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まとめ記事(コンテンツ)
タッチ_さん
2013/02/16
MTの価値について(3)色褪せない優位性
この記事は、MTとATの違いを考察する。(その5)について書いています。
前回のブログを受けて、いよいよMTの価値について述べようと思ったところ、FLAT6さんにほとんど要点を書かれてしまったのですが、「そっちを読んでね♪」の一文ではダメとの仰せなので(爆)、ボクの言葉で綴りたいと思います(^_^;)。
自動車を道具と割り切り、A地点からB地点まで人や物を如何に効率良く楽に運ぶか?という観点において、MTに対してATの優位性は明らかです。
また、F1の2ペダル化を経てDCTの登場を見た現在においては、究極のドライビングプレジャーとも言えるスポーツドライビングに於いて、(DCTなどの最新の)ATに、もはやMTは太刀打ち出来ません。それが如何なプロのレーシングドライバーであったとしても、です。
道具としてのクルマ、趣味としてのクルマ、上記の通り双方に於いて優位性が失われた以上、MTにはもはや存在意義は無いのでは?というのが、少し前までのボクの考え方でした。
ところが、、、ちょっと待って下さい(苦笑)。
上記の主張を「移動のため」←→「楽しさのため」という両極端に置いて語ってやると、確かにその狭間にMTが占める処は無いように見えます。しかし、こう言換えたらどうでしょう?
「移動のため(の道具)」←→「速さのため(の道具)」
「楽しさ」を「速さ」と置き換えたのは、スポーツドライビングの楽しさが「速さの追求」だからですが、こういう言い方をすると、両極端に置いた二つの価値観に共通項が見い出せます。「効率」です。つまり道具としての理想の姿とは?という論理性。それが移動(距離)であろうが速さ(時間)であろうが、論理的に最新のATがもっとも効率的である、との主張であれば、上記の両極端に配した二つの意見は、実は片方に寄ってしまうのです。
効率的な道具という観点で「AT=論理的」とするならば、その対極は何でしょう?「情緒的」です。
運転に於ける情緒的価値とはすなわち、目的地でもなく、到達時間でもなく、運転することそれ自体に於いて「楽しいと感じること」です。
この対立軸においてMTをATの対極に置くとして、その楽しさは何か?実はそれはMT自体にあるのではなく、エンジンの特性そのものがもたらす楽しさなのです。トランスミッションは任意のギヤを提供するのみで黒子に徹し、エンジン回転と駆動輪のリニアな関係を提供する。ドライバーはアクセル操作によってエンジン回転を操り、回転数の変化によるトルク変動、振動、音と共にもたらされる速度の変化を味わう。そしてシフトチェンジはこのエンジン回転と車速の関係を切り替える行為であり、それはそのまま微妙に異なる味わいとなってドライバーにもたらされます。
対してATですが、その効率性と裏腹(引き換え)に、このエンジン回転と車速の関係を自動制御するが故に、ドライバーにもたらす「エンジンの味」を著しく希薄化してしまいます。そして驚くべきことに、その自動制御される変速動作に順応したドライバーは、シフト操作から解放されるのに伴って、エンジン回転を制御するという意識をもどこかに置き去りにしてしまうのです。そしてこれは、ATをマニュアルモードで操ったとしても、MTと同レベルにはならない。つまり「失ったまま、取り戻せない」のです。
その理由をボクはまだ論理的に説明は出来ません。ただ自分の経験に基づき事実を報告するのみですが、FLAT6さんが主張されるこちらに、その答を導き出すヒントがあるかもしれません。
かくして、MTはその運転する楽しみ(情緒的価値)において、クルマの評価の中で非常に大きな割合を占めるエンジンの特性を味わうという点で、ATに対して圧倒的な優位性があるのです。
これらの「MTを運転するときにエンジン回転数に敏感(センシティブ)になる」⇒「ATを運転するときはエンジン回転数に鈍感(センスレス)となる」という事実は、以下の例を挙げると解り易いでしょうか。
