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御朱印放浪記(改元令和)
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ぎるでぃさん
2020/04/18
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令和元年度の記念御朱印っぽい辺りをまとめてみまして
・・(限定とかカラフルっぽいのとか)記念っぽくないのもまじっちゃったかもですが
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令和元年5月1日 明治神宮の次に 靖国神社へと行ってみました こちらも以前参拝したことがありますが うぃきによりますと ・・・ 幕末から明治維新にかけて功のあった志士に始まり、嘉永6年(1853年)のペリー来航(いわゆる「黒船来航」)以降の日本の国内外の事変・戦争等、国事に殉じた軍人、軍属等の戦没者を「英霊」として祀り、その柱数(柱(はしら)は神を数える単位)は2004年(平成16年)10月17日現在で計246万6532柱にも及ぶ(詳細は「祭神の内訳」を参照)。当初は祭神は「忠霊」・「忠魂」と称されていたが、1904年(明治37年)から翌年にかけての日露戦争を機に新たに「英霊」と称されるようになった。この語は直接的には幕末の藤田東湖の漢詩「文天祥の正気の歌に和す」の「英霊いまだかつて泯(ほろ)びず、とこしえに天地の間にあり」の句が志士に愛唱されていたことに由来する[9]。 本殿での祭神の神座は当初は1座であったが、1959年(昭和34年)に創建90年を記念して台湾神宮および台南神社に祀られていた北白川宮能久親王と、蒙彊神社(張家口)に祀られていた北白川宮永久王とを遷座合祀 ...出典:ぎるでぃさん
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令和元年5月2日 新しい元号になりましたことですし 初詣は明治神宮に行ってみましたが 二日目は 善光寺へと行ってみました こちらは以前にも来たことはありますけれども まずはうぃきによりますと ・・・ 善光寺(ぜんこうじ)は、長野県長野市元善町にある無宗派の単立寺院で、住職は「大勧進貫主」と「大本願上人」の両名が務める。日本最古と伝わる一光三尊阿弥陀如来を本尊とし、善光寺聖の勧進や出開帳などによって、江戸時代末には、「一生に一度は善光寺詣り」と言われるようになった。今日では御開帳が行われる丑年と未年に、より多くの参拝者が訪れる。 ・・・ となっていまして・・ 西国三十三所(番外) 坂東三十三箇所(番外) 秩父三十四箇所(番外) 西山国師遺跡霊場(客番) です ので・・こちらは坂東の三十三観音のお礼参りもありまして^^; この際一緒にと思っちゃってもいました 散り合えず北側の駐車場に車を停めて お参りをしましてから こちらでもそれなりの行列がありましたが・・ 40分ぐらいと前日に比べればまぁ・・(感覚麻痺 無事記帳もしていただきました あと限定の御朱印も出典:ぎるでぃさん
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令和元年5月2日 善光寺の次に 戸隠神社中社へと行ってみました こちらも以前来たことはあるのですが まずはうぃきによりますと ・・・ 中社(ちゅうしゃ):現在地への鎮座は寛治元年(1087年)、宝光社と同時期に阿智の祝部[1]が奥社の相殿として創建された。現在の祭神は天八意思兼命(あめのやごころおもいかねのみこと)で、天照大神が天岩戸に隠れたとき岩戸神楽(太々神楽)を創案し、岩戸を開くきっかけを作ったとされる神。知恵の神ともされる。境内周辺には樹齢約900年の三本杉があり天然記念物に指定されている。火之御子社の上1.5kmほど。旧中院。 ・・・ となっていまして・・ 流石に今回は依然と違いまして 駐車場が満杯で スキー場駐車場の方に案内されまして シャトルバスで移動を こちらから境内へ こちらの拝殿で参拝をしまして 無事記帳もしていただきました あと 御朱印帳も出典:ぎるでぃさん
