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2012年03月18日 イイね!

214:クルマの進化史(フォローアップ)

214:クルマの進化史(フォローアップ) ブログNo.203、No.204そしてNo.213と三回に渡って、クルマの誕生から現在に到るまで発展の歴史を生物進化になぞらえて考察してみました。思索としてはまだまだ練れておらず成功したとはとても言えないのですが、ある方より拙文に対して詳細なコメントを頂いたこともあり、今回、フォローアップとしていま一度補足的な位置づけで書かせていただくことにしました。

 ご指摘いただいた内容についてはブログNo.213を参照していただければと思うのですが、ポイントとしては次のように理解しています。

①クルマの個性は希薄化したのではなく、世界的な規模で市場が拡大したことによりむしろ多様化したのではないか。
②二度の世界大戦により貴族階級が没落した訳ではなく、そのことによりクルマの多様性が減少したというのは間違いである。
③日本車の発展はある意味幻想でありガラパゴス化ともいえる進化の袋小路に入っている。日本の自動車産業は欧米の世界標準に対抗するのではなく、むしろ部品産業へシフトする等、住み分けを目指して方向転換することが生き残りの妥当な戦略である。

 まず全体として触れておきたい点は、クルマの歴史的な経緯をこのようなブログという形式の短い文章で概説し、分析し、そして表現することはとても困難なことです。この点は勿論承知しています。おそらく納得性の高い結論を導くにはもっと長く詳細な議論が必要なのは間違いないと思います。ですがそれは私自身の手には余るテーマになりますので、今回の論考は敢えてひとつの切り口、すなわち”生物進化という現象とのアナロジー”に立脚して論点を絞った、短い思索メモというべきものであると思っています。従って物事の一側面を見ているといえばそのとおりで、別の側面からはまた別の結論が導かれることは否定しません(というかできません)。

 以下、各点について考えてみたいと思います。

 まず①ですが、クルマの進化は、競合品との差別化や拡大する市場への適応といった多様性を増大させるプロセスと、逆に生産・物流の発展による大衆化(陳腐化)や技術的洗練といった多様性を減少させるプロセスの組み合わせによって進行してく現象であると捉えました。したがって高次のレベルでは多様性は減少しつつも、ある枠組みのなかではむしろ多様性が増大するということが起こっていると見ることも可能であり、言い換えると個性の希薄化が目に付く変化として捉えられるものの、一方的に没個性化が進行しているの訳ではないとも考えられます。しかしブログでは論点を強調するため、ある意味言葉足らずであったかなと思います。

 次に②についてですが、これも論旨を強調するため言葉の使い方がやや不正確であったようです。意図するところは、「世界大戦の影響で王政や帝政といった政治体制が多くの国で消滅した」背景のなかで、ブガッティ、タルボ、ドレイユ、あるいはホルヒ、アウトウニオンといった戦前の高級車メーカーが大戦後に存続できなくなったことは事実であり、これは王室を頂点とする当時の支配階層が大戦により大きなダメージを受けたことと無縁ではないということが言いたかったのです。しかし、特に欧州において貴族階級が消滅したわけではなく、現在でも強固な社会的存在として存続しているのも指摘のとおりです(新世界といわれる米国でも、特に東海岸では貴族的な階層が存在しており、米国滞在時にはその財力に大きさに仰天したのも懐かしい思い出です)。

 最後に③についてですが、これは良く分からないというのが正直なところです。ただ部品や素材といった分野で強みを発揮するという方向性は既に多くの産業で日本企業が採用している戦略であり、極めて有効なやり方であることは間違いはありません。自動車産業でもまたしかりであろうと思います。しかし、完成品として人間の生活を変える、あるいは世界を変えるモノを作り上げる努力を我々日本人が放棄していいのかというと、いまだ解答は得られていないのではないかというのが、願望も含んだ自分の見解になります。

 長文になり申し訳ありません。まあ今回で一連の論考は一応ひと段落として、次回からはもう少し軽い話題もいいかなと考えている次第です。またよろしくお願いします。
Posted at 2012/03/18 22:40:37 | コメント(1) | トラックバック(0) | クルマの話題 | クルマ
2012年03月18日 イイね!

