は、それぞれの法的根拠の下に、政令として区間が指定されているのが原則である。要するに、国が全国を結ぶ道路網として、法律と政令の枠組みをつくり決めているのである。
 ちなみに日本で現在供用されている道路網は、高速道路(高速自動車国道)がおよそ9100キロ、国道がおよそ5万6000キロ、都道府県道は約13万キロもの延長があり、日常の生活道路なども含む市町村道は103万キロもある。
 では鉄道はどうだろうか。こちらも詳しく見てみよう。
■国の整備計画に支えられる新幹線
 法律の体系が道路とやや似ているのは、新幹線である。1975年に整備された全国新幹線鉄道整備法という法律があり、国はこれに基づいて「基本計画」(建設を開始すべき新幹線鉄道の路線を定める基本計画)を策定する。そのうえでさらに「整備計画」が策定される。
 この基本計画によって、国道や高速道路の場合と同様に、起点と終点、そして主な経由地が公的に示されるのであるが、道路のような政令の形は取らず、あくまで告示の形態である。
 現在の基本計画は1971~73年に告示されたもので、1971年に東北新幹線(盛岡まで)、上越新幹線、成田新幹線(計画失効)が、1972年に東北新幹線の盛岡以北、北海道新幹線、北陸新幹線、九州新幹線、1973年には西九州新幹線が最初に制定された。1972年に基本計画が公示された路線に対応する整備計画は1973年に制定され、1990年代以降順次開通している。
 これらはよくまとめて「整備新幹線」と呼ばれるが、この整備計画が最初に策定されたのがこの5路線であることに由来する。また中央新幹線として基本計画が示された路線は2011年に整備計画が決定され、リニアとして建設が進んでいる。
 余談だが、それよりも前に計画や建設がスタートした東海道・山陽新幹線と、1971年に基本計画が告示された東北新幹線の東京から盛岡まで、それに上越新幹線は、「既設新幹線」と呼ばれることがある。整備新幹線は国や自治体の資金による公共事業として整備されるが、既設新幹線は当時の国鉄の自己資金や財政投融資などで建設されたためである。
 このあたりは、筆者も携わった土木学会の「日本のインフラ体力診断Vol.3」の新幹線編に詳しいので、興味のある方は参照されたい。
 いずれにしても、新幹線は国が法律の形で整備の計画を示している。細かな差異はあるが、大枠では高速道路の建設が国土開発幹線自動車道建設法で規定されているのと同様の立てつけになっている。日本の現在の新幹線ネットワークは、在来線を改良して直通できるようにした「ミニ新幹線」を別にすると、およそ3000kmである。
■では、在来線鉄道は?事業者が運行したい区間を申請
 問題は新幹線以外の在来線鉄道である。1987年に当時の国鉄が分割民営化されたのは多くの方々がご存じだろう。この際に廃止された法律の一つに「鉄道敷設法」がある。名前から想像がつく通り、鉄道の建設を目的とした法律で、いわば全国新幹線鉄道整備法の在来線版である。
 この法律は、おおもとをたどれば1892年(明治25年)の鉄道敷設法(旧法)と、1896年(明治29年)の北海道鉄道敷設法が源流で、これらを1922年(大正11年)に一本化した法律である。その別表に、「埼玉県与野ヨリ東京府立川ニ至ル鉄道」(主に現在の武蔵野線の南浦和~西国分寺に該当する区間)といった具合で、建設予定の路線の一覧が記されていた。
 国鉄の民営化の前段としての大きなきっかけの一つは、地方部を中心に多数のローカル線の建設を計画し進めたこととされるが、これらのローカル線建設の根拠法となったのがこの鉄道敷設法であり、批判の的ともなった。
 1980年(昭和55年)の国鉄再建法(日本国有鉄道経営再建促進特別措置法)では、輸送密度4000人/日を下回る路線を「特定地方交通線」として廃止・転換することとなったが、鉄道敷設法に基づいて建設が進められてきた路線も、一部を除いて建設予算が凍結された。そして、1987年の国鉄分割民営化の際に、鉄道敷設法は廃止された。
 一方で、国鉄分割民営化の際に施行された法律に鉄道事業法がある。この法律では、鉄道事業者は、施設概要や輸送力などを示した「事業基本計画 」や、「事業収支見積書」などを添えて、許可申請をすることになっている(第四条)。この許可がなければ、鉄道事業は経営できない(第三条)。
 全体として、事業者から鉄道事業を行いたいという申請があった時に審査をして、国土交通大臣が許可をするという立てつけになっているのである。
