本日のニュースで、元プロ野球・西鉄ライオンズの「稲尾和久さん」が亡くなられたとのこと。
WEB記事は
こちらから。
大阪・朝日放送(ABC)の野球解説者をしていた関係で、関西でのプロ野球中継にはよく出られていました。
私も稲尾さんの解説は、よく拝見していました。
関西ローカルのTV番組でも稲尾さんの悲報の中で、これまでの戦歴を紹介されていましたが、今では考えられないような大選手だったのですね。
(改めて、そう思いました。)
同一シーズン内・最多連勝記録・・・20勝(1957年)
シーズン最多勝記録・・・42勝(1961年)
日本シリーズ通算完投数・・・9
日本シリーズ通算勝利数・・・11勝 他記録多数
●年度別勝利数
1956年・・・21勝
1957年・・・35勝
1958年・・・33勝
1959年・・・30勝
1960年・・・20勝
1961年・・・42勝
1962年・・・25勝
1963年・・・28勝
1964年・・・0勝
1965年・・・13勝
1966年・・・11勝
1967年・・・8勝
1968年・・・9勝
1969年・・・1勝
合計、通算276勝
1年間で42勝なんて、今のプロ野球から考えれば、まず実現不可能な数字ですね。
まさしく、“鉄腕”と呼ぶにふさわしい大投手ですよ!
42勝ということは、中何日で投げていたのでしょうか?
今では、中5日ぐらいで先発ピッチャーは投げていますが・・・。
1964年が0勝になっているのは、やはり体を酷使し過ぎたために肩を故障したようです。
番組中に取り上げられたのは、1958年の日本シリーズ。
巨人に3連敗した後の4連勝で大逆転日本一に!・・・というエピソードでした。
このシリーズ、第1、第3戦で稲尾投手が登板したものの西鉄ライオンズは連敗。
しかし、第4戦以降、第7戦まで連続登板(第3戦から数えると5連続登板)で大車輪の活躍!
第5戦では、自らサヨナラホームランを打ち、あの名文句「神様、仏様、稲尾様」が生まれたんですね~。
私は稲尾投手の現役時代は知りませんが、こんなエキサイティングな展開は、今のプロ野球では見ることができないでしょう!
(私は在りし日の西鉄ライオンズを知りません。私の記憶では、クラウンライターライオンズ以降です・・・(^.^))
稲尾さんは、西鉄ライオンズにバッティングピッチャーとして入団したそうです。
4球に1球はボール球を投げるように指示され、そのボール球をストライクゾーン・ギリギリを狙って投げる練習にし、ひたすらコントロールを磨いたとのこと。
鳴り物入りで入団したワケではなく、バッティングピッチャーからの下積み時代があったんですね。
私は稲尾さんの監督時代しか知りませんが、長く解説者としてもTVで拝見していただけに、70歳で亡くなられるとは残念です・・・。
稲尾さんのご冥福をお祈りいたします。
Posted at 2007/11/13 18:44:04 | |
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