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Yuckyのブログ一覧

2007年10月10日 イイね!

さよならノリック

一昨日の夕方、川崎の市道で“ノリック”こと阿部典史選手が交通事故で亡くなった。

知らない人もいるかもしれないが、日本はもちろん、世界中のロードレースファンから愛されるスーパーライダーだった。

黒い長髪をなびかせ、独特のフォームで強豪相手に一歩も引かないガチンコ勝負がセンセーショナルだった鈴鹿での世界デビュー戦。

その後、決して有利ではないヤマハで勝ち取った最高峰クラスの栄冠。


あの時は、見ているこっちも目頭が熱くなったっけ。


今までありがとう、ノリック。


でも、あまりにも早すぎるよ。。。
Posted at 2007/10/10 04:36:44 | コメント(7) | トラックバック(0) | ニリンのヒトリゴト | 日記
2007年06月17日 イイね!

デュアリス よりも デュアリス っぽい乗物

デュアリス よりも デュアリス っぽい乗物前回の続き。

翌日の「父の日」。

朝から洗車に励むつもりだったが、夜更かししてMOTO GPを見てしまったので寝坊。
午前中は子供と布団の上でダラダラと遊んでいたが、まだカゼが直っていないので娘も息子も家から出ないと言う。

それにしてもいい天気だ。
こんな日は山道をバイクでカーッと流したいなぁと言ったら「言ってくれば?」とヨメ。
昼すぎから行ったところで楽しいわけもない。

しかし、久々にバイクには乗りたかったので、午後から時間をもらって家を抜け出した。オートバイでその辺を流すのだ。

まぁ、日中だし、街中なのであんまり派手に走ることはできないが、やっぱりオートバイは楽しい。オートバイの魅力は「風になる感覚」とか「スリル」と言われるが、それはウソだ。

上手く言えないが、日産デュアリスの広告で、クルマがロボットになって機敏に駆けめぐるが、つまりはあの感覚である。

必要最小限で構成された、人間の感覚に一番近い倍力装置。股下にエンジンを抱え、身体を使ったコントロールがダイレクトにフィードバックされる。自分がどれだけ上手く操作できるかという挑戦と達成感こそオートバイの魅力なのだ。

15年連れ添ったこのリッターバイク。今やパワーウェイトレシオが1を切る化け物がザラにあるが、それでも4,000rpmからアクセルを捻り上げればはじけ飛ぶようにワープする。4発独特の高回転域で叫ぶようなエキゾースト・ノート、今はツインが流行だが、私の世代にはコレがたまらない。

走り慣れた広い街道の連続S字を切り返す。
タメて、入れて、抜いて… リアシートからの入力と、アクセル・ブレーキのサスペンション・コントロールで、前後の小さな接地点を神経質に感じ取る。重量車だからこそ大切なのは、リズム感のある大胆なライディング。それに気がつくのは10年かかったが、それで余計にハマった。

いくつになっても、この乗物はたまらないなぁ…
街中では思いっきり走れないので、勢い余って山に行こうかと一瞬思ったが、今から着替えに帰ったら行きづらい。それにこの時間帯から行ったところで仕方ない。

さて、一体これからどこに行こう。

普段だったら主治医の所に行ってシモネタと機械工学談義に花を咲かすのだが、今日はお休みだ。なので、前々から気になっていた場所に行ってみることに。

(つづく)
Posted at 2007/06/21 00:03:25 | コメント(4) | トラックバック(0) | ニリンのヒトリゴト | 日記
2007年04月25日 イイね!

240万円の幸せ 「Harley Davidson」

240万円の幸せ 「Harley Davidson」「頼む、ちょっとつきあってくれ…」

― 腐れ縁。
コイツと初めて会ったのは高校に入学したその日だ。
出席番号順に座った席で、振り返るとコイツがいた。ひょろりとした185cmの長身の三白眼がにらみつけていた。

コイツは異常に頭がキレていた。成績は常にトップクラスで、何事もスマートにこなすような男だった。しかし、あまりにキレすぎるためか、小学校の時にはクラスメイトを扇動して学級崩壊を引き起こし、担当を休職に追いやるような問題児でもあったそうだ。

