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まとめ記事(コンテンツ)
kumayuさん
2012/06/16
鞆の浦散歩
昨日6月15日は有給消化のためお休み。
ということで、車中泊の街歩きツアーに行ってきました。
今回向かった先は広島県。まずは福山市の鞆の浦を歩いたお話からです。
前日、帰宅して夕飯後、そそくさと荷物をまとめて出発。
名神~阪神高速~国道2号線バイパスを経て、姫路を過ぎてから山陽道に乗って途中のSAで仮眠。
7時前になるとすっかり太陽も上がり、車内が暑くなって目が覚めます。
ここで朝食を、と思うも、豚汁定食や朝定食など、私の好きな朝の定番メニューが650~700円前後とかなりお高め。
そのまま次のPAまで移動して朝定食にします。こちらは魚に納豆に卵までついて500円台でお得でした
。
福山東ICで降りて鞆の浦へ。
去年の夏、四国の街歩きへ行く途中にも福山に立ち寄ったのですが、その時は予期せぬ花火見物ができたかわりに鞆の浦に行くことを諦めた経緯があります。まあ、あの時は夜でしたから、行ったとしても歩いて回ることはできませんでしたが。
市街地を過ぎて、しばらく走ると道はやがて海沿いを走り、鞆の浦の観光センターが見えてきました。
観光センター近く、弁天島を望む駐車場に車を停めます(トップ写真)
観光センターをのぞくと、まだ朝早いのに修学旅行らしき中学生で賑わっています。広島を巡って、鞆の浦に立ち寄ったのでしょう。ここからの街歩きは、この修学旅行生の子達とあちこちですれ違うことになります。
ここで観光マップをもらって街歩き開始。
鞆の浦は、万葉の昔から、潮流の関係で、瀬戸内海を行き交う船が潮待ちのために停泊したことでにぎわった港町で、穏やかな港とさして大きくないところに大小さまざまの神社仏閣が集まっていて、美しい景観を作っています。
10年以上前、ドライブラリー「PDQM」でコースの一部として通ったことがあり、その時の落ち着いた街並みがずっと記憶に残っていて、いつか訪れたい街の1つでした。


このような白壁に挟まれた細い路地など、いきなりいにしえの世界に迷い込みます。
そんな中で、地元の人達は路地に野菜などを広げて売っていたり、散策途中で元気に談笑したりしていました。「今ニュース速報でやっていたよ・・・」という声が聞こえたので何事か、と思ったら、どうやら例のオウム特別手配容疑者が捕まったようです。

人々の息遣いを感じながら歩く、まさに街歩きの醍醐味が味わえる街です。

こちらの土壁造りの家は、隣の信用金庫の駐輪場として使われているようです。

対潮楼へと続く石段。

対潮楼・福禅寺。
坂本龍馬が「いろは丸事件」の時に相手方と交渉したのがこちら。このあたりは、龍馬ゆかりの史跡も数多く残っています。

鞆の浦特産の薬用酒、「保命酒」の醸造、販売をしています。

鞆の浦港。正面に、鞆の浦のシンボル的存在である常夜燈と、「いろは丸展示館」が見えます。
医王寺へ。ここからは、鞆の浦全体を見渡すことができる、とのこと。

このような急坂をえっちらおっちら登っていきます。
坂の途中で、件の修学旅行生のグループとすれ違います。すれ違いざま、1人の子が私に「今何時ですか?」と聞いてきました。時刻を教えると元気よく「ありがとうございました」とお礼を返してくれた後、他の子たちと、「まだ1時間もあるけどどうする?」などと話しながら去っていきます。
私には非常に魅力のある街ですが、中学生くらいの子からしたら、ちょっと時間を持て余し気味になるのかもしれません。

医王寺から望む、船が盛んに行き交う港と、その向こうに浮かぶ瀬戸内の島々。
見通しが良い日には、四国の街や山々も見渡すことができるそうです。いかにものんびりとした光景で、暫くここで佇んでしまいました。
再び街中へ。
街の中を走る道はどこも狭いのですが、交通量は多めで頻繁にクルマが走っています。

道路上にはあちこちに「譲り合って通行してください」の標識があります。
歩いていても、狭い箇所でクルマがやってくると、こちらが止まってよけないと通ることができなかったりします。
「鞆の津の商家」前。

ここでも、狭い路地をこのようにクルマが列をなして走っていました。
歩くこと2時間あまり、最後に海沿いを歩きながら駐車場に戻ります。
仙酔島と鞆の浦を結ぶ「平成いろは丸」がやってきました。

