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アスロックのブログ一覧

2014年05月05日 イイね!

そうだ呉にいこう3(5月4日)

さて最終日の3日目です。
5月4日は日曜日ということで艦艇や施設の一般公開が行われます。
これを狙ってるので5月3日と4日を選んだんですよん。
朝起きてホテルのあまり美味とはいえない朝食を食べて身支度を整えて呉へ。

ここで問題です。
一番最初に訪れた場所はどこでしょう?
・・・そりゃトイレだよ・・・
というのはさておき、荷物をコインロッカに押し込んで、向かう先は・・・
呉基地!
そう、日曜の艦艇公開です。
10時から見学開始、受付は9時40分頃からですが、その時間にはものすごい列ができてました。
はははは・・・みんな艦艇大好きなのね(^^;

結構並びましたが人気の高さが伺えます。
さぁ

パラダイスです(^^)
ここは天国ですか?
桃源郷ですか?
いいえ、呉基地です。
左の二隻は護衛艦DE-229”あぶくま”とDE-232”せんだい”(満載排水量2900トン)、その奥には練習艦TV-3517”しらゆき”(満載排水量4000トン)、右側には掃海艇MSC-687”いずしま”、MSC-690”みやじま”、MSC-688”あいしま”(それぞれ満載排水量590トン)、その奥に練習艦TV-3513”しまゆき”(満載排水量4200トン)、敷設艦ARC-483”むろと”(基準排水量4950トン)がみえますね。



今日の見学指定艦は”しまゆき”ですが、このものすごい列!
いやぁ、かなり並びましたよ。



左側が”しまゆき”、右側は”むろと”です。
”しまゆき”ははつゆき型護衛艦を種別変更したもので、ヘリコプタ格納庫内にプレハブ実習講堂を設置しているようです。
”むろと”は平成24年に退役した先代”むろと”の後継で昨年竣工したばかりの新しい艦艇です。
建造費抑制のために商船構造をとっていたり、敷設能力は最低限に抑えられているようです。



こちらは掃海艇MSC-688”あいしま”、MSC-690”みやじま”、MSC-687”いずしま”(それぞれ満載排水量590トン)。
現在主力となるすがしま型掃海艇で、3隻とも掃海隊群第1掃海隊に属しています。
ペルシャ湾での掃海部隊派遣の教訓から水中処分具や電子機器を新型のものを導入しています。


ここで思う存分艦艇公開を満喫したら、そのままタクシーでここにむかいましょう。

呉地方総監部です。
ここでは日曜に建物の一部を公開してるんですよ。



本当に美しい赤レンガ造りですね。
この建物は地方総監部の第1庁舎ですが、終戦までは呉鎮守府庁舎でした。
地下1階地上2階の赤レンガつくりのこの庁舎が建てられたのは明治40年といいますから107年前になります。



こちらは反対側からですが、建物の両面が正面というのが海軍らしいですね。
中央の屋根にドームがありますが、これは戦時中の呉空襲で失われましたが、平成11年に復元されました。



さてここから歩いてしばらくしたところに入船山公園があります。
いってみましょう。


ここには入船山記念館があります。



これは休憩所ですが、なんと旧東郷家住宅離れです。
東郷平八郎は明治23年に呉鎮守府参謀でしたが、1年半の間住んでいた離れを昭和55年に移築したものです。



こちらは入船山記念館のシンボルでもある時計塔です。
大正10年に海軍工廠造機部の屋上に設置されていた時計で、終戦まで時を刻んでいました。
昭和46年に入船山記念館に移築し、昭和55年に時計として復旧を果たしました。
時間になるといろんな音楽が鳴るよ。



こちらは番兵塔です。
警備のため兵士が昼夜を問わず立番をしていたところで、よく見ると足元がへこんでいます。
ここから動かなかった証拠ですね。



こちらは1号館。
元は警固屋高烏台砲台にあった火薬庫で、昭和42年に移設したものです。




貼ってあったポスター。
・・・なぜかものすごく物々しい絵になってるんですが(^^;