単なるキレものの策士だとしたら、私はこの男と友人関係を結べなかったと思う。
20年近くつきあっているのは、この男が愛すべき「バカ」でもあるからだ。潜在的なソレを引き出し、自らを戒める道具として「オートバイ」は格好の存在だったと思う。彼の愛車達は自らを傷つけ、時には朽ちてしまっても、彼の命までは奪わず、擦過傷や打撲という苦痛を与えながら、ヒトとして身も心も生き残る道を教えた、そういう存在なのだと本人も言う。

その20年来の友人から電話がかかってきたのだ。
毎日12時間以上の仕事、誰もがやりたくない仕事をこなし、休日は家庭のイベントをこなす。心身共にタフでなければならない生活が始まった12年前、あれほど熱中したオートバイは出産費用として手放されていた。
何の話かと思ったら、どうしてもオートバイが欲しくなったので相談に乗れという。

具体的に何か欲しい車種はあるのか?と聞いたら、「予算40万円」だという。
ダメだと思った。

ビッグ・ネイキッドや型遅れのスポーツも買える額だが、コイツは性格上、中途半端なモノでは買ってしばらくもすれば乱暴な扱いになる。逆輸入リッターバイクの速度計をリミットまで回して興奮していたような男。最悪の場合、命を落としかねない。
「ブランクもあるから、あまり速いと危ない。せいぜい最高速250km位のが…」
この言葉がそれを確信させた。

救いはあった。
オートバイは「スリルを楽しむ乗り物」ではない。
「頭を使って身体を動かし、その結果を楽しむ乗り物」なのだ。
それは、どれだけラップタイムが縮められたか、という速さを求める類のものだけではなく、一般的な走行でもスムーズにギアをチェンジできたとか、描いたラインをトレースできたとか、渋滞路で周囲を見て危険回避できたとか、そういった試みができるもので、それらのチャレンジは確実にライダーとしての力量を上げると共に、人間性をも拡げる結果につながる可能性がある。

このスピード狂のバカも、重たい自家用サルーンに乗っている時は、ソフトなブレーキ、ハンドルを切る量、パトカーに追尾されないような注意力すらも楽しめる一面がある。純粋に走る機械としてのパフォーマンスが最優先ではなく、つまりは頭脳を使ったスキルを磨く事が好きなのだ。

ずいぶん前からハーレー・ダビッドソンが欲しいと言っていた。

「妥協せずにハーレー買え」

私の答えがソレである。しかし、ハーレーは人気が高く中古で150万円、新車では200万を超える。
もちろん、友人は「高すぎる」と一蹴した。


昔はハーレーと言ったらそれなりにメカニズムに詳しく、度胸も座っていないと乗れないシロモノであった。なぜなら国産では考えられないようなトラブルが起きるし、周囲からはハーレー乗りとして、その資質も問われるからだ。些細なトラブルでバイク屋を呼んでいるようではバカにされる、そんな雰囲気があった。しかし、それも今や過去の話である。

大型免許取得の緩和規制を追い風にしたハーレー社のマーケティング戦略は素晴らしいものだった。手厚い保護下にある『壊れにくい新車』を短スパンで回転させ、ハードではなくソフトの部分、つまりクラブやミーティングイベントなどでユーザーを満足させる。唯一無二の洒落たブランドの持つ力を最大限に利用して、それは大成功を収めた。その結果、大型免許を取ってすぐでもハーレーに乗るライダーは急増し、輸入車の中で一人勝ちし続けている。

ハーレーがこのような新興ユーザーに受け入れられた理由は、ライディングスキルを問わないという点もある。BMWやDUCATIなどであれば、ワインディングでそれなりの腕を持っていなければ持て余すだけでなく、屈辱も味わうハメになるが、ハーレーには無縁である。もちろん、昔ながらのハーレー乗りの中には新参者を疎んじる者もいるが、その多くは「彼らは彼ら、俺らは俺ら。まぁ、ハーレーはいいバイクだって思うのは共通だけどネ」と自分自身の価値観を確立しているのもハーレー乗りの心豊かな部分である。つまり、他人を気にする必要がないのだ。

ちなみに私もハーレーには何台も試乗し、買おうと思った時期もあった。最新のダイナ、ソフテイル、スプリンガー、スポーツスター、4速モデルの旧いショベルヘッド。どれもこれも全く違う印象だった。