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令和元年5月2日 戸隠神社・中社の次に 再びシャトルバスのお世話になりまして 奥社へと向かってみることに ・・・奥社の駐車場も満杯でしたし 昭を探す手間と 駐車料金のことも考えますと シャトルバスの方がお得感が^^; さてこちらも以前来たことはあるけれども こちらはうぃきによりますと ・・・ 九頭龍社(くずりゅうしゃ):祭神は九頭龍大神。奥社のすぐ下にあり境内社のようになっているが創建は奥社より古くその時期は明らかでない。地主神として崇められている。戸隠山には「戸隠三十三窟」といわれる洞窟が点在し、その「龍窟」にあたる。本殿から本殿右手上の磐座の上まで廊下が続いており、そこが「龍窟」となる。古くは雨乞い、縁結びの他、虫歯・歯痛にご利益があると言われていた。氏子の人によると戸隠の九頭龍大神は梨が好物だそうである。 ・・・ 奥社(おくしゃ):祭神は天手力雄命(あめのたぢからおのみこと)で、天照大神が隠れた天岩戸をこじ開けた大力の神。神話では天手力雄命が投げ飛ばした天岩戸が現在の戸隠山であるとされる。中社から車で2.5kmほど車道を登った後、まっすぐ続く約2kmの参道(車両進入 ...出典:ぎるでぃさん
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令和元年5月2日 戸隠神社・奥社・九頭龍社の次に 火之御子社へと行ってみました こちらも以前来たことはありますが さて・・うぃきによりますと ・・・ 火之御子社(ひのみこしゃ、日之御子社とも書く):創建は天福元年(1233年)。祭神は天鈿女命(あめのうずめのみこと)。他に高皇産霊命(たかみむすびのみこと)、その娘である栲幡千々姫命(たくはたちぢひめのみこと)、栲幡千々姫命の夫である天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)を祀る。天鈿女命は天照大神が隠れた天岩戸の前で面白おかしく踊って天照大神を誘い出すきっかけをつくったとされる女神。舞楽や芸能、また火防の神とされ、宝光社の上1.5kmほどの場所にある。なお、他の4社が神仏混淆であった時代も当社だけは一貫して神社であって、かつての顕光寺とは関係がない。 ・・・ となっていまして・・ こちらは駐車場が2~3台分しかなくって無人ですが なんとか^^;こちらから境内へ こちらの拝殿で参拝をしまして15:10 ・・次に宝光社へと こちらから境内へ こちらの拝殿で参拝をしまして 宝光社と火之御子社の御朱印を 無事記帳もしていただき ...出典:ぎるでぃさん
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平成31年4月27日と令和元年5月5日 宝徳寺に行ってみました こちらも以前来たことはあるのですが 平成ももう少しになっちゃっていましたので 平成の間にちょこっとお邪魔しに伺ってみようかなと 行ってみまして 早速御朱印を・・が・・・( ゚д゚)ハッ!これは 記念御朱印帳カッコいい♪と衝動買い ・・・と早速 こっちもかっこいい♪と・・記帳をお願いしつつ 平成のカウントダウン限定御朱印をお願いしまして(こちらは毎日日付分がカウントダウンしますが流石に毎日伺う気力もなく^^; 改元後の 令和元年5月5日再び訪問をしまして(元日には来れませんでしたが) 新元号制定記念御朱印を記帳していただきました 季節はもう夏ですのに未だにゴールデンウイークネタを薄く引っ張る・・(ネタ無いから出典:ぎるでぃさん
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平成31年4月27日と令和元年5月5日 崇禅寺へと行ってみました こちらも以前来たことは何度かありますけれども こちらもアートな感じの御朱印で有名なところですが ひっそりこっそり4月27日の改元前に こちらでも御朱印の新調と記帳のお願いをしちゃっていまして^^; 5月5日に再び訪問を この日は催し物がありましたけれども 厚かましく伺っちゃいまして^^; 4月限定 5月限定 端午の節句 を頂きました出典:ぎるでぃさん