MTの運転に習熟したドライバーは、その時々に応じて適切な回転数を明確に選択しシフト操作を行います。その意識は具体的には
「あるギヤで加速していくと、ある回転数に達したところでシフトアップしたくなる」
という心理が働くことです。そのときの状況、気分、ペースにより回転数は様々ですが「無駄に引っ張る」ということに抵抗を感じる直前にギヤを上げる。この事実はつまり、ドライバーはタコメーターを見る、見ないによらずエンジンの回転数を常に無意識のうちに意識していることを意味します。ある特定の速度にクルマを導くとき、心地良い回転数の範囲内でギヤを切り替えながら、結果として目標の速度を得る、という運転です。
一方ATでは、単にアクセルペダルの踏み加減によって所望する速度を得るという運転になってしまいます。
MT愛好家の多くが「MTはクルマを運転する実感がある」⇒(ATはクルマを運転する実感に欠ける)と言いますが、実はこの表現は誤解を生む曖昧な表現です。真実は「クルマの運転」ではなく「エンジン回転数の制御」なのです。MT愛好家がATの運転で失うものが真にコレであり、その喪失感を許容出来ずに、MT車に回帰するのだと考えると無理がありません。
なにしろMTの楽しさを「運転の楽しさ」と表現した途端、「じゃぁAT車の運転は楽しくないのか?」「いやAT車だって運転は楽しい」「いやいや、MT車の楽しさには敵わない」などという、不毛な議論が決まって始まります。そうではないのです。
MT車であれAT車であれ、クルマが走り、曲がり、止まるのは変らず、タイヤのグリップ性能を引き出して姿勢と速度を操る楽しみは同じです。MT車とAT車の違いはそこではない。むしろその手前にある「速度の制御方法」において、MTはエンジン回転数とギヤの組み合わせによって速度を操るというある種の手間が掛かる一方で、AT車は単純にアクセルペダルの踏み加減で速度を調整するのみ。MTが多少の手間とスキルを要する対価としてエンジンの特性を色濃く味わえるというメリットがあり、AT車はそこが希薄。よってその価値が判る人がMTを嗜好するという極めて単純なハナシなのです。
したがってボクがSKYACTIV-DRIVEを手に入れる前に感じていた「MTにはもはやノスタルジー以外の価値は無い」という考え方は完全に誤って(或いは重要な観点が欠落して)おり、運転そのものを楽しみたいという情緒的な欲求を満たすためであれば、MTは最良の選択とすら言えるというのが結論です。
なにしろMT/ATという比較論において、MT車が持つ魅力の一部をAT車は欠いている(或いは希薄である)わけですから、事の優劣に議論の余地はありません。
ただここで一点だけ注釈を付けておきたい点は、やはり最新のATのマニュアルモードについてです。なにしろここまでの結論に至るボクの検証は、一車種一年という、サンプルとしては極めて貧弱なものです。SKYACTIV-G2.0というエンジンは非常に良く出来た高効率エンジンではありますが、情緒的な価値に照らせばトルク特性が極めてフラットであり官能性に優れるとは残念ながら言い難い。一方で比較対象となったNSXのC30Aは、その官能性に関しては極上の一基と言えます。
比較検討するに当たっては、かなり公平性を欠きます(苦笑)。
しかしながら今回、執筆に踏み切った背景はもちろんFLAT6さんに口火を切られた(笑)こともありますが、例えば最新のポルシェ911の7MT車とPDK車、同じシャシー、同じエンジンでミッション違いの2台を乗り比べたとき、よりエンジンの特性を濃密に味わえるのは7MTであろうという、相対比較における結論に相違はなかろうという確信に基づくものです。
ですから、ポルシェ911の珠玉のフラット6にPDKという組み合わせが、「エンジンの味わい」を十分にドライバーに提供する可能性をボクは否定はしません。しませんが「7MTと比べたらどうですか?」という観点に立てば、やはりPDKに対してMTの優位性は覆らないであろうと考えています。
