2013年08月18日
先週くらいから、ずっとコンデジについて悩んでいます。
今すぐ買うわけじゃないんだけど、でも気になるとついディープに調べ物したりして・・・
本当は、本当に欲しいのはOLYMPUSのSTYLUS(スタイラス)XZ-2だったりします。これは、でも、コンパクトカメラに分類はされても決してコンパクトなカメラじゃなかったりする。
裏の液晶画面がチルトするし。グリップ部分が少しせり出しているし。だから重いし分厚いし。
ちっともコンパクトじゃないし、普段から自分のカバンの中にいれて持ち歩けるの?と聞かれたら、項垂れて「・・・できません、先生・・・」というしかないようなシロモノです。
だから、ホントは現実的にはもっとコンパクトなXZ-10がいいに決まってます。
同じメーカーの中だけ見ていないで、他のものも見てみると、例えばCanonのS110とか。NiconのP330とか。いろいろね、あるじゃありませんか。
・・・でもこういうのって、なんですね、恋と一緒で、最初に好きになったものからなかなか離れられないものなんですよね(爆)
評価とか、いろいろ調べてるとまったくわけわかんなくなります。
スマホ、カタログ見てるだけじゃ全然わかんなくて頭の中が白くなるのに似ています。
いいところも、悪いところも、いろいろ持ち合わせていて、絶対コレ!なんて言うのがないんですよね。
一つだけこだわりたいのはレンズの明るさ。夜のシーンがじょうずに取れるものが欲しい。今のLumixFX07にはもう、買った当初から愛想を尽かしていて、ほとんど使っていないという有様だったりするので、今度こそ納得のいくものが欲しい。(お店のお薦めで買ったのが徒になった感じ)
もともと、人は全然撮らず風景やら花やらクルマやら(爆)が撮りたいだけなので、肌色がきれいに出るだとかいう売り文句は要らないのです。。。
どの個性と、手を取り合っていくか、それを考えながらあーでもないこーでもないと、毎日のように心が揺れ動いている次第でした。
あ、今すぐ買うわけではないんですけれどね・・・。無駄な悩み、といえば無駄すぎるかも(笑)
Posted at 2013/08/18 13:30:06 | |
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思うこといろいろ | 日記
2013年07月28日
ここ1ヶ月ほど、ケイタイの方に所謂「迷惑メール」というのがしつこくやってきます。
どこでこのアドレスを拾ったのかもの凄くしつこいです。
初めのうちは会員制のサイトに登録したのにお金を払っていないだろ、みたいなヤツが来ていましたが、これは携帯電話会社にしつこく報告し続けていたらある日を境にぴたっと止まりました。
でもここ数日は、それこそ「迷惑」としか言えないような内容の、それも同じことの繰り返しみたいなのが、さまざまなアドレスできます。ほとんどが、携帯会社のドメインできます。
これに関しては、ドメインを拒否するのも難しいし、アドレスを拒否してもどんどん違うアドレスで来るので処置なしです。
で、めんどくさくなって、今ちょっと携帯電話から来るメールを全部止めています。
申し訳ないですが、当面の間は、PCアドレスの方か、みんカラのメッセージを使って連絡いただけたらうれしいです。
Posted at 2013/07/28 21:50:57 | |
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思うこといろいろ | パソコン/インターネット
2013年07月07日
昨日、中1の子どもたちと勉強していて、
地理の試験で「アフリカの環境問題(砂漠化・森林の減少)を良くしていくにはどうしたらいいと思いますか、自分の言葉で書きなさい」という問題があったという話になって、その子たちにどう答えたの?と聞いたら、
「植物の苗を植えて、森を増やしたらいいと思います」とか
「畑を増やして食べ物を増やすといいと思います」とか
言葉足らずな感じだったけど答えたそうで、まぁ、それらには丸が付いてはいたんですが、
学校の先生も、言葉足らずな説明しかしていないんだろうなぁ、と思って、少しもの悲しくなりました。
アフリカの問題は、ちょっと乱暴にまとめてしまえば、急激な都市化と、急激な人口増加と、それに伴う耕地の拡大のための森林伐採や、それでも耕地に向かない土地が非常に多くあること、そこに内戦や病気の問題などもあって、貧しい人々があまりに多いことに起因しているわけで、でもそんなことは子どもたちに説明してはいないんですよね。
(説明してたら、そんな模範解答を書かせるような問題は、出せないよナァ)
最近は中学校でも「時事問題」を子どもに意識させようとして(それは、高校受験でそういう問題を出すところがあったりすることにも端を発していますが)、試験に出したりするんですよね。でも、先生たちはそうしたことに対してどういう態度をとっているんだろう?
先生たちに、問題意識があって、こういう話を持ち出すならオッケーだと思う。
でも、どうなんだろう、きっとそうじゃない。
子どもたちも、この答を出すのにちっとも葛藤してない。
森がないなら作れば?