これが呉鎮守府長官官舎です。
面白いんですよ。
こっちは洋館なのに



後ろ半分が和館なんです。
おもてなしをするために洋館部で応接を、後ろの和館は住居として使われていたようです。



ドアをみるとガラス部が海軍の模様が。
つくりは非常にすばらしいものがあります。




応接室と食堂。
呉鎮守府長官ともなれば政治家や外国の海軍関係者が訪れることもあるでしょうから非常に格調高いつくりになっています。
この壁紙ですが、金唐紙という非常に貴重で造るのに難しい伝統文化なんですよ。


さて、入船山記念館を見学し終わったらいよいよラストです。
実は私が呉を旅行するのはこれで5回目。
そのたびに行く場所があります。
大和ミュージアム、てつのくじら館、アレイからすこじま・・・そしてあと1箇所。
それは



長迫公園に設置されている海軍墓地です。
もともとは明治23年に海軍将兵の殉職者・戦死者の埋葬地として発足しましたが、終戦後異例愛行事が禁止され、さらに呉空襲で墓地そのものが廃墟と化してしまいました。
昭和40年ごろから遺族や生存された方々の手で記念碑が建立されるようになって今に至っています。




緑と花にかこまれたとても美しい場所です。
そこには無数の石碑が並んでいます。
この一つ一つに何人、何十人、何百人、何千人という将兵が乗り込み、そして散華されています。
これほどの多くの艦艇が沈み、多くの方々がこの国を守るために苦しみそして散華されていると思うと考えさせられるものがあります。


戦艦大和戦死者之碑です。
本来なら全ての記念碑を紹介すべきなのでしょうけど、代表して大和の碑を掲載しました。
海軍墓地にはこの大和をはじめ慰霊碑91基、個人碑157基、英国水兵の墓1基があります。
眠られている将兵は13万柱といいます。
多くの将兵の命で今の日本の平和と繁栄があることを忘れてはいけません。
日本の平和を見守り続けてください。

そういえばタクシーの運転手さんから興味深い話を伺いました。
親父さんが海軍の将兵で無線士をやっていたそうですが、南方で敵の雷撃を受けて散華されています。
詳細がわからないので厚生省に問い合わせても肝心のところがわからない。
そこで旧海軍の関係者に調べてもらったところ、その親父さんが乗られていたのは艦艇ではなく貨物船で、潜水艦の警戒をしていたのではないかということです。
潜水艦の雷撃を受けて亡くなったのは親父さん1人だったそうですが、きっと無線で周囲に潜水艦がいるから気をつけるよう通信をしていたのでしょう。
命を懸けて打った無線できっと何隻もの船舶が沈まなくて済んだのでしょう。
顔を見たこともない親父さんのお墓をようやくちゃんと作ることができると話されていました。

今旧海軍の艦艇を擬人化したゲームが売れているようですが、私が手をだせないのは艦艇の1隻1隻、飛行機の1機1機にこの国を守ろうとし、愛する人を守ろうとして望まない形であれ地獄のような戦いに身を置かなければならず、苦しみ傷つきそして散華された多くの方々がいることがどうしてもよぎってしまうからです。


この後大和ミュージアムに行ってもう一度展示を簡単に見てお土産を買ってきました。

お土産買いすぎた・・・・・



昼過ぎになったので呉のラストとして

地元グルメの呉冷麺を食べました。
これ食べたかったんですよ~
冷やし中華よりあっさり系ですね。


この後広島経由で家路につきました。
この二泊三日で総額いくら使ったのか、考えるのも恐ろしいですが、ブルーレイレコーダーが2台は買えそう(^^;
おまけ。

鉄のくじら館でゲットした潜水艦”あきしお”と護衛艦”あしがら”のモデル。
スーツケースと比べるとモデルが結構大きいのがわかるでしょ?
それぞれ1/350と1/700です。


以上、呉旅行でした。
Posted at 2014/05/05 22:34:11 | コメント(5) | トラックバック(0) | プチ旅行 | 日記
2014年05月05日 イイね!