213:クルマの進化史(承前)

213:クルマの進化史(承前) ブログNo.203No.204で、「クルマの個性の希薄化」とのタイトルで、クルマの歴史を生物の進化と関連させて取り上げたのですが、その中でクルマ誕生の地であるヨーロッパにおける進化の経緯を簡単に概観しました。内容を更に要約すると以下のように書けます。

 ~クルマは19世紀末にヨーロッパで誕生し爆発的に様式が多様化した。その後、市場選択と環境変化により多様性が減少する一方、生産国別には分化が進み、いくつかの主要な系統に収斂して現在に到っている~

 今回は欧州でのクルマ進化史の続きとして、米国と日本のそれを取り上げてみたいと思います。興味をお持ちになられた方はお付き合いください(クルマの進化のメカニズムについて考察しているのはこちら)。

米国での進化について:
 欧米でのクルマの進化にそれほど遅れることなく、19世紀末には北米大陸にもクルマが上陸しました。しかし、現代とは異なり海を越えての生産・流通は困難であり上陸した欧州車がそこで繁殖・拡散することはなく、現地で米国車という系統が独自の進化を遂げることになったのです。その特徴を挙げてみると、

 ・欧州車に比べて繁殖性に優れていたこと(大量生産技術の発達)
 ・恵まれた環境であるため選択圧が弱く、初期の拡散/多様化の後の収斂が殆ど起こらず、主要系統内でのマルチブランド化、マルチチャンネル化という形で多様な種がそのまま発展・拡大していったこと
 ・そのなかで、異例の巨大化、多食化が進行し、巨大草食恐竜にも匹敵する他の地域では認められないユニークな種が多数生まれて環境を支配したこと

 などになるかと思います。しかし繁栄を謳歌していたこれら巨大種はオイルショックという(生物史における白亜紀末の隕石落下にも匹敵する)環境の激変によりあえなく衰退、それまでは北米の片隅で細々と生活していた日本車に生息環境を大幅に奪われることになったのです。その後も米国(車)種は長期に衰退傾向にあり、環境適応能力を増した欧州車の上陸や最後発の新種である韓国車の進出もあり、米国内は複数の系統の(クルマ)種の坩堝というべき状況を呈しているといえます。

日本での進化について:
 20世紀初頭より少数の欧米車が上陸したりしましたが、本格的に定着したのは約50年遅れの第2次世界大戦後からでした。米国の状況とやや類似していたのは、極東の島国であり日本外の車の現地での生産が困難であったことに加えて、自国産業育成政策を取った日本政府による輸入制限、さらには敗戦により壊滅的なダメージを受けた経済状態(繁殖するに厳しい環境)を反映して、ここでも日本車という系統が独自の進化を遂げることになったのです。その特徴を以下に挙げてみると、

 ・厳しい経済環境に適応して価格が安く、小食、体力あり(病気に強い)
 ・貧弱かつ過密な道路環境に適応して小柄
 ・姿かたちや能力的には平凡
 
 環境的には厳しいとはいえ、日本は一億人の人口を有する大市場であり、かつ、車としてそれなりに技術的に洗練された段階で国内に導入されたこともあって、多様化の様相は欧州よりむしろ米国に類似して、少数系統に収斂されるより、マルチブランド化、マルチチャンネル化のかたちを取って発展してきたといえます。

 戦後数十年に渡って、高い能力を持った欧州の小型種あるいは米国の巨大種に比してみるべきところがなかった日本車種でしたが、オイルショックを含むエネルギー問題の深刻化、中近東、アジア諸国の台頭に伴う欧米の相対的地位の低下といった生育環境の悪化に受けて、小柄で体力があり、どんな環境でも適応できる日本車が世界的に生育圏を大幅に拡大したというのが20世紀末から21世紀初頭の状況であるといえます。

