新たに物事を考える際に、今までの経験や習慣を前提にして、類型的なパターンに分類してしまうことはありませんか?これは良い面と悪い面があって、利点としては過去のノウハウや経験等の財産を生かして検討過程をショートカットすることで、より本質的(と考えられる)問題を検討するのことに時間と力を費やすことができることです。一方、リスクとしては当然ですが考え方が類型化することで、画期的な解決策が得られ難くなる、さらには当てはめるパターンが不適切であった場合は、結論そのものが間違ってしまうということです。
このような「型にはめて物事を考えること」は、それこそ自分も含めて個人レベルから、会社、地域社会、さらには国レベルまでさまざまな局面で日々発生していることであり、その中でリスクを増加させる最も大きな要因は、外部との交流の少ない比較的閉鎖された時間と空間の中で行われることであろうと思います。最近の例では原発行政なんかも「これで大丈夫」という根拠のない安全神話が生み出した人災ですし、オリンパスのこともおそらく社内では「常識となっていたこと」が、外から見れが「非常識な判断」であったということでしょう。当然、自分自身あるいは自分の仕事においても「型に当てはめること」の正負のバランスの妥当性については常に検証していく姿勢が重要であるとは思っています。
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先日、そのようなことをぼんやり考えていたのですが、これは日本人のモノづくりにも当てはまっているなと感じたので今回のブログの話題にさせていただいた次第です。勿論、ある種のパターン化された思考や意思決定をするということは、どんな国や民族にもあることなのですが、日本の場合は島国であり、歴史的にみても均質性が高いという社会環境的な側面からも、比較的に思考の型にはまりやすい国民性があるのではないかと思います。
これはポジティブに作用すれば、素早くひとつの方向性にベクトルがそろい、そこに向けて急速に進歩発展する大きなエネルギーを生み出します。そして実際に世界にも類を見ない独創的かつ画期的な成果を達成する能力があることを、過去に何度も何度も実証してきたのが日本人であり、また日本人のモノづくりだと思うのです。
一方、ネガティブな面としては、「日本人または日本社会」の枠に規定された、ある種の「思考の型」に縛られて、そこから外への展開ができないことでモノづくりがともすれば停滞しやすいことが挙げられます。上で述べた日本人の長所により、ある種の正解に素早くたどり着いてしまうので、そこから先は、同じところをグルグル回るようなことになり、重箱の隅をつつくような、客観的に見ると奇形的な方向へとモノづくりが向かって行ってしまう危険性があるのです。
ぱっと思い当たるのは携帯電話の事例ではないでしょうか、ほんの数年前までは日本の携帯電話は世界で最も先鋭的な機能を実現し、ネットとの融合を果たしたi-modeもその時点では優れた着想に基づくビジネスモデルであったのも事実です。しかし、そこからの展開でつまづき(モノづくりが停滞し)、いまではガラパゴス携帯と揶揄されグローバルな仕様に基づくスマートフォンに駆逐されつつあるのが現状です。
クルマも同様に考えられる部分があると思います。ミニバンやSUV、ロードスターもそうですし、ハイブリッドで代表される省エネルギー技術も日本が先鞭をつけたと言って良いでしょう。しかし、その後は自ら生み出した技術的な潮流についても、日本社会に特化し過ぎたクルマ作りに終始した国産メーカーのアドバンテージが、グローバルで見た場合に失われつつあり、逆に後発であった輸入車に国内市場も脅かされているように思われる昨今です。
どうしてこうなってしまうのでしょうか?どうしたらそうならないのでしょうか?
難しいのは国産メーカーがたどり着いた結論、フィーチャーフォンもそうですし、クルマで実例を挙げるとすると例えば、
これなんかは、日本社会で多数を占める購買層が購入し、生活の中で使うには、完全に正しい解答であるということです。取り回しやすい車幅でありながら、最大の空間効率を確保、必要に応じて三世代7人が乗れるシート配列、高度なナビを装備し、スタイリングも悪くないです。多くを求めなければ運転もし易く十分走ります。さらに省燃費性能にも優れ、信頼性も高く10年は余裕でノートラブルで維持できて価格もお手ごろと、それこそ「何か文句ある?」といったところではないでしょうか。
ではそれで良いのかというと、ニッチを含めて多種多様なミニバンで街が埋め尽くされた結果、クルマが売れなくなっているのも事実ではあり、巷ではもっと魅力的な車をという声が高まってきています。どうしたら良いのか具体的な打開策をここで提示することはできないのですが、最初のテーマに戻って、やはり今の日本人のクルマ作りが、「何かの思考の型にはまり込んでいて、方向性のない自転を続けている部分はないのか」と、改めて問い直す必要があると思うのです。
冒頭に書いたように型にはまるリスクは、閉鎖的な環境下での思考において高まります、そうであれば、「日本人にとっての最適なクルマ作り」ではなく、「人にとって最高のクルマとは何か」という、より普遍的な観点からクルマを見つめなおす作業の中から、何がしかの解答が得られるのではないかと期待するのです。
Posted at 2012/02/11 17:03:55 | |
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