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ディーゼルオート店のブログ一覧

2026年05月10日 イイね!

「クレフの悲劇」

「クレフの悲劇」[写真・画像] マツダ オートザムクレフ
1992年5月~1994年12月
(平成4年5月~平成6年12月) 
GAZOO カタログ より

クレフ(CLEF)とは、かつてマツダが製造・販売していた乗用車である。
販売期間 1992年5月 - 1994年12月
 ボディ
乗車定員 5人
ボディタイプ 4ドアセダン
駆動方式 FF/4WD
 パワートレイン エンジン
FS-DE型 直4 DOHC 2.0L 125ps レギュラー指定
KF-ZE型 V6 DOHC 2.0L 160ps プレミアム指定(レギュラー可)
KL-ZE型 V6 DOHC 2.5L 200ps プレミアム指定(レギュラー可)
 車両寸法
ホイールベース 2610mm
全長 4670mm
全幅 1750mm
全高 1400mm
車両重量 1240-1310kg
 系譜
後継 なし (間接上の代替は6代目カペラセダン)
■概要
 1992年5月発売。オートザム店の専売車としてクロノスのコンポーネントを使用した姉妹車である。キャッチコピーは「新世代スポーツサルーン」「お楽しみは、これからだ」。
 駆動方式は前輪駆動とセンターデフ方式フルタイム四輪駆動があり、前輪駆動車には2.0Lもしくは2.5LのV6、四輪駆動車には2.0Lの直4のガソリンエンジンが組み合わせられる。ミッションは全車4速ATのみの設定。クロノスと同様に全幅が1750mmとなる3ナンバー車である。
 オートザム店では上級車種としてランチアおよびアウトビアンキの車種がラインナップされていたが、オートザム店の大部分を占めていた中小規模の整備工場や中古車販売店(いわゆるサブディーラー)においては、軽自動車や小型車と並べて輸入車を販売することに無理があった。そのため国産の上級車種が必要という一部の販売店の要望に応える形で投入されたものである。
 しかしながら、発売以降ほとんど売れず[2]、販売台数は1992年2,129台、1993年1,979台、1994年1,153台という結果となった。
[2] 販売当初は登録台数3桁になる月もあったが販売初年度から1カ月の登録台数2桁を記録、2年目以降は1桁~2桁だった。
 オートザム店のブランドイメージを考慮し、2代目キャロルのイメージを踏襲したファンシーなエクステリアデザインにせざるを得なかったところ、このサイズのセダンを求める層はほぼ30代以上の男性であったため、完全に需要を読み違えていたことも深刻な販売不振の一因であった。モデル末期には、上部にラジエーターグリルを持つフロントバンパーが特別装備された「リミテッドX」という特別仕様車をリリースしたが、オートザム店自身が若者向けのラインナップが中心だったことが災いして、販売増はおろか話題にすらならなかった。
 1994年3月に生産を終了し、同年12月をもって販売を終了した。総生産台数は5,258台。
(補足)2016年4月にマツダオートザム店が事実上の全車種併売となった際、クロノス/クレフの型式上の末裔(G#系の系譜)となる3代目アテンザセダン→MAZDA6セダン(GJ系)の取り扱いが開始された。
最終更新 2025年6月26日 (木) 09:38 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。

