まとめ記事(コンテンツ)

2020/05/21

F1日本GPの歴史 Vol.21【2005年編】

過去のF1日本グランプリを振り返るシリーズ『F1日本GPの歴史』は第21弾・・・前回はシューマッハ兄弟が見事に1-2を飾り、BARホンダが3-4位を獲得した2004年を振り返りました(^.^)
2004年までの約5年間はフェラーリ&シューマッハが強すぎてやや興味が薄れる感もあった・・・最近のメルセデスの強さもある意味同様ですがやはり複数チーム&ドライバーの争いがないと寂しいですよね!







<これまでの日本グランプリ>
76&77年(in JAPAN)   1987年   1988年   1989年   1990年   1991年   1992年   93年   94年Pacific   94年鈴鹿   95年Pacific   95年鈴鹿   1996年   1997年   1998年   1999年   2000年   2001年   2002年   2003年   2004年








2005年のF1は圧倒的な強さを誇ったフェラーリ&シューマッハの黄金期がついに終焉・・・チャンピオン争いはF・アロンソK・ライコネンが激しく競う展開に(#^.^#)
BARホンダは燃料タンクの構造が問題視され2戦欠場の裁定もあって低迷・・・またアメリカGPではミシュランのタイヤ不良で10チーム中7チームがフォーメーションラップだけでリタイヤするという事件も起こった波乱の1年でした!









ドライバーズ争いは鈴鹿を前にしたブラジルGPでアロンソ(ルノー)が史上最年少でチャンピオンを獲得・・・コンストラクターズではマクラーレンがルノーに僅か2ポイント差でリードという展開で鈴鹿を迎えました(p_-)








迎えた予選はセッション途中から雨が激しくなり、前戦の上位者がスロー走行しか出来ない波乱の展開に・・・ポールポジションはR・シューマッハ(トヨタ)、2位はJ・バトン(BARホンダ)と日本勢がなんとフロントローを獲得(#^.^#)
3位J・フィジケラ(ルノー)、4位C・クリエン(レッドブル)、5位に佐藤琢磨(BARホンダ)が・・・M・シューマッハ14位、F・アロンソ16位、K・ライコネン17位、F・モントーヤ18位(マクラーレン)とランキング上位者最後方に並ぶ結果となってしまいました(^-^;








決勝は前日と打って変わっての晴天、スタートを決めたR・シューマッハが順調にトップを走行、フィジケラがバトンをかわし2位、後方のM・シューマッハ、アロンソ、ライコネンが順調に順位を上げていく・・・








ただオープニングラップでモントーヤがクラッシュしたため5周に渡りセーフティカーが入ったことで3ストップ戦略のR・シューマッハは12周目のピットストップで順位を大きく落とし、フィジケラがトップをトップをキープしたまま終盤まで向かう・・・レース中盤はミハエル、アロンソ、ライコネンの熾烈な5位争いを演じ、中でも19周目の130Rの飛び込みでシューマッハをオーバーテイクしたアロンソの走りは凄かった!








独走状態に入ったフィジケラは2位ウェバー(ウィリアムズ)を20秒近く引き離し38周目にピットイン・・・40周目にピントインしたウェバーの作業が手間取る感にファステストラップを連発したライコネンが45周目にはついに2位に浮上( ̄▽ ̄)








タイヤの摩耗が激しいフィジケラより2秒近く速いペースで追い上げるライコネンが残り3周でついに背後につく・・・








テールトゥノーズのままでいよいよ最終ラップに入るとホームストレートで並んだライコネンが1コーナーアウト側がフィジケラを抜き去ってついにトップへ・・・そのままフィジケラに1.633秒差をつけてライコネンが奇跡の16台抜きでトップチェッカーを受けたのでした(*^-^*)








最終結果は1位ライコネン、2位フィジケラ、3位アロンソ、4位ウェバー、5位バトン・・・3年連続入賞していた佐藤琢磨は13位でゴールしたものの、9周目のトゥーリとの接触が危険行為と裁定され失格処分となってしまいました(>_<)








ライコネン自身が過去最高のレースと話す2005年鈴鹿の16台ごぼう抜き優勝・・・私自身このレースでライコネンファンになっちゃいましたよ(^_-)-☆
Posted at 2020/05/22 07:51:34

イイね!0件

はてブに送る
はてブに送る

オススメ関連まとめ

マイページでカーライフを便利に楽しく!!

ログインするとお気に入りの保存や燃費記録など様々な管理が出来るようになります

まずは会員登録をしてはじめよう

みんカラ+新登場

カーライフビューティーラボ

ニュース