
十二試艦戦としても知られる零式艦上戦闘機は、第二次世界大戦期における、日本帝国海軍の、いや日本国・国軍を代表するレシプロ戦闘機であり、敵国からはゼロファイターとして恐れられた存在でした。
当時の日本は、現代とは異なり工業基盤が欧米諸国に比して脆弱であり、航空機産業もまた、一部を除いて一流とはいえない状況ではありました。そのような中、爆撃機の長距離援護や制空任務を担い(ということは、各国の戦闘機と少なくとも同等の戦闘能力を有するということ)、かつ航空母艦で運用可能な戦闘機を開発することは、欧米諸国であっても、この時代の技術水準からは極めて難しい挑戦でした。良くても国際水準か、あるいは少し劣るくらいの要素技術、特に、それなりの性能と信頼性を持つ戦闘機用のエンジンは1000馬力程度が限界であるなか、「凡庸なパーツの組み合わせで、どうやって困難な目標を達成するのか」、という技術的な課題に対して、かつての三菱の技術陣が選んだ解決方法は、優れた設計技術に基づく、パッケージングの妙と、徹底した機体の軽量化でした。
その結果、空力に優れたボディ形状や引き込み式の主脚 (尾輪も)の採用などと相まって、零戦は、1000馬力エンジンでありながら大きな余剰推力を確保し、他国の戦闘機と比べて、最高速度はそこそこながら、抜群の加速力(上昇力)という性能上の特長を有していました。加えて低速から中速度域では運動性も良く、当時としては大口径であった 20 mm 機関銃の搭載により、国際水準を大きく上回る戦闘能力を実現していました。加えて、軽量+低燃費エンジン+大容量燃料タンクの組み合わせにより長大な航続距離も並立させることに成功したのです。
今から考えても、抱えていた技術的課題に対する、実現可能な唯一の方策であったし、それを極めて上手く解決したものだと思います。しかしながら、目標達成のために切り捨てざる得なかったいくつかの重要項目、操縦員の生命や燃料タンクを守るための防弾装備の欠如、ぎりぎりの軽量化によって機体の余剰強度の確保できなかったことや、高馬力エンジン搭載余地のなさ、などが、後に他国の新型戦闘機に対する弱点として顕在化して、大戦後半には戦力低下につながったことは、しかたのないことであったのかもしれませんが、残念な事実でした。
零戦の動力性能や操縦性能は、勿論、今となっては知る由もないのですが、過去の資料等を参考に想像をたくましくするに、クルマに例えると「アクセルべた踏みでの最高速はでないが、アクセルを踏むとグッと気持ちよく加速し、ブレーキも良く効き、ワインディングなども鼻先軽く、シャープなハンドリングでクイクイ軽快に曲がっていく」ような感じだったのではないかと思います。
さて、どこか似たような感慨を抱かせるクルマが、現代日本にもあります。(ここでやっとタイトルと話がつながるのですが)、マツダのユーノス・ロードスターがそれです。高性能スポーツカーの開発経験も少なく、そのための特段の技術基盤も持たない(とまではいいませんが、他社に比して明らかな優位性はなかったと思います)、マツダが、まあ、ある意味平凡なスペックの構成要素を、大胆な割り切り(オープン、二人乗り)と過剰装備を廃した軽量ボディに組み合わせることで、運転の楽しい、ライトウエイトスポーツカーを実現し、自動車界に新たな潮流を生み出すことに成功しました。
ロードスターが切り開いた、このカテゴリーには後に、メルセデス、BMW、ポルシェ等、「プレーミアム」な連中が乗り込んできて、よりハイパワー、贅沢装備、高度な制御技術などを駆使した重量級の高級・高額車を販売し、ロードスターを駆逐していきましたが、このあたりの歴史的経緯もどこか、過去の零戦の顛末を思い起こさせるものがあります。
しかしながら、これらのクルマと比べて、ロードスターが、ライトウエイトスポーツカーとして劣っているかと言われると必ずしもそうではなく、リーズナブルな価格設定も合わせて考えると、このクルマの真の偉大さが見えてくると思います。幸いなことに、零戦のように、敵国のライバル機と戦闘による決着をつける必要は現代の車にはないのですから、今後もマツダには、ロードスターの開発を継続していって欲しいと強く思います。
私も、今は子供も小さく、ロードスターのようなクルマは買えないのですが、彼らが成長して手が離れたあかつきには、是非、ロードスターを購入して、カミさんと一緒にドライブ旅行に行きたいものだと思っています。いささか陳腐な話ではありますが、こんな訳で、ユーノス・ロードスターは国産車でありながら、自分の乗ってみたいクルマリストの一員でありつづけているのです。

Posted at 2011/09/10 23:08:43 | |
トラックバック(1) |
日本車 | クルマ