
ブログはご無沙汰でしたが、少し力を抜いて不定期掲載を再開します
テーマは「大衆ヒストリックカーのすすめ」
昨年、ミニを手に入れて
・ビートル
・フィアット500
・2CV
・ミニ
が揃った。
単なる大馬鹿者だが、せっかく揃ったのだから
これらのクルマに興味のある方、購入を検討している方の参考情報を提供していこうと思う
自分の体験談を通じて、旧車への一歩を踏み出して頂ければ幸いである
古いクルマの呼び名としては
・旧車
・クラシックカー
・ビンテージカー
と様々であるが本ブログで出てくるクルマはヒストリックカーと呼称する
言葉の通り歴史の語れるクルマ達である
自分のミニは93年式、2CV は87年式
AE86のデビューが83年である事を考えると設計は古くとも、個体自体はさほど古くない
されど長い歴史を持つのは間違いない
なのでヒストリックカーなのである
尚、日本の大衆車の代表格であるスバル360が無く片手落ちなのはご容赦願いたい。
大衆車といえばルノー4、はたまたT型フォードも入れるべきと言われそうだが....
ちなみにヒストリックカーとしては役不足だが、参考に手持ちのホンダZ(水冷)を国産代表として取り上げる
尚、各車の詳細な歴史やテクニカル的な内容は専門書が、いくつも出ているので割愛する
本ブログではヒストリックカーを使ったライフスタイルを中心に、初めて旧車に手を出そうとする人向けの内容にフォーカスするつもりである
◯自分の趣味としてのクルマ歴
64年生まれの自分は、同世代の男子の多くがそうであったようにスーパーカーブームの影響を強く受けている。
自分が小学生高学年だった頃に起きた大ブーム。
撮り鉄だった自分も影響を受けスーパーカーを撮るようになる。
学校ではスーパーカー消しゴムで遊び、東京12チャンネル(今のTV東京)のスーパーカーの番組でゼロヨンを見てはエキサイトする。
近くの駅前でミウラが走り去る姿を見た時は興奮してその夜は寝られなかった。
カッコイイのはフェラーリBBとカウンタック
この2台のオーラは別格だった。
その2台をゼロヨンで打ち負かすクルマがあった
ポルシェターボである
フェラーリBBやカウンタックに比べれば普通のクーペであるポルシェターボが速い。
その時は何故か納得できず、あのカエル顔と共にあまり好きになれなかった。
コンパクトかつ圧倒的な軽さが当時のポルシェの真骨頂である事に気づいたのは、だいぶ後になってからであった
そんな自分は中学生になると、早くもバイク好きになりクルマへの興味は薄らぐ
サーキットの狼よりナナハンライダーが愛読書となっていった
大学時代、自分は2代目プレリュードXXを買い、友人はCR-XやAE86パンダトレノ(イニDの藤原拓とまったく同じ)を買う
プレリュードを買ったのは、ホンダがバイクメーカーであったから(AE86の4AGがヤマハ製なのは後で知った)
趣味のメインはバイクであり、クルマは便利な道具の意味合いが高くなる
それ以降、バイク三昧の日々が続く
転機はユーノスロードスターの登場
何気に試乗し交差点を曲がった時に衝撃を受ける
初めてクルマにバイクと同等の面白さを感じた瞬間であった
そして雨天が続いたある年に、バイク通勤をクルマ通勤に変更する
通勤路を少しでも楽しくするためにセカンドカーの導入を決意
選んだのは当然ロードスター
ロードスターを乗りたいが故にクルマ通勤に切り替えたのかもしれない
それ以降、趣味車を通勤車にする生活が続く
趣味車といえど通勤で使うので途中で止まったら困る。
必然的に国産車かドイツ車から選んでいた。
ある年、都内勤務に変わり電車通勤になる。
趣味車の制約が一気に解放された。
旧車を含めたクルマ選びが始まる。
候補はビートルとミニ
まだまだ、それらはいっぱい走っている時代だったので、この2台ならなんとかなるだろうっと思ったのである(この時代、ネットの情報も無かった)
2台の専門誌を読みあさり、ヘインズのマニュアルも手に入れる
そして選んだのはビートル
ビートルの生まれはドイツだが、育ったのはアメリカである
ビートルの文化の多くはアメリカから発信されている
そして空冷OHVエンジンであること
当時乗っていたバイクがハーレーであり、昔のゆったりとしたアメリカ文化への憧れと、空冷OHVエンジンへの思い入れが強かったのである
ここから、自分の大衆ヒストリックカーライフがはじまった
大衆ヒストリックカーの楽しみ方
◯大衆ヒストリックカーの魅力
古いモノを愛おしく思う気持ち
これは多くの人に共通する
古いモノを大事にする
これは多くの人にとって美徳である
古い手間のかかるモノを使う
これは時間に追われる現代へのアンチテーゼ
クルマに限らず古いモノは人の心を癒してくれる
古いクルマが走っているのを見ると、ほのぼのした気持ちになる
これは本能的要素が強い、過去があるからこそ今の自分達がいる
歴史を認めることが種の保存には不可欠なのである
守るべきモノとして認識するのは母性本能なのかもしれない
大衆車は、いわばファミリーカーである。
家族の歴史をつぐむ道具として時代を共にしてきた。
幼年時代に接してきたクルマは、ある種の家族である
多くの人に愛され家族の思い出が詰まってクルマだからこそ、人は古い大衆車を見るだけで優しい気持ちになれる
高級ビンテージカーはそのクルマ自体が魅力的である、一方大衆ヒストリックカーはそれを使う人のライフスタイルが素敵に映る、その癒しの効果は憧れの対象である高級ビンテージカーに負けない魅力である
◯ほどほどを楽しむ
そもそもヒストリックカーを楽しむなど道楽そのものである。
道楽にいくら理屈をつけても屁理屈にしかならない
この屁理屈を、ほどほどに楽しむのがヒストリックカーを楽しむコツである
屁理屈に正解はない、こうでなくてはならないと思い込むと辛くなる
オイルは滲んでもいけない、ガタピシャリ音が気になって仕方ない....昔の人はこれで乗っていたのだから
当時のオリジナルでないと気が済まない、キズ錆び一つ許せない....どうせ当時のタイヤは使えないし、新車時点でもピカピカではなかったのだから
歴史的遺産として極力オリジナルを残すべきクルマもある。
初期に製造されたクルマは、そのクルマが生まれた時代背景を語ってくれる担い手でもある。
一方、生活の中で使いこなしてこそ素敵なクルマもある。
ヒストリックカーを選んだ理由が、そのライフスタイルにあるのであれば、多少不具合があろうと、傷があろうと、オリジナルとはかけ離れようと気にする必要はない。
価値基準の違うところでの比較は意味がない。
自分の価値基準に素直にライフスタイルを楽しむに尽きる。
ちなみに、走っているヒストリックカーの8〜9割は何かしら不具合を持っているはずである。
自分のクルマも直すべき所はいっぱいある。
でも直さなくても走ってしまう
まあ、そのうち直せばイイヤ‼️。
多くのヒストリックカー乗りの人も、こんな感じで楽しんでいると思う。
そのクルマの生まれた頃にならったスローライフと、実用性の程良い妥協点を見つか出すのがヒストリックカーを長く楽しむコツである
続くd(^_^o)‼️