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2020/05/07

F1日本GPの歴史 Vol.14【1998年編】

過去のF1日本グランプリを振り返るシリーズ『F1日本GPの歴史』は第14弾・・・前回はフェラーリの見事なチームプレーでシューマッハが見事な優勝を飾った1997年の日本GPをお送りしました(^.^)
チームプレイは何かと批判もありますが後続を見事にブロックするテクニックは見物・・・ただ極端な減速で優勝を譲るのは好きではないですね!






<これまでの日本グランプリ>
76&77年(in JAPAN)   1987年   1988年   1989年   1990年   1991年   1992年   93年   94年Pacific   94年鈴鹿   95年Pacific   95年鈴鹿   1996年   1997年








98年のF1はマクラーレンVSフェラーリ、ハッキネンVSシューマッハの争い・・・ルノーのワークス撤退でウィリアムズを初めとするルノーエンジン搭載していたチームの戦闘力がガクッと落ちたのでした(^-^;







ハッキネン4ポイントリードで迎えた最終戦はシューマッハが優勝してもハッキネンが3位以下でないと逆転タイトルはない状況で予選を迎えた・・・結果はシューマッハがハッキネンに0.178秒差でポール、以下3位クルサード(マクラーレンメルセデス)、4位アーバイン(フェラーリ)、5位フレンツェン(ウィリアムズメカクローム)、17位ルーキーの高木虎之介(ティレルフォード)、20位中野信治(ミナルディフォード)でした( ..)φメモメモ







レースは先ずヤルノ・トゥルーリがストールし、やり直しとなった2回目になんとシューマッハがエンジンストールでまさかの最後尾に(>_<)








3回目のスタートでハッキネンが好発進し、クルサードが出遅れた後はハッキネンとアーバインが3位以下を大きく引き離す展開に・・・









優勝しかないシューマッハはスタートで12位まで上がり、14周目には3位までジャンプアップするもハッキネンとは30秒近い差が・・・








28周目にシケインで高木虎之介とエステバン・トゥエロが接触し、双方リタイアし、デブリがコース上に・・・32周目に入ったホームストレートでなんとシューマッハの右リアタイヤがバーストし、ここでリタイアとなってしまったのです!








チャンピオンを決めたハッキネンがそのままトップチェッカーを受け、以下2位アーバイン、3位クルサード、4位D・ヒル(ジョーダン無限)、5位フレンツェン(ウィリアムズ)、中野信治・高木虎之介の日本勢は共にリタイアという結果に終わりました(#^.^#)









98年シーズンはハッキネンが8勝9ポールポジション、シューマッハが6勝3ポールポジションでハッキネンが初のドライバーズタイトルを獲得・・・1990年マカオGP以来のライバル関係であった二人ですがマクラーレンの長い不振もあってここでようやくハッキネンに歓喜の瞬間がやってきたのでした( ̄▽ ̄)
Posted at 2020/05/07 08:36:31

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