そうだ呉にいこう2(5月3日)

さて2日目です。
目が覚めたのは朝の5時。
考えてみたら旅行に行ったときって普段以上に朝起きるの早いんですよね。
・・・なんか気分がよくない。
とりあえずおなかは減ってるのでコンビニで買ったおにぎりを食べました。
チェックアウトは7時頃・・・・のつもりでしたが、なんか気分が悪い。
フラフラするし。
仕方ないのでもうすこしベッドで横になることにしました。
(その後盛大に吐きました・・・orz)
昨日の疲れもあったのでしょうけど、なんか調子が悪いので9時過ぎまで横になってました。
それでも体調がよろしくない。
とはいえ、今日の宿は呉から離れた広にあるのでどちらにしても移動しなければなりません。
いや辛かったですね・・・まじで。
JR呉線で広島から広にいき、そこに荷物を預けて呉駅に。
ホテルで休もうにもチェックインまで時間がありますものね。

さぁ体はフラフラですが、私が選んだのは・・・・・
医務室かな?休憩室かな?

呉湾艦船めぐり。

・・・私ってホント馬鹿・・・・
名前のとおり小型船で海上自衛隊の艦船を見るものです。

おおお!
これはパラダイスですか?
ゆれる船の中で吐き気と戦いながらも満喫しました(^^)
写真はその一つですが、訓練支援艦ATS-4202”くろべ”(満載排水量2550トン)、護衛艦DE-232”せんだい”、DE-229”あぶくま”(ともに満載排水量2900トン)です。
航行跡から艦艇にずいぶん近づいていることがわかりますよね。
ホントーに近いんですよ。
あぶくま型DEははつゆき型DDの小型版っていう感じですが、本当に美しいですね。



こちらは潜水艦おやしお型(水中排推量3500トン)
潜水艦をこんなに間近で見られるのってめったにないですよ。
こうしてみると本当に「鉄のくじら」って感じですね。
「おやしお」型は海上自衛隊の主力となる潜水艦で、11隻が建造され、うち5隻が呉基地を母港としています。



こちらは輸送艦LST-4003”くにさき”(満載排水量14000トン)です。
おおすみ型輸送艦の3番艦で、艦尾のランプからはエアクッション艇を展開させることができます。
本当に巨大ですね。



どうよ!?
このアングルから見ることなんてめったにできませんよ!
ヘリコプター搭載護衛艦DDH-182”いせ”(満載排水量19000トン)です。
ひゅうが型DDHの2番艦で、呉を拠点とする第4護衛隊群の旗艦とも言える護衛艦です。
こうやってみると空母と感じちゃいますね。

さて、写真では色とりどりの信号旗がはためいていました。
これは満艦飾りといって、軍艦が記念日に祝意を表すためにおこなうものです。
海上自衛隊では建国記念の日、天皇誕生日、憲法記念日、海の日、文化の日、自衛隊記念日、観艦式に行います。
実はこれが目的で5月3日を選んだんですよ。
連休中に遠路呉や舞鶴、佐世保、横須賀にいって満艦飾を見ることができるのはこの日ぐらいですからね。


さあ、フラフラな中で小型船でゆれまくったので・・・・
終わったあとに桟橋のトイレでは(自主規制)
まだ体調は戻っていませんのでホテルにいきたいものの、まだ時間があります。
・・・江田島行こうか。
フラフラの状態で。

私ってホントに馬鹿・・・・


さぁ上陸用舟艇がきました。
(※写真は江田島側から写したもの)
舟艇の中ではぐったりしながら海を眺めていました。
うっ・・・ちょっと船酔いした。

小用港からタクシーで少し走ると

海上自衛隊江田島基地があります。
ここには海上自衛隊の幹部候補生が教育を行う幹部候補生学校、艦艇術科教育を行う第1術科学校、江田島警務分遣隊が置かれていますが、江田島基地の見学ができるようになっています。