若干の補足を番外編につづく。
前回のブログを受けて、いよいよMTの価値について述べようと思ったところ、FLAT6さんにほとんど要点を書かれてしまったのですが、「そっちを読んでね♪」の一文ではダメとの仰せなので(爆)、ボクの言葉で綴りたいと思います(^_^;)。
自動車を道具と割り切り、A地点からB地点まで人や物を如何に効率良く楽に運ぶか?という観点において、MTに対してATの優位性は明らかです。
また、F1の2ペダル化を経てDCTの登場を見た現在においては、究極のドライビングプレジャーとも言えるスポーツドライビングに於いて、(DCTなどの最新の)ATに、もはやMTは太刀打ち出来ません。それが如何なプロのレーシングドライバーであったとしても、です。
道具としてのクルマ、趣味としてのクルマ、上記の通り双方に於いて優位性が失われた以上、MTにはもはや存在意義は無いのでは?というのが、少し前までのボクの考え方でした。
ところが、、、ちょっと待って下さい(苦笑)。
上記の主張を「移動のため」←→「楽しさのため」という両極端に置いて語ってやると、確かにその狭間にMTが占める処は無いように見えます。しかし、こう言換えたらどうでしょう?
「移動のため(の道具)」←→「速さのため(の道具)」
「楽しさ」を「速さ」と置き換えたのは、スポーツドライビングの楽しさが「速さの追求」だからですが、こういう言い方をすると、両極端に置いた二つの価値観に共通項が見い出せます。「効率」です。つまり道具としての理想の姿とは?という論理性。それが移動(距離)であろうが速さ(時間)であろうが、論理的に最新のATがもっとも効率的である、との主張であれば、上記の両極端に配した二つの意見は、実は片方に寄ってしまうのです。
効率的な道具という観点で「AT=論理的」とするならば、その対極は何でしょう?「情緒的」です。
運転に於ける情緒的価値とはすなわち、目的地でもなく、到達時間でもなく、運転することそれ自体に於いて「楽しいと感じること」です。
この対立軸においてMTをATの対極に置くとして、その楽しさは何か?実はそれはMT自体にあるのではなく、エンジンの特性そのものがもたらす楽しさなのです。トランスミッションは任意のギヤを提供するのみで黒子に徹し、エンジン回転と駆動輪のリニアな関係を提供する。ドライバーはアクセル操作によってエンジン回転を操り、回転数の変化によるトルク変動、振動、音と共にもたらされる速度の変化を味わう。そしてシフトチェンジはこのエンジン回転と車速の関係を切り替える行為であり、それはそのまま微妙に異なる味わいとなってドライバーにもたらされます。
対してATですが、その効率性と裏腹(引き換え)に、このエンジン回転と車速の関係を自動制御するが故に、ドライバーにもたらす「エンジンの味」を著しく希薄化してしまいます。そして驚くべきことに、その自動制御される変速動作に順応したドライバーは、シフト操作から解放されるのに伴って、エンジン回転を制御するという意識をもどこかに置き去りにしてしまうのです。そしてこれは、ATをマニュアルモードで操ったとしても、MTと同レベルにはならない。つまり「失ったまま、取り戻せない」のです。
その理由をボクはまだ論理的に説明は出来ません。ただ自分の経験に基づき事実を報告するのみですが、FLAT6さんが主張されるこちらに、その答を導き出すヒントがあるかもしれません。
かくして、MTはその運転する楽しみ(情緒的価値)において、クルマの評価の中で非常に大きな割合を占めるエンジンの特性を味わうという点で、ATに対して圧倒的な優位性があるのです。
これらの「MTを運転するときにエンジン回転数に敏感(センシティブ)になる」⇒「ATを運転するときはエンジン回転数に鈍感(センスレス)となる」という事実は、以下の例を挙げると解り易いでしょうか。
MTの運転に習熟したドライバーは、その時々に応じて適切な回転数を明確に選択しシフト操作を行います。その意識は具体的には