クロノス(CRONOS)は、かつてマツダが製造・販売していたセダン。
■概要
 1991年(平成3年)、カペラに代わる新しいマツダのミドルクラスセダンとして登場した。3ナンバー税制改変の恩恵を受けた三菱・ディアマンテなどの人気から、競合車種たちが軒並み大きくなる傾向にあった中[注釈 1]、開発当初は5ナンバー寸法での設計も行われ、試作車の走行試験も行われていたが[1]、新たなGEプラットフォームが採用され、クロノスも3ナンバーとなった。
 このプラットフォームをベースに生まれた姉妹車も、ユーノス500を除いて3ナンバーとなった。当時のマツダは多品種少量生産を志向しており、防府工場での生産ラインは、1つのラインでこれらの姉妹車を同時混流で生産できるようになっていた。
 しかし、バブル景気に乗じた販売系列の5チャンネル化と、3ナンバー化を発端としてカペラの名前を廃した結果、クロノスの知名度と販売台数は圧倒的に減少した。そこにバブル崩壊が加わり、さらに当時世界中でヒットしていたロードスターの利益をすべて新型車に投入した結果、マツダは倒産の危機に陥ってしまった。これがいわゆる「クロノスの悲劇」である。
 輸出名はカペラと同じく「マツダ・626」であったが、日本国内では3ナンバー化にあたり「カペラの名を引き継ぐことはユーザーに対して不誠実」[注釈 2]とされた。そのため他社が同様のケースでも車名を変更しなかったのに対し、マツダの場合は長年親しまれたカペラの名前をクロノスに変更した。さらにマツダ店(MX-6)、アンフィニ店(MS-6、MS-8)、ユーノス店(ユーノス500)、オートザム店(クレフ)、オートラマ店(プローブ、テルスター)に姉妹車を割り振り、統一した名前をつけなかった。これらの販売戦略により圧倒的な認知度不足が発生し、当時としては非常に贅沢なつくりを持っていたのにもかかわらず、姉妹車すべてを含めても月販1万台に届かない状況となり、さらに全幅1,770 mmという当時の同クラスセダンとしては大きめのサイズであったことも販売不振に拍車をかける結果となった。コロンビアのコンパニアコロンビアナアウトモトリスS.A(CCA)ではこれを626 MATSURIとして生産・販売したが、並行してGD/GV型カペラも626 ASAHIとして生産・販売が行われていた。
 なお、クロノスにはワゴンモデルの設定が無かったため、5代目カペラはカーゴのみ生産・販売を継続していた。
■型式 GE型(1991年-1997年)
・1991年10月21日 - カペラの後継車として、マツダ店でのみの取扱いでデビュー。当初は、FF駆動方式に新開発のK型V6エンジン(1.8Lと2.0L)のみが搭載されていた。
・1992年 - PWS付ディーゼル車とビスカスカップリング式フルタイム4WD車、V62.5Lエンジンのグランツーリスモシリーズを追加。海外向け生産・販売を開始。
・1994年10月 - カペラ復活後ながらマイナーチェンジ。1.8L車を廃止、ABSが全グレード標準装備になった。同時にフロントグリルを変更[注釈 5]。
・1995年12月[3] - 日本仕様の販売を終了。
・1997年 - 7代目カペラの登場に伴い輸出向け仕様(現地名:マツダ・626)の生産・販売を終了。
生産台数:3万4096台
最終更新 2026年2月6日 (金) 12:55 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より

≪くだめぎ?≫
 「オートザム クレフ」の悲劇である。
5ナンバー『ユーノス500』の兄弟車種として投入した方がよい、販売実績だった。
5ナンバー『6代目カペラ』登場後、「クレフ」廃番になるが、
オートザム店にカペラは投入されなかった。ランチアなど輸入車に決して引けを取らない、と思うが・・。
Posted at 2026/05/10 10:24:14 | コメント(0) | トラックバック(0) | 車全般 | クルマ
2026年05月09日 イイね!