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平成31年4月28日と令和元年5月5日 冠稲荷神社へと行ってみました こちらはうぃきによりますと ・・・ 冠稲荷神社(かんむりいなりじんじゃ)は、群馬県太田市細谷町にある神社である。日本七社(日本七稲荷)の一つを称する[1]。 ・・・ となっていまして・・ まずは4月27日に訪問しまして こちらから境内へ 案合図を眺めましてから とぼとぼと こちらの拝殿で参拝をしまして まずは平成の限定御朱印を頂きまして 月は変わり元号も変わり 5月5日再び訪問をしまして 参拝もしまして 令和の限定御朱印を頂いて お隣に貼ってささやかな幸福感と この日は端午の節句ですので 限定のこちらも記帳もしていただきました出典:ぎるでぃさん
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平成31年4月29日と令和元年5月5日 中之嶽神社へと行ってみました こちらも以前来たことはあるのですが うぃきによりますと ・・・ 妙義山の南麓に鎮座する轟岩(とどろきいわ)を神体とする巨岩信仰の神社である。轟岩に隣接して拝殿が建立されており、本殿を持たない社殿形式となっている。 境内には、中之嶽大国神社があり、平成17年(2005年)には金色の日本一大きい大黒像(高さ20m、重さ8.5t)が鎮座している。大国主命(大黒天)を祭り、子の神様であるので甲子園にあやかりたい野球チームの参拝もあり、野球の神様としてお守りも置いてある。 また、境内には神社が経営する中之嶽ドライブインがあり、お土産の購入や食事ができる。 ・・・ となっていまして・・ まずは4月29日に 車を置いて 年季の入った 案内図と 宣伝 さて まだ桜が♪と季節感 さてこちらから境内へ とぼとぼと まずはこちらの社殿と こちらの怖い石段を上りまして こちらでも参拝をしまして 御朱印と 平成限定御朱印と昭和の日限定御朱印を記帳もしていただき そして・・ 5月5日にも訪問しま ...出典:ぎるでぃさん
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平成31年4月30日と令和元年5月5日 御菊稲荷神社へと行ってみました こちらも以前来たことはあるのですが 改元記念の限定の御朱印があるそうなので こちらで参拝をしまして 記念の御朱印は書置きでしたのでそちらを頂きまして ・・・こっそり御朱印帳を預けまして・・・ 後日再び参拝に訪問しまして こちらの 限定の御朱印も記帳していただきました出典:ぎるでぃさん
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平成31年4月30日と令和元年5月6日 大洞赤城神社へと行ってみました こちらは何度か訪問していますところですが 平成も最後の日ですので 馴染みの所で締めたいかなと思って 上ってみましたら 絶賛雨・・・ 橋も通行止め;; でもめげずに参拝をしまして 無事記帳・・・いつもと書式がちょっと違う気がしますが していただきまして 月は変わり元号も変わりまして 令和元年5月5日 再び赤城神社へ 今度は雨にも降られずに無事参拝をしまして 限定御朱印も頂きました(書置きの限定御朱印のみで直書きの通常の御朱印は扱っていませんでした^^;出典:ぎるでぃさん
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令和元年5月5日 中之嶽神社の次に 妙義神社へと行ってみました こちらも何度か訪問したことはありますが 中之嶽神社で御朱印の記帳を待っている時に ふと・・ほかの方の御朱印帳が目に入りまして あ・・れ?・・・なんか私の知っている榛名神社の御朱印と違う見慣れない印が押してある!? ぢゃぁ・・榛名神社へも行ってみようかな とか思いまして ( ゚д゚)ハッ!・・・もしかして妙義神社も? と感じまして 早速参拝♪(また思い付きで。。 さてこちらもうぃきによりますと ・・・ 上毛三山の一つである妙義山の東麓に鎮座し、妙義山信仰の中心となっている神社である。江戸時代は関東平野の北西に位置し、江戸の乾(戌亥)天門の鎮めとして、家運永久子孫繁昌を願って歴代の徳川将軍家に深く信仰された。 近年は、たびたび大河ドラマのロケ地として使用されている。2005年の「義経」における鞍馬寺、2009年の「天地人」における雲洞庵のシーン撮影は、当社で行われた。 2007年の台風による土砂崩れで一部被害が出たために修復が必要となったため、本殿に繋がる階段以降は立ち入り禁止となった際は、波己曽社殿を仮 ...出典:ぎるでぃさん