「ガッ…シュアッ! ズドドン!…ドッ、ドト…ドッ、ドド…」

突入式のピニオンギアによるスターターでけたたましく目覚め、低めのアイドリングでブルブルとフォークを震わせるその様は、まさに鉄の馬。走り出せば、ビッグツインのシリンダーが大きなストライドでアスファルトを蹴ってゆく。
周囲のクルマや横に並ぶオートバイ、そういうものに気をかけることはない。今の一瞬、この鉄馬に跨って疾走している自分を幸せに感じる。私が感じたのは、ハーレーはオートバイではなく、ハーレーという乗り物、ということだった。
(国産でも「アメリカン」と名の付くモデルはあるが、あれはオートバイ。それは乗ってみれば誰にでもわかることだ)

このバイクに乗ってしまうと、アクセルを思い切りねじってやろうという気にはならない。スポーツスターや最新のダイナなら下りのワインディングをチャレンジする気にもなるが、基本的にOHVビッグツインはトップギアで80~100km/hで流しているのが気分がいい。これ以上の回転数に上げられるものの、それは必要以上にオーディオのボリュームを上げるようなものだとわかる。

ビッグ・ツインと言われるOHVエンジンや、数種類あるフレームは50年近く基本構造を買えない「鉄の骨董品」である。車体や補器類の設計も同様で、根本的な解決がされることはない。正直に言えば、技術的にも材質的にもその金額的な価値はないのだ。国産で同じモノを作ったとしたら、その半額以下で売ることができる、ハーレーとは機械的にはそういうシロモノだ。しかし、それを他のメーカーが作ることも許されず、また意味のないことでもある。

また、ハーレーは本国では「ならず者」の乗り物で、若者や富裕層はそれより高い日本製のスーパースポーツを好むという。他にもアイドリングを止まりそうなほど下げて「3拍子」を出すというのも日本だけの文化だそうで、あちらではそんな事をすると油圧もあがらないので、普通に1,000rpm位にするのだそうだ。(これは重たいクランクを持っていたショベル時代のイメージが発端だという)

私はそういった理由でハーレーを買うには至らなかった。買い足しであれば望むところだが、台数も経済的にも、そして時間にも制約がある以上、まだハーレーにはトップ・プライオリティを感じることはできなかったからだ。

しかし、実に楽しく、心を豊かにさせてくれる乗り物という事は確かだ。

「速さとか、効率とか、そんな事ばかりにこだわるが、ところでお前さん、ホントにソレで幸せなのかい?」

そんなOHVビッグツインの語りかけに、ついハッとする。

空冷DUCATIは「難しいことを考えずに飛ばそうぜ」とそそのかし、BMWは従順な執事のように主人に従いつつも、やさしい言葉で宥めてもくれる。伝統を守り続けるというか、その選択をせざるをえなかった外国製オートバイには、このような強いメッセージ性を持つものが多く、それは類似したパッケージの国産車には絶対に付加することのできない価値でもある。それが高いプライスの理由と捕らえてもいいかもしれない。



結局、この男は憧れていたハーレーの新車を買った。コミコミで240万円。頭金50万、ボーナス付5万、毎月はわずか1万ちょっとの120回ローン(そんなものまで用意されている)である。

高いし長いと思うなかれ。多分、この男はこの先、ずっとハーレーに乗り続け、休日の一時に最高の時間を手にすることができると私は予想する。頭の切れすぎるヤツだからこそ、ハーレーという豪放磊落な相棒の言葉に何かを得て、自分の姿に腹を抱えて笑う時が来るかも知れない。10年、さらにその先にある幸せをこの価格で手にできるのならば、それは安すぎるものだ。
Posted at 2007/04/25 03:28:14 | コメント(6) | トラックバック(0) | ニリンのヒトリゴト | 日記
2006年11月20日 イイね!

多分、今年最後の山登り

多分、今年最後の山登り今年はそろそろ最後かと思い、急に山登りに行こうと決心したのが週末の夜中。
しかし、あいにく天気予報では曇り→雨。

早朝、定点カメラを見ると…

箱根峠:3度

おりょー…

強羅:1.3度

ええっ?何かの間違いでは?

