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U-TAN(う~たん)のブログ一覧

2024年05月13日 イイね!

2024桜日記

いまさらだけど、これもサボり続けた桜日記。

3/30 山梨県南巨摩郡南部町 
これまで何回か訪れているが開花とのタイミングが微妙にずれていた
「原間の糸桜」(シダレザクラ)、ようやくベストタイミング!


でも、少し標高の高い「本郷の千年桜」(エドヒガン)にはまだ早過ぎた。


それにしてもこの時季、桜の他にも様々な花が咲き乱れるこの村はまさに桃源郷。


昔は当たり前の風景だったが、今では貴重な眺めとなった棚田の蓮華畑。


巨大な木蓮の艶やかさ。


個人の住宅敷地にこの桜・・・究極の贅沢?


あー、毎年この辺りを歩くと羨ましくて住人になりたいと思ってしまう。

帰途、鰍沢口の松月堂へ回って季節限定の桜饅頭をお土産に。
そっと割ってみると桜葉を練り込んだ白餡から春の香りが・・・。


4/1 山梨県南巨摩郡早川町 
早川町天然記念物学定寺の「夏秋の枝垂れ桜」へは、南アルプス公園線から
1時間強の登り・・・が、なんとまだ咲いてない。
近くのソメイヨシノは咲いているのに何故?


ガッカリして下る途中、双体道祖神を見つけた。


気を取り直して同じく早川町戸屋へ。
県道大島雨畑線から分かれ林道を2kmほど登るとさほど大きくはないが、
端正な樹形の枝垂れ桜があった。
住民が有名な「身延山の枝垂れ桜」の実を植えて育てたものだと言う。


あの山の向こうが、生まれ在所の身延山だ。


4/6 山梨県西八代郡市川三郷町の「桜峠」へ
「みたまの湯」駐車場からのんびりと峠へ向かう。


少し遠回りの山道で約2時間。
峠と言う割には穏やかな地形の「桜峠」に到着。


花見の名所だが、やはり歩かねば来れぬところは人がいない♪
僕達だけの静かなランチタイム。


大半はソメイヨシノだが、自然林の中に少し違う桜があった。
何という種類だろう?


近くの小さなピークへ登ってみるとお顔は青面金剛のようだ。
とすると庚申塔?
でも、こんな山の中に建てるかしら?


今日もお土産は蕨。


麓に下ると桃も満開。
背後の山が、桜峠。


4/7 「早川往還」・桜編
先月歩いた早川往還、各集落に花が咲いたら見たいなぁと思わせてくれる
桜が数本あった。
今日は車で駆け巡る。

中山集落手前の墓地、梅と桜の競演。


中山の道祖神のある辻。


江尻窪は思っていたよりずっと桜の多い集落だった。


集落入口の道祖神も心なしか嬉しそう。


公会堂の枝垂れの古木、太い枝が折れているが健在。


「あーれ、この間歩いて通った人ね!」
婆様と桜の下で談笑。


梨子の公会堂。


笹走も花盛り。


笹走道祖神の辻。


再びやってきた塩之上。やはり美しい村だなぁ・・・・。


権現様の桜には、今も昔の大火で焦げた跡が残っている。


今日はどこにも人の姿は無く、留守番の甲斐犬の吠える声だけがこだまする。


遠く南アルプス南嶺の山並みを望む。


やっぱり来て良かった・・・見る人の無い桜達。


なんとここにもN-oneのご先祖様が・・・。


帰路は、戻って薬袋へ下る。
途中、五箇村役場と二宮尊徳様が守る小中学校跡地へ立ち寄る。


学校の桜の古木は、期待通り満開だった。
でも、どこからか侘しさが湧いてくるのを抑えられない。


帰宅して夕食後の腹ごなしに5kmほど歩いて地元の桜の名所へ。


俗っぽい夜桜だけど、それなりに綺麗♪


4/8 少し天候は冴えないが、地元の標高700mほどの山頂に立つ一本桜も
見逃せないので出掛ける。
植林だらけの山だけど急傾斜の谷あいには山桜が見える。


この頃はこんな低い山でも珍しくない。


登ること2時間、山頂の市民の森公園到着。


その最高点に大きな桜、予想通りの八分咲き。


頂上独占のランチが済んだら今日もお土産をちょっとだけ。


4/10 昨年は手遅れだった諏訪湖の桜へ。


花見より八ヶ岳を枕に昼寝をしたくなる天気・・・♪


まだ、七分咲き? でも混み合うのは御免だからこれで充分。


周遊のついでに下社春宮に立ち寄り


山神様の希望で「万事の石仏」に願掛け。
3周、回りながら願いをつぶやくらしい。


うーん、こりゃ御利益ありそうな圧倒的な存在感。


そして秋宮にもお参りして


ゴール直前で高島城にも寄ったら夕刻となってしまった。
この日の歩行距離は、諏訪湖1周+オプショナルツアーで25km!!