*      *      *

 クルマの進化史に関する今後の展望としては、今まで条件が厳しすぎて車が十分に生育できなかった環境(中国、インドなど)への適応・進化がどように進むであろうかという点が最も重要になります。韓国車、中国車、インド車といった、日本車より更に厳しい生育環境への適応度を増した種が支配的な地位を締めるのか、あるいは欧米日の車種がそれに伍して巨大なニッチに食い込むことができるのか、太古の時代に水棲生物が陸上に進出した時と良く似た出来事が今後展開していくのではないでしょうか?
Posted at 2012/03/18 11:39:53 | コメント(2) | トラックバック(0) | クルマの話題 | クルマ
2012年03月10日 イイね!

204:クルマの個性の希薄化についての一考察(その2)

204:クルマの個性の希薄化についての一考察(その2) 内燃機関を持つクルマは19世紀の末にヨーロッパの数カ国でほぼ同時に作られ始め、その後、爆発的に多様化しました。ガソリンエンジン、四つの車輪、懸架装置、操舵装置を備えた乗り物という以外なんらの技術的な蓄積もなく、また車自体も当然存在しない時代において、おおよそありとあらゆる技術的な可能性が試行錯誤され、優れたものから箸にも棒にも掛からないものまで、さまざまに個性的なクルマが世に登場しました。

 誕生から第一次世界大戦までの30年あまりが自動車の歴史においては揺籃期といえ、この間にクルマの基本的な仕組みがほぼ完成の域に達しました。言い換えると枝葉な技術の刈り込みが進み多様化のレベルは減少したともいえます。二度の世界大戦を経験することでヨーロッパでは貴族階級が没落するとともに戦火による経済基盤の沈下などの社会的な大変動が生じ、その影響を受けてそれまで車の主流であり多様性の源であった超高級車クラスが絶滅し、また華々しいレーシングカー文化を支えた階層の退潮という出来事を経て、車は庶民階層に広く普及していく時代に移っていきました。その中で技術的な洗練度が高まり変異の幅が減少するとともに(いわゆる右の壁に近づくということ)、大量生産される工業製品としての側面がより重視され、仕様の統一や規格化が進められ、それによっても個性は希薄化していったのです。

 以上の歴史的な経緯を俯瞰するに、車の個性の希薄化の理由は、一つには技術的な完成度が高まることによる変異の減少を反映しているということ、もう一つは大量に安価に製造されることが個性化を抑制する方向に働く力となっているということではないかと考えられます。

 さらに別の角度から考えてみましょう。上記のクルマの揺籃期においては、また自動車メーカーの製造能力も流通経路も極めて脆弱であり、作られた自動車は一部の人や一地域でのみ使われていました。なにより国家間での障壁が現在よりはるかに高く、その壁を越えて車が普及することは少ない時代であったと言えます。この状況は今回のブログの冒頭で説明した、生物の種分化に働く「地理的障壁」と全く同じ作用を車の進化にも及ぼしたことと推察されます。よって国家間の経済交流が発展するまでは、自動車製造国ごとに特徴のあるクルマ作りが進行し、その結果、いわゆる”ドイツ車らしさ”、や”フランス車やイタリア車らしさ”といった我々が今でも感じられる個性が形作られたという経緯があるのです。

 このことから今においてクルマの個性が希薄化した別の要因が何であるかは明白でしょう。時代が下るにつれていわゆる地理的障壁は消失していき、生物の種分化に相当するクルマの個性化を推進する主たる力もなくなっていったのです。現代では、人、物、情報などが広く、速く、大量に交流することで、例えば画期的な発想や発明により、一時優れたクルマが誕生したとしても、その特長はすばやく他のクルマに取り込まれ、消化され、追随するクルマが多数生まれてくることで、生じた個性は普遍的なものとして定着する前に希釈されることになるのです。