門で手続きを受けた後は見学者控え室に向かいます。
このころになると体調もそれなりに戻ってきました。
よし、いける!
見学者控え室の2階は海上自衛隊歴史ゾーンというちょっとした展示コーナになってるのですが、

シースパロー短SAMに何と高速無人標的機チャカⅢBQM-74Eが展示されていました。
シースパローは見た目は航空自衛隊で使われているスパロー空対空ミサイルそのものですが、よくみるとフィンが折りたたみ式になってるんですね。
チャカはミサイルの標的に用いる無人標的機です。



エアクッション艇LCACの模型が展示されていました。
かなり大きいのですが、驚いたことにこれ、ダンボールで作られているのだとか・・・
すごすぎます。


さあ見学の時間開始です。

まず目に飛び込んでくるのがこの大講堂。
新築なんていうなかれ、これ築90年の歴史があります。


大講堂の中は荘厳のひとこと。
この江田島基地には終戦まで海軍兵学校がありました。
この講堂は大正6年に入学式・卒業式などに使われるために建てられたもので花崗岩を使った非常に美しい建造物になっています。
皇族の方々が来場できるようになっています。



江田島の松は「気をつけ!」の号令とともにビシっと背筋をまっすぐにするかのごとくまっすぐ生えているんですね。
これは開校当初からだとか。



幹部候補生学校の校舎。
もちろん以前は海軍兵学校として使われていました。
江田島の海軍兵学校は米海軍、英海軍と並ぶ世界三大海軍兵学校として知られた由緒あるものなんですよ。
この赤レンガの建物も新品同様に見えますが、恐ろしいことに建築されたのは明治26年ですから実に120年前の姿そのままなんですね。
赤レンガも非常に丁寧に作られたようで、この赤レンガを今作ると1個あたり2万円かかるのだとか・・・



ここは一度は訪れるべき場所です。
教育参考館。
世の中で「参考」と言えば、文章をコピペするようなイメージですが、ここを訪れると参考という意味を考えさせられます。
ここは先輩の偉業を偲び、「温故知新」によって自己修養と学術研鑽の資とするために昭和11年に建築されたものです。
終戦後には資料が失われましたが、今でも16000点の資料を保管し、1000点の資料を公開しています。
現在は特攻隊員の遺書や海軍将校の書、第六潜水艇事故の佐久間艇長の遺書などが展示されています。
世の中で一番「参考」という言葉を重く感じますね。


江田島基地を見学した後は先ほどの上陸用舟艇で呉に戻ります。
体調もすっかり戻りましたので、今度はデッキで呉港の様子を見ながらですね。


こんな様子が見えます。
昼前までは曇っていましたが天気もすっかりよくなって青空です。
音戸の瀬戸の瀬戸大橋かな?


こちらは
呉基地の様子です。
左の巨大な艦はもちろんヘリコプター搭載護衛艦DDH-182”いせ”です。
その隣は練習艦TV-3518”せとゆき”(満載排水量4200トン)、訓練支援艦ATS-4203”てんりゅう”(満載排水量2750トン)です。
”せとゆき”ははつゆき型護衛艦の10番艦として建造されましたが現在は”しらゆき””しまゆき”とともに練習艦として乗員の訓練を行います。
”てんりゅう”は訓練支援を行う専用の艦艇で、無人標的機の同時管制を4機行うことができます。



こちらは掃海母艦MST-464”ぶんご”(満載排水量6900トン)です。

さて、呉港にもどりました。

まだ・・・間に合うかな?
いそいでタクシーにのってある場所に向かいました。
そう、

アレイからすこじまです。
呉港に戻ったのが16時頃、満艦飾は日没までなので間に合いましたね☆
おやしお型潜水艦、DE-229”あぶくま”、DE-232”せんだい”、ATS-4203”てんりゅう”、TV-3518”せとゆき”の姿が見えますね。
満艦飾が実に見事です。
この風景が見たくて呉に来たといっても過言ではないですものね(^^)


体調はもどりましたが、念には念のためということでこの日はからすこじまをこれで後にして広にあるホテルに向かいました。
食事は・・・


食事は思いっきり豪勢なコース料理にしました。
まぁ言うても安かったんですけどね。

体もくたくただったので食事の後は早々と爆睡しました。
3日目に続く。
Posted at 2014/05/05 19:41:45 | コメント(0) | トラックバック(0) | プチ旅行 | 日記
2014年05月05日 イイね!