4/18 3年前に庭に植えた小さな山桜。
桜シーズンはとうに終わったのに、何故か今頃初めて花をつけた。


う・・・ん、もう少しピンクがかった山桜が望みだったのだが。


そうは言っても、せっかく咲いてくれて嬉しいのでお花見の真似事を。
でも、もう桜餅のシーズンは過ぎたので柏餅で。(^^;


これで2024年の桜は終了、楽しかったぁ。
Posted at 2024/05/14 23:14:38 | コメント(4) | トラックバック(0) | 日記
2024年05月11日 イイね!

サボった日記・・・早川往還その3

3/31薬袋~塩之上~京ケ島
早川町役場の駐車場に山神様の愛車N-oneを停めさせて貰う、日曜日なので
他に利用者はいない。


薬袋集落から塩之上集落へ続く林道へ入る。


薬袋の西の尾根に七面大明神の祠と身投石と呼ばれる1基の石が立つ。
伝説によれば、
「平安の時代、都で高貴な姫に恋した池之宮が”我袖は涙のしくれ晴れぬとも
つれなき松はふるかひもなし”と詠んだところ姫、にわかに人嫌病となり、夢の
お告げにより七面山を目指しました。
宮は唐よりの薬を持って後を追い、この集落の里人に姫の行方を尋ねます。
しかし、里人が『その姫は見ない』と答えると宮は絶望して薬の袋を
投げ捨て増水した早川へ身を投げてしまいました。
これが薬袋(みない)という地名の謂われとのことです。」


薬袋の早川町交流促進センター。
この建物には早川地域全体を博物館にみたてる「フィールドミュージアム」の
公式ガイドブックを作成した日本上流文化研究所がある。
「フィールドミュージアム」とは、その土地の歴史・風土・文化そのものを
博物館又は美術館に見立て、住んでいる人と訪れた人が互いに価値を発見して
いく仕組みでフランスで始まった「エコミュゼ」とその理念は同じ。
いわゆるハコモノといわれる従来型の博物館に対して、地域全体を博物館に
みたてた住民主体型の博物館活動であることが特徴。


薬袋から塩之上へは、標高差350mの九十九折。
ひたすら登って来た林道を見下ろす。


明治維新の改革で笹走、榑坪、千須和、薬袋、塩之上の五集落が合併して
五箇村と呼ばれていた頃の村役場跡。
合併当時の規模は、戸数198、人口1091人と現在の早川町全体より多かった。


役場の隣には、小中学校跡。やはり校門だけが残っている。


標高650mの尾根の間の広い平坦地に塩之上集落はある。
別名大久保とも呼ばれるが、その名の通り大きな窪地だ。


集落のメインストリート


こんな立派な住居だが、現在は住んでおらず時々町から通ってきて風を通して
いるようだ。
どの集落にもそうした家々があり、通いで維持されている畑も見受けられる。


ここにも集落を守る道祖神と半鐘。
塩之上では、昭和36年に草屋根の住居19軒が丸焼けとなる大火があった。


一時期、養豚が盛んだったこともあると言う。
右手の大きな建物は、豚舎。


集落の氏神様、熊野神社。
境内には豊年桜と呼ばれる桜の古木があり、花の咲き具合で豊作占いがされて
いたと言う。


大鳥居から続く急な参道は、かにさん歩きでなければ歩けないほど狭い石段。


京ケ島へ下る早川の谷筋に山桜が咲き乱れる。


地図上では車道が健在だと思っていたのだが・・・とても車は通れない。


途中、林道の山肌にぼくぼくとした茶褐色の岩が見える。
この岩は石灰岩で一般には水石と呼ばれ盆栽などに使われるものだが、地元では
蛇骨岩と呼ばれ
「昔この山の近くに棲んでいた大蛇が死んでその亡骸が穴の空いた化石になった。
滴り落ちる水はその大蛇の涙だ。」
との言い伝えがある。


蛇骨岩を過ぎると道の崩壊は更に悪化、冗談抜きに命がけ?になってきた。


何とか京ケ島集落の端にある山王権現神社に到着。
江戸時代に建立されたこの神社は隣り合う京ケ島、草塩両集落の神社であり
早川町唯一の郷社格の神社だとのこと。
境内にある樹齢800年の夫婦杉は、山梨県天然記念物。


