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Mar.19 日本100名城 <小田原城址公園>

投稿日 : 2011年03月19日
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小田原城が初めて築かれたのは、大森氏が小田原地方に進出した15世紀中ごろのことと考えられています。1500年ごろに戦国大名小田原北条氏の居城となってから、関東支配の中心拠点として次第に拡張整備され、豊臣秀吉の来攻に備えて城下を囲む総構を完成させると城の規模は最大に達し、日本最大の中世城郭に発展しました。
 江戸時代を迎えると小田原城は徳川家康の支配するところとなり、その家臣大久保氏を城主として迎え、城の規模は三の丸以内に縮小されました。稲葉氏が城主となってから大規模な改修工事が始められ、近世城郭として生まれ変わりました。その後、大久保氏が再び城主となり、箱根を控えた関東地方防御の要衝として、また幕藩体制を支える譜代大名の居城として、幕末まで重要な役割を担ってきました。
 しかし、小田原城は明治3年に廃城となり、ほとんどの建物は解体され、残っていた石垣も大正12年(1923)の関東大震災によりことごとく崩れ落ちてしまいました。
 現在の小田原城跡は、本丸・二の丸の大部分と総構の一部が、国の史跡に指定されています。また、本丸を中心に「城址公園」として整備され、昭和35年(1960)に天守閣が復興、次いで昭和46年(1971)には常盤木門、平成9年(1997)には銅門、平成21年(2009)には馬出門が復元されました。さらに小田原市では、貴重な文化的遺産である小田原城跡をより一層親しみ、長く後世に伝えていくことを目的として、本格的な史跡整備に取り組んでいます。
 平成18年10月に、「日本の歴史公園100選」に選ばれました。

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常盤木門(ときわぎもん)といいます。
本丸の正面に位置し、小田原城の城門の中でも大きく堅固に造られていました。
 元禄16年(1703)の大地震で崩壊した後、宝永3年(1706)に、多門櫓と渡櫓から構成される桝形門形式で再建されたものが、明治3年(1870)の小田原城廃城まで姿をとどめていたといわれています。
 現在の常盤木門は、市制30周年事業として再建したもので、昭和46年(1971)3月に完成しました。
 常盤木とは常緑樹の意で、門の傍らには往時から松が植えられており、また、松の木が常に緑色をたたえて何十年も生長することになぞらえ、小田原城が永久不変に繁栄することを願って、常盤木門と名付けられたといわれています。
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二の丸と常盤木門の間に咲く梅です。
梅の種類はわかりませんが、本丸東堀跡に架かる朱色の橋とのコントラストが綺麗です。
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銅門(あかがねもん)といいます。
銅門は、江戸時代の小田原城二の丸の表門で、明治5年に解体されるまで、江戸時代を通してそびえていました。往時は、馬出門土橋(うまだしもんどばし、現在のめがね橋)から城内に入り、銅門を通って二の丸御屋形や本丸、天守閣へと進むようになっていました。
 銅門の名前は、大扉などに使われた飾り金具に、銅が用いられたことに由来します。
 現在の銅門は、昭和58年(1983)から行われた発掘調査や古写真、絵図などを参考に、平成9年に復元されたもので、石垣による桝形、内仕切門及び櫓門を組み合わせた桝形門と呼ばれる形式で、本来の工法で復元されています。
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馬出門土橋です。後方の門は銅門です。
住吉堀から見た光景です。
江戸時代には、この馬出門土橋が城内への入口でした。
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馬出門といいます。
馬出門は、二の丸正面に位置する重要な門で、江戸時代の初期からこの場所に存在し、寛文12年(1672)に桝形形式の門に改修され、江戸時代の終わりまで存続しました。
小田原市では、文化庁・神奈川県の補助を得て、住吉堀、住吉橋、銅門の復元整備に続き、平成15年度から20年度にかけて、馬出門の復元整備事業を行いました。
7
二の丸隅櫓と住吉掘に架かる学橋です。
江戸時代の小田原城には、様々な大きさの櫓が、お城のあちらこちらに築かれていました。この隅櫓は、城主の居館(御殿)があった二の丸主部の南東の櫓に位置し、堀をはさんだ向こう側、三の丸にあった大手門の真後ろを見渡せました。櫓の内部には武器が格納され、有事の際にはここから城下を展望し、敵が攻めてきた場合には矢や鉄砲を放つようになっていました。
明治3年(1870)の小田原城廃城により、天守閣を始めとするお城の建物は、ほとんどが破却され、二の丸隅櫓だけが唯一残っていました。しかし、大正12年(1923)の関東大震災により住吉堀の中に石垣ごと崩落してしまいました。
現在の建物は、昭和9年(1934)6月に復興されたもので、江戸期のものと比較して一回り小さいものです。
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小峰橋(御茶壷橋)です。
江戸時代に小田原城三の丸の出入口としては、大手口と幸田口、箱根口があり、それぞれ大手門、幸田口門、箱根口門を設けていました。
南方の箱根口門から入場すると、この小峰橋を渡り、次に住吉橋を渡って入ることができます。
この橋の正式名称は小峰橋ですが、現在では御茶壺橋という名称で親しまれています。
江戸時代宇治から将軍家に茶を献上する際に、幕府は御茶壺道中という行列を仕立てて運搬しましたが、小田原城内には御茶壺を保管するための御茶壺蔵が設置されていました。その際、御茶壺がこの橋を往来したことにちなんで、御茶壺橋と呼ばれるようになったといわれています。

最後に女の子が御茶壺橋から鯉を眺めています。餌が貰えると思った真っ黒い鯉が女の子の下に集まってきています。この鯉ですが、どれも相当太くて大きいものばかりでした。

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