←写真は本文と全く関係なし
LEXUS IS 350でREOパパさんがやってきた。(いつの話よ…)
ゼロヨン兄貴、K先生を交え、
とりあえず4人で3時間半ほど風呂に浸かってから、全員でISに乗って移動する。時間がなかったのと、全くその気がなかったのでハンドルこそ握らなかったが、私なりのLEXUS ISの印象を書いておこうではないか諸君。
<エンジン>
大人4人乗せてこれだけ加速するのだから、とんでもなくパワフルなのは充分にわかる。意外にもキャビンの防音性は適度というか、思い描いていたLEXUS様ブランドのイメージよりもにぎやかで、上まで回せばちゃんとV6のサウンドが響いてくるのは個人的には○。
…とは言っても以前乗ったアバロンのように『いかにも大排気量のV型』というパルシブな音質で、マツダK型の方が上品かつエキサイティングだと思う。
<シャーシ>
タイヤサイズはF:225/45-17、R:245/45-17。今時の『ちょい太め』。これとアタリのついていないダンパーのせいか、路面インフォメーションは堅めで、かつてのトヨタ高級車の印象はない。
ただ、最近は欧州車なども良好路面を前提とした足廻り設計がされているようで、この太く扁平な足を履かねばならないIS350であればなおさらのことだろう。ましてコレはLEXUS様なのである。ヨコハマ辺境泥濘地帯のツギハギ道路なんかを想定してはいないのだ…と思うことにする。
<ハンドリング>
ハンドリングについては皆が首をかしげるのだが、やはり電動パワーステアリング独特のクセなのだろう。以前、電動ステアリング車に乗った時に感じたのは、スッと動かし始めた瞬間や、数ミリ動かした時の反応がリニアではないのだ。
これに気がつく人というのは、今までの油圧式でシビアなハンドリングをしているドライバーなのだという。(私は言われるまで気がつかなかった)たかだが数ミリ、ゼロコンマ何秒のレスポンスだが、人間の感性というのはそれだけ繊細なのだ。
<エクステリア>
外装については、写真や遠目で見る限りは好きではないどころか、退屈にすら思えたのだが、近くで見ると各所に張りもあって割とヨイ。こういう張りの出し方はドイツの某車を意識したようにも思えるが、それを流行と考えれば充分な許容範囲であり、オリジナリティを含めた全体のまとまり具合も悪くはない。いや、どっちかというと好感は持てる。
単調なラインで構成のフロントマスク(実物はそこそこ立体的なディテールではあるものの、平面で見ると退屈なのだ)に工夫が欲しいとも思うのだが、逆台形グリルを共通としたブランドイメージの統一や、上にESという兄貴を持つISのポジション、最大公約数をターゲットとしている企業色を考えれば、これはこれで仕方ないのかもしれない。
出過ぎたマネや冒険はせず、分相応に振る舞う。その辺が良くも悪くもトヨタであるというか、紛れもなくトヨタだ。
<インテリア>
内装はプレミアム・トヨタのソレであった。昨今の中級~高級トヨタ車に乗るといつも思うのだが、やっぱり作り方が上手く、余計なコストは一切かけないが、目の届く所は隙がない。(価格に応じてだけど)少し前は、ずいぶんと下品でセンスのない手法を堂々と用いたり、ふと視点を変えればゲンメツする車種も多数見られたが、前席では致命的なものは見つからないようだ。
ただ、個人的にはメーターやフードの形状は中途半端かつ退屈で好きにはなれない。乗っている間は常に見るものだから、もう少し楽しいモノにして欲しい。
後席は、相当な高級車でもない限りガッカリするものだが、ISは意外なほどに良くできていた。もちろん、前席よりも快適性や視覚的満足度は劣る。フットスペースは狭く、センタートンネルも盛大に張り出しているため窮屈だが、これもボディサイズとパッケージ、キャラクターを考えれば致し方ない。