集落に入っていくと曹洞宗常昌院というお寺があり、その門前に「しばり地蔵」
があった。
この地蔵様を細い縄でやさしく縛り、願いごとを記した紙を結わえつければ
願いが叶うという。
さっそく何やら願いごとを記す山神様。
願い事が叶ったら御礼に縄を解きに来るのが慣わしだそうだから、また来れる
かな?。


早川往還を歩き通したご褒美?草塩集落の立派な枝垂れ桜。


草塩には、ジビエ肉加工センターがある。
お土産に熊肉を買い求めたが、猟師さんが愛用する改造シエラと出くわした!
車検に合格したピックアップスタイル、荷台に鹿や熊を載せるんだそうだが
よく出来ている。


さぁ、これで「早川往還」ミッション終了。
この地の山の中腹で生きる人々の暮らしが、今後も残っていくことはとても
難しいのが現実だ。
でも、厳しく豊かな自然に囲まれて人が生きると言う原点を思い起こさせる
ような小さな集落の記憶は残って欲しい。
そんな気持ちで道祖神に見送られて帰路につく。


早川に沿う公園線から望む山腹の窪地。
一目で塩之沢集落の地形だと分かる。

つい、さっきまであそこにいたのにもう懐かしい気がする。
山上の桜が満開になったら、きっとまた訪ねてみよう。












Posted at 2024/05/13 00:01:22 | コメント(4) | トラックバック(0) | 日記
2024年05月09日 イイね!

サボった日記・・・早川往還その2

第2日目 3/9 江尻窪~笹走~榑坪

前回の到着点である江尻窪集落は、薄っすらと雪を被った山の中腹辺り。
まずは、早川沿いの榑坪集落付近に車を置いて中山経由で江尻窪を目指す。


江尻窪から梨子へ向かう道脇に倒壊間近の倉庫があった。
半開きの戸の隙間から中を覗くと・・・何とルノー!かな?
ジャッキアップしてあるところをみるとレストアする意志があったのか?
この僻地とのミスマッチ・・・どこにでもエンスーな人はいるものだ。


梨子集落、ここまでが身延町。
集落の入り口に住む80歳代の老夫婦に「何者か?」とジーっと見つめられて
しまった。


10軒ほどの本当に小さな集落だが、村はずれに身延町指定天然記念物の「甲州
野梅」の古木がある。指定当時は。幹回り2.4mの大木だったが大雪で倒れた後
植え戻されて今の姿になったと言う。
富士川沿いに自生する野生の梅で、細い葉、黒味を帯びた幹の枯淡な樹姿で、
花弁は丸味を帯びて一般の梅より強い香りだ。


古来よりこの街道の難所であった荒金峠付近。
舗装された林道となってもやはり落石が絶えないようだ。


町境を越えて早川町笹走地内に入ると、またまた信じがたい光景が目に入る。
何でも笹走出身者の縁戚でこの付近の地権者だと言う人物が、このバラックの裏
にある洞窟で数年の間暮らしていたという。
宇宙人を始めとしたこの奇妙なコレクションは、2年ほど前に病死したこの人物
の持ち物なのだが、町も処分に頭を痛めているらしい。


ようやく早川町に入った。


早川往還と集落内に続く道との辻に二つの道祖神がある。
手前に丸石が無くなったしまった丸石道祖神。
奥の道祖神には判別しがたいが、男女の像が刻まれている。
これは、双体道祖神と呼ばれる形式で関東・中部の山間部に多いものだという。


20軒ほどの内、現在居住するのは3軒だけという笹走集落。
動物除けの電気柵を開けて集落に入り・・・


・・・また電気柵を通って集落を出る。
通ったら動物が侵入せぬようきちんと閉めるのが、過疎地のエチケット。


この日唯一出会った見るからに優しそうな婆様。
山神様とすぐに打ち解けて
「この地は、陽当たりが良い上に北からの風も受けにくいまさに山上の楽園の
ようなところ。私は神奈川県から嫁に来たが、夫は亡くなり今は独り暮らし。
町で暮らす子供達は、一緒に暮らそうと言ってくれるけどここを出て行く気には
到底ならないよ。体が動く内はここで自由気儘に暮らしていくよ。」
・・・うーん、やっぱり独り暮しの寂しさよりも自由気儘か・・・。


笹走から早川河畔の榑坪集落へ下る途中に「北の池、七面堂」がある。
日蓮宗の修行の山、七面山には七つ池の伝説が残るがそのひとつがこの北の池と
伝えられ、七面堂には榑坪集落の守り神・七面天女が祀られている。


庚申塔から見下ろす榑坪集落。
こうして長い間、集落を見守ってきたのだ。


榑坪から早川を渡る山吹橋のたもとに水神様の小さな祠があり、水難供養のため
龍王龍行神が祀られている。
かってこの付近には大きな淵があって、子供たちの川遊びの場であったという。
当時の祠は台風で流され現在の祠は平成になって再築されたもの。

どの集落にも伝統的信仰の名残が色濃く残るのが、早川町の特色のようだ。

本日の歩行距離、3ブロック最長の18km。

Posted at 2024/05/10 22:19:18 | コメント(2) | トラックバック(0) | 日記
2024年05月07日 イイね!