『フェスティバミニワゴン』

『フェスティバミニワゴン』日本フォード フェスティバミニワゴン
1996年8月~2003年12月
(平成8年8月~平成15年12月)
GAZOO カタログ より

マツダ「5つのブランド」はなぜ消えたのか?
──バブル期の乱立戦略“クロノスの悲劇”をご存じか
2025.11.22 ミゾロギ・ダイスケ(懐古系ライター)
 マツダは1990年代、国内販売80万台を目指し5チャンネル体制を拡張したが、複雑なブランド構造とバブル崩壊で失速。ロードスターのみが輝きを放ち、後のトヨタ・レクサス戦略はこの失敗を反面教師に成立している。
■センチュリー独立戦略
 2025年10月13日のトヨタイムズ生放送で、トヨタ自動車は「センチュリー」を「レクサス」の上位に位置づける独立ブランドとして扱うと発表した。
 レクサスの場合、「レクサス LS」のように車名にトヨタを付けず、販売店やサービスも通常のトヨタ販売網から切り離して運営されている。発表時点では、センチュリーの販売チャネルの詳細は明示されていないが、専用ブランドサイトでは「TOYOTA」のロゴを前面に出していない。
 この展開は、“一強”ともいえるトヨタならではの戦略に見える。しかし実際には、マツダもかつて同様のブランドプロジェクトを試みたことがある。
 しかも、マツダはひとつのブランドに絞らず、複数を同時に立ち上げていた。だが、ブランドを十分に育てる前に短期で失速した。この失敗プロジェクトはどのようなものだったのか。
■国内販売の強化戦略
 1987(昭和62)年12月、バブル経済は膨張の最中だった。当時、マツダはプラザ合意後の急激な円高で輸出採算が悪化していた。このタイミングで経営トップが入れ替わる。
 ロータリーエンジン開発の立役者だった山本健一氏は社長から会長に退き、通産省(現・経産省)出身の古田徳昌氏が新社長に就任した。さらに住友銀行出身の副社長・和田淑弘氏が経営に深く関与する、事実上の3トップ体制が構築された。
 1988年5月、この経営陣は全社の中期計画「MI(マツダ・イノベーション)計画」を開始した。当時約40万台だった国内販売を80万台(シェア約10%)まで引き上げる拡大策を掲げ、販売網と車種を一気に増やす戦略を打ち出した。
 マツダはもともと、「マツダ」、セカンドラインの「マツダオート」、さらに「オートラマ」という三つの販売チャンネルを持っていた。オートラマは1981年に立ち上がり、目的は「フォード車を日本市場で販売するための販路確保」にあった。米国のフォード・モーターは自社ブランド車の日本販売を模索していたが、ゼロから専用ディーラー網をつくるより、マツダの既存販売網を活用する方が効率的だと考えた。
 そこでマツダは既存の販売会社や店舗の一部をオートラマとして再編し、マツダOEMの日本製フォード車を中心に扱う専門店として展開した。「フォード・テルスター」「フォード・レーザー」「フォード・フェスティバ」といった車種があった。その後、1980年代後半にはフォードの輸入モデルも取り扱うようになった。派手なテレビCMも流し、「オートラマへ、愛に恋。」というキャッチコピーを長く用いた。アイドルグループ「セイントフォー」とのタイアップも行い、「フォード・レーザー1500スーパースポーツ“セイントフォー”スペシャル」という商品も発売した。一連のCMではフォードのロゴを大きく露出させていた。しかし、店名にフォードが入らないオートラマが、どのような店なのか大衆に十分伝わっていたかは疑問が残る。