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令和元年5月5日 妙義神社の次に 榛名神社へと行ってみました こちらも何度か訪問していますおなじみの神社ですが 中之嶽神社で御朱印の記帳を待っている時に ふと・・ほかの方の御朱印帳が目に入りまして(暇なときとか結構気になってチラチラ見ていたりしますが ・・・なんか私の知っている榛名神社の御朱印と違う!? とか気になっちゃって訪問してみた次第 さて いつものようにうぃきによりますと ・・・ 赤城山・妙義山と共に上毛三山の一つとされる榛名山の神を祀る神社で、現在の主祭神は火の神・火産霊神と土の神・埴山姫神である。水分神・高靇神・闇靇神・大山祇神・大物主神・木花開耶姫神を合わせ祀る。 中世以降は「満行権現」と称され、「元湯彦命」が祭神とされていた。『榛名山志』には東殿・饒速日尊、中殿・元湯彦命、西殿・熟真道命と記されている。明治元年に現在の二柱に改められた。 ・・・ となっていまして 今回は こちらから 境内へ とぼとぼと 拝殿で参拝をしまして 無事記帳・・ゴールデンウィーク中は書置きでの対応らしいので書置きでしたが 頂けました出典:ぎるでぃさん
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令和元年5月6日 群馬県内は太田の世良田町に鎮座しています 八坂神社へと行ってみました こちらはうぃきが見つからないので 某ホムペによりますと ・・・ 当社の由緒は古く、上野国新田祇園牛頭天王縁起によると、貞観十八年(八七六年)丙申に上野新田のほとりに、 社を作らば静まるべしと、当所に鎮め奉る。 建武の頃、新田・足利両家の尊崇あり、新田の天王と称す。 人皇六十四代円融院の御時天禄元年(九七〇年)に、 都八坂の祇園社で、祇園祭を行い給いしより、 天禄三年(九七三年)に当社も祭礼として行われた。 世良田政義の娘と尹良親王との間に生まれた、 良王が津島天王社の神主になり。 正保年間(一六四四~一六四八年)に尾張津島天王社から当社に分霊した。永禄日記(長楽寺文書)に天王マツリヲイタスとあり、引き屋台を運行し、神興渡御を行う。 厄除け、方位除けの神として信仰を集め、各地に分社が作られた。 明治の神仏分離の際、神宮寺は廃寺になり、社名を八坂神社とした。 ・・・ となっていまして・・ こちらから とぼとぼと こちらの鳥居をくぐりまして境内へ こちらの拝殿で参拝をしまして 無事 ...出典:ぎるでぃさん
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8月10日 金峯神社の次に 出羽神社へと行ってみました さていつものようにうぃきによりますと ・・・ 出羽神社(いではじんじゃ)は山形県の羽黒山山頂に鎮座する神社である。式内社で、旧社格は国幣小社。 ・・・ となっていまして こちらも以前来たことはあるのですが 今回は月山にチャレンジして出羽三山の御朱印を並べてみたいなとも思う欲もありまして(あと東照宮めぐりの御朱印帳にも記帳したいですし 改めて参拝に来て見ました また前回と同じような雨上がりの天候でしたが とりあえず・・ 東照社と 霊祭殿と 翌日の月山の登山の安全祈願もありますし 三神合祭殿とで参拝をしまして 無事記帳していただきました あと 今回は三山の御朱印を並べたいなぁとの欲もありましたので 記念御朱印帳も出典:ぎるでぃさん
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8月11日 出羽神社の後 いよいよ月山神社への登山をもくろむために 一旦八合目の駐車場で車中泊をしまして 翌朝 早起きをしまして早速登山開始 安全祈願も兼ねまして 道中の御田原参篭所にあります 御田原神社で 道中の安全祈願をしまして あと朝早いにもかかわらず(AM5:30)記帳もしていただきました出典:ぎるでぃさん
