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アスロックのブログ一覧

2014年10月22日 イイね!

伊勢神宮にお参りしてみた。(前編)

暑いと思っていたらいつのまにか肌寒くなってすっかり秋ですね。
夏場は熱中症が怖くてなかなかどこかにいくことも控えがちになっていましたが良い季節になりました。
ふとそんなときに神宮にいきたくなりました。
神宮といっても名鉄本線の神宮前駅じゃないですよ。
伊勢神宮です。
昨年式年遷宮を終えて、お参りにいきたいとおもっていましたが、さすがに注目されている中では大混雑は必至。
1年ぐらいたって落ち着いてきたらお参りに行こうと思ってました。
実は式年遷宮の前の年にお参りにいったんですよ。
あれから3年、どのようにかわったのか気になりますものね。
ちょうど10月19日は伊勢市にある陸上自衛隊明野駐屯地で航空祭がありますので、それにあわせてお参りにいくことにきめました。

ということでいってきまーす。


伊勢神宮がある伊勢市まではT-4練習機で20分もかからないかな。
速いよね。


伊勢神宮は内宮と外宮があります。
外宮をお参りしてから内宮をお参りするのが通常なのですが、わけあって内宮を先にお参りすることにしました。

内宮に行くには近鉄五十鈴川駅や近鉄伊勢市駅からバスが出ているのでそれに乗るのがはやいですね。
10分間隔ででているのであわてる必要もありません。



内宮前につきました。
でもその前におはらい町で何か食べましょう。


名物松坂牛の牛串。
大きさはおでんの中に入ってる牛すじ串ぐらいの大きさ。
これで7ドルもするぜ・・・・さすが松坂牛。



伊勢といえばやはり伊勢うどんはかかせません。
ちょっと奮発して月見伊勢うどんをたのみました。
コシがまったくない麺に濃いしょうゆベースの汁はかなりクセがありますが、慣れてくるとハマりますね、これ☆

さて、この後おかげ横丁までいきたかったのですが、写真のとおりものすご~い人だったのでおはらい町通りの1/3ぐらいで引き返しました。
ここで疲れちゃったらお参りできないもんね。
でも伊勢エビコロッケバーガーとチーヅをはんぺんでくるんだチーヅ棒は美味でした。



さて、いよいよ内宮にお参りです。
宇治橋の前に大鳥居があります。
非常に大きな鳥居ですが高さは実に7.44メートルもあります。
この大鳥居は宇治橋の外と内に1箇所づつあるのですが、外側のこの大鳥居は外宮の旧正殿の棟持柱が用いられています。
見ることができない正殿ですが、この巨大な鳥居が正殿の柱だと思うとその巨大さを感じられますね。
それにしても本当にピカピカですね。
もちろん式年遷宮でこの大鳥居もたてかえられます。
宇治橋を渡ると日常世界から神聖な世界へという気持ちになっていきます。




内宮は右側通行になります。
外宮では左側通行になりますが面白いですね。
こちらは宇治橋の右側から見た風景。
青々とした林の碧がとてもきれいで日常世界とは違った時間が流れてるんだなと感じます。
下の写真では川に8本の大きな杭のようなものが見えますが、これは木除杭です。
宇治川が増水した場合に流木などが衝突して宇治橋を壊さないために作られた杭ですね。



宇治橋を渡ってすぐのところにあるのがこの神苑です。
神苑は白い玉砂利が敷かれた広場やその横にある庭園のことのようです。
とても丁寧に手入れがされている庭園ですね。
ここを歩いていると皇居に似た雰囲気を感じます。



古札納所の隣に川が流れています。
火災の延焼を防ぐために御池から溝川が五十鈴川に流れているんですね。
ここにかかってるのが火除橋です。



第一鳥居になります。
この日は汗ばむほどの陽気でしたが、参道は心地よい涼しさでした。
この鳥居は非常に立派ですが、威圧感を感じず、自然と調和してるように感じました。



祓所を下ると五十鈴川の御手洗場になります。
本当に綺麗な川ですね。
この御手洗場で清めて参拝にいきます。
御手洗場は元禄5年に徳川綱吉の生母、桂昌院が寄贈した石畳で作られたそうです。




さらに参道を進むと第二鳥居がみえます。
行き交う人は多いのですが参道を歩いていると日常世界から本当に離れたところにいるんだなと感じます。
江戸時代、庶民は一生に一度のあこがれとして御伊勢参りが行われていましたが、江戸時代の人たちも、もっといえば鎌倉時代も平安時代も、そして2000年前の人たちもこの道を歩いてお参りにいったんだと思うと「くにの歴史」として今に繋がってるんだなと考えてしまいます。
下の写真はサルノコシカケが生えていたので写してみました。


こちらは御厩です。
「みうまや」と読みますが、その名前の通り馬小屋になります。
皇室から牽進された神馬が飼育されるところです。
残念ながら神馬を見ることは出来ませんでした。
屋根には苔が生えていますが、ここも式年遷宮にならって作り変えられていくんでしょうか。


内宮神楽殿です。
ご祈祷をする場合はここでお願いしましょう。
神宮内の建物の多くが古来の日本を感じさせるなかでこの神楽殿は雰囲気がずいぶん違うのが面白いですね。
今の神楽殿は昭和53年に全面改築されたものなんだそうです。
御朱印もここでいただけます。



神事や儀式などをおこなう場所です。
名前は長さから「五丈殿」といいます。
シンプルな建物ですが神聖さを感じます。
このような神事を行う場所が神宮内にはいくつもありますが、神宮ではお祭りが年間千数百回行われているそうです。
お祭りはもちろん神事ですが、2000年前から現在まで絶え間なく神事が続けられているってすごいことですよね。
ひとつのことを毎年続けることは非常に難しいことです。
止めてしまうことは簡単ですがそこで途絶えてしまいます。
途絶えてしまったらそこで伝統は終わってしまいます。
その伝統を2000年以上途絶えさせずに続けているわけですから歴史や伝統といった簡単な言葉ではあらわせられない重いものを感じます。
土地があって人が住んでいて、その人たちが「日本」を名乗っていてもそれだけでは日本ではありません。
古来からずっと続いている伝統、精神を引き継いでいてこそ「日本」という国です。
文化や価値感は時間とともにすこしづつ変わっていきますが、何年、何十年、何百年、そして何千年と変わらないもの、変えてはいけないもの、引き継いでいくものをもっているってすばらしいことだと思いません?