 これが、国鉄分割民営化以後の、日本における鉄道の法的位置づけの根幹をなしていると言ってよい。つまり、鉄道事業者がどこからどこまで鉄道を運行したいかを決めて、それに対して国が許可をするという体制になっているのである。
 全体として、道路の場合のように、国がどこからどこまで鉄道を通すべきかを定めた法律や政令は、新幹線についてはあるのだが、在来線についてはないのである。
 首都圏など大都市では、交通政策審議会が答申という形で今後建設されるべき鉄道路線を示しており、その対象となっている路線に限っては、ある種の公的な存立根拠があるとも言えるが、あくまで人口100万人を超えるような大都市とその近郊に限られた話である。
 それ以外の地域の鉄道では、あくまで鉄道事業者が事業として運営したいと許可を申請したものに限られるのである。
被災したら公費でアップデートされる道路、対して鉄道は…
 全体として、整備新幹線を別にすると、国レベルでは、鉄道路線の存立根拠というのは、道路のような法令の形では存在していない状況となっている。あくまで鉄道事業者が営業路線として届け出ている、という体裁なのである。
 やや本筋から離れるが、現在の高速道路網を規定した第4次全国総合開発計画が策定されたのが、国鉄分割民営化と同じ1987年である。過去40年ほど、法的な裏付けを得た高速道路網が着々と整備される一方で、法的裏付けのない鉄道網は都市部での若干の新規開業こそあれ、地方部を中心に廃止が続いてきた。
 2000年の鉄道事業法の改正後は、鉄道事業者は廃止の許可を得る必要すらなく、国土交通大臣に「届け出る」だけでよくなった。沿線自治体など利害関係者との調整が必要であるとはいえ、あくまで廃止を届け出るのは事業者である。
 道路が法的に「公共のもの」として位置付けられているのに対して、鉄道は「事業者のビジネス」として位置付けられている。法的な位置づけにアンバランスさがある。
 そのアンバランスさがさらに端的に表れるのが自然災害からの復旧である。
 道路はというと、道路が被災したところを、大きく迂回したり新たにトンネルを掘ったり橋を架けたりして、現状より大幅にアップグレードすることがごく当たり前に行われている。
 近年の有名な例は熊本地震で被災した阿蘇山麓の国道57号だろうが、2020年の集中豪雨で被災した長野県天龍村の国道418号のように、小規模でも同様のアップグレードが行われている箇所が多数ある。法体系の中で道路として存在することになっているのだから、災害があれば公費で復旧が迅速に進むのも当然と言える。
 これに対して鉄道は状況が全く異なり、災害復旧は原則として事業者の負担である。
 鉄道軌道整備法という法律があるが、この枠組みで公的補助が可能なのは、原則として直近で赤字を出している事業者に限られる。しかもその補助率は最大でも2/3である。
 また規模が大きい災害の場合は特定大規模災害等鉄道施設災害復旧補助という制度がありこちらは事業者の負担はほぼないのだが、赤字を出している路線のみが対象である。
 こうした制度では対応しきれず、2005年の大雨の後に復旧を断念して翌年に廃線となった宮崎県の高千穂鉄道のように、復旧そのものを断念したケースさえもある。
 法的な存立基盤が事業者の申請による許可という立てつけゆえの、道路との差とも言える。
 では、鉄道の世界でも路線やサービスの存在に対して、改めて何らかの法的根拠を与えることはできないのだろうか。かつての地方ローカル線建設のような無制限な「我田引鉄」は厳に慎まれるべきだが、社会の役に立っている鉄道路線まで廃線になりうる現在の制度体系というのもだいぶ脆弱である。
 実際、広島県のJR可部線の可部~あき亀山間のように、いったんは廃線となりながら、廃線区間の一部を再開して都市鉄道として機能させている例もある。同区間はその先も含めて2003年にいったん廃線となったが、2017年に「復活」して開業した。こういった「いったり来たり」も、もっとシステマチックに制度設計していけば抑制できるのではないだろうか。
 次回は、欧州連合の例を参照しつつ、鉄道路線の存在がどのように法的位置づけを与えられているのか、掘り下げてみていきたい。またその前提のもと、鉄道や道路の上の公共交通サービスの存在が、どのような法的位置づけを与えられているのかも、あわせてみていきたい。
msn より

