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- その14(15図 浦河‐襟裳岬‐広尾)
まとめ記事(コンテンツ)
昭和の北海道道路地図 その14(15図 浦河‐襟裳岬‐広尾)
そこで、昭和41年(1966年)6月発行
「ミリオン道路地図帖 北海道編」
出版元:東京地図出版株式会社 (現 株式会社マイナビ出版) の紹介です。
※地図をしっかり見たい方はブラウザ閲覧推奨
著作権保護期間満了(※文末参照)につき、全ページ掲載していきます。ただし、体調に合わせノンビリ不定期連載です(^^)
第14回は襟裳岬周辺の第15図。まずはリンク先→凡例と索引をチェックして、地図の場所を確かめましょう。
15図西 (拡大は地図をクリックまたはタップ)

15図東(拡大は地図をクリックまたはタップ)
襟裳岬詳細図 西
【日高昆布と襟裳の森】
日高昆布と言えば、今では全国的にも有名な昆布ブランドですが、一時期は、昆布が壊滅的に取れなくなった時期があり、国と漁師、住民の協力で長年かけて復活をさせたドラマがあるのです。
今回はちょっとアカデミックに、このエピソードを紹介しますね。
明治の頃、襟裳周辺の陸地には落葉広葉樹の森が広がっていて、森の栄養分が海へと供給され、魚介類がたくさん採れる豊かな海でした。しかし、薪の採取や牧場開発のための木材伐採により、昭和のはじめごろには砂漠化が進み、「襟裳砂漠」という名前が付くほどに森が荒廃してしまったのです。
砂漠化により風に吹き飛ばされた赤土が沿岸10km にまで及び、沿岸一面が赤く濁り、回遊魚が寄りつかなくなったり、昆布が根腐れを起こすなど、沿岸海域の生態系も著しく劣化してしまいました。
戦後、砂漠の緑化をしようとしたのですが、土がやせており、全国的にも稀な強風地帯である襟裳は、苗木の成長がなかなかうまくいいきません。
そこで、浜に打ち上げられる雑海草を砂漠に敷き、海草が種を守り肥料にもなるという一石二鳥の妙案「えりも式緑化工法」により、漁師、住民が力を合わせて緑化に取り組み、豊かな森と海が再生されたのです。
かつて、森進一の「襟裳岬」(昭和49年発売)では「襟裳の春は何も無い春です」と歌われていました。紹介していた地図が発行された昭和41年は緑化も道半ば、日高昆布もここまでブランド化する前のことです。
この緑化なしには、襟裳は本当に何も無い土地になりかねなかった、というわけです。
【黄金が敷き詰められた道路】
襟裳岬を越えると十勝地方に入ります。
15図西、えりも町庶野~広尾町広尾までの約33kmの区間を、俗に「黄金道路」と呼びます。開通は昭和9年。7年の工期と95万円の金額を投入しての開通でした。1mあたり29円。今でいえばたった33kmに数十億円が投入されたこととなります。
完成後も高波による通行止めが続き、補修にも湯水のごとくお金が投入されていく。
まさに、黄金道路だったわけです。地図掲載当時も砂利道が続いてますね。
さーて、次回のサザエさんは?
フネです。
梅雨の季節、雨が続きますね。洗濯物が乾かなくって・・・
カツオ、ワカメ、傘もちましたか~?
こんなとき北海道だったら、梅雨が無くて良いんですけれど
次回は
・ノリスケ、広尾サンタランドへ
・中札内のタマゴか、豊頃の牛乳か
・今は無き広尾線 幸福駅はまだよ
の3本?です。
つづく
バックナンバー
その13(14図 門別‐静内‐浦河)
その12(13図 千歳‐苫小牧‐門別)
その1 (3図 函館ー森)
ーーーー本文終わり
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