 マツダは国内販売を80万台に引き上げる拡大策の一環として、既存のマツダ、マツダオート、オートラマに、新たに「ユーノス」と「オートザム」の2チャンネルを加え、国内5チャンネル体制を整えた。チャンネル数としてはトヨタと同等で、3チャンネル時代から販売店網を大幅に拡充する大攻勢だった。
 新チャンネルのひとつユーノスは、当時のマツダ本体が十分に取り込めていなかった都市部の中間層や輸入車志向の顧客向けに、もう一段おしゃれで上質なラインを示す狙いがあった。特徴的なのは、車名の先頭からマツダをあえて外し、ユーノスとして展開した点である。上級パーソナルクーペは「ユーノス・コスモ」として提示された。ユーノスというブランド名はバブル期の空気に乗り、なんとなく外国車風の都会的な印象を与えた。
 特にアイコンとなったのが、2シーターのオープンタイプライトウェイトスポーツカー「ユーノス・ロードスター」だ。1970年代後期のスーパーカーブームを経験した世代には、リトラクタブル・ヘッドランプの造形が印象的だった。価格は170万円前後と手が届きやすく、多くの顧客の関心を集めた。
 その後、各国メーカーが中小型オープンカーを投入する追随を見せるなど、ロードスターは5チャンネル体制を代表する成功作となった。ただし、ロードスター目当てで来店した客が「ほかのモデルもいい」と横に流れるようなラインナップは十分ではなく、ユーノス全体のブランド拡張にはつながらなかった。
■輸入車混在の販売構造
 オートザムは軽自動車や小型車を扱うブランドとして設立された。車名は「オートザム〇〇」と揃え、マツダの名は冠していない。「オートザム・キャロル」は日産のパイクカーに通じるデザインで人気を集めた。「オートザム・AZ-1」は国産では非常に珍しい量産ガルウイング車だった。「オートザム・レビュー」のCMには当時のCMクイーン、小泉今日子を起用した。
 1990(平成2)年以降はイタリアのランチアやアウトビアンキの輸入車も販売しており、軽自動車を見に来た客の横に、サイズも価格帯も異なるイタリア車が置かれるという構造になっていた。名前が似たオートラマと同様に、「何の店なのか」が十分に伝わっていたかは疑問が残る。
 ただ、5チャンネル体制の初期はバブル期と重なったこともあり、一定の成果はあった。1990年前後、日本の新車市場が史上ピークに達した局面で、マツダの国内販売も高水準に達したのである。
 さらにマツダは1991年、マツダオートを「アンフィニ」にリブランディングした。こちらもマツダを外し、フランス語で「無限」を意味するアンフィニで統一した。ロータリーエンジン搭載のスポーツカー「アンフィニ・RX-7」、ミニバン「アンフィニ・MPV」、上級パーソナル系の「アンフィニ・MS-6」「MS-8」「MS-9」などを展開し、5チャンネルの中でやや上位のイメージを担わせようとした。
 しかし「都市型で少し上質」という方向性はユーノスと重なり、ブランドごとの役割の違いは明確ではなかった。
■バブル崩壊による5チャンネル縮小
 整理すると、1991(平成3)年の時点でマツダは日本市場向けに、マツダ開発・生産車両(他社OEM含む)をマツダ、アンフィニ、フォード(オートラマ扱い)、ユーノス、オートザムの5ブランドで同時販売していた。