こちらは御酒殿です。
もともとは御神酒を醸造していた場所ですが今は御神酒を納める場所のようですね。
屋根に生えた苔が時間を感じさせます。



これは忌火屋殿です。
ここで御火鑽具をつかって火をおこして神饌を調理します。
「忌火」とありますが清浄な火のことのようです。



御贄調舎です。
以前お参りに来たときと比べると新しく建て替えられているのがわかります。
ここで神饌として鮑を調理する場所ですね。



小柄ですがとても格調高いですね。
御稲御倉といいます。
御稲御倉神をお祀りしている場所で神宮神田より収穫した抜穂の御稲をおさめています。


さて、いよいよ内宮の中心になる正宮です。

ここから先はたいへん神聖な場所なので写真を撮ることは許されませんし正殿の全体を見ることも出来ません。
正殿には天照大神がお祀りされていますが、絶え間なく参拝者が手を合わせていきました。
ここではいわゆる個人的なお祈りではなく、「国」についてお祈りするのが正しいようですね。
実際私もこの場に来ると個人的な願いは頭に浮かんできませんでした。
 日本の平和が続きますように
 日本が大きな自然災害に襲われませんように
 日本がエボラ出血熱などの疫病からお守りください
と願いをしました。

伊勢神宮といいますが、単に「神宮」というのが正しいようです。
ここ内宮は皇大神宮と呼ばれ、御祭神の天照大神が皇居を出られて御鎮座されたのが垂仁天皇二六年といいますから2000年以上の歴史があります。
20年ごとに社殿を建て替える式年遷宮は1300年つづけられているそうです。
20年というのは考えてみると絶妙な時間ですね。
例えば15歳ぐらいで若手の職人として式年遷宮の社殿の建て替えに携わったとすれば、20年後はベテランになってる35歳、さらに20年後には55歳ぐらいですから師匠といったところでしょうか。
式年遷宮のたびにほぼ毎回必ず以前の遷宮に携わった人がはいることで着実に技術や神事などのノウハウが続いていきますものね。



長くなったので後編につづきます。



伊勢神宮にお参りしてみた。 前編/後編
Posted at 2014/10/22 22:54:25 | コメント(2) | トラックバック(0) | プチ旅行 | 日記
2014年05月05日 イイね!

そうだ呉にいこう3(5月4日)

さて最終日の3日目です。
5月4日は日曜日ということで艦艇や施設の一般公開が行われます。
これを狙ってるので5月3日と4日を選んだんですよん。
朝起きてホテルのあまり美味とはいえない朝食を食べて身支度を整えて呉へ。

ここで問題です。
一番最初に訪れた場所はどこでしょう?
・・・そりゃトイレだよ・・・
というのはさておき、荷物をコインロッカに押し込んで、向かう先は・・・
呉基地!
そう、日曜の艦艇公開です。
10時から見学開始、受付は9時40分頃からですが、その時間にはものすごい列ができてました。
はははは・・・みんな艦艇大好きなのね(^^;

結構並びましたが人気の高さが伺えます。
さぁ

パラダイスです(^^)
ここは天国ですか?
桃源郷ですか?
いいえ、呉基地です。
左の二隻は護衛艦DE-229”あぶくま”とDE-232”せんだい”(満載排水量2900トン)、その奥には練習艦TV-3517”しらゆき”(満載排水量4000トン)、右側には掃海艇MSC-687”いずしま”、MSC-690”みやじま”、MSC-688”あいしま”(それぞれ満載排水量590トン)、その奥に練習艦TV-3513”しまゆき”(満載排水量4200トン)、敷設艦ARC-483”むろと”(基準排水量4950トン)がみえますね。



今日の見学指定艦は”しまゆき”ですが、このものすごい列!
いやぁ、かなり並びましたよ。



左側が”しまゆき”、右側は”むろと”です。
”しまゆき”ははつゆき型護衛艦を種別変更したもので、ヘリコプタ格納庫内にプレハブ実習講堂を設置しているようです。
”むろと”は平成24年に退役した先代”むろと”の後継で昨年竣工したばかりの新しい艦艇です。
建造費抑制のために商船構造をとっていたり、敷設能力は最低限に抑えられているようです。



こちらは掃海艇MSC-688”あいしま”、MSC-690”みやじま”、MSC-687”いずしま”(それぞれ満載排水量590トン)。
現在主力となるすがしま型掃海艇で、3隻とも掃海隊群第1掃海隊に属しています。
ペルシャ湾での掃海部隊派遣の教訓から水中処分具や電子機器を新型のものを導入しています。


ここで思う存分艦艇公開を満喫したら、そのままタクシーでここにむかいましょう。

呉地方総監部です。
ここでは日曜に建物の一部を公開してるんですよ。



本当に美しい赤レンガ造りですね。
この建物は地方総監部の第1庁舎ですが、終戦までは呉鎮守府庁舎でした。
地下1階地上2階の赤レンガつくりのこの庁舎が建てられたのは明治40年といいますから107年前になります。



こちらは反対側からですが、建物の両面が正面というのが海軍らしいですね。
中央の屋根にドームがありますが、これは戦時中の呉空襲で失われましたが、平成11年に復元されました。



さてここから歩いてしばらくしたところに入船山公園があります。
いってみましょう。


ここには入船山記念館があります。



これは休憩所ですが、なんと旧東郷家住宅離れです。
東郷平八郎は明治23年に呉鎮守府参謀でしたが、1年半の間住んでいた離れを昭和55年に移築したものです。



こちらは入船山記念館のシンボルでもある時計塔です。
大正10年に海軍工廠造機部の屋上に設置されていた時計で、終戦まで時を刻んでいました。
昭和46年に入船山記念館に移築し、昭和55年に時計として復旧を果たしました。
時間になるといろんな音楽が鳴るよ。



