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- 【2024年初夏 遠征記その2】薩摩半島ドライブ中編 ~知覧散歩~
まとめ記事(コンテンツ)
kumayuさん
2024/07/12
【2024年初夏 遠征記その2】薩摩半島ドライブ中編 ~知覧散歩~
その1 からの続きです。
指宿スカイラインを快調に走り抜け、知覧ICからはr23を走ること15分ほどで、私が前から訪れてみたかった街の一つ、知覧の街並みが見えてきました。
今は南九州市の一部となっている知覧町、薩摩藩の外城のひとつである知覧城の城下町です。また、第2次大戦時にはここに設けられた知覧飛行場が、特別攻撃隊(特攻隊)の拠点となったことでも知られています。
まず向かったのは「知覧特攻平和会館」。
かつて知覧飛行場があった場所の一部が、知覧平和公園、という公園になっていて、その中にこの「知覧特攻平和会館」をはじめとした特攻隊ゆかりの施設や遺構、更には球技場や体育館などのスポーツ施設も設けられています。

特攻勇士の像「とこしえに」。横の飛行機は、航空自衛隊で使用されていた「T-3」練習機。

こちらには、福岡県の太刀洗陸軍飛行学校の分教場がありました。その時の門柱。
説明書きによると、その後飛行学校は私の地元近く、岐阜各務原に移転されたそうです。

三角兵舎。出撃を直前に控えた隊員たちが泊まった兵舎が復元されています。内部も当時の様子が再現されていて、布団と枕が整然と並べられています。
出撃を控え、ここで何を語り、何を思ったのでしょう・・・
平和観音堂にお参りした後、特攻平和会館を見学。
館内の撮影は禁止ですので写真はありません。
平日にもかかわらず、見学者の多さに驚きました。それも、団体はなく、みな個人で訪れている人ばかり、というのが印象的です。
出撃していった若い隊員たちの手紙や遺品を拝見し、そのメッセージを自分なりに受け止めようとじっくり見て回ります。
視聴覚室では、ある隊員たちの逸話が30分ほどの短編映像で上映されていましたのでそちらも鑑賞・・・気が付いたら、予定していた時間を大きく過ぎていました。
受け止め方は様々だとおもいますが、こういう事実があった、ということに関心を持ち続ける、ということが大事だと思います。
時季柄、始まったばかりのセミ時雨のほかに何も聞こえない静かな園内を、クルマに戻ります。
ここから少し戻り、武家屋敷群を巡ります。
先述の通り、薩摩藩は国内の防衛や鹿児島に武士が集中するのを防ぐため、各地に外城を設け、そこに武士たちを分散して住まわせていました。
知覧もそのひとつで、知覧城の城主、佐多氏は室町時代からこの辺りを領有、薩摩藩の中でも重責を担っており、特別に島津姓を名乗ることも許されていたそう、その知覧城を中心に武家屋敷群が広がっています。

石垣と生垣がまっすぐに続く道。観光客の姿はわずかで、静かな街並みを散策します。

武家屋敷ごとに、それぞれに趣向を凝らした7つの庭園があります。
時間が押していて、中までしっかり見学できなかったのが残念。

二ツ屋民家。その名の通り2棟の家屋をつなげた造りで、ここ知覧周辺でしか見られなかった形状とのことです。

石敢當。
以前、大分臼杵を街歩きした時にもありました。丁字路や2手に分かれる道の分岐点に置かれる魔除けの石碑です。沖縄、九州に多く存在しています。
歩いていると、雨がポツポツと振り出したかと思うとすぐに強い降りに。
クルマを降りる際、もしやと思って傘を持参したのが正解。

雨の街並みの中、駐車場に戻ります。
今回の旅で行きたかった特攻平和会館と知覧の街は、自身の胸の中にいつまでも残ることでしょう。
その3 に続きます。
指宿スカイラインを快調に走り抜け、知覧ICからはr23を走ること15分ほどで、私が前から訪れてみたかった街の一つ、知覧の街並みが見えてきました。
今は南九州市の一部となっている知覧町、薩摩藩の外城のひとつである知覧城の城下町です。また、第2次大戦時にはここに設けられた知覧飛行場が、特別攻撃隊(特攻隊)の拠点となったことでも知られています。
まず向かったのは「知覧特攻平和会館」。
かつて知覧飛行場があった場所の一部が、知覧平和公園、という公園になっていて、その中にこの「知覧特攻平和会館」をはじめとした特攻隊ゆかりの施設や遺構、更には球技場や体育館などのスポーツ施設も設けられています。

特攻勇士の像「とこしえに」。横の飛行機は、航空自衛隊で使用されていた「T-3」練習機。

こちらには、福岡県の太刀洗陸軍飛行学校の分教場がありました。その時の門柱。
説明書きによると、その後飛行学校は私の地元近く、岐阜各務原に移転されたそうです。

三角兵舎。出撃を直前に控えた隊員たちが泊まった兵舎が復元されています。内部も当時の様子が再現されていて、布団と枕が整然と並べられています。
出撃を控え、ここで何を語り、何を思ったのでしょう・・・
平和観音堂にお参りした後、特攻平和会館を見学。
館内の撮影は禁止ですので写真はありません。
平日にもかかわらず、見学者の多さに驚きました。それも、団体はなく、みな個人で訪れている人ばかり、というのが印象的です。
出撃していった若い隊員たちの手紙や遺品を拝見し、そのメッセージを自分なりに受け止めようとじっくり見て回ります。
視聴覚室では、ある隊員たちの逸話が30分ほどの短編映像で上映されていましたのでそちらも鑑賞・・・気が付いたら、予定していた時間を大きく過ぎていました。
受け止め方は様々だとおもいますが、こういう事実があった、ということに関心を持ち続ける、ということが大事だと思います。
時季柄、始まったばかりのセミ時雨のほかに何も聞こえない静かな園内を、クルマに戻ります。
ここから少し戻り、武家屋敷群を巡ります。
先述の通り、薩摩藩は国内の防衛や鹿児島に武士が集中するのを防ぐため、各地に外城を設け、そこに武士たちを分散して住まわせていました。
知覧もそのひとつで、知覧城の城主、佐多氏は室町時代からこの辺りを領有、薩摩藩の中でも重責を担っており、特別に島津姓を名乗ることも許されていたそう、その知覧城を中心に武家屋敷群が広がっています。

石垣と生垣がまっすぐに続く道。観光客の姿はわずかで、静かな街並みを散策します。

武家屋敷ごとに、それぞれに趣向を凝らした7つの庭園があります。
時間が押していて、中までしっかり見学できなかったのが残念。

二ツ屋民家。その名の通り2棟の家屋をつなげた造りで、ここ知覧周辺でしか見られなかった形状とのことです。

石敢當。
以前、大分臼杵を街歩きした時にもありました。丁字路や2手に分かれる道の分岐点に置かれる魔除けの石碑です。沖縄、九州に多く存在しています。
歩いていると、雨がポツポツと振り出したかと思うとすぐに強い降りに。
クルマを降りる際、もしやと思って傘を持参したのが正解。

雨の街並みの中、駐車場に戻ります。
今回の旅で行きたかった特攻平和会館と知覧の街は、自身の胸の中にいつまでも残ることでしょう。
その3 に続きます。
Posted at 2024/07/15 18:22:16
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