 しかし、バブル崩壊の影響が自動車販売にも明確に出始めた1992年ごろから、国内市場全体が縮小し、マツダの販売も同じように落ちていった。1991年に北米向け高級ブランド「アマティ」を発表したが、1992年には資金難で計画を中止している。1993年度からマツダの経営は深刻な状態になった。市場要因に加え、5チャンネル特有の負担も重なり、体制維持は困難となった。
 5チャンネル特有の負担としては、大規模な販売網拡大による設備投資や人件費が重くのしかかったことがある。さらに、販売チャンネルだけでなくブランドまで細かく分けたため、車種も増え、開発コストを含めた経費が膨らんだ。営業や宣伝もブランドごとに別建てで用意する必要があり、1台あたりにかけられる力は薄まった。ユーノス・ロードスターのようなヒット作は生まれたが、それ以外のモデルは知名度を十分に上げられなかった。
 戦略上の大きなミスもあった。1991年、主力の5ナンバー中型セダン「マツダ・カペラ」の後継を、ひと回り大きい3ナンバー車「マツダ・クロノス」に置き換えた。これにより、需要の厚い5ナンバー級の柱を自社ラインアップから外すことになった。さらに5チャンネル化で、アンフィニMS-6、フォード・テルスター、オートザム・クレフ、5ナンバーのユーノス500など、カペラ相当の領域を分散させてしまった。その結果、各系列は稼げる中心車を欠き、共倒れに近い状況を招いた。この一連の失敗は「クロノスの悲劇」と呼ばれた。
 加えて、ユーノスとアンフィニは路線が近く、オートラマはフォード車を扱いながらブランド名にフォードを冠さず、オートザムは軽・小型車に加えてランチア車まで扱ったため、名前が似ているうえに「何の店か」が伝わりにくかった点もマイナス要因となった。
■複数ブランドの消滅
 1990年代後期になると、5チャンネル体制の再編が本格化する。1996(平成8)年4月、重複する要素のあったユーノスをアンフィニ系列に統合し、看板をマツダアンフィニに改めた。ユーノス専売だった車種もこのルートに吸収され、販売チャネルとしてのユーノスは事実上消滅した。1997年7月には、残っていたユーノス800がマツダ・ミレーニアに改名され、車名からもユーノスが消えた。
 同じころ、オートラマはフォード色を強める再編に入り、マツダ5チャンネルの一角という位置づけから徐々に外れた。1997年には社名を「フォードセールスジャパン」に変更し、1999年には「フォード・ジャパン・リミテッド」の設立でフォード直営体制へ移行した。
 1998年4月にはオートザムをマツダ本体系列に整理し、「マツダオートザム」とした。「オートザム○○」の車名表記も段階的に「マツダ○○」へ移行した。以後はマツダ、マツダアンフィニ、マツダオートザムの実質3本が残ったが、扱う車種の差は年々小さくなり、アンフィニも高級チャネルとしての独自性を失った。こうして1990年代末には、バブル期に増やした「マツダを冠さない複数ブランド」はほぼ姿を消し、車名としてはマツダに集約された。5チャンネル時代の最大のスターは現在、マツダ・ロードスターである。
 トヨタがレクサスを国内で本格展開した時点で、マツダ5チャンネル戦略は壮大な失敗例として共有されていた。これを反面教師にしたかは不明だが、トヨタはレクサスを一本化し、「トヨタとは別の高級ブランド」という色を最初から明確にし、一貫させている。
交通・運輸・モビリティ産業の最新ビジネスニュース Merkmal(メルクマール)

