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まとめ記事(コンテンツ)
神社シリーズその46「伊賀多気神社」~八岐大蛇伝説を巡る旅4~
さて、この日最後の神社、「伊賀多気神社」に向かいます。
場所は、再び「鬼神神社」方面に戻り、奥出雲町の街中に鎮座されております。(冒頭写真参照)
この「伊賀多気神社」特に八岐大蛇伝説の舞台ではありませんが、「鬼神神社」の本社となっており元は「鬼神神社」の近くに社殿が建っていたそうです。戦国時代に尼子氏らの戦いで焼失し、こちらに移転したらしいです。なので例の「五十猛」の秘密がわかる神社ではないかと、来てみました。
けっこうな石段が続きます。左手に手水舎。
風化具合のよろしい狛犬さん。
しめ縄の首輪をつけています。文化財となっているようです。
この上に立派な随身門があります。
随身門の両側にはこのように武人の像があって、神社を守っています。
この足の組み方は、すぐ立ち上がって戦える体制なのです!。
随身門をくぐると・・・
拝殿です。(なぜか写真を撮り損ねていたらしく、ネットから)
しかし、この境内に入る前に「由緒書き」があって、衝撃的な文章があったのです。
いきなり正解のようなこの文章。
要約すると・・・
「素戔嗚尊とともに鳥髪の地に降り立った五十猛は、このあたり一帯で製鉄を行っていた「オロチ族」らが周囲の山をはげ山にしてしまったために、斐伊川で氾濫が多発して住民らが困り果てている話を櫛稲田姫の両親から聞く。そこで五十猛は素戔嗚尊にオロチ族に、「山を荒らさないよう直談判をしてください」とお願いし、自分はここに残り住民らと植林を行い治山治水を行います。と、のちに五十猛は林業従事者の神となる。
実に明快な解釈です。出雲国風土記、古事記、日本書紀すべてを網羅した解釈で、これはこれで説得力がありますね。
でも、私的には違う解釈をしたいと思います。
まず、二人が鳥髪に降り立ったのはそれぞれ時期が違ったと思います。
まず、高天原を追放(おそらく九州方面から)された素戔嗚尊が降り立ち、櫛稲田姫の
両親から、このあたり一帯を治めている「オロチ族」らの製鉄のおかげで、重労働を強いられ、川の氾濫などが頻発している話を聞く。
そして、素戔嗚尊はその強力無比な力でもって、オロチ族を制圧し、周囲の住民から「鬼神」と呼ばれるような活躍を行ったのだと思います。
その後、荒れ果てたこの地に五十猛がやってきた、あるいは素戔嗚尊に呼ばれた。
そして植林を行い、治山治水を行ったのではないでしょうか?
この二人が別々に働かないと、素戔嗚尊が「荒ぶる神」として畏れられ敬われる図式が成り立たないと思うのです。(過去の神社シリーズで彼はことごとく封印されていますからね)
この神社は社殿の造りもすごく、この屋根なんか「組木細工」のような造り。
さすが、林業の神様「五十猛」です。
かわいらしい摂社。
「塚神」? 地主神でしょうか?
「社日神」とは土地神様を表し、季節ごとにお祭りし、豊作を祈願するそうです。
今回の八岐大蛇伝説を巡る旅、やはり実際に現地に行って調べると知らないことがいっぱいありましたね。妄想も膨らみ放題です。
次回は、先ほどの仮説が正しいか、さらに伝説を追ってみたいと思います。
でも、中国地方は梅雨に入ってしまったんですよね・・・
このブログを書いている今も雨が降り続いていて、今週はアウトです。
では!
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