天気予報でもガスりそうな予感。
画像ではバイク一台も通らないかわりに、ドリフト上等なWRC系の青いクルマとかが数台写っとるし。(怖)

けど、今日を逃したらもう走れそうもないので、気温が上がる頃を見計らって出発。
久々にツナギを着たら、娘に「お父さん、イチジョウマンみたい。」と。そりゃ子供にはそう見えますわな。
しかし、なぜか娘の予感はあたったわけで…

イチジョウマン

忍者

ヒーロー

体操のお兄さん

筋肉番付(SASUKE)

なかやま筋肉痛くん

でした。



いつもより遅い出発なので海沿いの渋滞は酷いものの、気温が低いためか登り始めるとガラ空き。

常用回転数をだんだんと上げていったところで、ソレを発見。

深さ1mほどの側溝に落ちたオートバイと、その仲間らしき人たち。


落ちてたのは「GPz900R」。
つまり「Ninja」。

とりあえず止まって状況を聞くと、路肩が急激に落ち込んでいるのに気が付かずにズリ落ちてしまったとか。しかしそんなアクシデントでも全然ケガもなく明るいトコは立派というか、さすがNinja乗り。横倒しになって足とか挟んでたら簡単にポキッといく状況ですわ。

しばらく待っていると、もう一台止まったので

「5人いりゃー、どーにか引き上げられますなぁー。」

「あー、やってみますかぁー。」

誰もケガしてないせいか、みんな結構のんき。
5人もいれば車量250kgもなんのその。無事に引き上げ成功。

その後、彼らと別れ、芦ノ湖沿いを富士に向かって走る有料道路へ。




5年前は毎週末によく通った道。しかし、2人目の子供が生まれてからはご無沙汰。
今日は天気予報のせいか、クルマも少ないのでちょうど良い感じで走れそうでした。

ただ、

ここしばらく、足やらキャブやらが次々に変わっていったため、どーにもしっくり来ない。ステップの位置も変わったので体重を預けるポイントもちょっと高め。するとタイミングも違ってくるのです。

ダラーッっと流す分には問題なくとも、ちょーっと頑張ろうとするとフロントの置き方に違和感というか、不信感。もちろんしっかりしてるものの、しっかりしすぎて突然バタッと倒れてしまった若槻千夏を思い出させるような、そんな感じ。


私の場合、基本は「ラクして走る」です。
なので、セッティングもそういう感じが好みなのです。

具体的にいうと、ブレーキングと加速時にはド安定、それを抜いたときにサスやステアリングが大きく動いて動的変化を生み出す、そういうのがラクでいいんです。

右手の操作だけで車体変化とサスペンションを調整して振り回す。その反動をさら利用するためにハングオン。ほら、柔術とか使うじじぃがフラフラ立ってるかと思ったら、するるっとプロレスラーをひっくり返す、ああいうのが理想です。

ただ、前足のパフォーマンスが上がっているので、それに見合うセッティングがなかなか出ません。4往復目でどうにか妥協点を見つけたものの、あんまり決めすぎるとコースを限定されたり、コーナリングの組み立てが一辺倒なのでツマランとです。多少、バランスを崩しやすい方が挙動変化も起こしやすいので「楽しい」のですけど、右手の操作は神経質になるし、それほどペースは上がらないし、ミスると結構怖い思いもするし。

ああ、何て奥が深い。

そして、いつまで経っても上手くならない。

そうか、だから止められないのだなぁ…



しかし、それでも何か今日は

燃えません。

ちょっとチャレンジ気味に突っ込もうとするたび、娘と息子の顔が浮かぶんですわ。


忍者救出と、慣れないバックステップ。さらに久々にめっこり走り込んだせいか、情けないことに筋肉痛になりました。
Posted at 2006/11/20 23:16:29 | コメント(4) | トラックバック(0) | ニリンのヒトリゴト | 日記
2006年10月05日 イイね!