≪くだめぎ?≫
 「オートラマ店」
・初代フェスティバ(1986年2月 - 1993年1月)
・フェスティバ ミニワゴン(Festiva miniwagon)(1996年8月 - 2003年12月)
のイメージが強い。
1994(平成6)年 「オートラマ店」→「フォード店」名称変更
2002年に輸入フォード車販売へ切り替えた。
 当地の元「オートラマ店」は同敷地に新たに「マツダオートザム店」を設置。フォード車・マツダ車の併売に入る。
マツダ・デミオの販売を"継続"したい為と言われている。
Posted at 2026/05/09 21:02:31 | コメント(0) | トラックバック(0) | 車全般 | クルマ
2026年05月09日 イイね!

マツダ・国内5チャンネル体制

マツダ・国内5チャンネル体制マツダ・国内5チャンネル体制の展開と経営危機
公開日2020/07/25 10:00
更新日2024/10/20 12:16
著者 Mr. ソラン
[写真・画像] 新生キャロル (1989(平成元)年11月)
■国内5チャンネル体制の構築
 バブル経済期の「作れば売れる」という勢いに乗り、トヨタは「トヨタ店」「トヨペット店」「カローラ店」「オート店」「ビスタ店」という5つのチャンネル体制で、ホンダや日産なども多チャンネル化によって販売拡大を図りました。
 マツダも負けじとバブル絶頂期の1989年、「ユーノス」「オートザム」という2つの販売チャンネルを新設し、それまでの「マツダ」「マツダオート(現アンフィニ)」「オートラマ」の3系列と合わせて国内5チャンネル体制を展開します。
5チャンネル化によって国内販売網の拡大と強化を図り、5年後には年間100万台、国内シェア10%を確保するのが目標でした。
 同年6月にスズキからOEM供給を受けた軽商用車「スクラム」を、9月に「ロードスター」をユーノス店から、11月には機械部分をスズキアルトから調達して「キャロル」をオートザム店から新生させ、新チャンネルとして順調なスタートを切りました。
■5つのチャンネルとブランド
・マツダ店
東洋工業にとって最初のメインブランドで、「ファミリア」などの小型車から商用車、高級車など幅広く販売。
・マツダオート店(現アンフィニ店)
2番目のブランド、1959(昭和34)年に乗用車販売のために設立され、翌年のマツダ初の乗用車「R360クーペ」の発売とともに営業を開始しました。「RX-7」や「MS-9」などのスポーツカーや高級車を販売。
・オートラマ
第3の販売チャンネルで、1981(昭和56)年設立。ファミリアやカペラのフォードブランド版「レーザー」「テルスター」などを販売。
・ユーノス店
「オートザム店」とともに1989(平成元)年に設立。スペシャルティ中心で、「ユーノスコスモ」「ユーノスロースター」を販売。
・オートザム店
小型車およびスズキからのOEMまたはプラットフォーム供給を受けた軽自動車を販売。「オートザム・レビュー」「オートザム・キャロル」「オートザムAZ-1」など。
■新チャンネルとバブル崩壊
 1989年、新チャンネルから発売された「ユーノスロードスター」と「オートザム・キャロル」は、販売目標を大幅に上回る大ヒットとなり、マツダのシェア回復に貢献しました。
 ところがその後はバブルの崩壊によって低迷が始まり、販売台数を大きく落としシェアも下降しました。バブル崩壊による需要の低下もさることながら、5チャンネルによる無理な車種展開が、企業規模の大きくないマツダには大きな負担になりました。
 その結果、チャンネル増加に対応したモデル展開が追いつかず、マツダの国内シェアは大きく落ち込みました。さらに1990年代に起こったRVブームに対応したモデルも投入できず、完全に立ち遅れました。
 バブル崩壊と無理な5チャンネル体制の展開によって、マツダはかつてない経営危機に陥りました。
 この状況を受けて1996(平成8)年、フォードが持ち株比率を25%から33.4%に引き上げ、マツダはフォード傘下に入ることになりました。
自動車ニュースメディア『クリッカー clicccar.com』

≪くだめぎ?≫
 当地では「オートザム・キャロル」である。大ヒットでマツダの軽自動車部門を牽引した。
 「オートラマ店」を後に「マツダオートザム店」に転換したから。
ちなみに外車部門は「フォード店」から
「BMW店」、「MINI店」を"整備団地"に新たに出店した。
 「ユーノス店」に関しては対岸の火事状態である・・。
Posted at 2026/05/09 19:50:42 | コメント(0) | トラックバック(0) | 車全般 | クルマ
2026年05月09日 イイね!

