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まとめ記事

BANZAI SAFARI ブルーバード サファリ完全優勝

徳小寺 無恒さん
2020/09/21
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「ラリーの日産」と言われなくなって久しいが、まだまだ、自動車後進国とグローバルでは思われていた1970年代、日産はブルーバード510でポルシェやフォード、VWをサファリラリーで打ち破っていた。
そんな歴史は意外に知られていない。そこで、そんなブルーバード510の戦績をまとめて見たい。
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皆さんは、アフリカの新聞で「日本語」のタイトルがトップを飾った事があった事をご存知だろうか? 「BANZAI SAFARI」 1970年、DATSUNチームが510ブルーバードSSSで、「総合」「クラス」「チーム」の完全制覇を成し遂げた翌日の新聞でその文字は躍ったのだった。。。 前の年に「総合3位」「クラス1位~6位」そして「チーム優勝」を果したDATSUNチームに対して、フォード、ポルシェ、ランチャのワークスが「打倒DATSUN」を合言葉にサファリに乗り込んで来たのだ。 それもその筈で、この年初めてサファリは世界選手権の掛かったラリーとなり、一気に欧州のメーカーが大挙してアフリカの地に押し寄せたのだった。 対するDATSUNも、510SSSのパワーアップを図り、それらの強豪に対向したのだった。。。 ラリー開始前のインタヴューで、アフリカ最速の男と呼ばれる「ショギンダ・シン」が言い放った言葉が印象的だった。 「サファリ・・・もはやそれはサーキットと化した。。」 この年のサファリから、さらに指示速度が速くなり、平均速度も100km/hに迫ろうかと言う、高速ラリーと ...出典:徳小寺 無恒さん
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徳小寺 無恒は「ウンチク」が無きゃダメだ!?なんていう暖かいコメントを頂いて・・・そういえば、最近の徳小寺 無恒ブログは、テレヴィ東京のグルメ番組に負けないくらい「グルメ」ネタが多いのも事実・・・ そこで久々に、意外に知られていないDATSUNのラリーの経験で作られた大発明!?をご紹介しよう。。。 サファリラリーにおける「ポルシェ911」との死闘はツトに有名で、これは後々240Zにスイッチされてからも続いたサファリ名物とも言えよう。 万歳 ケニアの新聞トップに日本語が舞った日・・・ http://carlife.carview.co.jp/User.asp?UserDiaryID=573874 TOP画像は、そんな510ブルとポルシェの激闘を描いた傑作と言われる一枚だ。 そんな速さでも群を抜いていたDATSUNの英知だが、速さ以外でも意外な発明があった事をご存知だろうか? それが噂によると「ヤンキーホーン」のアイディアの元になったと言われる「三色ホーン」だ!! サファリの戦いは、なにもライヴァルメーカーばかりではない。 原住民の投石も毎 ...出典:徳小寺 無恒さん
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サファリといえば、それこそ拳大の大きさの瓦礫が続くラフロードから、細かい砂塵が舞い、一度その砂塵が舞うと視界が遮られてまともに走れないコースなどなど・・その過酷さを表現する言葉で埋め尽くされているが・・・ 何よりも、それまで何事も無かったラフロードが、一度のスコールで、人の膝まで沈むような泥濘路に激変するコースが何箇所もあり、それがこれまでのサファリで何度も勝敗を分けた事でも有名だ。。。 そんな泥濘路にハマルと、一度止まってしまうと二度と出れない・・そんな状況になるのだ。 DATSUNは、1969年のサファリラリーで、それを逆手に取った、欧州勢にはやりたくても出来ない空前絶後の作戦で優勝をかっさらったのだった。。 その作戦とは・・・「タイヤ・チェーン作戦」であった。 ナクールからナイロビへのラリーコースは、一度雨に見舞われると、ケニヤ山の山岳コースと、雨によって変わった粘土質の泥濘路が重なって、サファリでも最大の難コースと言われていた。 果たせるかな、ラリーに合わせた様な大雨となって、瞬く間に路面は酷いマッドロードに激変した。 DATSUNはケニヤ ...出典:徳小寺 無恒さん
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1970年3月。 その年のサファリラリーは、間違いなくDATSUNの為にあったラリーと言って過言は無かっただろう。 総合優勝 DATSUN1600SSS 二位 DATSUN1600SSS 三位 DATSUN1600SSS 七位 DATSUN1600SSS と総合10位の中に、ブルーバード510が4台もひしめき合っていたのである。そして、「総合」、「クラス」、「メーカー」の完全優勝も手中に収めたのであった。 無論、このような結果を残すには数々の工夫や作戦があった事も間違いの無い事実で、 鉄鎖 チェーンを巻いて優勝した日本車とは。。 https://minkara.carview.co.jp/userid/124785/blog/2228510/ 三色 ヤンキーホーンの原型!?DATSUNの大発明! https://minkara.carview.co.jp/userid/124785/blog/2219140/ その他にも、空前の心理作戦として、後世まで語り継がれている一度しか使えない必殺技があった事をご存知だろうか?その名は ...出典:徳小寺 無恒さん
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(注:画像は1986年サファリラリーのもの) 数々のアイディアで 丸首 史上最強の心理作戦!1970年サファリの秘策とは!? https://minkara.carview.co.jp/userid/124785/blog/13516404/ DATSUNを勝利に導く難波靖治が、次ぎに手を打ったのが人種の壁を逆に利用した心理戦だ。 1970年のサファリラリーでのDATSUNチームのサーヴィスポイントは 「32ヶ所」 、日本人サーヴィススタッフは7人で、サーヴィスカーは4台しかなかった。 さすがにこれでは、32ヶ所のサーヴィスは不可能なので、17人の人員と5台のクルマを現地で用意した。集まったのは、印度人、仏蘭西人、英国人と様々であった。 それを見た難波は、あるひとつの作戦を考えた。 5台のサーヴィスカーには、「白人・日本人・印度人」と異なった人種三人でサーヴィス隊を構成したのだ!? 正直、ココに来た日本人のスタッフは3人を除いて英語が出来ない!!それなのに何故? サファリラリーが始まる3月26日の6日前、すべてのスタッフを集め初めての会議を行った。 ...出典:徳小寺 無恒さん
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近代のラリーを闘うには、サーヴィスを如何に充実させるかが重要だ。 限られた予算で、最小限のサーヴィスカーと人員で対応するのはどうしたらよいか? かつてはサーヴィスに必要な工具、部品、油脂類を運ぶ為にトラックを使っていたが、それでは「足」が遅く、結果としてサーヴィスカーの台数を増やす事になっていた。 1970年のDATSUNは9台のサーヴィスカーを用意したが内容は、移動の速度を上げる為にDATSUN1600SSS「7台」、セドリック・ヴァン「2台」であった。 さて、そこに詰まれる荷物を上げてみると、 タイア 5本 ガソリン10L缶 15本 工具類、交換部品、サーヴィス隊3人、その持ち物・・・と考えると、セドリック・ヴァンは兎も角、セダンのDATSUN1600SSSに、必要な部品類を全て積み込むのはかなり無理である事は明白な事実だ。 ルーフラックを最大限に活用しても厳しい。 サーヴィス隊員から難波へ悲鳴にも似た声が次々に飛んだ。 「ネジ一本無くてもリタイアしてしまうというのに、どうするんだ!!」 そんな声に難波は冷静に答えた。 「サーヴィスカーも 1 ...出典:徳小寺 無恒さん
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