こちらは番兵塔です。
警備のため兵士が昼夜を問わず立番をしていたところで、よく見ると足元がへこんでいます。
ここから動かなかった証拠ですね。



こちらは1号館。
元は警固屋高烏台砲台にあった火薬庫で、昭和42年に移設したものです。




貼ってあったポスター。
・・・なぜかものすごく物々しい絵になってるんですが(^^;



これが呉鎮守府長官官舎です。
面白いんですよ。
こっちは洋館なのに



後ろ半分が和館なんです。
おもてなしをするために洋館部で応接を、後ろの和館は住居として使われていたようです。



ドアをみるとガラス部が海軍の模様が。
つくりは非常にすばらしいものがあります。




応接室と食堂。
呉鎮守府長官ともなれば政治家や外国の海軍関係者が訪れることもあるでしょうから非常に格調高いつくりになっています。
この壁紙ですが、金唐紙という非常に貴重で造るのに難しい伝統文化なんですよ。


さて、入船山記念館を見学し終わったらいよいよラストです。
実は私が呉を旅行するのはこれで5回目。
そのたびに行く場所があります。
大和ミュージアム、てつのくじら館、アレイからすこじま・・・そしてあと1箇所。
それは



長迫公園に設置されている海軍墓地です。
もともとは明治23年に海軍将兵の殉職者・戦死者の埋葬地として発足しましたが、終戦後異例愛行事が禁止され、さらに呉空襲で墓地そのものが廃墟と化してしまいました。
昭和40年ごろから遺族や生存された方々の手で記念碑が建立されるようになって今に至っています。




緑と花にかこまれたとても美しい場所です。
そこには無数の石碑が並んでいます。
この一つ一つに何人、何十人、何百人、何千人という将兵が乗り込み、そして散華されています。
これほどの多くの艦艇が沈み、多くの方々がこの国を守るために苦しみそして散華されていると思うと考えさせられるものがあります。


戦艦大和戦死者之碑です。
本来なら全ての記念碑を紹介すべきなのでしょうけど、代表して大和の碑を掲載しました。
海軍墓地にはこの大和をはじめ慰霊碑91基、個人碑157基、英国水兵の墓1基があります。
眠られている将兵は13万柱といいます。
多くの将兵の命で今の日本の平和と繁栄があることを忘れてはいけません。
日本の平和を見守り続けてください。

そういえばタクシーの運転手さんから興味深い話を伺いました。
親父さんが海軍の将兵で無線士をやっていたそうですが、南方で敵の雷撃を受けて散華されています。
詳細がわからないので厚生省に問い合わせても肝心のところがわからない。
そこで旧海軍の関係者に調べてもらったところ、その親父さんが乗られていたのは艦艇ではなく貨物船で、潜水艦の警戒をしていたのではないかということです。
潜水艦の雷撃を受けて亡くなったのは親父さん1人だったそうですが、きっと無線で周囲に潜水艦がいるから気をつけるよう通信をしていたのでしょう。
命を懸けて打った無線できっと何隻もの船舶が沈まなくて済んだのでしょう。
顔を見たこともない親父さんのお墓をようやくちゃんと作ることができると話されていました。

今旧海軍の艦艇を擬人化したゲームが売れているようですが、私が手をだせないのは艦艇の1隻1隻、飛行機の1機1機にこの国を守ろうとし、愛する人を守ろうとして望まない形であれ地獄のような戦いに身を置かなければならず、苦しみ傷つきそして散華された多くの方々がいることがどうしてもよぎってしまうからです。


この後大和ミュージアムに行ってもう一度展示を簡単に見てお土産を買ってきました。

お土産買いすぎた・・・・・



昼過ぎになったので呉のラストとして

地元グルメの呉冷麺を食べました。
これ食べたかったんですよ~
冷やし中華よりあっさり系ですね。


この後広島経由で家路につきました。
この二泊三日で総額いくら使ったのか、考えるのも恐ろしいですが、ブルーレイレコーダーが2台は買えそう(^^;
おまけ。

鉄のくじら館でゲットした潜水艦”あきしお”と護衛艦”あしがら”のモデル。
スーツケースと比べるとモデルが結構大きいのがわかるでしょ?
それぞれ1/350と1/700です。


以上、呉旅行でした。
Posted at 2014/05/05 22:34:11 | コメント(5) | トラックバック(0) | プチ旅行 | 日記
2014年05月05日 イイね!

そうだ呉にいこう2(5月3日)

さて2日目です。
目が覚めたのは朝の5時。
考えてみたら旅行に行ったときって普段以上に朝起きるの早いんですよね。
・・・なんか気分がよくない。
とりあえずおなかは減ってるのでコンビニで買ったおにぎりを食べました。
チェックアウトは7時頃・・・・のつもりでしたが、なんか気分が悪い。
フラフラするし。
仕方ないのでもうすこしベッドで横になることにしました。
(その後盛大に吐きました・・・orz)
昨日の疲れもあったのでしょうけど、なんか調子が悪いので9時過ぎまで横になってました。
それでも体調がよろしくない。
とはいえ、今日の宿は呉から離れた広にあるのでどちらにしても移動しなければなりません。
いや辛かったですね・・・まじで。
JR呉線で広島から広にいき、そこに荷物を預けて呉駅に。
ホテルで休もうにもチェックインまで時間がありますものね。

さぁ体はフラフラですが、私が選んだのは・・・・・
医務室かな?休憩室かな?

