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まとめ記事
名車の挑発。ブルーバード510の魅力に迫る。
徳小寺 無恒さん
2020/12/05
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ブルーバードの歴史を語るには外せないのが 「510」 だ。俗に 「ハコブル」 とも言われるが、510 があったからこそ、今の日産の技術力の底上げや、海外での名声を得る事が出来たのだ。そんな 「510」 なんだが、意外にその素顔は知られていない。時代の経過とともに「伝説」となって真実とも違う部分もネットで見受けられるようになった。僕一人の力ではどうする事も出来ないが、ここで少し 「ブルーバード」 の歴史にも触れながら 「510ブルーバード」 の姿をまとめてみたい。
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1955年(昭和30年)より日産は世界に通じる、そしてその頃から旺盛になってきた自家用車への需要に答えるべく新型車の開発に着手した。 それまでの質実剛健な、丈夫で商用つまりタクシーの使用を前途としたダットサンとは180度異なる新型車であった。 フロントサスには、ダットサンの板バネから、ダブリュウエッシュボーンによる独立懸架を採用し、幅で30ミリ、ホイルベースは60ミリも延長し、全高は55ミリも低くなった。さらに重量は65Kg減量した。 発売直前になり、折角の新型車なので愛称を付けようという事になり、最初は「スノーバード」にしようと決った。 しかし、北米にも輸出される事から詳細な調査を行った結果、「スノーバード」には「麻薬常習者」というスラングがある事が分かり急遽別の名前が必要となった。 次ぎに上がったのは「サンダーバード」だが、これは他のメーカーが使っている・・・さて困ったとなった時、当時日産九代目社長であった「川又克二」が、クルマによって人々が精神的にも生活的にも幸福をもたらして欲しい、メーテルリンクの幸福を呼ぶ物語「青い鳥」から「ブルーバード」にしよう!と提案し、 ...出典:徳小寺 無恒さん
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歴史観が薄いと言われている日本車の中にあって、かつての日産はブランドというモノを育てようと必死であったし、その証として「エンブレム」や「バッヂ」というモノに拘りをもって市場にリリースしていた。 以前ブログしたが、代表的なものとして「スカイライン」の「GTエンブレム」が良く引き合いに出されるが、実はブルーバードの「SSSエンブレム」も秘めた歴史がある事をご紹介しよう。。。 スカイラインGTエンブレム http://carlife.carview.co.jp/User.asp?UserDiaryID=143324 ブルーバードに「SSS」(スーパー・スポーツ・セダン)というグレードが生まれたのは「410」からである。。 「SSS」の誕生の前には「SS」(スポーツ・セダン)が昭和39年3月にリリースされていた。 それまでの「410ブル」には1000cc と1200cc のふたつの排気量があったが、ピニンファリナのデザインが不評で、そのてこ入れとして、1200cc のエンジンにSUツゥインキャブを搭載し「SS」を登場させた。 ノーマルの55PS、8.8Kg・m に対して「SS」 ...出典:徳小寺 無恒さん
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310ブルーバードの予想外のヒットで、日産はこれからのクルマ造りの礎とする為に410では、あえてピニンファリナにデザインを依頼した。 しかし発売前に、余りにも410ブルーバードに似たアルファロメオの新型が出た為に、ピニンファリナの申し入れによって特にリヤのセクションのデザインがやり直された。 彼の地では似ている・・と言われる事くらい屈辱はないからだ・・・しかし、それが例の「尻下がり」のデザインとなり、410ブルの運命を左右してしまったのだった。 さらに当時のタクシーの小型車の枠に収める為に、寸法的に色々と制約を加えた事もオリジナルのデザインを崩してしまい、ますます410ブルのデザインを混沌としたものにした。 (注釈) しかし基本がしっかりとしていたので、デザイナーの主張が明確であり、面の構成や張りなどは、今改めて見ると美しいと思うのだ。 何を作りたい、新しいモノを作り出したい・・という意欲が410ブルのデザインからはフツフツと伝わってくる。 販売的に410は失敗に終わった!そこで失敗が許されないモデルとして510の開発がスタートしたのだった。 意外と知られていな ...出典:徳小寺 無恒さん
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510ブルといえば、今では名車の誉れ高いクルマだが、当時の評価はどうだったか?といえば、正直な所、芳しくなかった・・というのが本当のところだろう。 たしかに販売台数的にはかなりのモンがあったが、さりとて決して楽に売上げが伸びていたとは言い難いのがホンネだろう。 「リヤセミトレーリングアーム独立懸架」や「OHCエンヂン」、「三角窓の廃止」などなど、ある意味で国産車のそれからのスタンダードを築き上げたと言っても良いクルマだったが、販売や一般的なユーザーの評価は、「質素過ぎる」とか「装備が少ない」などなど芳しいものではなかった。 特に女性の免許所得者が増えると、柔らかい感じの当時のコロナのデザインの方がウケが良かったし、正直トヨタ流の内装の質感などで510は苦労を強いられたのだ。 その反動で、豪華さデザインの柔らかさを追及して生まれたのが「610」・・そう「ブルU」であったのだ。 さてさて510ブルだが、一見するとどれもこれも同じ様に見えるが、年式、グレードによって実に細かく違いがあったりする。 内装の模様やカラーリング、大きいところではワイパーの形などが有名だが、ブル51 ...出典:徳小寺 無恒さん
