
内燃機関を持つクルマは19世紀の末にヨーロッパの数カ国でほぼ同時に作られ始め、その後、爆発的に多様化しました。ガソリンエンジン、四つの車輪、懸架装置、操舵装置を備えた乗り物という以外なんらの技術的な蓄積もなく、また車自体も当然存在しない時代において、おおよそありとあらゆる技術的な可能性が試行錯誤され、優れたものから箸にも棒にも掛からないものまで、さまざまに個性的なクルマが世に登場しました。
誕生から第一次世界大戦までの30年あまりが自動車の歴史においては揺籃期といえ、この間にクルマの基本的な仕組みがほぼ完成の域に達しました。言い換えると枝葉な技術の刈り込みが進み多様化のレベルは減少したともいえます。二度の世界大戦を経験することでヨーロッパでは貴族階級が没落するとともに戦火による経済基盤の沈下などの社会的な大変動が生じ、その影響を受けてそれまで車の主流であり多様性の源であった超高級車クラスが絶滅し、また華々しいレーシングカー文化を支えた階層の退潮という出来事を経て、車は庶民階層に広く普及していく時代に移っていきました。その中で技術的な洗練度が高まり変異の幅が減少するとともに(
いわゆる右の壁に近づくということ)、大量生産される工業製品としての側面がより重視され、仕様の統一や規格化が進められ、それによっても個性は希薄化していったのです。
以上の歴史的な経緯を俯瞰するに、車の個性の希薄化の理由は、一つには技術的な完成度が高まることによる変異の減少を反映しているということ、もう一つは大量に安価に製造されることが個性化を抑制する方向に働く力となっているということではないかと考えられます。
さらに別の角度から考えてみましょう。上記のクルマの揺籃期においては、また自動車メーカーの製造能力も流通経路も極めて脆弱であり、作られた自動車は一部の人や一地域でのみ使われていました。なにより国家間での障壁が現在よりはるかに高く、その壁を越えて車が普及することは少ない時代であったと言えます。この状況は今回のブログの冒頭で説明した、生物の種分化に働く「地理的障壁」と全く同じ作用を車の進化にも及ぼしたことと推察されます。よって国家間の経済交流が発展するまでは、自動車製造国ごとに特徴のあるクルマ作りが進行し、その結果、いわゆる”ドイツ車らしさ”、や”フランス車やイタリア車らしさ”といった我々が今でも感じられる個性が形作られたという経緯があるのです。
このことから今においてクルマの個性が希薄化した別の要因が何であるかは明白でしょう。時代が下るにつれていわゆる地理的障壁は消失していき、生物の種分化に相当するクルマの個性化を推進する主たる力もなくなっていったのです。現代では、人、物、情報などが広く、速く、大量に交流することで、例えば画期的な発想や発明により、一時優れたクルマが誕生したとしても、その特長はすばやく他のクルマに取り込まれ、消化され、追随するクルマが多数生まれてくることで、生じた個性は普遍的なものとして定着する前に希釈されることになるのです。
以上、まとめると技術的な洗練による変異(個性)の減少と、(生物における地理的隔離に類する)個性化を促進・定着させる環境要因の消失という二つの側面により、ある意味歴史的な必然としてクルマの個性は希薄化していると結論できるのではないかと思うのです。生物進化とクルマの進歩との安易なアナロジーは、それが生じる根本メカニズムが異なることから危険であることは勿論承知していますし、今回の考察もお遊びの域を出てはいないのですが、それはさておき、結論としては全く的外れな考察ではないのではないかとも考えています。
さて最後に、マクロな視点で見た場合のクルマの個性化は、今後は生じ得ないのかという点を少し考えてみて今回の話題を終わりにしたいと思います。私が得た結論からすると、”画期的な発明が比較的小さい(あるいは特殊な環境)で生まれる状況”があれば個性として定着する可能性はあると言えます。そして、内燃機関を置き換える画期的な(ハイブリッドからEV)技術を有するクルマたちが突出して普及している、時にガラパゴスと揶揄される極東の島国がそんな可能性を最も多く有しているのではないかと期待しているのです。
Posted at 2012/03/10 12:52:14 | |
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