サイドウィンドウも天地が短く閉塞感はあるが、現代の基準で言えばやむを得ない。これだけならば、「やっぱり後ろは狭くて退屈だった、仕方ない。」となるのだが、ISはセンターアームレスト後部にわざわざ左右分割の小さなルーバーダクトと灰皿を設け、リア・アームレスト内部には起毛敷(風)の小物入れや引き出し式のカップホルダーが備えられていた。それ以外にも、決して安っぽくはない分割ルームライトやハンガー用フックなどを備えている。
後席の一人一人に対しても最低限の気を遣う事、これがLEXUS流の「おもてなし」だとするのなら、それは良い。狭い茶室のようなわびとかさびとか、絶対的な快適性はないのだが、このような手間の掛け方には好感が持てた。(まぁ、LEXUSなんだから当然と言えば当然ではあるが)
<総評>
静粛とパワフルの両面を持つ6気筒エンジンを搭載するFR駆動の上質な小型セダン。コレにMTが着いていたら個人的には理想に近いはずであり、類似したパッケージの500オーナー達も気になって当然なのだが、価格面をさっ引いても惹かれないのは、これが紛れもなく『優等生トヨタ』のクルマであるからだろうか。もしもこのクルマの設計図がドイツのメーカーに盗まれて、ソックリそのまま作って売り出されたら、また評価は違ってくるだろうか?
もしもそうだとしたら…?と考えながらこれを書いているのだが、それでもやっぱり何かが足りないのだ。
同じ内容で作るとしても、他メーカーでは独特の、時には強すぎる程の味付けがされる事が多々ある。(トヨタも時々そのような『ぶっ飛びグルマ』を作ることは作るが、本当にぶっ飛びすぎていたりする。普段は品行方正なクラスの委員長が、学芸会で乳首に鈴を付けて踊り出してしまい、周囲があまりのギャップにドン引いてしまうような…そりゃ言い過ぎか。言い過ぎだよな。そうでもないか。まぁいいか)実際に所有すればそれは喜びでもあり、時には苦労もするのだが、つまりそのような『チャームポイント』を求めるドライバーにとって、LEXUSは何かが物足りないクルマなのかもしれない。しかし、今までトヨタを選んで乗ってきたドライバーに対しては、間違いなく最上の満足をもたらすクルマ。それがLEXUSなのだと推測する。
悪いとは言わない。ただ、私がトヨタに乗るならば、LEXUSではなく、ハチロクとか10万キロの旧型カムリとか、最終型ターセルなんかの方が気が楽で、笑ってハンドルを握っていられそうなのだ。(
バカだから)
<その後、500に乗って>
帰りに自分の500に乗る。全てにおいて古くてパワーもないし、高級なレザーの香りや華やかなイルミネーションもないのだが、眠気や疲れがすっ飛ぶほど気分がいい。
うん、やっぱりエンジンはコッチの方がいい。
中回転からいかにも6気筒という感じでフワァァーン、と回る。「ウォーン」とか「キューン」とか「ヒョーン」とか、吸気、排気、各駆動部品がそれぞれに奏でる和音が変化しながら盛り上がっていくオーケストラの感じが実にいい。上手くは言い表せないが、初めて乗ったときに『このエンジンは、すごく美しい』と思ったモノだ。デザインも同様。5年も乗っているし、美しいのは充分わかっている。それでも時々、降り立った自分の車を見て『ハッ!』とする瞬間がある。(コレにはホントにビックリするのだが)多くのオーナーにとって500は15年経っても魅力の絶えないクルマとなった。
果たしてLEXUSがそういう
歴史的変態車になるかどうかは、オーナー次第である。トヨタがそのようなクルマを作ることは難しいと同時に、メーカーとしては避けるべきなのかもしれないが、トヨタであってトヨタでない『LEXUS』にはそんなクルマになってもらいたい、と思うのは私だけではあるまーに。
長ぇーよ!今回!!
その理由:毎日電車の中でダラダラ書いていたら収拾がつかなくなったので
Posted at 2008/01/29 00:28:37 | |
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たのしいじだうしゃ | 日記