「あるギヤで加速していくと、ある回転数に達したところでシフトアップしたくなる」
という心理が働くことです。そのときの状況、気分、ペースにより回転数は様々ですが「無駄に引っ張る」ということに抵抗を感じる直前にギヤを上げる。この事実はつまり、ドライバーはタコメーターを見る、見ないによらずエンジンの回転数を常に無意識のうちに意識していることを意味します。ある特定の速度にクルマを導くとき、心地良い回転数の範囲内でギヤを切り替えながら、結果として目標の速度を得る、という運転です。
一方ATでは、単にアクセルペダルの踏み加減によって所望する速度を得るという運転になってしまいます。
MT愛好家の多くが「MTはクルマを運転する実感がある」⇒(ATはクルマを運転する実感に欠ける)と言いますが、実はこの表現は誤解を生む曖昧な表現です。真実は「クルマの運転」ではなく「エンジン回転数の制御」なのです。MT愛好家がATの運転で失うものが真にコレであり、その喪失感を許容出来ずに、MT車に回帰するのだと考えると無理がありません。
なにしろMTの楽しさを「運転の楽しさ」と表現した途端、「じゃぁAT車の運転は楽しくないのか?」「いやAT車だって運転は楽しい」「いやいや、MT車の楽しさには敵わない」などという、不毛な議論が決まって始まります。そうではないのです。
MT車であれAT車であれ、クルマが走り、曲がり、止まるのは変らず、タイヤのグリップ性能を引き出して姿勢と速度を操る楽しみは同じです。MT車とAT車の違いはそこではない。むしろその手前にある「速度の制御方法」において、MTはエンジン回転数とギヤの組み合わせによって速度を操るというある種の手間が掛かる一方で、AT車は単純にアクセルペダルの踏み加減で速度を調整するのみ。MTが多少の手間とスキルを要する対価としてエンジンの特性を色濃く味わえるというメリットがあり、AT車はそこが希薄。よってその価値が判る人がMTを嗜好するという極めて単純なハナシなのです。
したがってボクがSKYACTIV-DRIVEを手に入れる前に感じていた「MTにはもはやノスタルジー以外の価値は無い」という考え方は完全に誤って(或いは重要な観点が欠落して)おり、運転そのものを楽しみたいという情緒的な欲求を満たすためであれば、MTは最良の選択とすら言えるというのが結論です。
なにしろMT/ATという比較論において、MT車が持つ魅力の一部をAT車は欠いている(或いは希薄である)わけですから、事の優劣に議論の余地はありません。
ただここで一点だけ注釈を付けておきたい点は、やはり最新のATのマニュアルモードについてです。なにしろここまでの結論に至るボクの検証は、一車種一年という、サンプルとしては極めて貧弱なものです。SKYACTIV-G2.0というエンジンは非常に良く出来た高効率エンジンではありますが、情緒的な価値に照らせばトルク特性が極めてフラットであり官能性に優れるとは残念ながら言い難い。一方で比較対象となったNSXのC30Aは、その官能性に関しては極上の一基と言えます。
比較検討するに当たっては、かなり公平性を欠きます(苦笑)。
しかしながら今回、執筆に踏み切った背景はもちろんFLAT6さんに口火を切られた(笑)こともありますが、例えば最新のポルシェ911の7MT車とPDK車、同じシャシー、同じエンジンでミッション違いの2台を乗り比べたとき、よりエンジンの特性を濃密に味わえるのは7MTであろうという、相対比較における結論に相違はなかろうという確信に基づくものです。
ですから、ポルシェ911の珠玉のフラット6にPDKという組み合わせが、「エンジンの味わい」を十分にドライバーに提供する可能性をボクは否定はしません。しませんが「7MTと比べたらどうですか?」という観点に立てば、やはりPDKに対してMTの優位性は覆らないであろうと考えています。
若干の補足を番外編につづく。
Posted at 2013/02/16 19:39:54
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