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8月11日 なぜ、山にのぼるのか。 ・・・・・・・・・。 そこに、御朱印があるから^^; いゃまったく・・・・(酷い理由ですな 毎年 盆休みはエアコンの利いたお部屋に引きこもって高校野球観戦かゲーム(外は大概混んでいますし)ですのに 今年に限って 「私、今年の夏は山に登ってきます♪」 なぁんて行ってみた日には 皆Σ(・ω・ノ)ノ!さ (ちなみに私もびっくりさ) そんなこんなで・・ 御田原神社の次に いよいよ本番の登山を開始しまして 何とか無事に今回の一番の目的地でもある 月山神社へとたどり着くことができました(大体三時間位)(本当にたどり着いちゃいましたよ^^;) 結構眺めは良かった記憶は朧げにありますが 如何せん色々余力が乏しい^^; ・・まぁ・・もっとゆっくり休憩して行動すればまた違った展開だったかもですが 思えば遠くに来たものだ(場所違う) 正直御朱印に興味を持たなけれ(そして改元の奉祝でなければ)ばここまで来ることはなかっただろうと強く思う(動機が不純 こちらはうぃきによりますと ・・・ 月山神社(がっさんじんじゃ)は山形県の月山山頂(標高 1,984m ...出典:ぎるでぃさん
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8月11日 月山神社の次に 湯殿山神社へと行ってみました こちらはうぃきによりますと ・・・ 湯殿山神社(ゆどのさんじんじゃ)は山形県鶴岡市田麦俣の湯殿山山腹に鎮座する神社である。旧社格は国幣小社、現在は別表神社。 ・・・ となっていまして こちらも以前来たことはあるのですが 羽黒山・月山と行ってきましたので こちらにも再訪してきました では こちらから境内へ(ここから先は撮影禁止) が・・すでに足腰が悲鳴を上げていまして 杖頼みに何とか参拝もしまして 無事記帳していただきました あとこちらの御朱印も そして流石に一晩で体力(と膝)が回復しきれるとも思えないほど消耗しきっちゃったので ここまでで・・山形県から群馬へと撤退しました ちなみに帰りのSAでトイレに行くのも泣きが入る情けない状態に;; さて・・今回の月山が為に購入した山登り初期装備・・用済みにするにはちともったいないお化けが?(といっても靴とかリュックとかストックとか雨具ぐらいですが) でもアウトドアは柄では・・(体力もへなちょこなのが痛感ですしね出典:ぎるでぃさん
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10月12日 大日寺跡湯殿山神社の次に 里之宮 湯殿山神社 へと行ってみました こちらはうぃきが見つからなかったので 某ホムペの御由緒によりますと ・・・ 明治9年、初代山形県令三島通庸は、県庁舎の建設の地を山形市旅篭町の万日河原 と定め、出羽三山の奥の宮国幣小社湯殿山本宮の口之宮本導寺湯殿山神社より分霊 を勧請、旅篭町雁島に祀りました。 翌明治10年11月、県庁舎が完成開庁すると、周辺には師範学校、警察本部、郡役所、 銀行などが次々と建ち、雁島の湯殿山神社は県庁のみならず、山形中心部の鎮守と仰 がれるようになりました。 明治12年には県社に列せられ、明治25年旅篭町の秋葉山神社を合祀、さらに後年黄 金山神社を合祀してますます信仰を集めてきました。 明治44年山形市でおきた大火のために、焼失。本殿が仮拝殿とともに新たに完成した のは大正4年、拝殿が完成したのは昭和11年のことでした。 昭和54年9月、山形市より新庁舎建築のため湯殿山神社移転の要請をうけ、翌11月 湯殿山移転建設委員会が発足。56年9月には地鎮祭が行われ、着工以来1年7ヶ月現 在地に新社殿、末社市神神社、 ...出典:ぎるでぃさん
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10月12日 豊烈神社の次に 歌掛稲荷神社へと行ってみました こちらもうぃきが見つからなかったので 某ホムペによりますと ・・・ 当社は元和4年(1618年・江戸前期)に、前身であられた五佛山吉祥院という寺院が、神仏習合によって京都伏見より勧進されたお稲荷様をお祀りしたことから歌懸稻荷神社がご鎮座されるようになりました。当時は山形城下・稲荷口(現在の山形駅付近)にご鎮座なされていた寺院。お参りに来られた方々は歌を奉納するという習慣がございました。なぜなら、付近には歌を読まなければ渡ることが許されない橋があったからです。 当社に資料として残されている『奉加帳』の御由緒の項にはこのように記されております。「往古社前に土橋アリテ稲荷橋ト名ツケ和歌讀ミテ其ノ橋ヲ渡リタルニ起レリ」と。 こういった歌を奉納する人々の習慣が「歌懸」の名が生まれた由来であると思うのです。 ・・・ となっていまして まずはこちらから境内へ こちらの拝殿で参拝をしまして 無事記帳していただきました せっかくですので こちらも出典:ぎるでぃさん