日本刀の真実

日本刀の真実 小学生の時、隣りの「お屋敷」に同級生が住んでいた。先祖は三浦の盟主に仕えていた侍だそうで、いいモノを見せてやる、といわれて潜り込んだ中二階。古い箪笥の中から出てきたのは、数本の錆び付いた日本刀だった。手にずっしりとくる重さ。子供ながらに、大人でもこれを振り回すのは大変だろうと思った。

実際、日本刀は700~1400gとバットほどの重さがあり、チャンバラのように片手で振り回すのは無理なのだそうだ。人の骨を切れば刃こぼれし、手入れが悪ければすぐに錆びる。何人もの人間を相手にする場合、最後は切れなくなった刃に体重を載せ、相手の動脈や筋などを叩き潰すように斬っていたという。刃物といっても、カミソリやカッターではなく、ナタや斧のほうが近いだろう。

両手で振り回すことを意味する長い柄。殺傷能力を高めるには、これを握る力も必要なわけで、柄に相手の血が付いてしまうと、ぬるりと滑って命も落とす羽目になるという。時代劇では切っ先を変えたり、鞘に収める時にツバがカチャリと鳴るのも実はおかしく、ココが弛んでいるなどは武士の恥でもあったらしい。また、量産にも向かず、硬い甲冑に対しては、突き抜くことができる槍の方がよっぽど有効だったという。鉄砲が出てくれば無力に等しいのはご存じの通り。実際の日本刀はチャンバラ時代劇で想像していたものとはずいぶん違うのだ。

「SUZUKI GSX1100S 刀」。名車となった理由は、その斬新なデザインに尽きる。当時のスズキはドイツの工業デザイナー、ハンス・A・ムートのデザイン画を忠実に再現し、魅力的なモーターサイクル・デザインとは何たるかを世に知らしめた。私も限定解除したら刀に乗ることを夢見たが、全く興味のないどころかオートバイが大ッキライだった小・中学生時代でも、タミヤ模型のカタログで見た姿に息をのんだ記憶がある。鋭くエッジの効いたボディワークと力強く張り出したシリンダーやクランクカバー。強そうでカッコよくて何が悪い。男の子を黙らせるには充分すぎるほどの圧倒的デザインだった。

数年後、私が限定解除した時には、すっかり刀は古いバイクになっていた。その割に高い。国内仕様のナナハンは安いが、あまりにも非力だし、程度が良いものも少なかった。ローンを組んで1100Sを買うことも考えたが、やはり機構的には古すぎた。一番厄介なのはパンクすると数秒でエアが抜けるチューブタイヤで、さらに前輪が19インチと大きく細い。当時の私は16インチのクイックなハンドリングが好きで、GPzやRZなどの大径ホイールのハンドリングはピンと来なかった。

そこで後発の3型と呼ばれるカタナを選んだ。デザインはSuzuki社内の石井氏によるものだが、何とリトラクタブル・ヘッドライトを備えていた。刀とカタナは全くの別物で、エンジンもフレームも共通するところはなかったが、これを選んだ理由は16インチチューブレスタイヤを装備する以外に、「Katana」という憧れのペットネームを持っていたからだ。ただし、これは過渡期の16インチだったため、ガッカリするハンドリングだった。

同じ頃、友人が1100の刀を買った。スズキ70周年アニバーサリーモデルの新車である。憧れの刀を、最上のコンディションで乗れると聞き、私はすっ飛んでいった。

それは、私の3型カタナや、中古の錆び刀とは比べものにはならず、刀鍛冶が仕上げたばかりの輝きを持つ正真正銘の「刀」だった。タコとスピードが交差するコンビネーションメーター、小さな盾のようなスクリーン、右にオフセットされたタンクキャップ。タンク後端が急激に落ち、テールランプまで長く伸びるバックスキンのダブルシート、そして、トップブリッジ下から低く侠角に生えたクリップオン・ハンドル。跨れば、平均的身長の私でもタンクに腹這うようになる。アップライトハンドルのように自由に動くことは許されず、ライダーは車体に強制的にビルトインされるのだ。いざ、セルモーターを回した時、妖刀に身体を支配されるとでも言うような、強烈なプレッシャーを感じたのを覚えている。

刀はそのシャープなスタイリングから、ジェット機のようなフィーリングを想像していた。細いトルクを集約させ、高回転で臨界点に達するようなマルチ・エンジン。ところが、実際の刀は全く正反対。タンク下から響いてくる音は、カムチェーン・トンネル内で鉄の砂利が乱暴に掻き回っているような荒々しいもので、走り出しは「ズズッ」と低速から怒濤のトルクで車体を押し出してゆく。

