高遠そば 壱刻(イッコク)
高遠そばの名店(食べログ上位)
2022年04月30日

ここの蕎麦超旨いっす♪
「信州そば発祥の地」として、また「天下第一の桜」の名所として有名な 長野県「高遠町」。その「ご城下どおり」沿いにある130年前の蔵を改装し、そば屋ができました。そばの挽き方や打ち方を変えたそばを毎日4~5種類をご提供しています。大根の搾り汁に焼き味噌を溶かしたつゆで食べる名物「高遠そば」をどうぞお試しください。高遠の老舗和菓子屋「亀まん」とのコラボ甘味もお勧めです。
高遠では、高遠にまだ鰹も昆布も醤油も無かった戦国時代、「大根の搾り汁」に「焼き味噌」と「ネギ」を入れ、「辛つゆ」と呼ばれるツユを作り、それをつけづゆにしてそばを食べていました。
これがオリジナルの高遠そばのスタイルです。
諸説ありますが、高遠は信州そばの発祥地と呼ばれています。
奈良時代のはじめ、修験道の開祖と言われる「役小角(えんのこずね)」が、木曽駒ヶ岳で修行をした際に、その登山道の途中にある集落「内の萱」(江戸時代は高遠藩内、現在は伊那市内にある場所です。)の村人のもてなしに対しお礼として手渡した一握りの「そばの種」がこの地から信州全体に広がったとされています。(行者そば伝説)
また、高遠藩の飛び地の隣接地域であった「本山」という集落(現在は長野県塩尻市)は、1706年に出版された『本朝文選(風俗文選)』にも「蕎麦切りといっぱ(いうのは)、もと信濃の国本山宿より出て、あまねく国々にもてはやされける」とも書かれているように、そば切りの発祥地とも言われています。
本山宿だけではなくその周辺の地域でも同時代には同じようなそば切りを食べていたと考えられます。
そして、その「そば切り」を世に広めた一人が高遠藩主「保科正之」です。
大根の搾り汁に焼き味噌とネギを入れたつゆで食べるというそば切りを気に入ったお殿様は、後に山形(最上藩)、福島(会津藩)に国替えになった際に、そば職人を連れて行きその地でもそばを広めたとされています。保科正之
また、このお殿様は将軍徳川家光の実弟であったことから、後に4代将軍家綱の補佐をするため江戸詰めとなりましたが、その時に江戸にもそば文化大きな影響を与えたと言われています。
「信州そば」という呼び名も、最もおいしい蕎麦はやはり信州産であったことから、この頃に江戸で確立されたものです。
ちなみに江戸j代から有名なそば店に「更科」という屋号のそば店がありますが、これは保科正之の義兄弟が初代藩主であった上総飯野藩保科家の御用布屋であった堀井清右衛門がそば打ちが得意であったことから、上総飯野藩保科家当主がそば屋になることを勧め、信州のそばの名産地であった「更級」の「級」を保科家の「科」に変えた屋号「更科」を与え、麻布永坂町に開業させたものであります。
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