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10月13日 諏訪神社の後・いつもの様に某SAで車中泊をしまして翌朝 戸澤神社へと行ってみました こちらもうぃきが見つからなかったので 某ホムペの御由緒によりますと ・・・ 新庄藩主戸澤家の始祖 戸澤飛彈守衡盛公及び新庄移封当時の藩主 戸澤右京亮政盛公の霊を奉祀するため旧領民が創建した神社で明治27年5月に鎮座創立される。大正3年1月贈従二位戸澤正實公祭神加列を許可され合祀する。同年8月29日県社に列せられ、神饌幣帛料供進神社に指定せられる。 戸澤衡盛公は戸澤家の始祖にして鎮守府将軍 平貞盛の裔正盛の孫である。初め大和国吉野郡尾輪の里に住する。治承元年奥羽岩手滴占荘戸澤郷に転住し始祖したるにより家祖たり。 戸澤右京亮政盛公は中興の英主であり新庄藩祖である。慶長七年仙北郡角館より常州松岡に移封、元和八年十月羽州最上群真室郷鮭延城に転封し、さらに村山郡の内二萬石を加俸し総禄六萬石を賜る。正盛公移封以来武備を整え農工商を督励し、荒無地を開拓し植林及び山林保護の制度を励行し、産馬法を制約し又道路溝渠河川を改修して交通水利を整え、常に士民を撫血し老を養い幼を育し大いに国利明福を ...出典:ぎるでぃさん
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10月14日 總宮神社の次に 熊野大社へと行ってみました こちらは以前にも参拝に訪れたことはあるのですが なんとなく近くまで来ましたので今回も参拝してみようかなと 来て見たら どうにもこの日は 菊祭りな御様子 手水所も いつもと違う華やかさ さて参道をとぼとぼと歩みまして 今回は境内に枯葉でウサギ模様に♪ さて 今回も こちらの拝殿で参拝をしまして 無事記帳していただきました あと 記念御朱印も♪出典:ぎるでぃさん
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10月19日 少し長めな連休(4日分)をとれたのでちょこっとばかし頑張って 西国の方に行ってみまして 京都の豊国神社に来て見ました こちらは以前にも訪問しましたが 近くに来ましたし 早速こちらから 境内を散歩 再びこちらで参拝をしまして 丁度前回の時のお隣に 無事記帳していただきました(今回は前回とちょっと(?)違いますね 並べてみますとほぼ去年も似たような時期に^^; 基本的な行動パターンは一緒なのか? あとは 記念で限定な特別っぽい御朱印(書置き)も出典:ぎるでぃさん
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10月20日 出石神社の次に 如意寺へと行ってみました こちらはうぃきによりますと ・・・ 寺の縁起によれば、天平年間(8世紀)、行基が当地に滞在していた時、山上より霊火が出て海に入り、また海より出て山に昇る奇瑞を見て、漁師に網を引かせたところ、如意宝珠が得られたという。そこで行基は伽藍を建立して如意宝珠を納め、宝珠山如意寺と号したとされる[1]。本尊は行基の一刀三礼三年と伝えられる十一面観世音菩薩である。 鎌倉時代後期の永仁3年(1295年)、伏見天皇は正四位行左馬頭藤原定成を勅使として「如意寺」の勅額を下賜した[2]。当時は寺領500石、院家十二坊の伽藍を有していたが、応永34年(1427年)の兵火で多くを焼失した。しかし、戦国期の天文、江戸時代の寛文・寛延・寛政、また明治後期に復興事業が行われ、今日に至っている。現在の伽藍は、1963年(昭和38年)より旧地の観音山(久美浜湾西岸)から末寺大円寺跡である飛地境内地に順次移転したものである。 ・・・ となっていまして 関西花の寺二十五カ所7番 丹波西国第7番 です でわでわ こちらの仁王門から境内へ 不動堂と ...出典:ぎるでぃさん