1992年 ユーノス500

1992年 ユーノス500マツダ ユーノス500 (1992-1999):
美しいスタイリングを誇ったミディアムセダン [CA]
2022.06.28
[写真・画像] ユーノス 500 1992-’95
 マツダは1992年1月に、ユーノス系列店より新型ミディアムクラスセダン「ユーノス500」を発売しました。ピラー付の4ドアセダンながら、世界最高水準と言われた美しいスタイリングが持ち味でした。同時に、ハイクオリティかつ耐久性の優れた、特許技術の「ハイフレコート塗装」を採用すると共に、先進的かつ豪華な装備を用意するなど意欲的なモデルでした。
 スタイリングは、ロングノーズ・ショートデッキの古典的なプロポーションと、曲線的かつ背の低いフォルムを備えていました。ボディサイズは全長4,545mm×全幅1,695mm×全高1,350mmの5ナンバーサイズで、ホイールベースは2,610mm、車両重量は1,160~1,260kg(初期型)でした。サスペンション形式は4輪ストラット式が採用され、駆動方式はFFのみの設定でした。
■エンジンはまず2種類のV6を用意
 発売当初用意されたエンジンは、1.8L V6DOHCのK8-ZE型(最高出力140ps/最大トルク16kgm)と、2L V6DOHCのKF-ZE型(最高出力160ps/最大トルク18.3kgm)の2種類で、トランスミッションはそれぞれに5速MTと4速トルコン式ATが設定されました。発売当初のグレード体系は、下から1.8Lの「18D」、2Lの「20F」「20F-SV」「20G」の全4タイプのラインナップでした。
 装備面では、5速MT車にABSやビスカス式LSDが採用された他、トップグレードの「20G」には本革シートや電動ガラスサンルーフ、キーレスエントリーシステムが標準装備されました。そして翌1993年1月に、「20F」をベースにオフブラックの本革シートや本革巻きシフトノブ、リアスポイラーを装備した新グレード「20F-X」が追加されました。
■M/Cで直4エンジン車を追加
 更に同年5月には、「20F」の装備を簡略化し価格を抑えた新グレード「20Fスペシャル」が追加されました。続いて1994年3月にマイナーチェンジが実施され、1.8L直4DOHCのFP-DE型エンジン(最高出力115ps/最大トルク16kgm)を搭載する新グレード「18J」及び「18K」が追加されました。トランスミッションは、他のエンジン同様5速MTと4速トルコン式ATが設定されました。
 このエンジンは同じ排気量のK8-ZE型よりも最高出力が劣る半面、燃費性能では上回っており、車両価格も安く設定されました。その他、V6エンジン車のグレード体系が変更され、下から1.8Lの「18E」(AT車のみ)、2Lの「20E」「20F」「20Fレザーパッケージ」「20GT-i」となりました。この内「20GT-i」には、チューンドサスペンションやアルミホイール、リアスポイラー、スポーツシートが装備されました。
 そして1996年6月をもって国内販売が終了したものの、海外では1999年まで販売が継続されました。
ビークルズ 値引き納期など新車購入ガイド/旧車のアーガイブ

≪くだめぎ?≫
 『6代目カペラ』(1994年8月~1997年7月)
国内版『ユーノス500』(1992年1月~1996年12月)
欧州名マツダXedos 6(クセドス 6)(~1999(平成11)年)
豪州名ユーノス500(EUNOS 500)(~1996年11月)
マツダ・ユーノス500(~1999(平成11)年)
いずれも"高級車"である・・・。
Posted at 2026/05/09 18:51:59 | コメント(0) | トラックバック(0) | 車全般 | クルマ
2026年05月09日 イイね!

「クロノス」の兄弟車種『6代目カペラ』

「クロノス」の兄弟車種『6代目カペラ』 6代目となる「カペラ」は1994年、国内専用車として発売されました。先代「カペラ」の後継となった「クロノス」が全幅を拡大したため、日本の5ナンバーサイズに収まる取り回し性の良い正統派セダンとして、約3年ぶりに「カペラ」が復活したのです。直列4気筒エンジンやストラット式サスペンションなど、十分な実績のあるメカニズムを踏襲する一方で、デザインは日本の美意識を追求。門構えにも通じるフロントグリルで顔立ちを明確にし、ボディ側面にはキャラクターラインを効果的に配して、安定感と伸びやかさを強調しました。
MAZDA 100TH ANNIVERSARY より