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510 や、まぁその前後の旧車たちについては、セダンなどは結構紹介されているが、いやいや実は商用車だってかなりの数が売れて人気だった。 ここに取り上げたのは、かの名車の呼び声高い 510ブルーバード のヴァンなんだが、これも出た当時はかなりの話題になった。 何より、室内の設えやエクステリアデザインが、これまでのモンより格段に改善され、当時は結構街で目にしたものだ。 意外に日産は、以前から商用車についても、結構力を入れており、例えば、そうそう、310や410ブルも輸出を意識して、特に海外ではお洒落なワゴンとして売っていた。 日産 最近の日産は何かを無くしてしまったと思いませんか? https://minkara.carview.co.jp/userid/124785/blog/1151888/ 久々に、510ヴァン用に、当時出したカタログを見ていると、日産の意気込みというか鼻息のあらさ(笑)を感じられずにはいられないだろう。 「世界の水準をしのぐニューブルーバードバンの登場によって、もはや他のバンは、いっきに古さが目立ってきました。」 「例えば30cm ...出典:徳小寺 無恒さん
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日産創立80周年グランドフィナーレの会場に並べられていた、日産の勇者たちの中で、一番僕の胸をときめかせたのは、何と言っても 510ブルバードの1600SSSクウペだろう。 僕の世代で、この流れるウンカーこと「ハミングテール」は羨望の眼差しでいつも眺めていた。 そして、小学生の僕はこの流れるテールのブルを見つけると、無性に追いかけて、見も知らないドライヴァーにお願いして何度もウンカーを点灯してもらって眺めていたモノだ。 (まぁ、のんびりとした時代で、こんな小学生にも気軽に応じてくれる人が多かったモンだ・・・閑話休題) このテールランプは、デザイナーの内野輝夫が、当初、左右一体で作る事を何度も求めたが、流石にコストと造り勝手(組立)で、社内からの「勘弁してくれ」の声に、泣く泣く左右に分割のモノにしたものだった。 この動画はオリヂナルのテールではないが、動作はまさにこのままだ。LEDにはない残照が逆に良い味わいを出している。 しかし、その左右のそれぞれの造形はダイキャスト一体で作られ、細かいディテールは見れば見るほど惚れ惚れしてしまうものだ。 センターのチェッカ ...出典:徳小寺 無恒さん
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710 ヴァイオレット や 610 ブルーバードU の歴史は一言で 「不人気」 で片付けられてしまっているが実はオイルショックまでは、日産の目論みよりは売れてはいなかったが、決して コロナ や コロナ・マークⅡ には負けてはいなかった事を前回ブログしたが、そういった歴史の闇と言うか、意外に知られていない事実が結構あったりするものだ。 510 にも、そんな歴史があって、510 ブルーバード はヴァンを除くすべての車種に 「四輪独立懸架」 が奢られていたとなっているが、実際にはヴァン 以外にも、板バネ(リーフリヂット)の車種があった事を語る文献やサイトは皆無と言った状態だ。 510の名声は、このリヤセミトレーリングアームによる「ヨンドク」がおおきなウェートを占めている。 510 には当初から輸出先によっては整備性などの観点から、ごく少量だがセダンにも 「板バネ」 仕様が存在したし、実は国内仕様にもセダンに「板バネ」仕様が存在し、それは記憶が正しければ、1970年か1971年からの「タクシー仕様」に「板バネ」があった。 TOP 画像は、2010年に 「想い出の車窓か ...出典:徳小寺 無恒さん
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今でさえ、ブルーバード510は名車の声が高いが、販売されていた当時は、確かに評価は高かったが、ライヴァル 「コロナ」 を打ちのめすまでには至らなかった。 逆に、増え続けていた女性ドライヴァーには三代目コロナの方がエクステリアデザインや、さらにブルバードより柔らかい内装のデザインが好評で販売台数ではブルーバードが苦戦していた。 おかげで販売の現場からは、色気が無いとか豪華さが足りないなどと、七つの新メカニズムや、独逸車に倣った質実剛健なインテリアが攻撃されて、大いに開発陣を落胆させた。 セダンにハードトップ、日本初のハッチバックとボディヴァリエーションと柔らかいデザインが女性の支持を集めた。 そんな販売的に苦戦の続く510ブルーバードも、ただ黙ってコロナの進撃を拱いていたのではなく、次々に内装などのカラーコーデネイトやエクステリアの変更、グレイドの追加などで、ライヴァル コロナ の追い落しを図っていた。 開発陣が驚いたのが、カラーリングの追加で販売台数が一気に増えた事だ。 サファリラリーでの活躍からインスパイアされて登場したボディカラー「サファリブラウン」がブ ...出典:徳小寺 無恒さん
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1969年、満を持して日産は ワークス ブルーバード 1600 SSS をサファリに送り込んだ。 OHCインラインフォウの L16 は、ノーマルと同じ 日立製 SUツゥインカブレーション ながら、ファインチューニングされ、ノーマルの 100PS/6000min-1 と 13.5Kg-m/4000min-1 から 120PS/6800min-1 と 14Kg-m/4800min-1 に向上されたものが搭載された。 この年、笠原 剛三 著作の 「栄光への5000キロ」 にインスピレーションされ作られたのが、石原裕次郎の 「栄光への5000キロ」 で、 日産ワークスがバックアップし、欧州やアフリカでもロケ敢行!製作費4憶!?今で言うと一体いくらなんだ!? そこでスクリーン狭しと激走したのが、ゼッケン90 の DATSUN 1600SSS こと 510 ブルーバード 1600SSS だったのだが、物語はそこで終わることはなかったのだ。 その軌跡の様子は、この一枚のあるパーティの様子からも伺えるだろう。 日産のサファリ監督「難波靖治」に裕次郎は「シナリ ...出典:徳小寺 無恒さん
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