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10月22日 白鬚神社の後 ・・・また某道の駅で車中泊しまして。。。(貧乏旅行だなぁ^^;) 翌朝 賀茂別雷神社へと行ってみました この日は 即位礼正殿の儀があったから・・では無くて まぁ・・たまたま近くに来ていましたしこちらは朝早くから参拝できますから ・・的な 今回(も)割と軽いノープラン気味な理由で^^; さてこちらは以前にも訪問したことはあるのですが では 早速ほぼ一年ぶりに 今回は 以前とは違うカメラ新調 なので すこちはちがうかなと気負ってはみましたが あまり変わらないかな?自己満足範疇かな。。撮影者が修行中^^: ともあれ 参拝をしまして 無事記帳していただきました せっかくですので記念の御朱印も♪出典:ぎるでぃさん
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10月22日 貴船神社の次に 下鴨神社へと行ってみました こちらも以前訪問したことはありますが 今回も行ってみました 今回はクルマで来ましたので駐車場に停めてから こちらの楼門から境内へ とぼとぼと 無事参拝をしまして 中ではお仕事が始まっていましたが 無事記帳していただきました あと せっかくですので記念御朱印も出典:ぎるでぃさん
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11月10日 群馬県甘楽郡に鎮座しています 小幡八幡神社へと行ってみました こちらはうぃきが見つからなかったので とりあえず・・ 代案^^; まぁ・・さて こちらから境内へ とぼとぼと 早速こちらの拝殿で参拝をしまして 御朱印を なんか沢山欲張っていただきました出典:ぎるでぃさん
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11月29日 月の最終金曜日がお仕事お休みになったので 岐阜県の方に最終金曜日限定の御朱印がありまして(金色がポイントになるのかな)・・ちょこっとばかし気になっていましたので 岐阜県へと行ってみまして まずは 岩戸弘法弘峰寺へと こちらはうぃきが見つからなかったので 某ホムペによりますと ・・・ 昭和28年から建立を発願され、岩戸公園内にて昭和41年11月28日に完成したお寺とのこと。正式名称【瑞暁山弘峰寺】という。 ・・・ とのことで 公園側は紅葉が見頃かな♪とか思いつつ こちらの本堂でお参りをしまして 無事限定御朱印を記帳していただきました出典:ぎるでぃさん
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11月29日 弘峰寺の次に 岐阜信長神社へと行ってみました こちらは 橿森神社の境内に摂社としてありまして そちらのうぃきによりますと ・・・ 御祭神:贈太政大臣正一位織田信長公 京都の建勲神社から明治時代に勧請された。 2018年6月から毎月最終金曜日に金文字で書かれた御朱印が授与される。 ・・・ となっております さて・・・ こちらから とぼとぼと 境内をうろつきまして こちらの拝殿で参拝をしまして 無事に限定御朱印を記帳していただきました出典:ぎるでぃさん
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11月29日 岐阜信長神社の次に 金神社へと行ってみました こちらはうぃきによりますと ・・・ 金神社(こがねじんじゃ)は、岐阜県岐阜市にある神社である。国史見在社で旧県社。 鎮座地は岐阜市の中心部に位置し、古くから金運、財運に利益があるとされる。また、付属施設である金会館は地域の交流の場として利用されている。 ・・・ となっていまして 今回の最終金曜日限定御朱印の第一目標なのですが この日は考えることは皆同じな感じな長蛇な列で^^; ようやっと鳥居の所までたどり着いたころにはもうお昼もとうに過ぎてお腹もすいたころ合いで こちらから境内へ ぞろぞろと 参拝をしまして 無事記帳していただきました あとはせっかくですので記念にとも 金ぴかな御朱印帳を出典:ぎるでぃさん
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