先日部屋の整理をしていたら、WorkPad c3が出てきました。Plam社のPDAで、IBM社がWorkPadというブランドネームで販売していたものです。当時WindowPC、Newtonなど、PDAのちょっとしたブームでしたがPalmはシンプルなハードウエア、シンプルなソフトウエアで操作も分かり易く、PDAの中では最も成功を収めたといってもよいでしょう。しかし、今ではiPhoneをはじめとするスマートフォンに置き換えられて後継機種も含めて市場での存在感を失ってしまいました。
写真は、自分のiPhone3GSと並べて撮ったのですが、勿論電話は付いてない、インターネットには繋がらない、感圧式のモノクロ液晶の性能はたいしたことない、といった様にiPhoneと比べて劣る点を挙げていくときりがないのですが、こうやって見るとその成り立ちというか、エッセンスは、(PCとシンクロできるという点も含めて)極めて類似と言っても良いのではないかと思います。スティーブジョブス亡き後、特に天才開発者としてのジョブスと、iPhoneを嚆矢とするアップルのプロダクトの偉大さがしきりに賞賛されているのではありますが、PlamとiPhoneを並べて見ると、少しは冷静になるのではないでしょうか?アップル・マッキントッシュがパロアルトのコンピューターに触発されて開発されたように、真に偉大なプロダクトであっても、空気中から、あるいはゼロから、いきなりは生み出されないのです。
Palm Pilotで成功を収めたPalm社はその後Palmデバイスと携帯電話との融合を試みスマートフォンの先駆ともいえる存在を生み出しました。しかし、それはマイクロキーボートとディスプレイを備えた今のブラックベリーと類似した形態と操作体系を持ったデバイスであり、当初のPalmPilotのようなシンプルさと明快さは失われていました。そしてその後に登場したPalmデバイスの正統的な後継者とも言えるiPhoneに駆逐されるように市場より(ほぼ)撤退したことは皆さんご承知のとおりだと思います。
先駆的で素晴らしいコンセプトを持ったデバイスを開発したPalm社はどこで間違ったのでしょうか?そしてPalmの換骨奪胎であるiPhoneが、あるいはアップルは何故偉大なる成功を収めることができたのでしょうか?その答えをここで明確に提示することはできないですが、一点のみ個人的な考えを述べてみたいと思います。それは結局は、その時々の技術水準とコンセプト(あるいは顧客目線での商品のあるべき姿)との妥協点をどこにおくのかという判断ではないかと思うのです。
Palmは次世代デバイスを開発する際に、自身のオリジナルの最も優れた特長であった上に書いたその成り立ちを、新たに追加する電話などの機能を当時の技術で実装するために妥協して一部捨ててしまったのに対してiPhoneはほぼ同じコンセプトを維持・発展させることに一切妥協せず、困難であっても必要な技術を新たに開発することを選んだのだと思います。その結果、画面で自在にアプリケーションをコントロールできる秀逸な液晶とその制御技術を組み込んだOSを実装したデバイスの開発に成功し、その優位性はある意味現在でも失われていないと言っても良いでしょう。
モノづくりにおいて、おそらくこの違いは非常に大きいのかもしれません。「顧客視点での」商品開発といったフレーズを使った企画書を作成したりするのですが、しかし理想は理想であって現在の技術では実現できないし、それを待っていればいつ商品化できるか分からない、スピードも重要ということで、いつしか当初の目的から妥協して技術主導の商品開発に堕してしまうことがままあるのではないかと思うのです。
しかし、そういった商品は価格勝負に陥りやすいですし、正当な商品が登場すれば一発で市場から駆逐されてしまうのは自明のことでしょう。あるいは日本のガラパゴス携帯やテレビなどの家電製品もそうであったのかもしれません。そして、クルマ作りにおいても、日本の自動車メーカーはそういった陥穽に陥っていないと断言することはできるのでしょうか?
何年もの間、箪笥の中に眠っていたWorkPadを偶然発見した際、思わずそんな考えが脳裏をよぎったのでした。
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Posted at
2012/04/21 11:01:51