後の油冷にも言える特長だが、この頃のスズキ製4気筒は、極太のトルクがアイドルからレッドゾーンまでフラットに続く特性で、パワーバンド近辺でワッと吹き上がるようなことがない。クルージングも、「シュワーン」などとというものではなく、「ギュギュギュギュッ」と粗くパルシブ。スロットルを捻れば、大粒で粗いトルクが一気に吹き出してくる。ショートボアで高回転型の水冷マルチとは正反対に、野性的な味付けなのである。

細く大径の19インチフロントタイヤは意外にも扱いやすく、刀という名のごとく、走行ラインを切り裂いてゆく感覚がある。細い大径タイヤはラフにコジっても破綻しにくいものだが、このとてつもなく低いハンドルでは、タイトコーナーで逆操舵を利用するような操舵がしやすいとは言えない。無理にコジらず、落ち着いて後輪から前輪に舵角を入力してゆくような走りの方がイージーだ。刀が得意とするセクションはエッジを効かせて走る高速コーナリングで、暴れる車体を押さえ込むためのクリップオンなのだろう。ヘアピンの突っ込みでフロントに荷重をかけ、エイヤッと寝かす16インチやオフ車の乗り方だった私には、やはりピンと来ないハンドリングだった。

ブレーキには驚いた。とにかく止まらない。電車である。16インチのカタナも前輪が鳴くばかりだったが、19インチの刀に至っては、大きなホイールの回転速度を下げるのがやっと、という感じなのだ。また、この時代のスズキが採用していたアンチノーズダイブ機構は、ブレーキフルードへの圧力を使用した仕掛けで、ブレーキを引きずったままフルバンクすると、リリース時に減衰が抜けて痛い目にあうという煩わしいものだった。

友人はこのアニバーサリーモデルを大切にしており、洗車には一日を費やしていた。そして数年後には前後足回りを油冷GSX-Rのものに換装したが、極太の前後サスペンションとラジアルタイヤ、このセッティングは悪くなかった。意外にフレームが強いのか、ワインディングを軽く流す程度であれば全く問題なく、ニュートラルなハンドリングなのだ。(ただし、GSX-Rのようにフロントをクリップに噛みつかせてねじ曲げるようなことは無理)この手のカスタムは刀オーナーの間で常套手段のように行われているが、友人はこのモディファイが済んで間もないある日、大事にしていた刀を売り払い、最新の水冷4気筒を買ってしまった。

その理由は何となくわかる。日本刀が片手で振り回せ、錆び付くことも無くなったら便利だが、それは見かけは刀であって刀でない。戦いに勝つための武器が欲しければ、GSX-Rという最新の飛び道具に帰るという手も否定できないからだ。それでもまだまだ改造刀は沢山走り、ZやCBよりもコアなファン層を持っている。軽くて錆びない刀で飛び道具に挑むという道もまた醍醐味なのだ。CBやZと違い、安易にリファインされなかった刀にはそんな魅力があるのだ。

時々、「刀が欲しいなァ」と思う時がある。ワインディングでラジアルタイヤの恩恵は受けられないが、この単車で夜な夜な高速を飛ばしたら、どれだけ気分のいいことか。水銀灯の下でたたずむ姿、荒々しく呻くようなサウンドもライダーを退屈させないだろう。真っ昼間の平和なマス・ツーリングよりも、真夜中に孤独を抱えて疾走するハイ・ウェイが最も似合う。痛快なチャンバラではなく、丑三つ時の討ち入りや辻斬り、そういう禍々しい雰囲気、それが私の刀に抱くイメージなのである。

※ちなみに、中型ブームの終焉には1100とほぼ同じデザインの250、400の刀が販売された。私はこの2台にも乗ったのだが、1100刀とは全くの別物で、ひらひらと軽いハンドリング、炭酸飲料のようにシュン、と軽く回るエンジン。とても扱いやすいチャンバラ4気筒車だった。
Posted at 2006/10/05 23:11:35 | コメント(7) | トラックバック(0) | ニリンのヒトリゴト | 日記

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