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No.203と
No.204で、「クルマの個性の希薄化」とのタイトルで、クルマの歴史を生物の進化と関連させて取り上げたのですが、その中でクルマ誕生の地であるヨーロッパにおける進化の経緯を簡単に概観しました。内容を更に要約すると以下のように書けます。
~クルマは19世紀末にヨーロッパで誕生し爆発的に様式が多様化した。その後、市場選択と環境変化により多様性が減少する一方、生産国別には分化が進み、いくつかの主要な系統に収斂して現在に到っている~
今回は欧州でのクルマ進化史の続きとして、米国と日本のそれを取り上げてみたいと思います。興味をお持ちになられた方はお付き合いください(クルマの進化のメカニズムについて考察しているのは
こちら)。
米国での進化について:
欧米でのクルマの進化にそれほど遅れることなく、19世紀末には北米大陸にもクルマが上陸しました。しかし、現代とは異なり海を越えての生産・流通は困難であり上陸した欧州車がそこで繁殖・拡散することはなく、現地で米国車という系統が独自の進化を遂げることになったのです。その特徴を挙げてみると、
・欧州車に比べて繁殖性に優れていたこと(大量生産技術の発達)
・恵まれた環境であるため選択圧が弱く、初期の拡散/多様化の後の収斂が殆ど起こらず、主要系統内でのマルチブランド化、マルチチャンネル化という形で多様な種がそのまま発展・拡大していったこと
・そのなかで、異例の巨大化、多食化が進行し、巨大草食恐竜にも匹敵する他の地域では認められないユニークな種が多数生まれて環境を支配したこと
などになるかと思います。しかし繁栄を謳歌していたこれら巨大種はオイルショックという(生物史における白亜紀末の隕石落下にも匹敵する)環境の激変によりあえなく衰退、それまでは北米の片隅で細々と生活していた日本車に生息環境を大幅に奪われることになったのです。その後も米国(車)種は長期に衰退傾向にあり、環境適応能力を増した欧州車の上陸や最後発の新種である韓国車の進出もあり、米国内は複数の系統の(クルマ)種の坩堝というべき状況を呈しているといえます。
日本での進化について:
20世紀初頭より少数の欧米車が上陸したりしましたが、本格的に定着したのは約50年遅れの第2次世界大戦後からでした。米国の状況とやや類似していたのは、極東の島国であり日本外の車の現地での生産が困難であったことに加えて、自国産業育成政策を取った日本政府による輸入制限、さらには敗戦により壊滅的なダメージを受けた経済状態(繁殖するに厳しい環境)を反映して、ここでも日本車という系統が独自の進化を遂げることになったのです。その特徴を以下に挙げてみると、
・厳しい経済環境に適応して価格が安く、小食、体力あり(病気に強い)
・貧弱かつ過密な道路環境に適応して小柄
・姿かたちや能力的には平凡
環境的には厳しいとはいえ、日本は一億人の人口を有する大市場であり、かつ、車としてそれなりに技術的に洗練された段階で国内に導入されたこともあって、多様化の様相は欧州よりむしろ米国に類似して、少数系統に収斂されるより、マルチブランド化、マルチチャンネル化のかたちを取って発展してきたといえます。
戦後数十年に渡って、高い能力を持った欧州の小型種あるいは米国の巨大種に比してみるべきところがなかった日本車種でしたが、オイルショックを含むエネルギー問題の深刻化、中近東、アジア諸国の台頭に伴う欧米の相対的地位の低下といった生育環境の悪化に受けて、小柄で体力があり、どんな環境でも適応できる日本車が世界的に生育圏を大幅に拡大したというのが20世紀末から21世紀初頭の状況であるといえます。
* * *
クルマの進化史に関する今後の展望としては、今まで条件が厳しすぎて車が十分に生育できなかった環境(中国、インドなど)への適応・進化がどように進むであろうかという点が最も重要になります。韓国車、中国車、インド車といった、日本車より更に厳しい生育環境への適応度を増した種が支配的な地位を締めるのか、あるいは欧米日の車種がそれに伍して巨大なニッチに食い込むことができるのか、太古の時代に水棲生物が陸上に進出した時と良く似た出来事が今後展開していくのではないでしょうか?
Posted at 2012/03/18 11:39:53 | |
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