呉湾艦船めぐり。

・・・私ってホント馬鹿・・・・
名前のとおり小型船で海上自衛隊の艦船を見るものです。

おおお!
これはパラダイスですか?
ゆれる船の中で吐き気と戦いながらも満喫しました(^^)
写真はその一つですが、訓練支援艦ATS-4202”くろべ”(満載排水量2550トン)、護衛艦DE-232”せんだい”、DE-229”あぶくま”(ともに満載排水量2900トン)です。
航行跡から艦艇にずいぶん近づいていることがわかりますよね。
ホントーに近いんですよ。
あぶくま型DEははつゆき型DDの小型版っていう感じですが、本当に美しいですね。



こちらは潜水艦おやしお型(水中排推量3500トン)
潜水艦をこんなに間近で見られるのってめったにないですよ。
こうしてみると本当に「鉄のくじら」って感じですね。
「おやしお」型は海上自衛隊の主力となる潜水艦で、11隻が建造され、うち5隻が呉基地を母港としています。



こちらは輸送艦LST-4003”くにさき”(満載排水量14000トン)です。
おおすみ型輸送艦の3番艦で、艦尾のランプからはエアクッション艇を展開させることができます。
本当に巨大ですね。



どうよ!?
このアングルから見ることなんてめったにできませんよ!
ヘリコプター搭載護衛艦DDH-182”いせ”(満載排水量19000トン)です。
ひゅうが型DDHの2番艦で、呉を拠点とする第4護衛隊群の旗艦とも言える護衛艦です。
こうやってみると空母と感じちゃいますね。

さて、写真では色とりどりの信号旗がはためいていました。
これは満艦飾りといって、軍艦が記念日に祝意を表すためにおこなうものです。
海上自衛隊では建国記念の日、天皇誕生日、憲法記念日、海の日、文化の日、自衛隊記念日、観艦式に行います。
実はこれが目的で5月3日を選んだんですよ。
連休中に遠路呉や舞鶴、佐世保、横須賀にいって満艦飾を見ることができるのはこの日ぐらいですからね。


さあ、フラフラな中で小型船でゆれまくったので・・・・
終わったあとに桟橋のトイレでは(自主規制)
まだ体調は戻っていませんのでホテルにいきたいものの、まだ時間があります。
・・・江田島行こうか。
フラフラの状態で。

私ってホントに馬鹿・・・・


さぁ上陸用舟艇がきました。
(※写真は江田島側から写したもの)
舟艇の中ではぐったりしながら海を眺めていました。
うっ・・・ちょっと船酔いした。

小用港からタクシーで少し走ると

海上自衛隊江田島基地があります。
ここには海上自衛隊の幹部候補生が教育を行う幹部候補生学校、艦艇術科教育を行う第1術科学校、江田島警務分遣隊が置かれていますが、江田島基地の見学ができるようになっています。

門で手続きを受けた後は見学者控え室に向かいます。
このころになると体調もそれなりに戻ってきました。
よし、いける!
見学者控え室の2階は海上自衛隊歴史ゾーンというちょっとした展示コーナになってるのですが、

シースパロー短SAMに何と高速無人標的機チャカⅢBQM-74Eが展示されていました。
シースパローは見た目は航空自衛隊で使われているスパロー空対空ミサイルそのものですが、よくみるとフィンが折りたたみ式になってるんですね。
チャカはミサイルの標的に用いる無人標的機です。



エアクッション艇LCACの模型が展示されていました。
かなり大きいのですが、驚いたことにこれ、ダンボールで作られているのだとか・・・
すごすぎます。


さあ見学の時間開始です。

まず目に飛び込んでくるのがこの大講堂。
新築なんていうなかれ、これ築90年の歴史があります。


大講堂の中は荘厳のひとこと。
この江田島基地には終戦まで海軍兵学校がありました。
この講堂は大正6年に入学式・卒業式などに使われるために建てられたもので花崗岩を使った非常に美しい建造物になっています。
皇族の方々が来場できるようになっています。



江田島の松は「気をつけ!」の号令とともにビシっと背筋をまっすぐにするかのごとくまっすぐ生えているんですね。
これは開校当初からだとか。



幹部候補生学校の校舎。
もちろん以前は海軍兵学校として使われていました。
江田島の海軍兵学校は米海軍、英海軍と並ぶ世界三大海軍兵学校として知られた由緒あるものなんですよ。
この赤レンガの建物も新品同様に見えますが、恐ろしいことに建築されたのは明治26年ですから実に120年前の姿そのままなんですね。
赤レンガも非常に丁寧に作られたようで、この赤レンガを今作ると1個あたり2万円かかるのだとか・・・



ここは一度は訪れるべき場所です。
教育参考館。
世の中で「参考」と言えば、文章をコピペするようなイメージですが、ここを訪れると参考という意味を考えさせられます。
ここは先輩の偉業を偲び、「温故知新」によって自己修養と学術研鑽の資とするために昭和11年に建築されたものです。
終戦後には資料が失われましたが、今でも16000点の資料を保管し、1000点の資料を公開しています。
現在は特攻隊員の遺書や海軍将校の書、第六潜水艇事故の佐久間艇長の遺書などが展示されています。
世の中で一番「参考」という言葉を重く感じますね。


江田島基地を見学した後は先ほどの上陸用舟艇で呉に戻ります。
体調もすっかり戻りましたので、今度はデッキで呉港の様子を見ながらですね。


こんな様子が見えます。
昼前までは曇っていましたが天気もすっかりよくなって青空です。
音戸の瀬戸の瀬戸大橋かな?


こちらは
呉基地の様子です。
左の巨大な艦はもちろんヘリコプター搭載護衛艦DDH-182”いせ”です。
その隣は練習艦TV-3518”せとゆき”(満載排水量4200トン)、訓練支援艦ATS-4203”てんりゅう”(満載排水量2750トン)です。
”せとゆき”ははつゆき型護衛艦の10番艦として建造されましたが現在は”しらゆき””しまゆき”とともに練習艦として乗員の訓練を行います。
”てんりゅう”は訓練支援を行う専用の艦艇で、無人標的機の同時管制を4機行うことができます。



こちらは掃海母艦MST-464”ぶんご”(満載排水量6900トン)です。

さて、呉港にもどりました。

まだ・・・間に合うかな?
いそいでタクシーにのってある場所に向かいました。
そう、

アレイからすこじまです。
呉港に戻ったのが16時頃、満艦飾は日没までなので間に合いましたね☆
おやしお型潜水艦、DE-229”あぶくま”、DE-232”せんだい”、ATS-4203”てんりゅう”、TV-3518”せとゆき”の姿が見えますね。
満艦飾が実に見事です。
この風景が見たくて呉に来たといっても過言ではないですものね(^^)


体調はもどりましたが、念には念のためということでこの日はからすこじまをこれで後にして広にあるホテルに向かいました。
食事は・・・


食事は思いっきり豪勢なコース料理にしました。
まぁ言うても安かったんですけどね。

体もくたくただったので食事の後は早々と爆睡しました。
3日目に続く。
Posted at 2014/05/05 19:41:45 | コメント(0) | トラックバック(0) | プチ旅行 | 日記
2014年05月05日 イイね!

