まとめ記事(コンテンツ)

2019/05/02

歴史 スカイラインとセリカ。今と過去。

 1981年7月 セリカXX としては二代目に当たる A60 セリカXX がリリースされた。
初代の豪華絢爛クルーザー的な佇まいから、ロータスのアドヴァイスで熟成したと言われる足回りを持つスポーツカーに進化していた。

 そして遅れること一か月。「名ばかりのGT」と セリカ こき下ろされたスカイラインもR30型へとスイッチされた。

 この両雄のモデルチェンジのタイミングの同期は先代から延々と続き、セリカが6代目、スカイラインはR33 まで運命的な関係を感じさせるモデルチェンジを続けた。


先代の緩い大陸的なデザインから、定規で引かれた様な直線とクレイをヘラでそぎ落としたような面でデザインされたA60系セリカ

 基本的には直線と平面ばかりで面白みに欠ける A60系セリカと XX だが、僕的には リフトバック の Cピラー根元のピラーの折り返しが新鮮に映った。

 そして、何より 真っ黒 に塗りつぶしたリヤハッチが印象的だった。

 一方のスカイラインは、その生涯で一度きりとなる「ハッチバック」をラインナップしたが、エステートも含めて Cピラー までの造形は一緒で、そこからリアのピラーの角度やウィンドゥ面積を変化させてラインナップを広げていた。


こちらも直線基調だが、「関ヶ原の稲妻」をキーワードにデザインされたエクステリアはセリカにみられるギクシャク感がない。
 
 スカイラインの生涯で一代限りになってしまった 「ハッチバック」 は、セダンベースで開口部が高いというネックはあったが、斜め後ろからのスタイルはなかなかセクスィだった。


Dピラーを指で押さえて隠すと「セダン」になる!?斜め後ろからの立ち姿は意外なほどハッとするクリーンさがある。

真横から見ると、Dピラー以前のデザインはまったくセダンなんだが、斜め後ろから見るとハッチ面がDピラーから一段低く造形され、最終的に小さなノッチが形作られているのが分かるだろう。

 実は意外なほど空力を加味された凝ったデザインだったのだ。

 そうそう、このハッチバックには国産車初のテンパータイアが装備されたこともトピックだ。

 先代で、「名ばかりのGT」と揶揄されていたスカイラインもターボで息を吹き返し、


トヨタは「ツィンキャム」、対する日産は「DOHC」で応戦したが日産のトヨタへの決め台詞は「4ヴァルヴでなければDOHCではない」だった。

そしてR30になって発売2か月後、4ヴァルヴDOHCを搭載したRSでセリカへの反撃を本格化した。

 スペシャルティカーとハイオーナーカーというクラスは違うものの良きライヴァルとしての、セリカとスカイラインだが、発売から二年後の1983年8月に、まるで足並みをそろえるように両者、いや両車共マイナーチェンジを敢行!
その時、セリカのハッチバックはボディ同色になったのだが・・・


やっぱり、同色の方が取ってつけた感が無くて良いのでとセリカ系はリヤハッチをボディ同色にしたのだが・・・

 ここで僕ら日産ファンが愕然としたのが、スカイラインのハッチバックのゲートが真っ黒に塗られて出て来たことだ!!


やっぱり気にしてたんだよね・・と日産ファンは、真っ黒なリヤハッチを見て溜息をついた・・・

なんで、今頃、セリカの真似をするんじゃあ!と多くのファンが嘆き悲しんだ。
だってセリカは逆にマイナーで、真っ黒ハッチを捨ててしまっていたのだから・・・

二代目レパードとソアラの時のように、

交差 F31レパードとZ20ソアラの怪しい関係
 https://minkara.carview.co.jp/userid/124785/blog/713791/
 
 
やっぱり気にしてたんだね・・・ 

と当時大いに話題になったものだ。

 それから40年近くの歳月が過ぎてしまったが、それからのこの両雄の歴史は皆さんご存じの通りだ。

 どちらも正直、日本という市場を捨てて海外の市場を見据えた基幹車種になってしまったが、果たして、どちらの歩んだ歴史が、そして今、置かれた立ち位置が幸せだったのだろうか。


スペシャルティカーからスポーツカーに舵を切ったスープラはスポーツカー冬の時代で一旦は脈略を断っていたが復活。スカイラインは北米専用車になり、とりあえずブランドネームが欲しいから国内でも販売している状態が今だ。

 スープラは、リアルスポーツに軸を振って、それがスポーツカー冬の時代、米での保険料の高騰、燃費排ガス対策で撤退を余儀なくされ脈略を断ってしまっていたが、クルマの多様性が求められ、企業のブランドイメージたるクルマとして数を売るのではなく、スポーツカーというコアな市場に敢えて、トヨタのイメージリーダーとして復活。
ようやく数ではなくクルマを楽しむ、そのためのひとつとして、たとえ数は出なくてもトヨタのラインナップに盛り込もうという考えが、あのトヨタの芽生えたのだ。

 一方のスカイラインは、周りの声を聴き過ぎてしまい、代が変わるごとにコンセプトが大きく振れてスカイラインとしてのアイデンティティがもはやエクステリアしか見いだせなくなって、それがコアなファン以外の支持を得られなくなり、たまたま北米でV35がヒットした影響で、どんどん北米に軸足を置いてしまい、もはや国内向けは、スカイラインというブランドを残すためだけの、ただ売っています車種になって存在感がますます希薄になってしまっている。

 グローバル化やクルマへ向けられる市場のニーズという、一見するとごもっともな数字遊びに翻弄されて、それが「今」再び、数字遊びとは決別して、それぞれのクルマの立ち位置を見直そうとしている時期になって来ていると思うのだ。

 今、思い返せば、クラスは違えど、ライヴァルとして切磋琢磨していた時代こそが本当に輝いていた時代だったのかもしれない。

 今の スープラ と スカイライン の存在は、ある意味で、日産とトヨタという国産車メーカーのこれからを占う試金石になるのかもしれないと僕は感じている次第なのだ。


Posted at 2019/05/02 09:41:28

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