
表題の問いにはどう答えますか?
現時点ではNOですが、将来的にはYESであろうというのが自分の答えです。その理由について今回考えてみたいと思います。
具体的な方法論としては、①トランスミッション本来の機能の面からと、②それ以外のハードウエアとしての側面、そして③感覚的な側面、の三つ視点から、マニュアルトランスミッション(MT)とオートマティックトランスミッション(AT)を比較することで考察を試みます。興味ある方は、少しだけお付き合いください。
以下、☆:MTが勝っている点、★MTが劣っている点、です。
トランスミッションとしての機能的側面
「回転数によって出力特性が変化するエンジンの動力を、複数のギア比を(断続的あるいは連続的に)変化させることによって、できるだけ効率よく伝達し走行性能に変換することが、トランスミッション機能的な優劣の判断材料になると考えます。
☆最適なギヤを選択するという効率性については、MTはATに比べて人間という高級な「制御システム」を採用するため一日の長があると思われる。しかし、多段ATあるいはCVT、DCTといった新型ATの発達により、その差は急速になくなってきている。
★ギヤチェンジの早さはATはすでにMTに勝っている。
それ以外のハードウエアとしての側面
☆高効率性に由来して燃費性能はMTが勝るが、ハイブリッドシステムに急迫され、既に追い抜かされつつある。
☆構造的にMTの方がシンプルであり、重量はより軽い。
★or☆製造コストも単体で考えるとMTがよりは安い。ただし製造数が少ないと量産効果が得られず、コスト高になる場合がある(国産車のMTは損益分岐を下回っていると考えられる)。
★MTは制御を人間が担当しているので、その分の負担が運転者にかかる。
操作感覚的な側面
☆クルマを意のままに操作しているという感覚はMTが勝る。しかし、ATのマニュアルシフトである程度再現できている。
★渋滞等でのGO/STOPが頻発する場合、MTの負担感は大きい。
まとめると、MTとATでは長所、短所が拮抗しており一概に優劣は付けられないという結果かと思います。MTのおおよその存在比率は、米国で4%、日本で2%、欧州で75%と地域によって大きく異なりますが、これは上述の長所、短所のいずれかがより重視される環境であるかによるのだと考えられます。米国では、恵まれた(あるいは単調な)道路環境と、より安楽な運転を求める消費者のニーズが、日本では渋滞やGO/STOPの多い道路環境に起因する運転者の負担感大きさが、MTの効率性や操作感の長所を上回り、結果、ATの普及に促進的に働いたのだと思います。一方欧州では、2次大戦による経済基盤の低下や小型車が中心的に普及したという歴史的な経緯もあり、価格や燃費などの経済的側面がより強くMTの普及(維持?)に働いたのではないでしょうか?
しかし☆となっているMTのアドバンテージの多くはATの発達により失われつつあるのが事実です。MTそのものは完成されたテクノロジーですので、今後、この関係性が逆転することはあり得ないでしょう。となると、米国や日本では、既に失われたといってもおかしくないMTは、欧州においても今後は高級車セグメントから徐々になくなっていき、最終的にはごく一部の趣味のクルマ(スポーツカーのような車種が想定)以外には見かけなくなるのであろうと推察します。
なお、今回は自家用車を想定して考えてみましたが、商業車についても、より経済的側面が大きいのでその時間的な推移は異なる(遅くなる)としても、基本は同じ流れになると思われます。
結論としては、どの時点かは分かりませんが、MTは「失われたテクノロジーになる」ことは必至と考えられます。
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先日、Auto Blog Japanで、「アウディの次世代R8にはMTは採用されず、新開発のDCTのみになる」との
ニュースを読み、MTの今後の行く末を考えて今回のブログの話題を思いつきました。
自分は約30年前に、(当然ですがMT車)で自動車免許を取得しました。またクルマではないですが、例えば腕時計であれば、自分が持っているオメガのスピマスプロは今や日本のMTなみに貴重な純粋な「手巻き」なのですが、これはこれで時計のメカニズムをねじを巻く度にある意味実感できる機会にもなる訳で、そういった側面でのMTの価値についても推察はできます。
残念ながら免許取得後に乗ったクルマはATばかりと、MT車を運転する機会はなく、おそらく今後もないのだろうな、と考えていますが、MTというテクノロジーが将来的には(おそらく)失われるという今回の結論というか予測には、ある意味寂しさを感じてしまいます。
Posted at 2012/01/08 16:54:56 | |
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