そうだ呉にいこう1(5月2日)

毎日の仕事、公私共にいろいろあって私の心も真っ黒。
浄化しにいこうか・・・
そうだ、GWは自分探しの旅にいこう。
本当の自分はどこにあるのか、いったい何なのか・・・

自分探しの旅・・・





あっさりみつかった(笑)
ついでに心も真っ白に浄化されました(^^)


と、いうことで、5月2日、3日、4日と広島県の呉市にいってきました。
もちろん呉に宿を取るつもりだったのですが、手違いで1泊目は広島に、2日目の宿は広になってしまいましたが。

呉までは

でアフターバーナを使えば20分ちょいの距離。
早いよね。

到着したのは昼前。
まずはおなかが減ったので食事を。
そりゃなんといっても

海軍カレーでしょう。
立っている旗を見て「ウケイカガー」とか「グンクツの音ガー」とか言う人がいたら笑ってやりましょう。
味はやはり美味。




そういえばこのレストランのフロアにおみやげ物屋なのですが、なぜか写真のような看板がありました。
あんまり擬人化って好きじゃないんですが・・・


でもって、このフロアにはなぜか

戦艦大和の模型(巨大だぞ!)と「男たちの大和」で使われた25ミリ3連装機関銃のセットが。
そう、実はここ大和ミュージアムの手前にあるみやげ物屋&駐車場建物なんですよ。



おなかも膨れたのでまず向かったのが中央桟橋。

ああっ・・・私の穢れた心が浄化されていきます(^^)
海上自衛隊呉基地の呉港務隊の支援船が所狭しと停泊していますね。
手前からYT98”曳船98号”とその同型の50トン型曳船。
これは排水量50トンの小型曳船で「曳船75号型」として呉に4隻配備されています。
6トンの最大曳船能力をもっています。

その奥はYT65”曳船65号”、YT89”曳船89号”です。
260トン型の曳船で呉にはこの260トン型(曳船58号型)が6隻配備されています。
曳船というのはいわゆるタグボートのことで、港湾施設には欠かせない船舶になります。
この260トン型は宿泊施設もあるようですよ。

その隣の白い船はYF2137”交通船2137号”とYF2152”交通船2152号”です。
こちらは排水量30トンの交通船で速力が24ノットと速いことが特徴です。
呉警備隊が保有しているもので、呉基地と江田島、岩国基地への人員輸送などに用いられています。

その奥側の2隻や50トン型の曳船75号型ですね。

右側にうつって手前からYO27”油船27号”と”YO22”油船22号”です。
船首の形が違いますね。
油船27号は油船25号型と呼ばれる490トン型の油船です。
艦艇に港湾施設内で給油を行う船で船内に貨物油タンクをもっています。
油船22号は油船14号型と呼ばれる490トン型の油船になります。

その隣の大きな船はYDT4”水中処分船4号”です。
排水量300トンの比較的大きな支援船で、不発弾や機雷などの処理を行う水中処分隊の母船になります。



さて、支援艦船に見とれてばかりいては日が暮れてしまいます。
名残惜しいですが時間を有効に使うため移動しましょう。
呉といえばやはり・・・

ですよね~。
海上自衛隊呉資料館通称「鉄のくじら館」です。
いやぁ、何度見ても実物の潜水艦には圧巻です。
この潜水艦は退役したゆうしお型潜水艦の7番艦SS-579”あきしお”で、現役時には満載排水量2900トン、全長76メートルですからやはり巨大です。
昭和63年に竣工し、平成16年3月まで現役でしたから、比較的新しい潜水艦といっていいと思います。
これだけの潜水艦を実際に見学できるのは世界でもここぐらいじゃないでしょうかね。



”あきしお”の操縦席。
結構狭い上に発令所のすぐ近くなんですね。
前がまったく見えないのでなんか不思議な感じですね。



こちらは資料館内に展示してある無人対戦機”DASH”です。
1950年代に米海軍で開発された対戦システムで、無人ヘリコプターに短魚雷や爆雷を搭載して自艦より遠く進出して敵の潜水艦に魚雷や爆雷を投射します。
海上自衛隊では昭和52年まで使用されていました。

鉄のくじら館の館内の様子はまた別途。
・・・気が向いたら・・・


さて、お次は大和ミュージアム・・・
と思うでしょ?
残念、さやかちゃんでした☆
じゃなくて

ここです。
海上保安大学校にある海上保安資料館です。



ここは海上保安庁の開庁から現在までの貴重な資料が展示してあります。
これは海上保安庁の初代の庁旗です。
茶色く見えますけどもちろん当初は青かったんですよ。



こちらは海上保安庁初の軽合金製巡視艇”あらかぜ”の構造の一部です。
まだまだ軽合金で船を作ることが珍しかった時代にオール軽合金構造は非常に画期的でした。
20数年の活躍の後、退役してから調査しても構造に劣化がなかったそうです。
我が国は終戦まで零戦をはじめ航空機の開発製造では世界トップクラスの国でしたから軽合金技術もそれ相当の蓄積があったんでしょうね。



これを見ると考えさせられます。
巡視船”あまみ”の船橋の一部です。
無数の銃撃の痕が見受けられますが、平成13年12月22日に発生した九州南西海域不審船事件で北朝鮮の工作船から受けた銃撃の痕です。

このとき北朝鮮の工作船からは自動小銃のほかに対戦車ロケットも発射されています。
また後に引き上げられた工作船からは対空機関砲も発見されています。
この銃撃事件がどれだけ緊迫したものだったかが伺えます。
「正当防衛射撃!」と海上保安官が叫ぶことで映像に正当防衛の証拠を残していますが、根拠を明確にしなければ、自分の身を守るためでも射撃すれば銃刀法違反、場合によっては殺人罪で海上保安官が逮捕されてしまうというこのムチャクチャ理不尽な現実。
私たち日本人はいいかげん「国を守る」ことを本気で考えなければならないと思います。