良いタイミングで、鞆の浦らしい1枚を撮ることができました
ということで、初めて歩く鞆の浦ですが、まさに街中が博物館のように旧き良き昔ながらの風景が広がる、美しい街並みと港でした。
しかし、ここは博物館ではなく、今も穏やかに暮らす人達の生活の営みも垣間見ることができます。
穏やかな港の風景を後に、次の街へ向かったのでした。
ということで、続きはこの後・・・
ということで、車中泊の街歩きツアーに行ってきました。
今回向かった先は広島県。まずは福山市の鞆の浦を歩いたお話からです。
前日、帰宅して夕飯後、そそくさと荷物をまとめて出発。
名神~阪神高速~国道2号線バイパスを経て、姫路を過ぎてから山陽道に乗って途中のSAで仮眠。
7時前になるとすっかり太陽も上がり、車内が暑くなって目が覚めます。
ここで朝食を、と思うも、豚汁定食や朝定食など、私の好きな朝の定番メニューが650~700円前後とかなりお高め。
そのまま次のPAまで移動して朝定食にします。こちらは魚に納豆に卵までついて500円台でお得でした
。福山東ICで降りて鞆の浦へ。
去年の夏、四国の街歩きへ行く途中にも福山に立ち寄ったのですが、その時は予期せぬ花火見物ができたかわりに鞆の浦に行くことを諦めた経緯があります。まあ、あの時は夜でしたから、行ったとしても歩いて回ることはできませんでしたが。
市街地を過ぎて、しばらく走ると道はやがて海沿いを走り、鞆の浦の観光センターが見えてきました。
観光センター近く、弁天島を望む駐車場に車を停めます(トップ写真)
観光センターをのぞくと、まだ朝早いのに修学旅行らしき中学生で賑わっています。広島を巡って、鞆の浦に立ち寄ったのでしょう。ここからの街歩きは、この修学旅行生の子達とあちこちですれ違うことになります。
ここで観光マップをもらって街歩き開始。
鞆の浦は、万葉の昔から、潮流の関係で、瀬戸内海を行き交う船が潮待ちのために停泊したことでにぎわった港町で、穏やかな港とさして大きくないところに大小さまざまの神社仏閣が集まっていて、美しい景観を作っています。
10年以上前、ドライブラリー「PDQM」でコースの一部として通ったことがあり、その時の落ち着いた街並みがずっと記憶に残っていて、いつか訪れたい街の1つでした。


このような白壁に挟まれた細い路地など、いきなりいにしえの世界に迷い込みます。
そんな中で、地元の人達は路地に野菜などを広げて売っていたり、散策途中で元気に談笑したりしていました。「今ニュース速報でやっていたよ・・・」という声が聞こえたので何事か、と思ったら、どうやら例のオウム特別手配容疑者が捕まったようです。

人々の息遣いを感じながら歩く、まさに街歩きの醍醐味が味わえる街です。

こちらの土壁造りの家は、隣の信用金庫の駐輪場として使われているようです。

対潮楼へと続く石段。

対潮楼・福禅寺。
坂本龍馬が「いろは丸事件」の時に相手方と交渉したのがこちら。このあたりは、龍馬ゆかりの史跡も数多く残っています。

鞆の浦特産の薬用酒、「保命酒」の醸造、販売をしています。

鞆の浦港。正面に、鞆の浦のシンボル的存在である常夜燈と、「いろは丸展示館」が見えます。
医王寺へ。ここからは、鞆の浦全体を見渡すことができる、とのこと。

このような急坂をえっちらおっちら登っていきます。
坂の途中で、件の修学旅行生のグループとすれ違います。すれ違いざま、1人の子が私に「今何時ですか?」と聞いてきました。時刻を教えると元気よく「ありがとうございました」とお礼を返してくれた後、他の子たちと、「まだ1時間もあるけどどうする?」などと話しながら去っていきます。
私には非常に魅力のある街ですが、中学生くらいの子からしたら、ちょっと時間を持て余し気味になるのかもしれません。

医王寺から望む、船が盛んに行き交う港と、その向こうに浮かぶ瀬戸内の島々。
見通しが良い日には、四国の街や山々も見渡すことができるそうです。いかにものんびりとした光景で、暫くここで佇んでしまいました。
再び街中へ。
街の中を走る道はどこも狭いのですが、交通量は多めで頻繁にクルマが走っています。

道路上にはあちこちに「譲り合って通行してください」の標識があります。
歩いていても、狭い箇所でクルマがやってくると、こちらが止まってよけないと通ることができなかったりします。
「鞆の津の商家」前。

ここでも、狭い路地をこのようにクルマが列をなして走っていました。
歩くこと2時間あまり、最後に海沿いを歩きながら駐車場に戻ります。
仙酔島と鞆の浦を結ぶ「平成いろは丸」がやってきました。

良いタイミングで、鞆の浦らしい1枚を撮ることができました

ということで、初めて歩く鞆の浦ですが、まさに街中が博物館のように旧き良き昔ながらの風景が広がる、美しい街並みと港でした。
しかし、ここは博物館ではなく、今も穏やかに暮らす人達の生活の営みも垣間見ることができます。
穏やかな港の風景を後に、次の街へ向かったのでした。
ということで、続きはこの後・・・
Posted at 2012/06/16 19:50:18
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