サボった日記・・・早川往還その1

南アルプス北部の玄関口のひとつ、富士川支流早川に抱かれる山梨県南巨摩郡
早川町。
間ノ岳、農鳥岳の3千m峰2座を始めとして町内はまさに「山だらけ」。
その面積の96%が山林で人口が1千人を下回る日本一人口の少ない町。
複数の他自治体に接しているものの交通事情が悪く、実質的には早川沿いの県道
37号南アルプス公園線が町外へ通じる唯一の道となっている。

しかし、大正の電源開発によってこの公園線が開通する以前は、駿州往還(現国道
52号線)の切石地区から早川左岸高度約700m付近の山腹に点在する集落を
結ぶ「早川往還」と呼ばれる山道が上流部の諸村へ往来する一番の街道であった
という。

早川フィールドミュージアム公式ガイドブックより


現在地図

若かりし頃、南アルプス通いで何度この町を通ったか知れないが、当時は山に
ばかり目が向き、この町の歴史や文化には何の関心も持っていなかった。
しかし、年齢を重ね体力の衰えを感じるほどに過疎化によりやがては消えゆく
であろう小さな集落の佇まい、そこにあった暮らしの残渣を実際に自分の目に
焼き付けておきたいとの思いが強まって来た。
かと言って車で巡るのでは目に入るものは限られるし、この道を行き交った
古の人々の心情に思いを馳せることも難しい。
そこで全行程を3ブロックに分け、ゆっくりと時間をかけて歩き通すこととした。

第1日目 3/3 切石~江尻窪
切石を出発して間もなく夜子沢集落。
こんなところに・・・と言っては申し訳ないが、立派な構えの赤石神社に驚かさ
れる。
夜子沢地区は、武田時代から優れた技術で知られた夜子沢石工の里であり、境内
には宝暦8年(1758)の石灯籠が残る。


創建は1533年、その奥社の彫刻の見事さにさらに感嘆。


中山集落へは、間遠峠を僻地らしい風情のトンネルで越す。


集落手前の梅林の中に古い墓地。
苔むした石塔は年号もほとんどが不明だが、微かに文政の文字が読めた。


中山集落内の辻に立つ道祖神、天保14年とある。
丸石道祖神という形らしいが、この地方特有のものなのだろうか?


その道祖神近くの交通標識。
「子供注意」と書けない高齢者だけの過疎集落の象徴だ。


子供がいなければ学校も不要、門柱だけが残る学校跡。
一方には曙小学校、もう一方には曙中学校とある。
目を閉じて耳をこらすと何処からか子供達の声が聞こえてくるようだ。


学校近くの家の前を通りかかると一人の老婆に呼び止められた。
早川往還を歩き通したい旨を説明すると「なんとまぁ物好きな!」と驚かれて
しまったが、嫁いだ娘が残していった雛人形を飾ってあるが自分以外に見る人も
いないから是非、家に上がって見ていってくれと言う。
現代の生活では、なかなか飾れなくなってしまった七段飾り。
「昔はねぇ、これが当たり前だったよ。でも娘の家にゃ飾る場所もないんだよ。」
そう言いながら、お茶まで出してくれた婆様の嬉しそうな顔に却って胸が苦しく
なった。


江尻窪の公民館のベンチでランチ・・・人っ子一人いない。


倉に取り付けられた集落案内板・・・卍以外読めません。


朽ちかけた兜造の家、養蚕を生業としていたのだろう。
風に揺れる竿先の烏除けが、余計に侘しさをかきたてていた。


火の見櫓と相対して大きな門が立つ不思議な風景。


門から奥に見える緑の屋根の母屋までは約50mもある。
現在でも住んでいる様子だが、敷地の広大さに驚かされる。
この集落の庄屋さんだったのかも・・・。


帰路、路傍にN360・・・山神様は大感激!


思いがけない第一日目のエンディング。
確かにご先祖様の面影があるなぁ。



Posted at 2024/05/09 16:52:31 | コメント(4) | トラックバック(0) | 日記

プロフィール

「良く曲がる ^_^ http://cvw.jp/b/1240840/48330458/
何シテル?   03/24 11:23
U-TAN(う~たん)です。 見た目は可愛い性悪娘エリに苦労してます。 よろしくお願いします。
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