俺は幼少の頃は超貧乏だった。
俺の親父は俺が2歳の時に病気で亡くなったらしいので顔など覚えていない。
記憶さえないのだ。
母子家庭で4人兄弟だったので生活はメチャ苦しかった。
当時流行っていた質屋もよく利用していたようだ。
当然の事ながらお小遣いなど貰った事はない。
家計を助けるのと自分のお小遣いを捻出する為に、小学校1年生から朝夕の新聞配達をしていた。
自転車で配達するのではなく全て徒歩だ。
長崎は階段や坂が多く、特に配達地域は階段ばかりだった。
自然に足腰のトレーニングが出来、ジュニアのベンチプレスで日本記録を出せるくらいの身体が出来上がったのだ。
当時住んでいた家は隙間風が吹きまくる超ボロい家🏠だった。
冬は寒すぎて凍え死にそうだったが、1匹の雄のキジトラが玄関の隙間から家に入り、俺の布団の中に入ってきたので暖かくなり、俺は凍え死ぬ事を免れた。
俺はいつかは猫に恩返しをすると決意した。
それが今の多頭飼いをして猫に恩返しをしているのだ。
高校性になってからはトレーニングジムに通い始めた。
今でもそうだがジムに入会しても直ぐに辞めるへタレが多かった。
大したトレーニングもしていないのにだ @@
みんカラでもそうだが、仕事が忙しいとか言い訳ばかり @@
自分で逃げ道を作りまくっているんだよな〜 @@
好きで始めた事じゃないのか?
高校を卒業してからは米屋で配達のアルバイトをしていたが、超重労働だった。
カブで途中まで行き、そこから急な階段を両手に灯油のポリ缶を2缶、肩に米を30キロ乗せて配達していたのだ。
幼少の頃、超貧乏だったのでいつかは億万長者になって世間を見返してやるという夢もあった。
残念ながら億万長者にはなれなかったが、みんカラに登録して10年で車を15台購入するくらいの生活基盤は築き上げる事は出来た。
しかし、億万長者になる夢を諦めたわけじない。
そうだ!! 今こそ俺は億万長者になるのだ!!
いつもの如く感の鋭い方ならお分かりであろう。
そうだ、ボードゲームのいただきストリートDSで億万長者になるのだ。
スーパーファミコンで嵌ったので、今回も購入した。
略して、いたストDSはマリオやドラクエのキャラなのでスーパーファミコンとは違う世界観を味わえるのだ。
いつも同様に楽しむ為に公式ガイドブックも購入した。
まだまだ、マイ携帯ゲーム機熱は続きそうである。
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Posted at
2021/09/22 01:56:12