2025年8月18日公開
カペラ〔1994~97〕[写真・画像]
▲実用性を追求した5ナンバー復活モデル
■復活版は実用セダンとして原点回帰
 5代目カペラは、4ドアセダンのほか、2ドアクーペのC2、5ドアハッチバックのCG、そしてステーションワゴン(およびバン)のカーゴと、多彩なラインアップを揃えていた。しかし、日本経済はバブル景気のまっただ中。1988年にスタートしたMI計画に端を発した多チャンネル展開など、マツダは新たなステージへと舵を切った。
 一新したマツダにおいて、中核モデルのカペラは、カーゴを残し、1991年にセダンはクロノスとして生まれ変わった(クーペのC2はMX-6、5ドアの CGはMS-6が後継モデル)。クロノスはV6エンジンを搭載し、1770mmの全幅を持つ3ナンバーボディーを奢り、鳴り物入りでデビューを果たした。
しかし、メーカーが描いた戦略とは裏腹に、マツダのラインアップはモデルによって明暗が分かれていく。クロノスの販売は苦戦。ユーザーからは、従来の扱いやすさを求める声が挙がった。
 そこで誕生したのが、6代目カペラだった。1991年10月のクロノスのデビューから3年足らず。1994年8月のことだ。復活を遂げたカペラは、「原点に返る」を基本に開発された。クロノスのシャシーをベースに、1695mmの5ナンバーボディーを採用し、実用性を追求したモデルとして復活した。ちなみに、この時点ではクロノスは継続され、1994年10月にマイナーチェンジを実施した(翌年の1995年に販売終了)。
■6代目カペラは居住性に富んだキャビンを創造
 6代目カペラのボディサイズは、全長4595mm×全幅1695mm×全高1395mm。ベースとなったクロノスと比較すると、全長は100mmも短く、全幅も75mm狭い(全高は5mmのマイナス)。ホイールベースはクロノスと共通の2610mmとなっていた。
 フロントマスクは薄型の4灯式ヘッドライトを配置し、グリル上部にマツダのエンブレムを採用。リアまわりでは左右のコンビランプの間にはガーニッシュがなく、前後とも装飾は必要最小限に抑えられた。5ナンバー枠に収められたボディーのサイドビューもオーソドックさが際立つデザインだった。クロノスのエクステリアに反して、カペラはスクエアでシンプルなボディーを手に入れていた。
 クロノスに対してひとまわりコンパクトな体躯のカペラだが、室内の広さはクロノスと同等だった。室内寸法は室内長1900mm×全幅1450mm×全高1160mm。クロノスと共通する室内寸法を持っていた。結果、身長180cmのパッセンジャーがゆったりと座れるというメーカーの説明にも納得できるだけのスペースを誇り、実用性に長けたセダンとして魅力的な一面がここでも光っていた。
■エンジンは全車4気筒ユニットを搭載
 搭載エンジンは、V型6気筒DOHCユニットを奢ったクロノスとは差別化を図り、全車に直列4気筒ユニットを積み込んだ。2リッター直列4気筒DOHC16Vユニットは、125ps/5500rpmの最高出力と、17.6kg-m/4500rpmの最大トルクを発揮。このユニットをFFのほか4WDにも搭載した。1.8リッターユニットも直列4気筒DOHC16Vで、最高出力は115ps/5500rpm、最大トルクは16.0kg-m/4500rpm。こちらはFFのみの搭載だった。トランスミッションは、全グレードで5速MTと電子制御4速ATを用意していた。
 5ナンバーボディにひとクラス上の広いキャビンスペースを設え、実用性の高い4気筒エンジンを搭載。派手さはないが、まさに質実剛健な作りで魅力を磨き上げた。6代目カペラは、ミドルサイズセダンとしての資質を存分に携えた正統派セダンであった。名車文化研究所 より

≪くだめぎ?≫
 "クロノスのシャシーをベース"
 "ホイールベースはクロノスと共通の2610mm"
要するに、5ナンバー「ユーノス500」の骨格である。
「5代目カペラ」でもない、そして
「クロノス」でもない
5ナンバー「6代目カペラ」として
1994年8月~1997年7月・生産。
Posted at 2026/05/09 17:44:36 | コメント(0) | トラックバック(0) | 車全般 | クルマ

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