海上保安資料館についての詳細は前回(2012年にいったとき)を。
え?なぜここにいったかって?
実は海上保安資料館ってのは土日・旗日が休みなんです。
平日にしか見ることができないんです。
なぜ5月2日にここにいったかというとこれが理由なんですよ。




こちらは海上保安大学校の横から見えた海上自衛隊の掃海母艦MST-464”ぶんご”(満載排水量6900トン)です。
うらが型掃海母艦の2番艦ですが艦首に76ミリ単装砲を装備しているため排水量が50トン大きくなっています(この角度からでは見えませんけど)。
掃海部隊の母艦である同時に旗艦機能に加えて掃海ヘリコプターMH-53EやMCH-101の搭載が可能です。
艦尾にドアのようなものが見えますが、ここは航空磁気掃海具の格納庫になっています。




さて、呉といえばやはり・・・

ですよね~。
呉市海事歴史科学館、通称大和ミュージアムです。



いつみてもこの1/10スケールの超特大模型は圧倒されます。
大和は全長263メートルですからこの模型は26メートル。
海上保安庁のあきづき型巡視艇と同じですから・・・巨大ですね。




展示室にいくと戦時中に使われた装備が展示されています。
こちらは海軍の九三式魚雷の尾部です。
いわゆる「酸素魚雷」です。
通常の魚雷は空気で燃料を燃やして進みますが、この際に燃焼しない窒素などが泡となって放出されるため、発見されやすくなります。
酸素魚雷は魚雷内に酸素を搭載しているので、この泡が発生しにくく、さらに燃焼効率が良いので非常に長大な射程をもつことができます。
酸素魚雷は技術的に非常に困難だったようで、実用化できたのは日本だけでした。
下の写真は潜水艦に搭載できるように小型化した九五式二型魚雷です。
魚雷というと古めかしいイメージですが、九三式には480キロ、九五式には550キロ搭載の炸薬が搭載されています。
戦艦大和設計時、炸薬300キロの魚雷に被雷したときに30メートル×10メートルの破孔ができると見積もられていたといいますから、その威力はとんでもないものがあります。



やはり悲しいものがありますね。
人間魚雷と言われるあの「回天」十型です。
これはその試作型で、300キロの炸薬を先端に搭載し、乗員が自ら敵艦に突入するよう操縦します。
見てのとおり魚雷に操縦室をつけただけの非常に簡易なものですが、最期になるものがこのようなあまりにも粗末な魚雷だというのがあまりにも悲しく感じます。
100名以上が華散されています。
航続距離が30キロ、速力はわずか8ノット・・・・
敵艦にたどり着くだけでも困難だったでしょう。



こちらは特殊潜航艇「海龍」です。
側面に大きな翼があるのが特徴で、水中を飛行機のように自由に潜行・浮上することを目指して開発されました。
搭乗員も航空機操縦士を意識して開発されていたようです。
これは後期生産型で、胴体下にある2本の魚雷を発射した後は艇首に装てんした600キロの炸薬といっつしょに乗員自ら敵艦に突入する特攻兵器でした。




こちらは零式艦上戦闘機六二型です。
長大な航続距離と高い機動性をもたせた格闘戦戦闘機が我が国が世界に誇る世界最高の傑作戦闘機零戦です。
熟練搭乗者が乗った零戦はまさに最強の戦闘機といえました。
損耗が激しくなっていき熟練搭乗者がいなくなっていくと高速で一撃離脱を行う敵戦闘機に対して不利になっていきました。



こちらは戦艦の砲弾です。
非常に巨大ですね。
九一式徹甲弾とよばれるもので、手前のものは大和型戦艦に搭載する直径46センチの巨大なものです。
先端についているのは空気抵抗をへらすためのキャップで、外れると手前から3つ目の状態になります。
敵艦の手前で落下すると海中をまるで魚雷のように砲弾が進み、敵艦に命中します。
手前から2つ目の赤いのは三式焼霰弾といわれるもので、対空焼夷弾として使われます。
敵の大編隊に対して焼夷効果のある子弾(46センチ砲なら2647個)を傘型に散布して編隊ごと焼き払う砲弾です。



さて、1日の〆はもちろんここですよね。

アレイからすこじまです。
潜水艦を眺めることができる場所ってここか横須賀のヴェルニー公園ぐらいですが、潜水艦桟橋をこのように見られるのはここだけ。
美しい艦艇の姿を見ると心が落ち着きます。
おやしお型潜水艦ですね。
艦体の大部分が海中にある潜水艦はやはり不思議な感じがしますね。


ここを見て呉を後にしました。
あ、呉駅って列車の発車ベルが「宇宙戦艦ヤマト」の音楽なんですよ。
さすが呉です☆

宿は広島にとりましたので、広島市街地を軽く見ようと思ったのですが・・・
ちょっと気分が悪くなって途中で宿に引き返しました。

駅ビルでビーフシチュウを食べました。

あ~つかれた。
Posted at 2014/05/05 17:50:51 | コメント(2) | トラックバック(0) | プチ旅行 | 日記
2013年05月08日 イイね!

