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日本古代史のミステリー 通説を覆せ!!
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桃太郎伝説と吉備の古墳
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土師氏(はじし)は古代の氏族。
天穂日命の末裔と伝わる野見宿禰が殉死者の代用品である埴輪を発明し、第11代天皇である垂仁天皇から「土師職(はじつかさ)」を、曾孫の身臣は仁徳天皇より改めて土師連姓を与えられたと言われている。古墳を作ったり葬送儀礼にも携わった。渡来系とする説もある。
凄いです・・・。
涙目C さんの御先祖様はきっとその辺の謎は全て御存じだったでしょうね・・・。
前方後円墳に、前方後方墳も今は気になりますね・・・。
吉備の特殊器台もですが、吉備の古墳はまだはっきりと解ってない事が多いみたいです・・・。
天穂日命の末裔の土師氏。。。。
この天穂日命を追いかけるのも面白いですね・・・
涙目C さんの大祖先です・・・・。
ロマンがありますわ(^_-)-☆
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千足古墳:「可能な限り回復を」 石室内の装飾劣化--文化庁視察 /岡山・・・・・こんなニュースが(*^_^*)
岡山県内唯一の装飾古墳として知られる国史跡「千足古墳」(北区新庄下)の石室内の石に刻まれた装飾の劣化が見つかり、
文化庁の文化財調査官2人が11日、現地を視察した。
現地調査を終えた調査官は、「価値ある文化財で深刻な状況が起きた。可能な限り回復に努めたい」と話した。
千足古墳は、国内で4番目に大きい造山古墳周辺にある古墳群の一つで、5世紀後半に造られた前方後円墳(全長約74メートル)。1921年に国史跡に指定された。
装飾の劣化は、10月に行われた岡山大の調査で石室内にたまった水を抜いた際にわかった。石室を仕切るついたての役割を果たす砂岩製の石障(横160センチ、高さ57センチ、厚さ10センチ)に描かれた直弧文の一部がはく落していた。直弧文は直線と弧線を組み合わせた模様で、呪術的な意味を持つとされる。九州でよく見られ、吉備と九州の関係を知る上で貴重という。石室は地下にあり、雨水などが侵入するため水がたまりやすい構造で、調査のため22年ぶりに抜いた。
岡山市教委によると、はく落の判明以降は数日おきに水をくみ出し、ビニールシートで古墳上部を覆っている。奈良文化財研究所(奈良市)に水と泥の分析を依頼するなど原因の解明を進めている。
文化庁古墳壁画室の建石徹・古墳壁画対策調査官は「写真ではわからない表面の細かな劣化が見られた。保存管理のための委員会発足に向けて協議したい」と話した -
桃太郎と言えば・・・吉備津彦・・・。
岡山の吉備津神社です。・・・
近くに吉備津彦神社もありますから、
間違えやすいので注意です・・・。
岡山県岡山市北区にある神社で式内社(名神大)、
備中国一宮および吉備総鎮守で、旧社格は官幣中社。
延喜式神名帳には吉備津彦神社(きびつひこのじんじゃ、きびつひこじんじゃ)とあり、かつては吉備津彦神社とも称していたが、現在は吉備津神社を正式名としている・・・。
あの桃太郎のお話のもととも云われる温羅退治のお話しが伝わっています。
それは、諸説ありますが大要は次のようなお話です。
『むかしむかし異国よりこの吉備国に空をとんでやってきた者がおりました。その者は一説には百済の皇子で名を温羅(うら)といい、目は狼のように爛々と 輝き、髪は赤々と燃えるが如く、そして身長は一丈四尺にもおよび腕力は人並みはずれて強く、性格は荒々しく凶悪そのものでありました。温羅は新山に城を築 き都へ向かう船や婦女子を襲っていたので、人々は温羅の居城を鬼の城と呼び恐れおののいていました。都の朝廷もこれを憂い名のある武将を遣わして討伐しよ うとしましたが、すばしこく変幻自在の温羅を誰も討伐できず都に逃げ帰る有り様でありました。そこで武勇の誉れ高い五十狭芹彦命が派遣されることになりま した。大軍を率いて吉備国に下って来られた命は吉備の中山に陣を敷き、片岡山に石盾を築き戦いの準備をしました。
ついに命は温羅と戦うことになりましたが、不思議なことに命が射た矢と温羅が投げた石が悉く空中で衝突し海に落ちてしまい苦戦を強いられることとなりま す。そこで命は考えをめぐらし一度に二矢を射ることができる強弓を準備させ、一度に二つの矢を射ることにしました。すると、一つの矢はいつものように海に 落ちてしまいますが、もう一つの矢はみごとに温羅の左目に突き刺さりました。温羅は驚愕し雉に姿を変え山中に逃げますが、命はたちまち鷹となって追いかけ ます。温羅は命に捕まりそうになると、今度は鯉に姿を変え、自分の左目から迸った血で川となった血吸川に逃げ込みます。命は鵜に変化し血吸川を逃げる温羅 を見つけ噛み上げついに捕まえることに成功します。捕まった温羅は命に降参して、人民から呼ばれていた吉備冠者を命に献上したので、これ以降命は吉備津彦 命と呼ばれることとなりました。』
北西の方角に鬼の城と呼ばれる朝鮮式の山城の石積が存在し現在も調査発掘がされています。また、命が射た矢と温羅が投げた岩が空中で衝突し落ち た処には矢喰宮があり、その脇には血吸川が流れ、血吸川を鯉となって逃げる温羅を噛み上げたところには鯉喰神社が現存します。他にも楯突遺跡、阿曽の郷、 鬼の岩屋など、この鬼退治の神話に所縁ある遺跡や神社が数多くあり訪れる人たちのロマンと冒険心を掻き立ています。
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埴輪は吉備が発祥の地らしいですね。
巻向の古墳も吉備の技術が投入されているようで、ヤマトとどう結びついたのかは重要ですね。
埴輪を発明・古墳製造に従事した豪族は、実は私の先祖なんです。古墳とかに興味があるのはDNAにあるかもしれません(笑
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