そうだ呉にいこう1(5月2日)

毎日の仕事、公私共にいろいろあって私の心も真っ黒。
浄化しにいこうか・・・
そうだ、GWは自分探しの旅にいこう。
本当の自分はどこにあるのか、いったい何なのか・・・

自分探しの旅・・・





あっさりみつかった(笑)
ついでに心も真っ白に浄化されました(^^)


と、いうことで、5月2日、3日、4日と広島県の呉市にいってきました。
もちろん呉に宿を取るつもりだったのですが、手違いで1泊目は広島に、2日目の宿は広になってしまいましたが。

呉までは

でアフターバーナを使えば20分ちょいの距離。
早いよね。

到着したのは昼前。
まずはおなかが減ったので食事を。
そりゃなんといっても

海軍カレーでしょう。
立っている旗を見て「ウケイカガー」とか「グンクツの音ガー」とか言う人がいたら笑ってやりましょう。
味はやはり美味。




そういえばこのレストランのフロアにおみやげ物屋なのですが、なぜか写真のような看板がありました。
あんまり擬人化って好きじゃないんですが・・・


でもって、このフロアにはなぜか

戦艦大和の模型(巨大だぞ!)と「男たちの大和」で使われた25ミリ3連装機関銃のセットが。
そう、実はここ大和ミュージアムの手前にあるみやげ物屋&駐車場建物なんですよ。



おなかも膨れたのでまず向かったのが中央桟橋。

ああっ・・・私の穢れた心が浄化されていきます(^^)
海上自衛隊呉基地の呉港務隊の支援船が所狭しと停泊していますね。
手前からYT98”曳船98号”とその同型の50トン型曳船。
これは排水量50トンの小型曳船で「曳船75号型」として呉に4隻配備されています。
6トンの最大曳船能力をもっています。

その奥はYT65”曳船65号”、YT89”曳船89号”です。
260トン型の曳船で呉にはこの260トン型(曳船58号型)が6隻配備されています。
曳船というのはいわゆるタグボートのことで、港湾施設には欠かせない船舶になります。
この260トン型は宿泊施設もあるようですよ。

その隣の白い船はYF2137”交通船2137号”とYF2152”交通船2152号”です。
こちらは排水量30トンの交通船で速力が24ノットと速いことが特徴です。
呉警備隊が保有しているもので、呉基地と江田島、岩国基地への人員輸送などに用いられています。

その奥側の2隻や50トン型の曳船75号型ですね。

右側にうつって手前からYO27”油船27号”と”YO22”油船22号”です。
船首の形が違いますね。
油船27号は油船25号型と呼ばれる490トン型の油船です。
艦艇に港湾施設内で給油を行う船で船内に貨物油タンクをもっています。
油船22号は油船14号型と呼ばれる490トン型の油船になります。

その隣の大きな船はYDT4”水中処分船4号”です。
排水量300トンの比較的大きな支援船で、不発弾や機雷などの処理を行う水中処分隊の母船になります。



さて、支援艦船に見とれてばかりいては日が暮れてしまいます。
名残惜しいですが時間を有効に使うため移動しましょう。
呉といえばやはり・・・

ですよね~。
海上自衛隊呉資料館通称「鉄のくじら館」です。
いやぁ、何度見ても実物の潜水艦には圧巻です。
この潜水艦は退役したゆうしお型潜水艦の7番艦SS-579”あきしお”で、現役時には満載排水量2900トン、全長76メートルですからやはり巨大です。
昭和63年に竣工し、平成16年3月まで現役でしたから、比較的新しい潜水艦といっていいと思います。
これだけの潜水艦を実際に見学できるのは世界でもここぐらいじゃないでしょうかね。



