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まとめ記事
ハコスカ GT-R 見参 ハコスカ の秘密
徳小寺 無恒さん
2020/10/02
2,517
旧車の中でも絶大な人気を誇るのが C10 スカイライン こと 「ハコスカ」 だ。
そのなかでも 初代GT-R については多くが語られている様に思われるが実際は。
そんな ハコスカ の歴史を 徳小寺 目線でご紹介したい。
これを読めば、また新たな ハコスカ の真実を知る事になるだろう。
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1960年代後半から70年台初頭は、たま~にレースをTVで中継していたが、その頃からの日産ファンだった私は、S54Bが時代に流れに遅れ、レースでも苦戦・・・そして勝てなくなって行った事が苦痛でしょうがなかった。 スカイラインのS54型の終盤から、日産とプリンスの合併でニッサンプリンス・スカイラインとなり、さらにモデルチェンジしてC10スカイライン(通称ハコスカ)にスイッチした。 そんな中で、次の赤バッヂのGTが出る事を待望していたが、まさか、DOHC24ヴァルブの宝石のようなエンジンを積んだGT-Rが出てくるとは予想だにしていなかった。 ここで紹介した広告でも、「あのR380のエンジンをそのまま・・」なんて書いてあるが、その実、中身は別物と言って良いくらい替えられていたが、そんな事も知る芳も無かった、ヤンチャな子供にとっては、どんな おとぎ話 や 昔話 より魅力的な響きだった。 初戦は、「ワークスドライバー乗るべからず。」 という訳の分からないレギレーションの為に苦戦し、薄氷を踏む思いの勝利であったが、その後の活躍を見れば、そのポテンシャルの高さが伺えるといえよう。 ...出典:徳小寺 無恒さん
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意外に知られていないのが、ハコスカの4ドアGT-Rのイメージキャラクターが「菅原文太」だったいう事。 CMなどに、表立って紹介されていなかったが、ポスターなどの画像に実はしっかりと出ていたのだ。 本人も、あまりこの事を語っていなかったので、実は知る人ぞ知る事実だったのだ。 ようやく昨日画像が見つかったのでUP! こうして見ると意外な人が、意外な事をしているのだ・・という良い例がこれだと思うのだ。出典:徳小寺 無恒さん
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ブログを始めて、過去の歴史がだんだんと色褪せている事に気付いた。 私ひとりではどうする事もできないが、せめてこのブログを読んで頂いた方々にはこういった日本車の歴史があった事を伝えたい・・と思い、これから徒然であるが、過去の歴史にも触れてゆきたいと思うのだ。。 もちろん、本家の復活!ブルーバードでも、もっと詳細に伝えて行きたいと思うので、ぜひ応援して欲しいと思うのだ。 さて、今回は有名でありながら、ハコスカことKPGC10 GT-Rの50勝目がどんな様子だったかをブログしたい・・・ '72年3月20日 前日の晴天が嘘のように荒天模様の富士スピードウェイ。 まさにバケツをひっくり返した・・という形容が当てはまる豪雨と、風速18m/secという強風が富士の裾野を襲っていた。。 予定の時刻になってもその豪雨と強風は止む事が無く、どんどんとスタート時刻はずらされて行った・・ その間にも、水はけの悪い富士のコースは雨水が溜まり、正面のストレートでも水深は10mmを超えようとしていた。。 時刻は15時を過ぎたがスタートできない・・・ その間にも、トヨタやマツダのプライヴェート ...出典:徳小寺 無恒さん
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'71年5月3日 日本GP TSレース・・・ この日の激闘は後々まで語られる死闘であった。。。 「GT-Rの敵はGT-R」 まさに、その言葉を地で行くレースだった。 実は、その日私はこのレースをじかに見る事になったのだが、当時の私にとって、「クルマって真横にも走るんだ・・」なんて思った事を思い出した。 富士の各コーナーを、長谷見が高橋が華麗なテクニックでハードトップGT-Rをカウンターを当てながらライヴァル達を引き離して行った。。 その様を見て、僕は「クルマは真横に・・」と思ったのであった。 すでにGT-Rは、R380と同等のタイムをたたき出すまで成長し、さらにタイムは短縮されようとしていた。 特にこのレースでは、グリーンストライプの長谷見と、レッドストライプの高橋の一騎打ちの様相を呈していた。 高橋国光と長谷見昌弘は、互いのめまぐるしく順位を入れ替えながら、接戦を演じ、さらに周回ごとに3位以下を3秒づつタイム差を付けるという尋常で無いレース運びを演じた! まるで富士のコースは、この二台の為に存在しているような錯覚に陥ってしまった。。 15周目、最終ラップ ...出典:徳小寺 無恒さん
