まとめ記事(コンテンツ)

2017/04/26

ちょっと昔の世界へ…

歌垣公園のツツジを見た後は、

公園内にある歴史的な跡でも

ちょっと見てみようかな…(笑)







まずはキレイなツツジが植えられた丘陵地

(歌口という場所)の上に碑があります。





そこには何やら漢字[万葉仮名]で書かれてます。

「万葉仮名」とは、日本語を表記するのに

漢字の音だけ借用して用いられた文字です。

「万葉集」や「日本書記」など

5~6世紀あたりから用いられたようです。







この碑の歌は、『杵島曲(きしまぶり)』と呼ばれ、

奈良時代初め(8世紀前半)に各地域の言い伝えをまとめた

『肥前国風土記』からうかがえます。



その風土記の内容は、

一孤山[ひとつやま](杵島山)に3つの峰があり、

南西から北東に向かって、

比古神(ひこがみ)、比売神(ひめがみ)、御子神(みこがみ)がいて、

村人は毎年春と秋に

酒を持って、琴を抱いて、手を取り、山に登り、

眺望し、酒を飲み、歌ったり、踊ったりしたそうです。




その時歌われた歌が、この碑の歌なのですが、

もちろんその当時の時代は、

まだひらがなが無い時代なので、

漢字(万葉仮名)で表現してあります(汗)


ひらがなができたのは

平安時代中期(9~10世紀)ですよね。






これをひらがなに直すと…

「あられふる きしまがたけを さかしみと 

くさとりかねて いもがてをとる」

となります。




この歌の意味は、

「杵島山が険しいので、

よじ登るのに草をつかみ得ないで、

一緒に登る愛しい人の手をつかむよ」

という感じです。




なかなかすばらしい恋の歌ですね(笑)

お互いに意識し合っている男女2人が手を取って

この険しい杵島山を登ってくる情景が

目に浮かんできますね…(笑)






たぶん毎年春は豊作を祈願し、

秋には収穫を感謝する農耕祭祀であったのでしょうが、

だんだん若者たちが、お互いに歌を読み合い、気持ちを伝え、

結婚相手を探す場所としてもなってきたとも考えられています。





このような歌垣が現存する各地の『風土記』から確認できるのは、

常陸国[ひたちのくに](茨城県つくば市)の筑波岳(つくばやま)、

摂津国[せっつのくに](大阪府能勢町)の歌垣山と

この肥前国(佐賀県白石町)の杵島山で、

日本三大歌垣と呼ばれています。





現在では、

この場所が歌垣公園として、

春には約7万本のツツジが咲き乱れ、

多くの老若男女の花見客でにぎわいます。






また色んな遊具があって、

親子連れの家族が遊びに

やって来ます。




そして毎年『三十一文字コンテスト』が行なわれて、

全国から和歌が送られてきて、

優秀作品は歌碑として作品が残されています。





今もこの地が、昔と変わらず

1000年以上もの時を超えて

人々が集まり、花や景色を見て、

歌が読まれる場所として残っていることは

ホントに嬉しく思います(笑)




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Posted at 2017/04/27 14:16:32

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