”あきしお”の操縦席。
結構狭い上に発令所のすぐ近くなんですね。
前がまったく見えないのでなんか不思議な感じですね。



こちらは資料館内に展示してある無人対戦機”DASH”です。
1950年代に米海軍で開発された対戦システムで、無人ヘリコプターに短魚雷や爆雷を搭載して自艦より遠く進出して敵の潜水艦に魚雷や爆雷を投射します。
海上自衛隊では昭和52年まで使用されていました。

鉄のくじら館の館内の様子はまた別途。
・・・気が向いたら・・・


さて、お次は大和ミュージアム・・・
と思うでしょ?
残念、さやかちゃんでした☆
じゃなくて

ここです。
海上保安大学校にある海上保安資料館です。



ここは海上保安庁の開庁から現在までの貴重な資料が展示してあります。
これは海上保安庁の初代の庁旗です。
茶色く見えますけどもちろん当初は青かったんですよ。



こちらは海上保安庁初の軽合金製巡視艇”あらかぜ”の構造の一部です。
まだまだ軽合金で船を作ることが珍しかった時代にオール軽合金構造は非常に画期的でした。
20数年の活躍の後、退役してから調査しても構造に劣化がなかったそうです。
我が国は終戦まで零戦をはじめ航空機の開発製造では世界トップクラスの国でしたから軽合金技術もそれ相当の蓄積があったんでしょうね。



これを見ると考えさせられます。
巡視船”あまみ”の船橋の一部です。
無数の銃撃の痕が見受けられますが、平成13年12月22日に発生した九州南西海域不審船事件で北朝鮮の工作船から受けた銃撃の痕です。

このとき北朝鮮の工作船からは自動小銃のほかに対戦車ロケットも発射されています。
また後に引き上げられた工作船からは対空機関砲も発見されています。
この銃撃事件がどれだけ緊迫したものだったかが伺えます。
「正当防衛射撃!」と海上保安官が叫ぶことで映像に正当防衛の証拠を残していますが、根拠を明確にしなければ、自分の身を守るためでも射撃すれば銃刀法違反、場合によっては殺人罪で海上保安官が逮捕されてしまうというこのムチャクチャ理不尽な現実。
私たち日本人はいいかげん「国を守る」ことを本気で考えなければならないと思います。


海上保安資料館についての詳細は前回(2012年にいったとき)を。
え?なぜここにいったかって?
実は海上保安資料館ってのは土日・旗日が休みなんです。
平日にしか見ることができないんです。
なぜ5月2日にここにいったかというとこれが理由なんですよ。




こちらは海上保安大学校の横から見えた海上自衛隊の掃海母艦MST-464”ぶんご”(満載排水量6900トン)です。
うらが型掃海母艦の2番艦ですが艦首に76ミリ単装砲を装備しているため排水量が50トン大きくなっています(この角度からでは見えませんけど)。
掃海部隊の母艦である同時に旗艦機能に加えて掃海ヘリコプターMH-53EやMCH-101の搭載が可能です。
艦尾にドアのようなものが見えますが、ここは航空磁気掃海具の格納庫になっています。




さて、呉といえばやはり・・・

ですよね~。
呉市海事歴史科学館、通称大和ミュージアムです。



いつみてもこの1/10スケールの超特大模型は圧倒されます。
大和は全長263メートルですからこの模型は26メートル。
海上保安庁のあきづき型巡視艇と同じですから・・・巨大ですね。