舞鶴で艦艇を見よう(5月3日)

さて、神戸からの続きです。
新神戸から京都経由で舞鶴に到着です。
京都から舞鶴って何気に時間かかるよね。
到着したのは既に19時まわってたのでいまさらどこかまわるつもりもなく、コンビニでお茶とむふふな本をゲット。
宿は1泊7000円と非常に高価ですが、今まで利用してたビジネスホテルの2倍ぐらいの広さで快適でした。
神戸で歩き回った疲労でバタンキュウ。
でも・・・お腹が減って目が覚めるんですよね。
そんなときふっと窓をみると

小樽行きのフェリー新日本海フェリーの「はまなす」(総トン数16810トン)です。
ああ・・・いいなぁ。
フェリーで船旅ってあこがれますよね。
もっとも目的は船であって、目的地に着いたら電車か帰りのフェリーでとんぼがえりですけど(笑)

コンパクトデジのおまかせ設定で撮りましたけど結構綺麗に写るものです(^^)
フェリーを見たらちょっと元気が出てきたので近くのラーメン屋でチャーシューメンを。
ラーメン屋からホテルへの帰路はちょっと肌寒いけど潮風が心地よい。


2日目。
朝食はヴァイキング(艦上哨戒機ではない)だったので当然生卵をつかっての卵かけご飯です(笑)
上のフェリー乗り場ですが、夜中にフェリーが発つので、朝写真を撮るとこんな感じです。

護衛艦がすぐちかくにあったんだ・・・・
「はつゆき」型護衛艦ですが、DD-130「まつゆき」(満載排水量4200トン)でしょうか?

さて・・・どうしよう?
タクシーでまわるのもいいですが、お金もかかりますし自由もきかないですので・・・
レンタカーかりちゃえ。
ということで東舞鶴駅近くのレンタカー屋さんでコンパクトカーを借りました。
実はちょっと後悔・・・
このコンパクトカーですが、フロントガラスの角度とダッシュボードの絞の柄の関係で、太陽光線がガラスに反射して前が見えない!
エンジンの音も大きくてトラックのような乗り味で快適性はイマイチ。
う~ん。
沖縄ではデミオを借りましたが、デミオの完成度ってすごかったんだなぁ・・・・
でも(ディーラーオプションなのか標準品なのか後付なのか知りませんけど)、ナビの案内は良かったぞ。
操作性は最悪だったけど。


まずむかったのは赤レンガ博物館横の駐車場です。
ここから遊覧船がでていて、東舞鶴港を見ることができます。
艦船ファンならかかせないですぞ。
赤レンガ博物館の近くには海上自衛隊舞鶴基地の艦艇がみることができます。

手前は掃海艇MSC-682「のとじま」(満載排水量590トン)、奥に見えるのは退役輸送艦LSU-4172「のと」(満載排水量710トン)です。
さて、「のとじま」には何やら派手な旗が並べられています。
これは信号旗で、旗の組み合わせで無線が使えないときにコミュニケーションをとります。
この信号旗をズラリと掲揚している状態、これを「満艦飾」といいます。
満艦飾は天皇誕生日、建国記念の日、自衛隊記念日、海の日、文化の日、憲法記念日と指定の日におこなわれるもので、このようにして祝日・記念日を祝います。
そう、なぜ私が5月3日に舞鶴にきたかというと、これが見たかったからなんですよ。

遊覧船は10:30の出航なので、それまでは近くの喫茶店で暇つぶし。
うん、周囲はあきらかに「同じ匂い」のする人たちばかりだぞ(笑)
さて、この日はどこかの中学校が隣接する体育館でバレーボールの試合をやるようで、駐車場でたくさんの女子中学生がランニングしたり、パスの練習したり・・・
駐車場は危ないからマジでやめてけろ。


さて、遊覧船出航です。
今回乗ったのはこれ。
ではしゅっぱーつ。



ジャパンマリンユナイテッドではバルクキャリア「MELODIA」を建造(?)していました。
しかし巨大です。
貨物がほとんど乗っていない状態ではスクリュウの一部が海面よりも上にくるんですね・・・



海上自衛隊舞鶴基地の北吸桟橋に停泊する補給艦「ましゅう」(満載排水量25000トン)です。
やはり満艦飾を施していますね。


同じく北吸桟橋に停泊するミサイル艇PG-824「はやぶさ」(手前)とPG-828「うみたか」(奥)です。
ともに満載排水量240トン。
この角度から見ることができるのは遊覧船だけですよ。



同じく北吸桟橋。
こちらは護衛艦DD-151「あさぎり」(満載排水量4950トン)です。
実に美しい。


さきほどの「ましゅう」ですが、こういう構図は遊覧船ならではですね。
手前の多用途支援艦「ひうち」(満載排水量1400トン)も満艦飾を施しています。



さて、こちらはクレインブリッジです。
白いつり橋が綺麗ですが、この北吸から車で20分と、実は結構近いところにあったりします。


こちらは舞鶴航空基地です。
海上自衛隊舞鶴基地の近くにあって、護衛艦に搭載するSH-60J、SH-60K哨戒ヘリコプターを運用する第23航空隊が常駐しています。

さて、夢のような遊覧船のクルーズはだいたい30分で終わりです。
名残惜しいですがすぐに移動しましょう。
土日・祝日には北吸桟橋などが一般公開されるからです。

ちょっと休憩。

北吸桟橋と赤レンガ博物館の間には赤レンガ倉庫群があります。
舞鶴は明治34年の舞鶴鎮守府開庁にあわせて海軍の赤レンガ倉庫がたてられています。
舞鶴市政記念館は海軍兵器廠予備艦兵器庫、赤レンガ博物館は魚雷庫として使われていたものをリニューアルしたものです。
これらの赤レンガ倉庫群は今でも現存していて「バルトの楽園」などの映画撮影でも使われました。
あ、そういえばこの日、赤レンガパークでスバルミーティングやってましたよ。
市内のレガシィ率が異常に高かったです(^^;


さて北吸桟橋です。
ここでは入門してすぐの場所で簡単な住所・氏名をかけば桟橋の見学ができます。
この日は残念ながら艦艇の公開は行っていませんでしたが、桟橋から艦艇を間近に見ることができます。


護衛艦DD-151「あさぎり」です。
はい、この桟橋、1本の桟橋なのに後ろにも艦艇がありますよね。
写真にはうつっていませんが、この「あさぎり」の前には「ましゅう」があります。
「あさぎり」は全長137メートル、「ましゅう」は全長221メートルありますが、さらにここに曳船やミサイル艇が並ぶわけです。
この北吸桟橋は実に総延長1kmにもなるので、このように艦艇が縦列駐車よろしく停泊している姿を見ることができるのは舞鶴だけ!