≪くだめぎ?≫
 "災害復旧"を「鉄道の輸送力で復旧させる」、
というのは、頭に無いらしい。
 むしろ、この機に、一層の道路の充実を図るらしい。
「鉄道の輸送力」は過剰と思えるほど。
1980年(昭和55年)の国鉄再建法、
1987年の国鉄分割民営化の際に、鉄道敷設法は廃止された。
確かに、「我田引鉄」の時代は終わった。
ローカル線での貨物列車は考えられない時代になったからね。
また、トラック輸送から鉄道輸送に切り替えるツモりも無いようだ。
Posted at 2026/06/19 16:06:27 | コメント(0) | トラックバック(0) | 鉄道 | 旅行/地域
2026年06月19日 イイね!

『廿日市市(はつかいち)』

『廿日市市(はつかいち)』(上)「さくらバス」廿日市市内を走る循環バス
(下)宮島島内乗合タクシー(メイプルライナー)
廿日市市 より

 市の母体は旧佐伯郡廿日市町である。廿日市は中世以来、厳島神社の造営・修繕と西中国山地産の木材の集積を基盤とした木材産業の町であり、山陽道(西国街道)の廿日市本陣を中心に発展した。
 昭和時代最後に市制施行した市でもある。
 旧廿日市町域は商業・工業都市の側面が濃かったが、平成の大合併によって周辺の4町村(佐伯町・吉和村・大野町・宮島町)を編入したことで、西中国山地の豊かな自然や厳島神社を含む安芸の宮島などの新しい顔を併せもつこととなった。
 厳島神社の年4回の祭礼の最終日がいずれも20日であったことから、早くも鎌倉時代中期には毎月20日に市が立つようになり、二十日の市=「廿日市」という名称が徐々に定着していったと思われる。
・1878年(明治11年)11月1日 - 廿日市に佐伯郡役所が設置される。
・1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により佐伯郡廿日市町が成立。
・1956年(昭和31年)9月30日 - 廿日市町・平良村・原村・宮内村・地御前村が合併して新たに廿日市町が発足。
・1957年(昭和32年)6月10日 - 五日市町佐方の一部区域を編入。
 ・高度経済成長期以降、広島市に隣接する五日市町と西隣の廿日市町は、ともに広島市のベッドタウンとして急速に発展を遂げた。五日市町は1980年国勢調査で、廿日市町は1985年国勢調査で、それぞれ人口日本一の町となっている。両者は人口増に伴う都市基盤整備の議論の渦中におかれ、五日市町は広島市との合併を選択して、1985年(昭和60年)3月、旧町域全域を区域とする「広島市佐伯区」が発足した。当初は廿日市町も佐伯区に編入するとの案があったが、廿日市町は単独市制を選択したため立ち消えになった。
・1988年(昭和63年)4月1日 - 市制施行し、廿日市市が発足。当初は面積47.89平方km、人口約58,000人(1985年国勢調査では52,020人)のコンパクトな市であった。
・1989年(平成元年)6月1日 - 広島市と境界変更。
・2003年(平成15年)3月1日 - 佐伯町・吉和村を編入。市域が約8倍に拡大する。
・2005年(平成17年)11月3日 - 大野町・宮島町を編入。なお、これにより佐伯郡は消滅した。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
最終更新 2026年6月1日 (月) 20:02 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。

≪くだめぎ?≫
 2005年に大野町・宮島町を編入。
同時に『佐伯郡』が消滅した。
結果、政令都市"広島市"に参加しない町村は
「はつかいち」シティ、に集結した。
Posted at 2026/06/19 14:41:30 | コメント(0) | トラックバック(0) | 都道府県区市町村 | 旅行/地域
2026年06月13日 イイね!

広島県佐伯郡廿日市町(さえき・はつかいちちよう)

広島県佐伯郡廿日市町(さえき・はつかいちちよう)[写真・画像] 広島市位置図
出典: フリー百科事典
『ウィキペディア(Wikipedia)』
現・広島市の西隣が『廿日市市』

廿日市町(はつかいちちよう)
 広島県:佐伯郡廿日市町
面積:四七・〇一平方キロ
佐伯郡の沿岸部中央で厳島の北方対岸に位置する。東は五日市町、北は湯来町および佐伯町、西は大野町に接し、広島市より西へ約一〇キロの近郊都市。南は瀬戸内海に面して開けるが、極楽寺山・野貝原山・烏帽子山の山系によって三方を囲まれ、地勢はおおむね西へ漸高する。町の中心は佐方川・可愛川・御手洗川のつくる沖積平野と干潟の埋立地で、沿岸部を国道二号と西広島バイパスが平行して通り、国鉄新幹線・山陽本線、広島電鉄宮島線が並走する。
コトバンク
出典 平凡社「日本歴史地名大系」