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僕が小学生の頃、ある日突然、我が家の駐車場に美しいブルーメタリックのクルマが舞い降りてきた。 それがスカイライン2000GT-Xであった。 それまで、ハードトップにしかなかった「ツゥインキャブ」の2000GT-Xが、その人気に後押しされる形でセダンにも追加されたのだ。 まぁ馬力はグロスで130PSというのだから、今ではちょっとしたコンパクトカーでもありふれた馬力だが、当時としては破格の強馬力で、僕達クルマ好きな小学生にとってはスーパーカーみたいな存在だった。。 当時としても、ブルー・・しかもメタリックのボディ・カラーは珍しく、どこを走っても注目の的で、そのGT-Xの助手席に乗る事は、本当にうれしくて休みの日がやって来るのが待ち遠しくて仕方が無かった。。 そんなハコスカのカタログが、門外不出の宝物として某所に隠してある。 今日は天気も悪く、時間が少しできたので、その場所からカタログを出して眺めて見たのだが、もう何百回も見た筈なのに、どうしても心が高まってしまうのだ。 まずは4ドアGT-Xのカタログ・・・ イメージカラーは「シルバー」だったが、なぜか一番大きな写 ...出典:徳小寺 無恒さん
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GT-R この言葉の響きを聞いて身が震える思いがするのは僕だけであろうか? 特に僕はこの目で、日本GPでの、高橋国光と長谷見昌弘の壮絶なバトルをじかに見たからであろうか? 無敵 0.02秒の激闘 '71年日本GP http://carlife.carview.co.jp/User.asp?UserDiaryID=207014 しかし、今改めて思い起こすと、当時の雑誌などでは、セダン(GC10)も、ハードトップ(KPGC10)も動力性能で芳しくない結果が多かった様な気がするのは、記憶違いだったのだろうか? さらに記憶を掘り起こすと、ケンメリGT-Rに至っては、当時格下と思われていた「ギャランGTO-MR」のツゥヴァルヴ・ツインキャムに後塵をきし悔しい思いをした記憶が薄っすらとあるのだが・・・ うつらうつらとした記憶を確かめるべく、屋根裏に積んであるCGを眺めて見た。 まずはセダンであるが、69年5月号では、かの小林章太郎 氏がセダンを駆り出し、谷田部や富士を激走していた。 この時は、オドメーターが1500Kmをやっと指したばかりの新車で、果たせるかな5 ...出典:徳小寺 無恒さん
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ハコスカ・セダンGT-Rの後、'70年10月によいよ本命の「ハードトップ」が追加され、この時にセダンのGT-Rが廃止された。 実はこの時には、「ハードトップ」の追加と共にノーマルのGTに搭載されるL20エンヂンも大幅に見直されていた・・・ まぁ、正直ノーマルのL20に付いては古今東西、良い評価はなかなか聞かれないのだが、この時はもっと酷く、4500min-1前後で激しい振動が起きて、それを我慢しても次ぎに6000min-1くらいから再び激震が起き、うるさくて回らないエンヂンとして酷評されていた・・・ それが、クランクシャフトのバランスウェイトを見直しして、4箇所追加された。 しかし、僕にしてみれば、いくら「イーブンファイヤー」という理想的な燃焼を持つストレート・シックスといえど、この部分にバランスウェイトが無かった方が不思議なくらいだ! 捻り振動という観点からも、この部分にバランスウェイトが付いた事は至極当たり前の様な気がする。。。(閑話休題) この効果はテキメンで、7000min-1まで振動無しに回るようになり、エンヂンノイズも劇的に減ったという ...出典:徳小寺 無恒さん
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CGいや小林章太郎 氏 にとって、GT-Rは「ついてないクルマ」であった。 セダンGT-Rは、エンヂンの不調にあげくはクラッチも不調も合わさって満足の行く結果が残す事ができなかった。 リヴェンジにと、再び駆り出されたセダンGT-Rは、3月というのに都内で30cmを超える積雪を記録して、とうとう記録を取れなかった。 ツゥードア化されて登場したGT-Rは公道上では卓越したハンドリングと動力性能を発揮したが、さてこれがサーキットになると・・・ 小林氏は、GT-Rの真のポテンシャルを知るために思い切った秘策を打って出た! それまで日産の広報が用意するGT-Rを使っていたが、それでは満足の行く結果が得られない・・・つまり一台しかない広報車は常に雑誌などのテストや試乗という名目の「破壊試験」にさらされているから完調でない場合が多い。 そこで、櫻井眞一郎氏に直訴して、なんと、生産ラインから「抜き取り検査」されるためにラインオフされたGT-Rを提供してもらう事にしたのだった。 もちろん、そのGT-Rは、CGのためにわざわざ実験課の手によって念入りに慣らしが行われ、万全 ...出典:徳小寺 無恒さん
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