食料が足りなければ作れば?
もちろん模範解答です。正解です。でも、そうできない、そうしてこれなかったアフリカの現状を本当に教師が伝えているわけじゃない。
一番子どもに近い大人である人たちが、無責任に話だけ子どもに押しつけているような図が見えて、寂しい。
一応、この子たちにはそういう話もして、「一朝一夕では解決できない話でそれこそ君たちが大きくなっていって、世界全体で考えないといけない問題なんだよ」といったら、神妙な顔つきになっていました。
他にも、国語の教科書に、杉浦日向子さん(故)が書かれた江戸時代のリサイクルについてのコラムがあるんですが、それを先生が、朗読CDを流してハイ、お終いだったって。。。
日本人が世界に誇ってもいいリサイクルシステムを持っていた江戸時代の話を、半分眠気を誘うようなCDの朗読で済ましてしまったという先生の態度に唖然。案の定、子どもたちは「眠くて聴いてなかった」「つまんなかった」・・・そんなんでいいんだろうか?そんなことのために教科書に採用されている話ではないはずなのに。
その先生からは何の補足もナシ。試験に出ないから、という言葉で、一挙に興味を失う子どもたち・・・
悲しい。
寂しい。
惜しい。
これも、私が知る範囲での話をその子たちにして、江戸という時代に興味と関心を持ってもらいたいな、ということを話しておきました。
どこまで、この子たちが私の語ったことを覚えているか解らないけれど、大人として、この世界をこの子たちに残していくことしかできない大人として、できることってあるんじゃないだろうか。
せめて、せめて、身のそばにいる子どもたちに。できるだけの話をしてあげたいなと思いました。
Posted at 2013/07/07 23:49:13 | |
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思うこといろいろ | 日記
2013年06月22日
私は車も運転しますけど、自転車にも乗るし、普通に歩いたりもします。
移動手段によって感じ方や振る舞いが変わるのはまぁ普通のことですけど、
最近、少し車の量が多い一般道をよく歩きます。
反対の歩道(路肩)へ行きたいので、横断歩道(信号なし)そばに立ちますが、誰も止まってくれません。
結局車が切れるまでずっと待ちます。
・・・これって、正しい横断歩道の使い方、でよかったんでしょうか。
結局車の流れが切れるまで、そこに立ちつくしているのなら、横断歩道がない場所でも(斜め横断でも)ぜんぜん変わらないんじゃないの?という気がしてきます。
そんなこと、ないんでしょうか。
翻って、自分が車を運転している時、横断歩道のそばで人が立ってて、じゃあ止まるかっていうと、
やっぱり時と場合によったりする。。。
それは実際、事実です。
何か最近、誰も止まってくれない横断歩道に見切りを付けて、車の流れの切れ目を渡っていく、そういう人たちをあながち責められないなぁ、と思ったり。。。
もちろん、そこで事故が起こった場合、まったく過失がないとは歩行者の方もとってはもらえないんでしょうけれどね。
とりあえずヘタレなので、横断歩道の横には立ちますが。。。
歩行者と、車の折り合いって難しいですね。
Posted at 2013/06/22 18:13:25 | |
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思うこといろいろ | クルマ
2013年03月21日
情が深いほど、その心には常に哀しさがつきまとう。
非情であれと、余計な情けをかけるなかれと、言うつもりはない。
私もどちらかといえば情の深い方だ。
こだわり続けるほどのエネルギーは、かなり減ってしまったからかつてほどではないが、若い時一時、もしこの世が明日終わるなら、やりたいことの一つに仕事上でも感情の上でもトラブルのあった元上司と同僚を○○き○○しに行こう、と思ってたほどだからだ。
(伏せ字にしましたが、もっと内容的には凄惨かもしれません。若さ故、許してください)
だから、悶え苦しむ哀しい情の形を知らないわけじゃないし、それをダメだとか、よせとか言う権利は、私にはない。
苦しいんだ、行き場のない思い。
どこかに吐きだして、誰かに助けてもらいたい。
救急車が呼べるモノなら呼んで、運んでもらいたい。
実際はそんなモノ(救い)はないから、のたうち回るしかないから、だからもっと苦しくて。
でも。
それでも。
そうした感情が身喰いをして、自分をどんどんどす黒くしていく。
相手が何をしたかよりも、増大していく哀しみがどんどんすべてを奪っていく。
だから、辞めよう。
私の、あなたの人生は、そんなことのために、あるんじゃない。
・・・ただ、
相手がそうやって心を静めたからと行って、
あなたがしたことの是非が軽くなるわけじゃない。悪意が、なかったとしても。
私たちは、一生忘れない。
哀しみは、違う力に替えていこうと思う、でも。
一生忘れない、ということは、たぶん来世にも持っていく。
来世で、待ってる。
今日のこの哀しみが光に変わること。
Posted at 2013/03/21 07:17:57 | |
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思うこといろいろ | 日記