 以上、まとめると技術的な洗練による変異(個性)の減少と、(生物における地理的隔離に類する)個性化を促進・定着させる環境要因の消失という二つの側面により、ある意味歴史的な必然としてクルマの個性は希薄化していると結論できるのではないかと思うのです。生物進化とクルマの進歩との安易なアナロジーは、それが生じる根本メカニズムが異なることから危険であることは勿論承知していますし、今回の考察もお遊びの域を出てはいないのですが、それはさておき、結論としては全く的外れな考察ではないのではないかとも考えています。

 さて最後に、マクロな視点で見た場合のクルマの個性化は、今後は生じ得ないのかという点を少し考えてみて今回の話題を終わりにしたいと思います。私が得た結論からすると、”画期的な発明が比較的小さい(あるいは特殊な環境)で生まれる状況”があれば個性として定着する可能性はあると言えます。そして、内燃機関を置き換える画期的な(ハイブリッドからEV)技術を有するクルマたちが突出して普及している、時にガラパゴスと揶揄される極東の島国がそんな可能性を最も多く有しているのではないかと期待しているのです。
Posted at 2012/03/10 12:52:14 | コメント(1) | トラックバック(0) | クルマの話題 | クルマ
2012年03月10日 イイね!

203:クルマの個性の希薄化についての一考察(その1)

203:クルマの個性の希薄化についての一考察(その1) 昨今、車の個性が希薄化しているのではないかとの意見が多く聞かれます。理由としては、低コスト化の追求、CADなどのIT技術が進歩したためみな似たり寄ったりのデザインしかできなくなった、才能の枯渇など、様々議論されたりしています。この問題については個人的にも興味があり、少し別の角度から考えてみたので、今回から2回に分けて書いてみたいと思います。ご興味持っていただける方はお付き合いいただけますと幸いです。

*      *      *

 まずクルマではなく、生き物の個性化ともいえる進化の話から始めます。生物進化は個体レベルでの遺伝子の突然変異と、環境への適応のレベルによって決まる自然淘汰の連続したステップにより進行しますが、生物学のレベルで現象として捉えられる進化は、いわゆる種分化、すなわち、ひとつの種が上記のプロセスにより二つに分かれて、最後には繁殖(生殖)できなくなることにより別の種になることであると考えることができます。

 種の分化が起こるにあたっては、遺伝子的に均一性を保持した母集団から少数の集団が分離され、その中で遺伝的な変異が固定されることが重要になります。そうでなければ個体レベルで生じる遺伝的な変異(による有利な性質)が、変異を持たないほかの個体との交雑により希釈化されてしまうからです。こういった部分集団の隔離が生じる原因として一番知られているのは、いわゆる地理的隔離で、例えば島や山、河などで隔絶されて交流ができなることで隔離された小集団の中で個体レベルで生じた有利な性質がその集団の共通の性質として定着しやすくなるのです。それ以外にも食性が異なったり、あるいは生殖行動の差異といったものも集団隔離を生み出す要因になると言われています。

 つい最近では、1月に英オンライン科学誌ネイチャーコミュニケーションズに京都大学の研究チームが、”カブトムシやテントウムシなどの甲虫類では、飛べない種の方が、飛べる種よりも種の分化の速度が速い”ことを報告したとニュースになっていましたが、これも上記の現象の検証事例の一つと考えることができます。

 さて、上の話を踏まえたうえでクルマの話題に移っていく訳ですが、現在の車が無個性になっているとの認識が仮に事実であるとすると、逆に昔の車は個性的であったということもまた事実ということになります。では何故、昔は個性的な車が数多く存在し、今はそんな特長のある車たちがいなくなってしまったのでしょうか?

 それに対する(ある種の)答えはクルマの歴史を振り返ってみれば見えてくるのではないかと考えるのです。

(つづく)
Posted at 2012/03/10 12:36:44 | コメント(0) | トラックバック(0) | クルマの話題 | クルマ
2012年03月06日 イイね!