展示室にいくと戦時中に使われた装備が展示されています。
こちらは海軍の九三式魚雷の尾部です。
いわゆる「酸素魚雷」です。
通常の魚雷は空気で燃料を燃やして進みますが、この際に燃焼しない窒素などが泡となって放出されるため、発見されやすくなります。
酸素魚雷は魚雷内に酸素を搭載しているので、この泡が発生しにくく、さらに燃焼効率が良いので非常に長大な射程をもつことができます。
酸素魚雷は技術的に非常に困難だったようで、実用化できたのは日本だけでした。
下の写真は潜水艦に搭載できるように小型化した九五式二型魚雷です。
魚雷というと古めかしいイメージですが、九三式には480キロ、九五式には550キロ搭載の炸薬が搭載されています。
戦艦大和設計時、炸薬300キロの魚雷に被雷したときに30メートル×10メートルの破孔ができると見積もられていたといいますから、その威力はとんでもないものがあります。



やはり悲しいものがありますね。
人間魚雷と言われるあの「回天」十型です。
これはその試作型で、300キロの炸薬を先端に搭載し、乗員が自ら敵艦に突入するよう操縦します。
見てのとおり魚雷に操縦室をつけただけの非常に簡易なものですが、最期になるものがこのようなあまりにも粗末な魚雷だというのがあまりにも悲しく感じます。
100名以上が華散されています。
航続距離が30キロ、速力はわずか8ノット・・・・
敵艦にたどり着くだけでも困難だったでしょう。



こちらは特殊潜航艇「海龍」です。
側面に大きな翼があるのが特徴で、水中を飛行機のように自由に潜行・浮上することを目指して開発されました。
搭乗員も航空機操縦士を意識して開発されていたようです。
これは後期生産型で、胴体下にある2本の魚雷を発射した後は艇首に装てんした600キロの炸薬といっつしょに乗員自ら敵艦に突入する特攻兵器でした。




こちらは零式艦上戦闘機六二型です。
長大な航続距離と高い機動性をもたせた格闘戦戦闘機が我が国が世界に誇る世界最高の傑作戦闘機零戦です。
熟練搭乗者が乗った零戦はまさに最強の戦闘機といえました。
損耗が激しくなっていき熟練搭乗者がいなくなっていくと高速で一撃離脱を行う敵戦闘機に対して不利になっていきました。



こちらは戦艦の砲弾です。
非常に巨大ですね。
九一式徹甲弾とよばれるもので、手前のものは大和型戦艦に搭載する直径46センチの巨大なものです。
先端についているのは空気抵抗をへらすためのキャップで、外れると手前から3つ目の状態になります。
敵艦の手前で落下すると海中をまるで魚雷のように砲弾が進み、敵艦に命中します。
手前から2つ目の赤いのは三式焼霰弾といわれるもので、対空焼夷弾として使われます。
敵の大編隊に対して焼夷効果のある子弾(46センチ砲なら2647個)を傘型に散布して編隊ごと焼き払う砲弾です。



さて、1日の〆はもちろんここですよね。

アレイからすこじまです。
潜水艦を眺めることができる場所ってここか横須賀のヴェルニー公園ぐらいですが、潜水艦桟橋をこのように見られるのはここだけ。
美しい艦艇の姿を見ると心が落ち着きます。
おやしお型潜水艦ですね。
艦体の大部分が海中にある潜水艦はやはり不思議な感じがしますね。


ここを見て呉を後にしました。
あ、呉駅って列車の発車ベルが「宇宙戦艦ヤマト」の音楽なんですよ。
さすが呉です☆

宿は広島にとりましたので、広島市街地を軽く見ようと思ったのですが・・・
ちょっと気分が悪くなって途中で宿に引き返しました。

駅ビルでビーフシチュウを食べました。

あ~つかれた。
Posted at 2014/05/05 17:50:51 | コメント(2) | トラックバック(0) | プチ旅行 | 日記

プロフィール

「佐久間挺長ほか潜水艇の慰霊塔がある鯛の宮神社は呉のタクシー運転手さんも知らない場合もあってちょっと行きづらいのですが、あのあたりは安芸地震で結構被害受けたみたいで爪痕がまだ残ってたりします。」
何シテル?   06/23 21:17
ミリタリー関係その他のブログはこちらへどうぞ http://minkara.carview.co.jp/userid/1224622/mylist/all...
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