11年連続で転入者が上回る 広島県廿日市市、子育て支援が奏功?
2026年5月30日 10時15分
編集委員・副島英樹
 中国5県の人口10万人以上の18都市の中で、広島県廿日市市だけが昨年、転入者数が転出者数を上回る「転入超過」となった。同市の昨年の転入超過数は75人で、転入超過は11年連続となった。
 廿日市市の人口は現在約11万2千人。総務省統計局が発表した2025年の住民基本台帳人口移動報告によると、転入者数は3437人で転出者数は3362人だった。世代別に見ると、0~4歳が111人、25~39歳が92人の転入超過で、子育て世代の転入が目立った。一方で、15~24歳では138人の転出超過となっており、若者が流出している傾向もうかがえる。
 転入超過が続く要因として、保育料の負担軽減や子どもの医療費補助など子育て世代への支援の充実が挙げられる。また、隣接する広島市と比べて地価が比較的安いことも考えられるという。
 松本太郎市長は4月30日の会見で「子どもや家族を持つことへの漠然とした不安が、少子化傾向につながっているのでは」と指摘。「かつては消滅可能性都市にも挙げられた。2040年までは人口11万人を維持したいと考えているが、同時に人口減少を前提に、その影響を受けにくい『まちの作り替え』を進めていきたい」と述べた。
 広島県内の全23市町で転入超過となったのは、廿日市市のほか、熊野町(146人)と北広島町(13人)だった。
朝日新聞 より

≪くだめぎ?≫
 安芸郡府中町が"市制施行"を目指している
 1985年3月に旧・佐伯郡五日市町が広島市と合併、行政区・佐伯区が発足する。同時に、広島市の人口が100万人を超える。
 1988(昭和63)年4月に"佐伯郡廿日市町"が単独市制施行して「廿日市市」が発足した。「廿日市町」が"佐伯区"に加わることを期待した名称だ。
Posted at 2026/06/13 07:47:10 | コメント(0) | トラックバック(0) | 都道府県区市町村 | 旅行/地域
2026年06月12日 イイね!

広島県安芸郡府中町(あき・ふちゅうちょう)

広島県安芸郡府中町(あき・ふちゅうちょう)府中町はこんなまち
まちの概要
府中町は周囲を広島市に囲まれ、安芸郡の飛び地という全国的にみても特徴のある形態をしています。
町域は、東西4.18キロメートル、南北5.20キロメートルで、面積は10.41平方キロメートルです。
府中という名が示すように、昔安芸の国府が置かれていたところといわれ、古代安芸国の政治文化の中心地であったと思われます。江戸時代の府中村とほぼ同じ区域のまま明治22年の市町村制施行により府中村となり、以後町村合併の歴史もなく、昭和12年には町制を施行しています。
府中町公式サイト より

市制移行目指す「人口全国最多」の町、
焦点は新たな市名 広島県府中町、
既に東京と広島に二つの「府中市」
5/25(月) 7:00配信
 全国の町で人口が最も多い広島県府中町が市制移行を目指している。「平成の大合併」では四方を囲む広島市との合併を選ばず、地方自治法が定める市の人口要件5万人を満たしながらも町制を続けてきた。既に「府中市」が県内を含め2市あるため、新たな名称も焦点となりそうだ。
 広島県南西部の安芸郡に属し、住民基本台帳に基づく4月1日時点の人口は5万1675人。自動車大手マツダの本社があり、広島市のベッドタウンとして、1990年の国勢調査以来5万人台を維持し続けてきた。
 町によると、平成の大合併の際に広島市との合併が議論になったが、慎重派の町長が就任し見送られた経緯がある。
 町は本年度、有識者らによる審議会を立ち上げ、住民説明会や賛否を問うアンケートを実施。早ければ2028年度にも市となる。議会からは「メリットが少ない」などとの指摘もあるというが、寺尾光司町長は「さらに発展するための手段。発信力を高め、ブランド力を向上させることにつながる」と意義を強調する。
 議論になりそうなのは新市名だ。かつて国府が置かれたことにちなむ「府中」の地名は全国にあり、旧武蔵国の東京都府中市は東京競馬場で知られる。広島県東部、旧備後国に位置する府中市は家具製作が有名だ。
 自治省(現総務省)は1970年、既存の市と同じ名称にならないよう配慮を求める事務次官通達を出している。新市名は審議会で検討するが、寺尾氏は三つ目の府中市誕生は現実的ではないと指摘した上で「市制移行が、住民が町のことを考えるきっかけになれば」と期待する。
YAHOO!JAPANニュース
共同通信

≪くだめぎ?≫
 "少子高齢化"の為、「5万人台」の人口面も気にしている様だが。
 議会からは「メリットが少ない」などとの指摘もある。
同広島市佐伯区(さえきく)に設置された佐伯郡・旧五日市町の様に10万人を加えて、更に政令都市・広島市のパワーが増した気がした。
確かにメリットがあるかどうか。
Posted at 2026/06/12 15:49:17 | コメント(0) | トラックバック(0) | 都道府県区市町村 | 旅行/地域

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