200:ブログ200回目の雑感

 西暦2000年から2001年にかけて、「新世紀は何時から始るんだ?」という議論が世界的になされたことをご記憶の方もいらっしゃるかと思います。日本では2001年であるとの意見が圧倒的であんまり盛り上がらなかったようですが、答えとしてはどちらも間違いではないということになったようです。

 さて、クルマの走行距離の切り番にはあまり興味はないですが、自分の書いたブログの数には若干ながらも感慨があります。以前より101回150回目になんとなく感想めいた記事を雑感として書いてみたのですが、その際も~0回にするか、~1回にするかでやや悩みました。日本ではこういった切り番は~0回あるいは~0年とするのが主流ですが、感覚的には、0回とする場合は過去を振り返って積み上げてきたものを寿ぐ、一方、1回とする場合は、けじめを迎え新しい歩みへの意欲と期待感を共有する、とその目的に違いがあるように感じます。ということで101回目のブログでは今後のブログの方向性について言及し、150回目については過去を回帰した記事を載せたという経緯がありました(まぁ、どうでもいいことですがww)。

 で、今回はブログ第200回目を迎えての趣向としては、過去の記事のPVランキングを載せてみたいと思います。自分としては全て頭をひねって生み出した文章なので、どれも大事といえば大事なのですが、そこはそれ、読み手からしたら興味の程には天地の差があるということでしょう(笑)。勿論、掲載時期がまちまちなので必ずしも順位は正確ではないですが、おおよその傾向は読み取れるのではないかと思います。

 まずはベスト10から。

 ①ボルボ V50 Classic
 ②プジョー208に思う
 ③新型パサート
 ④アウディ A4 オールロードクアトロ
 ⑤トヨタ アクア
 ⑥Evoque, Evoque, Evoque!
 ⑦嫌いなクルマ
 ⑧スバル アドバンスド ツアラー コンセプト
 ⑨新時代の探索者(新型フォード エクスプローラー)
 ⑩V60 T6 インプレッション

 感じるのは新車デビュー時にトピック的に取り上げた記事が人気を博しているということです。書くのにかかった時間や手間、内容の濃淡とPV数には関連性がないことが分かります。これは皆さんの興味がブログの中身より、(当然ですが)取り上げている新車にあるということです。車好きの方々は兎に角、気になるクルマの情報を探しているんだなと改めて思いました。まあ、とは言っても自分としてのなにがしかの主張も盛り込んだ記事(例えば、②、⑦、⑨など)もランキングに入っているのはちょっとだけ嬉しいものではあります。

 次はワースト10になります。

 ①ディーラー訪問(その2:ジャガーXF)
 ②En attendant Godot
 ③歴史についての雑文
 ④坂の上の雲 (承前)
 ⑤視点を変えると...
 ⑥S60近況
 ⑦型にはまるということ
 ⑧自動車雑誌のクルマ評価記事の意義について考える:第2回
 ⑨自動車雑誌のクルマ評価記事の意義について考える:第3回
 ⑩カーシェアリング

 むしろワースト10の方が、書くのに時間と手間がかかり、自分なりの考察を盛り込んだ記事が多いのですが、逆に理屈っぽく、読みにくいものになっているのであろうと推察されます(苦笑)。さらにクルマとは主題がズレたものが多く、その意味でも人気薄なのも理解できます。

 でもまあ書いている立場としては、こっちの記事の方が書くのがむしろ楽しいわけで、素人の書き物の特権として、敢えて読者受けしないものを書いて載せるという贅沢を味わうのもまた良しとして今後もめげずに続けたいとも考えています。
Posted at 2012/03/06 23:00:58 | コメント(4) | トラックバック(0) | クルマの話題 | クルマ

プロフィール

「久しぶりの投稿です。」
何シテル?   03/21 11:29
yutty1325です。シトロエンC5からの乗り換えで、ボルボS60に乗っています。下手の車好きです。ブログにはクルマを中心とした話題を取り上げていきます。
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