連休に夜更かしし過ぎて
ゼッテェ起きれネェ!
と踏んで徹夜した。
ヤァ!ワシ
と、まぁヒッキーな週末だった訳だが
どこぞのセレヴーみたいにいい感じの音楽なんて
ワシャ聞きやしネェよ。
てか、いい感じの音楽って何や?
最近だと
こんな感じ か?
ワシ等の年代だと
こんなとこか?
んー
しかしワシ的には
Cocteau Twins
辺りがいい感じの音楽になるのだが。
この「Cocteau Twins」であるが、
Enya がアイルランド出身に対し、スコットランドのBandであり、
Enya がヒットしたのが1988年で、 Cocteau Twins のデビューが1982年、
Enya がラテン語で歌ったりするのに対し、Cocteau Twins は歌詞判読不能
と言った感じで非常に類似点が多いのである。
これだけ類似点があり、且つ「Cocteau Twins」の方が先にデビューしていたのに
何故「Cocteau Twins」は生き残れなかったのか?(日本で)
なんて事を考えてみた。
当時、1980年代は、1981年にMTVが開局し、
ビデオクリップと言う新しい音楽媒体がアメリカの音楽業界に
衝撃的なインパクトを与えた年代である。
そして、その波に乗ってムーブメントとなったのが
ニューロマンティックムーヴメント(ニューロマ)だった訳だが、
当時のニューロマはユニセックス的なビジュアル系のBandに人気が集まり、
音楽性もシンセを多用したポップな曲調が受けていた時代である。
ビジュアル系の始祖としてJapanが日本でブレイクしたし、
カルチャー・クラブやデュラン・デュラン、デッド・オア・アライブが
USAチャートを席巻していたサウンドは主にディスコサウンドであった。
※後にユーロビートとしてスタンダードと化して行くのであるな。
また、映画界では青春映画がヒットしていた頃で、
サウンドトラックとしてヒットしていた曲も親しみやすい曲調であった。
その状況の中、「Cocteau Twins」も一部ヒットを飛ばしていたのだが、
Voが女性と言うことと、音楽的に環境音楽に近い音楽は
当時かなりアバンギャルドな位置にあった。
そして、その位置にはキュアーやディペッシュモード、
スパンダー・バレエ 、ヒューマン・リーグ等、
錚錚たるメンツが座していたのである。
この辺のBandは、一般的なファン層がヒットチャートに食いついていた頃、
「知っている人は知っている」とか、
「マイナー故に良い」みたいな
閉塞的かつ、特殊性がステータスとなっていた
当時認知度が高くなってきたサブカル層が食いついていたBandの為、
日本で「Cocteau Twins」は逆に通好み故に
表に出てくる機会が非常に少なかったといえる。
その間隙を縫うようにEnyaが「Orinoco Flow」でUSAチャートにてヒットし、
この手の音楽への認知度も上がってしまったのだ。
この時点で1988年。ニューロマのムーブメントも収束しきった頃である。
1982~1988年まで「Cocteau Twins」は4枚もアルバムを出していたのに。である。
イギリス出身のBandで、音楽性がアバンギャルドと言うだけで
ニューロマの中にくくられ、メディア戦略にも失敗し、
評価自体を日本ではマトモに議論されなかったと思われる
「Cocteau Twins」ではあるが、彼女らがあと5年遅く世に出ていたら
その特異な音楽性に対する評価はまた違ったものになっていたと思われる。
正に早過ぎたBandだと言えよう。
次回はサイケデリックファーズでも行くか。ブロウモンキースにするか?
コクトーツインズとは
Posted at 2007/01/09 12:19:58 | |
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