ミサイル艇PG-828「うみたか」とPG-824「はやぶさ」です。
速射砲は「あさぎり」とおなじOTOメララ76ミリ速射砲ですが、ステルスシールドを採用してるので雰囲気がずいぶん違いますね。


「ましゅう」の横をゆったり泳いでいたエイリアン。

北吸桟橋の見学は10:00~12:00と13:00~14:00の2回ですが、遊覧船も使いましたので午後の見学は別の場所にしました。
と、その前に腹ごしらえ。
市役所前にラーメン屋があるのでここでチャーシューメンを。
これが結構美味!

では午後の見学です。
海上自衛隊舞鶴基地では北吸桟橋、海軍記念館、舞鶴航空基地の見学が可能です。
午後は海軍記念館と航空基地にいきましょう。
海軍記念館は北吸桟橋から近い舞鶴地方総監部にあります。

海軍記念館は昭和8年に昭和天皇が来舞する際に建造された海軍機関学校の講堂ですが、戦後海上自衛隊舞鶴地方総監部大講堂としてつかわれていました。
昭和39年にその一部を活用してつくられたものです。
海軍の記念品や資料が約200点展示されています。
写真撮影はNGですが、記念館と大講堂は一般公開されています。


こちらは舞鶴地方総監部第一庁舎です。
昭和5年に建造された海軍機関学校の庁舎を戦後海上自衛隊が使用しています。
ここは見学できません。
残念!
上の海軍記念館のある講堂、そしてこの第一庁舎ともに戦後米軍により白く塗られていましたが、平成14年に当初のレンガつくりの状態に復元されました。


さて、海軍記念館の次は舞鶴航空基地です。
ここは見学時間が14:00~15:00なので注意!
意外と結構奥側に基地があるんですよ。


舞鶴航空基地は平成13年にできたばかりの基地なのでまだピカピカです。
日本海側唯一の海上自衛隊航空基地で、舞鶴基地を拠点とする護衛艦のヘリコプター搭載支援基地として運用されています。


第23航空隊庁舎です。
見学中にトイレにいきたくなったら一般公開している格納庫の対面にあるこの建物で借りよう。
舞鶴航空基地には第23航空隊が置かれていて、SH-60J、SH-60Kが合計12機程度が運用されています。



こちらが格納庫内。
写真のSH-60K哨戒ヘリコプターのほかにSH-60Jも並べられて公開されています。
この2機種の違いはなかなか並べて比べる機会がないので興味深いですよ。
キャビンのドアをあけて子供と記念撮影をしてる人もいました。
これぞ開かれた自衛隊ですね(^^)


さて、航空基地の見学もしましたがまだ日は沈んでません。
やはりここにいくしかないでしょう。

舞鶴引揚記念館です。
終戦後、満州、中国大陸、千島列島などに残された日本人660万人が引揚げをされました。
ソ連の一方的な条約違反の侵略により、多くの日本人が殺害され、捕虜として抑留されました。
引揚げは昭和20年10月からはじまりましたが、昭和25年にはソ連に抑留された日本兵がシベリアで強制労働をさせられ引き揚げが停止状態になってしまいました。
引揚げが再開されたときこの舞鶴だけが唯一の引揚げ港とされ、実に66万人もの引揚げ者を受け入れました。
記念館にはソ連で強制労働させられた様子の人形が展示されています。
言葉にできないほどの生々しさと地獄としか思えない状況には思わず言葉を失います。
引揚げ船内ではコレラなどの感染症が発生するため検疫のため、ようやく日本についたのに地に足をつけることができず足止めとなることも多々あったようです。
窓の外は祖国。
陸までわずか数百メートルの距離。
待ちきれず、泳いで岸にいこうとたくさんの引揚げ兵士が船から海へ飛び込んだそうです。
ですが強制労働で体力を消耗している兵士に泳ぐ力はもはやなく・・・・
たくさんの兵士が力尽きたということもあったようです。

地獄のような戦場での戦闘が終わったと思えば今度はソ連にいつ帰られるともわからない地獄の強制労働をさせられ、やっと祖国に帰ってきたと思えば日本は焼け野原・・・
そんな絶望と地獄を経験しながらも世界トップクラスの経済大国を作り上げていただいた祖父母の世代への感謝と尊敬を改めて感じました。

舞鶴と引揚げといえば「岸壁の母」が有名ですね。
シベリアに抑留された息子を岸壁で待つ母の姿のことですが、そのモデルとなった方は昭和56年、81歳で亡くなる直前まで手料理をたべさせたいと息子を忘れなかったといいます。
GWの5月5日はこどもの日ですがその祝日の意味は「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」です。



さて、その引揚げ記念館のある引揚げ公園からはこのようにクレインブリッジをみることができます。
二羽の鶴をイメージして建造されたそうですよ。

さて、まだ時間があるので東舞鶴と西舞鶴の中央辺りにある五老タワーにいくことにしました。
ここの展望台からの眺めは絶景ですよ。

こいのぼりの大群で満艦飾状態でした(^^)



ほら絶景。
近畿百景第一位というのもうなづけます。
冬に来ると幻想的ですよ。


タワー横の喫茶店でイチゴパフェたべました。
イチゴがすっぱい(笑)
周囲はカップル様ばかりでちょっときまづかった・・・


せっかく西舞鶴近くに来たので道の駅とれとれセンターにいってここで夕ご飯です。

サーモンいくら丼。
これは美味!



日が沈んだ後に赤レンガ倉庫群にいくとこんな感じにライトアップされています。
このあとホテルにもどりましたが、有意義な1日でした。
さすがに疲れてバタンキュウ。

さて、予定では舞鶴には明日もいるのですが見たいところのいくつかは見ることができました。
さてどうしましょう・・・・

続く。
Posted at 2013/05/08 01:11:52 | コメント(1) | トラックバック(0) | プチ旅行 | 日記

プロフィール

「佐久間挺長ほか潜水艇の慰霊塔がある鯛の宮神社は呉のタクシー運転手さんも知らない場合もあってちょっと行きづらいのですが、あのあたりは安芸地震で結構被害受けたみたいで爪痕がまだ残ってたりします。」
何シテル?   06/23 21:17
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