まとめ記事(コンテンツ)

2005/05/24

発掘 コスモスポーツがニュルを激走!?

前々回のブログでマツダの歴史について述べたが、皆さんはコスモスポーツが「スポーツ」の名に恥じない充分なモータースポーツ活動をしていた事をご存知だろうか?

国内では、コスモスポーツのモータースポーツへの参加は積極的ではなかったが、なんと当時のマツダは、国内のレースシーンでロータリーの潜在能力を見せ付けるより、いきなり国際的な知名度の高いレースに参加する事によって一気に国内も国際的にも「マツダ」のブランドと、「ロータリー」の実力を世に示そう・・・と画策したのだ。。。



コスモスポーツは1967年5月に世界初のロータリー搭載車として開発した美しいツゥーシーター・ノッチバック・クーペであるが、マツダは広島の宇品工場内に「コスモスポーツ」専用のラインを造り、並々ならぬ意欲で、ほとんどハンドメイドに近いライン化による量産を始めていた。

しかしながら正直なところ、日本国内では後発メーカーの悲しさ・・・、たとえ「ロータリー」をもってしても大幅な拡販には繋がらない・・・という判断が働き、勢い輸出にもウェートを占めよう・・・という苦肉の策で突然の国際的なレースへの参加となったのだ。。

選ばれたのは「マラトン・デ・ラ・ルート84時間耐久レース」・・つまりニュルブルクリンクを84時間走りきる・・・という過酷なレースであった。。

1968年二台の欧州名「MAZDA110S」、「コスモスポーツ」は、市販車の「マツダ・ロータリー」の特色である「サイドポート」だけでなく、高速域でも性能を発揮する様に、高速域ではシャッターが開いて「ペリフェラルポート」で吸気できる様にチューニングした10B型ロータリーを開発しレースに臨んだ。

84時間という長丁場を考慮して馬力は130PS7000min-1に抑えられたが、1トンにも満たない軽量ボディの「利」を生かし、そのポテンシャルは「想像を超えていた」ものだったという。。。



果せるかな、二台の「MAZDA110S」は、先行する二台のポルシェと一台のランチャを追撃し、なんと4番手5番手でレースを進めていた!!

これには、欧州のメーカーもマスコミも度肝を抜かれたのだ!!

考えて見ても欲しい、昨日まで欧州では、その名を知られる事も無かった、東洋のローカル・メーカーがいきなり、未知のロータリーを搭載したクルマをニュルブルクリンクに送り込み、ポルシェとランチャを追い回しているのだ!!!

そりゃポルシェだって驚く訳だ。

しかしながら、レース最後の一時間のところで片山義美/片倉正美の110Sはプロペラシャフトの脱落というトラブルに見舞われリタイヤ!!

それでも残りの外人組の110Sが、なんと初出場で4位という成績で入賞して、当時の欧州では大騒ぎとなったのだ。。。

まったく、当時からマツダというメーカーは、我々を驚かす事をやっていたのだ。。。

その裏には、技術的に優れたモノを造っても、悲しいかな「後発」というハンデの為にTOPを狙えない・・という現実が、常にチャレンジングな体質を作った・・・という事実があった事を忘れてはならないだろう。。。

この翌年、マツダはよいよ本格的な「量産ロータリー車」である「ファミリア・ロータリー・クーペ」にてリヴェンジを目論むのだが・・・・
Posted at 2005/05/24 01:02:53

イイね!0件

はてブに送る
はてブに送る

オススメ関連まとめ

マイページでカーライフを便利に楽しく!!

ログインするとお気に入りの保存や燃費記録など様々な管理が出来るようになります

まずは会員登録をしてはじめよう

ニュース