2011GW東北遠征 -1-
投稿日 : 2011年05月11日
1
盛岡の実家の状況を確認した後、せっかく岩手に来たので、3月からボランティア活動で現地入りしている道内の友人を激励すべく、山田町へやってきました。
これはボランティアスタッフに貸し出されている、キャンプ用のコテージ。
わたしもここにひと晩泊めていただきました。
高台の木々の間から見える海は穏やかで、のどかな風景に震災を忘れそう。
ですが、下に降りるとそこには瓦礫の山となった、廃墟のような風景が待っています。
2
この日は晴天でしたが、凄まじいほどの大風に見舞われ、予定していた海上捜索はおろか、陸上でも全ての戸外作業は中止となりました。
何か手伝えないか、と友人に言うと、付近の記録写真を撮って欲しいとのこと。スタッフはみな忙しくて記録する人がいないのだとか。
コテージの下、海沿いにある老人ホームだった建物は、津波に呑まれ、廃墟と化しています。残念ながら犠牲になったお年寄りもいらっしゃるとか。
ここでシャッターを切るのは、やはり躊躇しましたが、記録しなければ意味がないので、心の中でそっと手を合わせながらシャッターを切りました。
玄関だったらしい屋根の上には、漁船とポルシェ911が乗っており、この上まで波に呑まれたことを物語っています。
近くの林には、かなり奥まったところまで漁船が流され、引っかかっていました。
3
老人ホーム前の海。プレジャーボートなどの発着場になっており、震災がなければ美しい海で遊ぶ人々がいたはず。
取り残されたステップワゴンの残骸が悲しい。
4
ここは半島になっているのですが、その入り口にある防波堤も、ご覧のように無残に崩れてしまっています。
画像の背後には、もともと池があるのですが、海水が流れ込み、池が拡大してしまったそうです。
道路も当然被害を受け、この区間200mほどは補修したらしく、砂利道になっていました。
5
役場敷地は、少し高台になっているため、津波の被害を免れたとか。
その山田町役場から、市街地中心部を望む。
知られていませんが、震災当日、山田でも大火が起こり、市街地の4割が焼けてしまったといいます。
そのため、焼失した建物は撤去されて、役場職員さんによれば「ずいぶんきれいになったんですよ」とのこと。
写っていませんが、JRの駅舎も、ホームの一部と跨線橋は残っているものの、全壊。
また、役場の駐車場にずいぶんパトカーがいるな、と思ったら、警察署も被災したため、役場庁舎内に臨時の警察署を設けてあるのだそうだ。
6
それでも春はやって来ます。
桜はほぼ満開でした。
わたしはというと、花粉症が発症して少々辛かったですが。
7
翌日は、地元漁師さんの協力を得て、漁船で海上捜索を行いました。
併走するのは、全国各地から集まった、PWCを操るライフセーバー。ジェット隊の頼もしい面々です。
前日の大風で、浮遊していた目標の位置が大幅に変わってしまい、確認だけで午前中いっぱいかかってしまいます。
また海上には浮遊物も多く、寸断された漁網やロープ、ブイ等もあって、船の航行にも支障を来す場面もあるようです。
実際この後、この船も寸断されたロープがスクリューに巻き付いて航行不能となり、リカバリに時間を要することになってしまいました。
8
湾内で瓦礫の撤去作業をしている、巨大なクレーン船。
防風林であった、太い松の木や漁網、ロープ、あわび籠、破壊された住宅の一部などが絡まり合い、水面下の捜索ができないため、鉄の爪で撤去してもらっている。
オペレーターの見事な操作で、的確にすくい上げていますが、それでもたびたびロープを切ったり、チェーンソーで木を切ったりと、かなりの難作業。
漁網や籠は漁師さんの命なので、さぞや辛いことだと思いますが、このままでは他船の航行にも影響が出るため、全部すくってくれ、と指示されていた。
シュノーケル潜水を試みたスタッフによると、水の濁りがひどいそう。海上に浮いている木やブイはすくったが、まだ水中には沈みかかっている大木などが網とロープに絡まりあっており、その底に住宅の屋根らしいものと、漁船らしきものが沈んでいるのが見えたとのこと。
しかし、シュノーケリングでは危険でもあり、これが限界。
後日、自衛隊のダイバーを呼んでの捜索となったそうです。
ひとりでも多くの方が、一刻も早く見つかることを願ってやみません。
関連コンテンツ
関連リンク
おすすめアイテム
[PR]Yahoo!ショッピング