ブログ小説の連載を始めると、掲載の機会がなくなりそうなので、以前書いたウンチクブログ(通称:サンナナワールド)を吐き出します。
ここらへん、や、
ここらへんから始まった、ウンチクブログ
前々回の
オイルのお話、前回の「
内燃機関の技術戦略とビジネス戦略」とゆう硬い話題に引き続き、今回は更に難解なテーマです。
こちらが自分の本業領域だったりします。
普通のクルマ好きの方は、マジでスルーしてくださいね!
先日のカングージャンボリーで
BSのインタビューを受けてから、クルマの魅力(本質的価値)ってなんだろう、と考えるようになった。
ここからは、マーケティング視点での自己解釈になります。
モノからコトへ・・・これは、ずいぶん前からマーケティング業界では常識となっている。
特にITの世界ではIBMのPC事業を売却ショックから、一気にその流れが加速し今にいたっている。
近年では、アップルがiPod~iPhoneの流れの中でライフスタイルの変革(コトの変革)により業績を伸ばしてきた。今秋の時期iOSはその色をより鮮明にしていると聞く。
コトの変革とはハードウエアのコモディティー化が進み、他社との差別化が出来なくなった業界の共通施策でもある(よくソリューションビジネスへの変革とも言われる)。
一方、自動車業界も急速にコモディティー化が進みつつある。
モジュラー設計と言われるこれらの手法は、VWグループが先行し他社が追いかける構図が今の自動車業界である。
また、クルマの性能を大きく左右する主要機関部品、例えばエンジンの直噴インジェクターは、PCのCPUと同じように毎年必ずアップデートされている。
開発に膨大なコストをかけているクルマのOSも共有化の動きが盛んである。
そうクルマはもう、エンジンや機械がモノとしての機能の中心でなく、電子機器がクルマの機能・性能を左右する時代になりつつある。
クルマがPCと同じ道をたどるのは、遅かれ早かれ来ると思われる。
更なる省エネ技術の競争、自動車内でIT機器を自在に使える環境や自動運転。
今メーカーが必死に取り組んでいる開発テーマである。
では、これだけで生き残れるか・・・残念ながら、これらは全てコモディティー化技術であり、一時的ならともかく中長期的には生き残りの差別化にはなりえない。
この状況下で自動車メーカーは何をすべきか。
自動車におけるモノからコトへの変革とは何か?。
マーケティング業界では、たしか1999年あたりに経験経済(BJパイン、JHギルモア著)とゆう考え方が流行った。コトの価値は経験を与える事であるとゆう考え方である。
その後、エスノグラフィーとゆう人類学の行動分析の手法をマーケティングに応用する手法が注目を浴びた。
これは、実際のユーザー体験(コト)を元に商品やサービスを開発する手法である。
これらの目指すものはコトを体験価値として提供するのが狙いである。
わかりやすく言えば、ユーザーがライフスタイルの変化を経験・体験できるものを価値として提供すること。iPhoneがライフスタイルを変えたように!!
先のカングーとゆうクルマは、クルマがモノとしての価値からコトとしての価値へ転換できた一例と思える。
カングーを買ったオーナーは、カングーでこんな事やあんな事をやりたいと思い描いたに違いない。
その多くはクルマそのものより、例えばキャンプや車中泊、アウトドアスポーツのような新たなライフスタイルをイメージしたのではないだろうか。
なら、国産のミニバンで十分・・・・・とはならないのである。
コトの価値をここでは体験価値と呼ぶ(経験価値ではUI的発想で少々ビジネスライクなので)。
体験価値を司るのは大きく二つ
①体感価値
②思い出価値(プロセス価値)
である。
①の体感価値はいわゆる五感に直接うったえる価値。つまりは右脳を刺激する価値である。
②思い出価値は記憶にとどまり思い出として左脳を刺激する価値。つまり、人が思考により表出する価値である。
少々難し話になるが思い出はどのような構成要素があるかを単純化すると
a誰と(Who)
b.いつ(When)
c.どこで(Where)
d.何をしたか(What)
e.どのように(How)
いわゆる、4~5W1Hとなる。
先のカングーと国産ミニバンとの差はここにある。
自分の思い出の中に出てくるクルマが、そのシーンを引き立てるものであって欲しいと思うのである。
それは、思い出の中に残る満足となる。
上記のa~eのeのHowに相当する。
a~eは思い出の自分の考える一般的な優先順位と考えている(この目的により状況で入れ替わりる)。
これだけだと、思い出価値の中でのカングーのポジショニングは必ずしも大きくない。
それにカングージャンボリー(のようなコミュニティ)を加えるとどうなるか。
カングーを通じた人と人とのつながり=誰と、いつ、どこで、何をしたか、これらが全てカングーとゆうクルマで繋がるのである。
これがカングーとゆうクルマをマーケティング視点で見た価値である。
正確に言えば、カングーのもつ機能価値(単に機能だけでなく、色・デザイン・ブランドイメージを含む)と①体感的価値がこれを補完し具現化しているのである。
では、自分の好きな旧車の価値は何だろうか?
②思い出価値として重要なファクターはa.つまりは人である。旧車に乗っていると、よく人に話しかけられる。逆に気軽に人と話をすることができる。
しかも、古いクルマに愛着を持つ同じ感性を持った人が自然と集まるのだから、やめられない(笑)!!
旧車の大きな価値は、人脈形成の価値であると思う。
思い出と言う意味では、故障の思い出・・・なんてのもあるが・・・(笑)
一方、①体感的価値の比率も高い。
・重いハンドル
・面倒なマニュアルミッション
・手回しハンドル
・騒音
・エアコンレスの暑い車内
いずれも、現代のクルマで改善されたものである。
一方、これらは五感を通じクルマを運転している実感をあたえる。
この実感がリアリティな体感として記憶に刻み込まれる。
このリアリティがヴァーチャル世界が急速に進む現代失われつつあるもの。
人は本来、身体で直接感じたいのである。
それを具現化したのが旧車だと思う。
これが旧車の①体感的価値である。
現代のクルマは楽な方、楽な方に価値のベクトルが進んできた。
これは進化として間違いはない。
この進化だけだと
①体感価値
②思い出価値(プロセス価値)
とゆう、クルマの存在価値自体を下げることにつながる。
価値として既製路線と違うベクトル軸をも持つ必要がある。
カングー人気や旧車ブームは、それらに対する方向性を示唆しているものと思える。
今後、自動車メーカーは、これら体験価値とその品質を上げる事が生き残りの条件となる。
次回テーマ
「体感価値とクルマの質」に、つづく・・・・・かも・・・。
なんか、ブログでなくて論文書いているようになってしまった(^^;)。
ちなみにサンナナは自動車業界とは縁もゆかりもないメーカーに勤めています。
ので!勝手な事が書けます(笑)
今回の内容はちょっと、職業病入っていますが・・・客観的に見た自動車業界へのメッセージでもあります。
尚、6/26からのブログ小説連載開始により、この手のウンチクブログを書く時間が厳しくなりますが、「イイね!」やアクセスが継続的に付くようであれば、続きを書きたいと思います。